06―答えを失くした間柄
(もう今日で10月も終わるんだ…)
大学のカフェでランチをとりつつ、携帯のカレンダーに目をやったは小さく溜息をついた。
ついこの間まで「もう10月」なんて言っていたのに時が経つのは早いものだ。
「なぁに~?溜息なんかついちゃって」
突然ポンと背中を叩かれ、驚いて顔を上げると、そこには同じ講義を受けているエイミーが苦笑交じりで立っていた。
彼女とは最近よく話すようになったのだが、他の取り巻きとは違い、気軽に接してくれる所がは好きだった。
「何か悩み事?」
「そうじゃないけど…カレンダー見てたら時が経つのは早いなあって思ってただけ」
「何よそれ。オバサン臭ーい」
エイミーは大げさに笑いながら、の隣に腰を掛けると、「それより」と意味深な笑みを浮かべた。
「その後、どうなの?FBIくんとは」
「…その"FBIくん"てやめてってば。別にジェイとは何もないわ」
「そうなの?でも最近ってば何気に楽しそうだし付き合い悪くなったから、てっきりその彼とデートしてるもんだと思ってた」
「そりゃ時々は会うけど…彼は今、捜査で忙しいから最近会ってないの。それにパパから紹介された彼とは真剣に付き合う気ないし…」
は誤魔化すように言いながら、温くなったコーヒーを口に運ぶ。
エイミーは隣で「もったいない。イケメンなんでしょー?ゲイルが言ってたもの」と、にとったらどうでもいい理由を言いながら携帯をいじりだした。
「顔なんかで選べないわよ。彼と何かあったら一生ものなんだから」
「あ~。まあ言われるとね。いくらいい男でも結婚となると……簡単にエッチも出来ないか」
豪快に笑いながら、とんでもない発言をするエイミーに、も苦笑いが零れる。その間もエイミーは器用にメールを打っていた。
その様子を眺めながら、ふと夕べのジェイからの電話を思い出した。
『悪いね遅くに…。捜査がまだ終わらなくて、ちょっと君の声を聞きたくなったんだ』
ちょうど寝ようとしていた時に着信があり、ジェイの言葉にはどう答えていいものか困ってしまった。
先ほどエイミーに話したのは本当で、ジェイは今、例の殺人事件を追っている。その捜査がなかなか進まず、毎日聞き込みやらで忙しいようだった。
おかげでデートに誘われる事もなく、その事で父から干渉されるでもなく、は毎日のように、あの少年の元へ足を運んでいた。
――泣きたくなったらいつでも。
そう言われてから、その言葉に甘えるように、は大学が終わればエラルドに会いに行っていた。
会いに行ったからといって何をするでもなく、ただ彼の好きなケーキをお土産に持って行き、一緒に紅茶を飲みながら、それを食べる。
ついでに他愛もないおしゃべりをする。それだけの関係だった。
何故エラルドといて癒されるのか、彼の何に癒されているのかがにもよく分からないのだが、とりあえず足が勝手にあのホテルへと向いてしまう。
自身も、この安堵感は何なのか、それを確かめたくて会いに行っているのかもしれない、と思った事もある。
部屋に飾られたブルーローズのドライフラワーを眺めていると、あの夜、何故あんなにも心が急いてエラルドに会いに行ったのか、と不思議にさえ思う。
でもあの日、彼に会ってどうしても話をしたいと思った気持ちだけはハッキリと覚えていた。
相変わらず飄々としているエラルドは、あの調子で時々はを怒らせるような事を言う。
それはそれでイライラするし、腹立ち紛れに「もう来ない!」と思ったり言ったりもするのだが、次の日になると、自然とエラルドに会いに行ってしまうのだ。
エラルドに会う事が、今ではの生活のサイクルになっているのかもしれない。
と言っても、エラルドもここ最近は何やら忙しいようで、あの部屋にある書斎にこもりきりになる事もある。
そういう時、はリビングで一人、読書をしたり、テレビや持って行ったDVDを見たりしていた。
はエラルドが何をしているのか未だに聞けないでいたが、彼が普通の18歳ではない、という事は薄々気づいている。
いつ行っても、あの部屋にいるエラルドは、特に学校へ行く様子もなく、また学生を思わせるようなものは何も持っていない。
なのに何でも詳しく知っているし、またそんな彼を見て、エラルドは物凄く頭がいい、とも感じていた。
もしかしたら、エラルドは飛び級で大学を出て、今は本当に働いているのかもしれない、とさえ思う。
"仕事で使うので運ばせました"
以前、彼の部屋にあったパソコンを見て何の気なしに尋ねたらエラルドがそう言っていた事を思い出す。
あれも軽く聞き流してしまったが、本当の事なのかもしれない。
最初はリビングに仰々しく置かれていたパソコン機器。
あれも今は書斎に移されていて、それはきっと自分が出入りするようになったからだろう、とは気づいたが、本人にそれを確かめる事は出来なかった。
あの部屋でエラルドが何をしているのかは分からない。でも自分はあの中に踏み入ってはいけないのだ、とは感じていた。
これ以上、彼に踏み込めば、二度とエラルドとは会えない――何故だかそんな気がしたのだ。
(…でも、気になる)
エラルドはいったい何者?どこから来て、何をしてる子なの?
そう何度心の中で問いかけただろう。気にしないようにすればするほど気になって。でも聞けない毎日が続いている。
(お金持ち…ではあるわよね。あのホテルのスイートに何泊も出来るんだから…)
(それに最初エラルドと一緒にいた、あの年配の男性…彼の事を部下、もしくはパートナーだと前に話してたけど、実はあれも本当なのかも…)
といる時、エラルドの携帯が頻繁に鳴る事がある。その時は決まって、エラルドは例の書斎へと行ってしまう。
よほどに聞かれたくない話なのか、それともの前では話せない相手なのか、詳しい事は分からない。
――最初はエラルドの彼女か何かかも、と思った事もあるが、一度そう尋ねたら、驚いたような表情で「違います」とハッキリ否定された――
でも今は彼に電話をしてきてるのは、あの年配の男性なんじゃないか、とは思っていた。
(仕事、かあ…。もし本当にあの歳で仕事をしてるなら……どんな事をしてるんだろ)
ここ最近はそんな事ばかりを考えている。イコールそれだけエラルドの事を考えているのだ、とは内心苦笑いを浮かべた。
そこに気づいた時、は不思議でならなかった。
あの少年の何が、自分をこんなにも惹きつけるのか。全てが謎に包まれていて、エラルドの一挙一動が気になって仕方がない。
「――お、返事きた」
エラルドの事を考えながら、ぼんやり窓の外を眺めていると、隣でエイミーの携帯着信音が鳴り響き、はふと我に返った。
ここのところ気づけばこんな風にエラルドの事を考えている。年下の謎の少年について、いくら考えたところで、答えなど出ないのに。
「ねね、」
コーヒーのお代わりでも、と席を立った時、エイミーがの服を引っ張ってきた。
その顔を一目見て、は大げさに溜息をつく。
「私、行かないわよ」
「まだ何も言ってない」
「言う気だったクセに」
は苦笑しながら、カップを手に立ち上がり、お代わり用のポットからコーヒーを注ぐと、元の席へと戻った。
エイミーはそれを待ちわびていたかのように微笑むと、「たまにはいいじゃない、パーティも」と、予想通りの言葉を口にする。
この場合の"パーティ"とは、が以前行ったようなものとは少し違う。学生のいうパーティとは、見知らぬ男女が知り合う場を作る遊びのようなものだ。
「今日はハロウィンだし盛り上がるわよ~?ほら、仮装とかして行こうよ」
「そんな気分じゃないの」
「あら何でよ。ゲイルとも別れたし、FBIくんとも進展ないなら、新たな出会いを探せば?」
「ホント、そんな気分じゃないの。それに今は恋人とか…男友達とかも必要ないし」
ゲイルと別れて身に沁みた。自分は誰とも本気で向き合えない。万が一向き合えたとしても、その相手との未来はない。
だったら相手を傷つけるかもしれない付き合いなんかやめて、一人でいた方がいい。
それに今は本気で好きでもない相手と一緒にいるよりは、エラルドと心穏やかな時間を過ごす方がよっぽどにとっては居心地がいいのだ。
「だから何でよ~!あ、もしかして好きな人がいるとか?その人と会うから、いつ誘っても来なかったとか」
全く話に乗ってこないに、エイミーは鋭く目を光らせた。
はで突然投げかけられた、その言葉に一瞬キョトンとする。
「まさか!そんな人、いないわ」
「ホント~?だってってば最近明らかに変な時あるしー」
「…変って…何が?」
「だから…さっきみたいにボーっとしてたり、何か難しい顔で考え込んでるかと思えば、突然思い出し笑いしたりとか…」
エイミーはそう言いながらもマジマジとを見てくる。その目は心なしか細められ、その疑いの眼差しには僅かに頬が赤くなった。
言われてみれば確かに最近はよく考え事をする。そしてその対象はいつも同じ人物だ。
思い出し笑いをした時も、エラルドの不思議な言動が頭を掠めたりした時で、他にも彼の事では色々な事を考えたり思い出したりする。
そういう時は周りが目に入らないくらい没頭(?)していて、そんなを端から見ている友人達の目には、明らかに"おかしい"と映ったかもしれない。
(やだ…私ってばホント最近はエラルドの事ばかり考えてるかも…)
エイミーから指摘され、改めて実感したは、自然と顔が熱くなった。
これじゃ周りに恋してる、と思われても不思議じゃない。
でも実際のところ、エラルドとの間に甘い空気もなければ、毎日会っているからと言って、そういう風に見た事もない。
2つも年下のエラルドを、一人の男、と意識したりもしなかったし、エラルドもまた、に対して常に淡々と接してくる。
一応、世間から見れば男と女なのかもしれないが、二人の間にそういった恋愛を予感させるものなど、ないように思えた。
「ほーら、また何か考えてる」
一瞬エラルドの事に気がいっていたは、エイミーから指摘され、ハッと我に返った。
「そ、そんな事ないわよ」
「そうかなあ?好きな人のこと考えたんじゃないのー?」
「違うってば。それに私、好きな人なんかいないし」
は苦笑交じりでそう答えながら、帰る用意をする。
午後は休講となっていたので、これから一度家に戻り、着替えてからエラルドのホテルへ行こうと思ったのだ。
だがエイミーはそんなの様子を見ながら、「私も帰ろう」と席を立つ。そのまま二人は一緒に大学を出て歩き始めた。
「あれ、今日は迎えの車ないの?」
「うん。午後は休講って知らなかったし、連絡入れるのも忘れちゃって。今からじゃ待つのも面倒だしタクシーで帰るわ」
「そう。あ、なら少しだけ買い物付き合ってよ」
「買い物?」
「今日のパーティで着ていく衣装、見に行きたいの。いいでしょ?私の誘い断ったんだから、それくらい」
少しスネたように唇を尖らせるエイミーに、も苦笑いを浮かべながら、少しくらいならいいか、と二つ返事でOKした。
今日は早めに終わったし、まだ時間はたっぷりある。エラルドのところには夕方行けばいいだろう。
(――と言っても別に約束してるわけじゃないから、行かなきゃ行かないでいいんだけど…)
ふと先ほどエイミーからの誘いを断った事を思い出し、溜息をつく。
何となく、エラルドのところに行くから、と考えていた自分が、少しだけおかしかった。
二人の間には特別な約束も何もない。一日くらい行かなくてもエラルドだって特に何を思うわけでもないだろう、と思う。
それでも、毎日の日課になってしまっている訪問を突然やめるのは、何となく気が進まなくて。
せっかく仲良くなったエイミーからの誘いも断ってしまった自分がいる。
(だってエラルドといると落ち着くし…。他の男と違って変な下心を見せるわけでもない…)
そんな理由を並べては、この説明できない気持ちを納得させる。
そうする事で、またエラルドに会いに行く言い訳を作っているようにも思えたが、も今はこれでいいと思っていた。
今の自分には、あの少年が必要なのだ、と心の奥で分かっている。――その深い理由までは分からないのだが。
「でも友達からのメールだと、今夜来る男はなかなか質が高いらしいよ」
タクシーを捜しながら、エイミーが楽しげに言った。
「みんな、どこかのボンボンで、医者の息子とか、政治家の息子なんかも来るって」
「ふーん。何だか集団お見合いみたいね」
「何よ、その気のない返事ー。まあの周りには、そういったボンボンが腐るほどいるんでしょうけどー」
「エイミーだってそうでしょ?お父様は医学部教授なんだから、周りは優秀なお医者様ばかりじゃない?」
「ダメダメ~。うちは教授っていっても内科だから地味だもん。やっぱ医者は外科医じゃないと花形にはなれないよー」
溜息交じりで肩を竦めると、エイミーはタクシーをつかまえ、と二人で乗り込んだ。
「マディソン・アベニューまで」
行き先を告げると、眠そうな顔をした運転手が、乱暴に車を発車させる。
その乱雑な運転に顔をしかめながらも、エイミーは今夜着る衣装の事で楽しそうに話し始めた。
そして次第にパーティに参加する男の子の話題へと移っていく。
エイミーは張り切って、どんな顔立ちがいい、とか、優しいだけの男は嫌だと、散々自分の好みを話していたが、ふと話を静かに聞きながら相槌を打っているを見つめた。
「何?」
「ん~、そう言えばってさぁ。色々と男性関係あったけど、どの人とも長くもたなかったなあと思って」
「…そうだっけ」
「そうよ~。うちの大学じゃを本気にさせるのは難しいって男どもが噂してるし。それにあのモテ男のゲイルも撃沈したんだから余計にそう思うわ」
内心ドキリとしたが、は適当に笑って誤魔化す。
それでもエイミーは気になるのか、首を傾げながら「が本気で好きになる人ってどんな人かな」と笑った。
「さあ?きっと一生出来ないかも。どうせ将来はパパの気に入った人と結婚させられるだろうし」
「ああ…家柄が良すぎるのも大変よね…。その点うちはまだ気楽だけど…」
エイミーはそう言いながら笑っていたが、にはそんな彼女がとても羨ましいとさえ思った。
普通の家に生まれたなら、今のような贅沢は出来なかったかもしれない。それでも今よりはもっとずっと自由で、生きている実感があったろうと思う。
どれほど贅沢を出来ても、自分の将来を自分で決断し、選択できる、という普通の人にとってみれば当たり前のような事が、には出来ない。
自由――それはどんなに高価なものを手にするより、素敵なことに思えた。
「はさ。きっと自分に近寄ってくる人間の嘘に飽き飽きしてるでしょ?」
「え…?」
「分かるの。今までの周りにいた人間を見てたから」
ふと呟いたエミリーの言葉に、は驚いたように顔を上げた。
「見え見えのお世辞並べ立てて、の機嫌を損ねないよう気を遣ってるあいつらを見ながら、きっともウンザリしてるんだろうなって思ってた」
「…エミリー」
「がそれを当然のように振舞う高飛車な女だったら、私もきっと話しかけずに遠巻きに見てたと思うわ。それまでそうだったように」
でもはいつも、どこか寂しそうだったから、つい声かけちゃったの、とエミリーは笑った。
その自然な笑顔に、も胸の奥が熱くなるのを感じ、強く両手を握り締める。
こんな風に本心を話してくれる友人など、にはいなかった。皆、に気を遣い、どこか他人行儀なところがあった。
陰で自分の悪口を言われているのも知っていた。でも、それでもいい、と諦めていたのだ。
「だからにはきっと、本音でぶつかってくれる人が合うと思う」
「…え?」
「これまでの男みたく、甘い言葉を並べ立てる奴より…もっと…そうね。純粋で嘘の言えない人」
「…嘘の言えない人…」
「そう。は今まで散々人の嫌な所を見てたわけじゃない?だから不器用でも本心からと向き合ってくれる…そんな本当の意味で強くて優しい人がきっと合うわ」
ま、そんな男、なかなかいないんだけど、とエミリーは苦笑した。でも彼女の気持ちは素直に嬉しい。
今時の軽い女子大生に見えるエミリーが、実はこんなに優しい子だったんだ、と気づけたのは、にとっても幸せな事だった。
(本心から向き合ってくれる人、か…。確かにそんな人なかなかいないんだけど…)
でも、もし本当にそんな人がいたら、本気で恋愛が出来そうだな、と、流れる景色を見ながら思っていると、一瞬、視界に見慣れた猫背を捉えた。
(…本心をぶつけてくる人はいるけど…あれも嘘をつけないっていうのかな…)
ふとセントラルパークに歩いて行く男性が、エラルドに似ていて、は何となく彼の飄々とした顔を思いだし、笑みを浮かべる。
エラルドは常に自分の思った事を素直に口にする。しかも言葉を選ばない。ゆえにとたびたびケンカする事になる。
でもにとって、その些細な言い合いもまた、楽しいものだったし、頭にくることはあっても、それが心の底から不快だと感じた事は一度もなかった。
(そっか…だからエラルドといると居心地がいいのかもしれない…。本音しか言わない彼を信用出来るから、安心して傍にいられるんだ…)
それはイコール、自分も本当の姿をさらけだせる相手という事なんだ、と改めて気づかされ、は先ほど外に見た、エラルドらしき影を目で追った。
でもエラルドは滅多に出歩かないのだから、今のも他人の空似だろう。
あとでエラルドの好きな、イチゴのショートケーキをいっぱい買って行こうと、と思いながら、再びパーティ衣装の話を始めたエミリーの声に、耳を傾けていた。
△▼△
セントラルパークに佇み、確実に冬へと近づいているような冷たい風に首を窄めながら、Lは枯れ葉を踏み鳴らした。
着慣れないロングコートのポケットに両手を突っ込み、長いマフラーを更に巻きつけながら、何度か足を運んだ事のある現場へと向かう。
三人目の被害者が発見されてから、およそ半月。その間、捜査にはあまり進展は見られず、苛立ったLは出来る限り、この現場へと足を運んでいた。
普段ならこんな事は殆どしない。暖かい部屋にいてパソコンを眺め、事件の推理をしているだけでいい。
しかし今回の事件は違う。自分が関わった事件で、これほど捜査が進まないというのは初めてだった。
その苛立ちから、つい落ち着かず部屋を出てきてしまったのだ。
捜査が進展しない理由は被害者の遺体が全て発見されないなど、いくつかあった。
まず遺体さえ見つかれば、そこから科学捜査で色々な事を調べられる。
死因や、殺害された場所、何を用いて遺体を切ったか、胃の内容物から、被害者が殺される前、どこで何を口にしたか。
遺体には被害者の足取りともなる証拠が沢山詰まっているのだ。
そして足取りがつかめれば、犯人とどこで接触したのか、具体的に範囲を絞れたりもする。
しかし今発見されているのは、足の指や手の指といった部分的なものでしかなく、それだけでは死後どのくらい経っているか、という事くらいしか分からない。
それらも殺害後、綺麗に洗ったような痕跡があり、科学捜査の力を借りても詳しい証拠は残されていなかった。
だが、一番の理由は被害者の交友関係が思った以上に幅広く、FBIの捜査官達も一人一人当たるだけでも大変だという事だった。
被害者が三人とも、派手に遊んでいた事もあり、異性関係を調べるのも一苦労だったようだ。
それでもLは、被害者が付き合っていた親しいボーイフレンド達は容疑者から除外させた。
この犯人は被害者と、親密に付き合っていた相手ではない、と睨んだのだ。
最初は遺体を川にばら撒き、隠蔽を狙った形跡もあるが、今回三人目の被害者の耳はこの公園のベンチに放置していった。
と言う事は、遺体の一部なら隠さなくても自分の犯行とはバレない、と踏んだからだろう。
被害者と特別親しかった人物なら、絶対にそうは思わないはずだ
――それでも犯人は被害者を信用させ、二人きりになる事に成功している。
犯人は単独犯。
頻繁に会うボーイフレンドではないが、被害者とそれなりの信頼関係が出来ている人物――Lはそう結論付けた。
(それでも最初は遺体を隠そうとしたんだ。そこから何か手がかりになるものがあるはず…)
三人目の被害者の耳が発見されたベンチへいつものように膝を抱えて座り、Lは目の前の大きな木々を見上げた。
今は秋らしく、葉も少しづつ紅葉に向かっている。その葉が一枚、ひらひらと地面へ落ちていくのを見ながら、Lは親指を噛んだ。
(…他の二人より、最初の被害者、キャサリン・デイビス…彼女の過去の中に、犯人との何らかの接点が必ずあるはず…)
ガリ、と強く噛んだ親指の先から、薄っすらと血が滲む。そこにはLの、この犯人は必ず捕まえる、という決意が滲み出ていた。
「――やだぁ、ホントに~?あはは」
その時、明るい笑い声が聞こえてきて、Lはふと顔を上げた。
まだ午後を過ぎたばかりのセントラルパークには、夏ほどではないにしろ、それなりに人通りはある。
子供を連れた母親、散歩をする老夫婦。そして甘い雰囲気の恋人達。
今も笑い声の主である少女は、隣にいる恋人らしき男の腕に縋るようにして歩きながら、幸せそうにLの前を通り過ぎていく。
ありふれた光景、どこにでもいるカップルだ。それこそ、このニューヨーク、いや世界中に溢れるほどいるだろう。
そんな、どこにでもいる男女を、普段は気にする事なく流していたLだが、今は自然とその後姿を目で追っていた。
少女の髪型が、どことなくに似ていたからかもしれない。
(…何時だろう)
の事を思い出したせいで、ふと時間が気になった。
当然の如く、Lは腕時計なんて気の利いたものは持っていない。
ついでに言えば、思いついてフラリと出てきてしまったので、携帯すら部屋に置いてきてしまった。
はいつも大学が終わってからホテルへやってくる。その時間帯はまちまちだったが、昼過ぎから暗くなる前までの間には必ず来ていた。
ついこうして出かけて来てしまったが、もしこの瞬間が部屋を尋ねていたら、と多少気になってしまう。
以前のLなら、誰かの事で時間を気にするなど一切なかった。好きな時に好きな事をするし、行きたいところへ行く。
その事で他人から責められたとしても、Lは何も気にしなかっただろう。
(…それに彼女と約束をしているわけじゃない。尋ねてきて私がいなければ、彼女も帰るだろう…。それほど気にする事は…)
そう思いながらも一度気になり出した時間は頭から離れてくれず、Lは溜息交じりで立ち上がった。
自分がいなかった事で、あの再会した夜に見せた子供のような寂しげな顔で帰っていくの姿を思い浮かべてしまったのだ。
(私らしくない…。別に私がいないからといって彼女が落胆するとは限らないじゃないか)
頭ではそう思う。でもが会いにくる毎日が当たり前のようになっていたLは落ち着かない気分になった。
それは本人すら気づいてはいないが、Lにとってもの訪問がすでに生活のサイクルに刻まれているからかもしれない。
(日の落ち具合から、今は午後3時過ぎくらいか…?それとも、もっと過ぎているのか…)
寒さも忘れたように、太陽が傾き始めた空を見上げる。その時、突然背後から「L」と声をかけられた。
「…キルシュ」
振り返ると、そこには困ったように微笑むワタリこと、キルシュ・ワイミーが立っている。
「携帯もパソコンも繋がらないので、もしやここに、と思いましてね」
「…気分転換だ」
「ええ、たまには外の空気を吸うのもいいです」
キルシュは穏やかな顔でそう言うと、ふとベンチの方へ視線を向けた。
半月も前、このベンチに三人目の被害者であるべス・ジョーンズの右耳が置いてあり、このベンチの下には彼女のものと思えるダイヤの指輪が落ちていた。
指輪を売っていた店を探すのはさほど難しくもなく、顧客データを調べてべスの事が分かり見つかった耳と彼女のDNAを照合してみたところ一致。
そこで三人目の被害者の身元が分かった。
べスは某ホテルチェーンの社長の娘で、耳が発見される数日前から行方が分からなかったらしい。
彼女もまた他の被害者同様、セントラルパークをくまなく調べても、他の遺体を見つける事は出来なかった。
「何か思い当たりましたか?」
何の気なしに事件についてLに尋ねる。でも当の本人は他の事に気を取られているような顔でキルシュを見た。
「ああ…それは後で話す。それより…ホテルの私の部屋へ行ったのか?」
「いいえ。何度パソコンに呼びかけても応答がないというのはあなたが不在、という事ですから。何故です?」
普段なら気にもしないような事を尋ねるLに、キルシュも訝しげに眉を寄せた。だがすぐ、その理由に思い当たる。
「ああ…彼女ですか」
「……………」
軽く言い当てられ、Lは僅かに目を細めると、「別にそういう意味じゃない…」と口篭り、もう一度ベンチへと座る。
それでも落ち着かないように親指を噛む仕草を見て、彼が苛立っている、とキルシュは分かった。
Lが幼い頃から面倒を見ているのだ。その時の様子で彼が何を考え、何を欲しているかくらいは容易に察しがつく。
当然、機嫌のいい、悪いもだいたいは読み取る事が出来た。
ただ、キルシュは最近のLの事が少し心配だった。
偶然とはいえ、未来の大統領の娘であるとの接触。いや、あれだけで済めばキルシュもそこまで心配はしなかったろう。
心配の理由はここ最近、とLが頻繁に会っている事だった。
Lが自分の居住スペースにキルシュ以外の他人を入れたのは初めての事だ。
その経緯を最初にLから聞かされた時は、さすがのキルシュもかなり驚いた。
「何故、会いに来てもいいなどと言ったんですか」
Lの仕事に支障が出るのでは、と危惧したキルシュは、の事を話してくれたLにそう尋ねた。
でもLの答えはといえば、「自分でもよく分からない」だった。
「…ただ彼女が泣きそうな顔で"また来てもいいか"…と聞いてきた時、断る言葉が思いつかなかった」
そうキルシュに説明した時のLも、ほんの少し泣きそうな顔をしたのを覚えている。
だから敢えてキルシュも干渉するような事を言うのは止めておいた。
「でもあなたが"L"だという事は決してバレないように。それが彼女の為でもあるんですから」
そこだけ忠告をしたものの、Lもそれはよく分かっている。当然だとでもいうようにキルシュの言葉に頷いた。
それ以来、キルシュも普段はLの部屋へ近づくのを遠慮し、が来ていたら帰るまで自分の部屋で過ごす。
Lは子供の頃からたった一人で犯罪者や様々な事件と向き合っているのだ。全てを話すわけにはいかなくとも、友人の一人くらい欲しいだろう、とキルシュは考えた。
それは少しくらい人間らしい事をさせてやりたい、というキルシュの親心にも似た優しさだったのかもしれない。
(…しかし、このまま彼女と会い続けていていいものか…)
同時にキルシュは僅かな不安を感じていた。
以前のLなら、人や物…いや何に対しても固執したりはしない方だった。
でも今は少なくとも、という少女の事を捜査の合間に気にかけている。それは凄い変化だった。
Lは一旦、事件の捜査に乗り出すと他の事が見えなくなるほど没頭する。
ゆえにLの身の回りの事までフォローするのは全てキルシュだった。
そのLが事件の捜査中、一般人と毎日のように会っているのだ。これはキルシュも予想外だったといえる。
がいくら会いにきたとしても、事件へ没頭し始めたらLも彼女に「もう会わない」と切り出すのではないか。
キルシュはそう睨んでいた。でも未だにその傾向はなく、Lは更に彼女の事を気にしている。
今もベンチに座りながら、「今は何時だ」とソワソワしながら聞いてくるLを見て、彼女にこれ以上深入りをしない方がいいと言うべきかどうか考えあぐねていた。
「…今は午後3時半を少し過ぎたところですよ。もう少しで4時になります」
「…帰る」
キルシュが時間を告げるのと同時にLはボソリと呟き、不意に立ち上がった。
きっと彼女が来ているのではないか、と気になっているんだろう。Lの背中を追いかけて歩きながらキルシュは小さく溜息をついた。
「――エラルド…?」
その時、不意にそんな声が聞こえて、目の前を足早に歩いていたLがピタリと足を止める。
見ればセントラルパークを出たところに、髪の長い綺麗な顔立ちの女性が立っていて、驚いたような顔でLとキルシュを見ていた。
「…、さん…?」
「やっぱりエラルドだ…。やだ、どうしたの?こんな場所で」
多少は驚いた顔をしたものの、その女性は嬉しそうにLの元へと駆け寄ってきた。そして後ろに控えているキルシュにも軽く挨拶をする。
(この女性が…。ホープ氏の一人娘か…。あのパーティで見かけて以来だな)
キルシュはそう思いながら、にこやかな笑みを浮かべ、に会釈をした。
「私は散歩です。さんは…」
「ちょうどエラルドのところに行こうと思ってたの。ケーキ、買ってきたよ」
はそう言いながら手に持っていた箱を少しだけ持ち上げて見せる。それにはLも嬉しそうに微笑んだ。
キルシュはその光景を見ながら、内心驚いていた。Lがこんな風に柔らかく笑ったのを見たのは、長年一緒にいたキルシュでも初めての事だ。
そんなLの変化に驚きつつも、ここは遠慮するべきだろう、と、キルシュは思った。
「…エラルド。私は――」
先に戻る、と声をかけようとしたその時、がキルシュに話しかけてきた。
「えっと…あなたはエラルドの…」
「キルシュ・ワイミーと言います。さん」
「…キルシュ…」
その名前を聞き、は訝しげに首を傾げた。以前、Lが「ワタリ」と教えたからかもしれない。
でもそれもハッキリとは覚えていないようで、はその名に納得したようだった。
「確か父があなたの話を。イギリスに施設を所有しておられるとか…」
「はい。その関係で私は彼…エラルドの後見人をしております」
「え…後見人…?仕事のパートナーじゃ…」
がそこで言いかけると、キルシュは軽くLを見て目を細めた。その空気に気づいたLも気まずそうに目を反らす。
「はいまあ…エラルドは色々と優秀な子でして…その能力を活かし、社会に貢献出来るような仕事をしてもらってます。私はその手伝いを」
「…そう…なんですか。エラルドってばその辺、何も教えてくれなくて…」
「…いいじゃないですか。私の事はもう」
そこでLも口を挟み、に向かって行きましょう、と声をかけた。
きっとと二人でいるところを、自分に見られたくないのだろう、とキルシュは察し、に向かって「私はここで」と微笑む。
「え、あ…いいの?エラルド、彼と何か用事があったんじゃ…」
「言ったでしょう。私は散歩に出ただけです。もう戻るところでした。キルシュは…用事があるようですが」
Lはそう言いながら、チラリとキルシュを見た。早く行けと言いたいんだろう。そんな空気を察し、彼もまた話を合わせるように頷く。だがふと思い出したように「…今日はあなたの誕生日でしたね」と、Lに向かって声をかけた。
Lの足がピタリと止まり、少し驚いた表情で振り返る。その反応を見る限り、どうやら忘れてたようだ。
「…誕生日…」
「ええ。今日で18歳になりましたね。おめでとう――」
「えっ?!」
お祝いの言葉を言い終わる前に、キルシュの言葉にいち早く反応したのはL本人ではなく、後ろで二人の会話を聞いていただった。
その顔は驚きのあまり口があんぐりと開いたままだ。
「嘘…だって…え?18歳…って今日で?!」
「………」
その驚きように困ったLは、目を細めて余計な事を…と言いたげにキルシュを睨む。キルシュはキルシュで何の事やらさっぱり分からず首を傾げた。
「…もしかしてエラルド…さんに、すでに18だと言ってたんですか?」
「……別に1カ月くらいで変わるものでもないでしょう」
嘘をついた手前、気まずいのか、Lは不機嫌そうな顔で呟いた。
それにはも呆れ顔で溜息をついている。
「じゃあ今までは17歳だったって事…?」
「まあ……そうなりますね」
「そうなりますねって…。全く…2歳しか違わないとか散々言っておいて」
「今日で私も18歳なんですから、同じ事でしょう?」
「そうだけど…!」
相変わらずシレっとした顔のLに、もムキになって言い返す。
その光景を見ていたキルシュは、自分以外の人間と接しているLを見て、楽しそうだな、と感じていた。
同時に、先ほどの不安も蘇ったが、こうして見ていると、も少なからずエラルドとしてのLを友人と認め、大切にしているように見えた。
家柄、どんなに我がままなのかと、そちらも多少の心配はしていたが、はキルシュの中で、かなりの好印象だ。
(なるほど…これならLが気にかけるのも無理はないか)
あのパーティで見かけた時は、大物ばかりの大人達の中で確かに少し窮屈そうだった。
でも今は自然な笑顔でLと接している。きっと彼の前でだと、素顔の自分でいられるんだろう。
(Lがそうであるように…彼女もまた、自分の生き方に答えをなくして、迷っているのかもしれない)
キルシュは子供じみた言い合いを始めた二人を、微笑ましく思いながら、静かにその場から去って行った。