思えば思わるる...01

深夜0時を回った頃、約束の場所に到着したイルミは、目の前に聳える高い塀を見上げた。塀の向こうにあるのは悪名高いマフィアのボスの屋敷だ。今夜、ここへ忍び込み、ボスのコレクションを盗もうという人物からイルミは依頼を受けていた。

「さすが警備は厳重だな」

塀の向こうから感じる人間の気配にイルミは独り言ちながら、今回の依頼人が来るのを待った。その人物からは以前にも何度か依頼を受けている。報酬はいいのだが時間にルーズなのが玉に瑕だった。そもそもマフィアの家に盗みに入るという命知らずな人間は普通の感覚など持っているはずもないだろう。
イルミが妙に納得していると、背後から「お待たせー」と明るい声が聞こえてきた。イルミをもってしても声をかけられるまで気配を感じなかったのは、さすが旅団クモなだけはあるとイルミは感心した。

「ホントに待ったんだけど」

振り向きざま、イルミは目の前で悪びれた様子もなく無邪気な笑顔を浮かべている人物へ嫌味の如く言い放つ。それでも当人は「え!わたしにしては早くない?」と呑気な様子で驚いている。それにはイルミも彼女には何を言っても無駄、と判断した。実際、これまで同じようなことは何度となくあったが、直す気配すらなく、文句は言ったものの、彼女はこういう人間なのだ、とイルミは内心割り切っていた。それよりもイルミが気になったのは――。

「今日は一人なの?」

彼女の名前は。世界的に悪名高い幻影旅団のメンバーだ。彼女とは旅団の団長、クロロを通して知り合った。
旅団は仕事・・をする際、単独で動くこともあるが、彼女は盗みに特化した能力の持ち主で、どちらかというと非戦闘要員であり、常に傍には旅団のメンバーがいた。なので今夜もてっきり誰かしら連れていると思っていたが、予想に反しては一人で現れた。
彼女はイルミの問いに対し「だからイルミに依頼したの」と笑っている。それを聞いて瞬時にイルミは理解した。

「もしかして…今日のオレの仕事は陽動とかじゃなく護衛ってこと?団員には内緒ってわけだ」
「さすがイルミ!察しがいいね」

あっさり認めたは「だからクロロには内緒ね」と付け足した。仲間達に内緒で…とは珍しいこともあるものだと思いながら、そこまでして彼女が盗みたい物に興味を持った。

「ま、報酬さえもらえればオレは何でもいいけどさ。今日は何を盗む気?」

彼女は旅団の中でもアンティークな物に目がないことはイルミも知っている。今回もそうなんだろうと思っていた。しかしは至って真面目な顔で「今日の獲物は悪魔を呼び出せるっていう呪われた本なの」と説明した。

「呪われた本…?」

あまりに彼女っぽくないとイルミは少し驚きながら聞き返したものの、すぐにクロロの顏が頭を過ぎった。幻影旅団の団長、クロロは少し変わった趣向の持ち主であり、プラス本が好きという、盗賊にしては少々インテリなところがある。

「もしかして…それって」
「うん。団長が欲しがってる本なの。ずっと探してて、ここの家主が持ってるって情報をわたしがたまたま耳にして」
「じゃあ何でクロロに言わずに一人で?」

てっきり彼女自身の欲しい物だと思っていたが、クロロが欲しい物を一人で盗みに来るというのおかしな行動。さすがにイルミが疑問をぶつけると、彼女はほんのり頬を染めながら「それはだから…」と途端に言葉を濁し始めた。いつもは言いたいことはハッキリ言うタイプなだけに、イルミはますます興味を持った。
はジャポンという国の出身らしく、細身で華奢、色白な肌に長い黒髪が映える少女と言ってもおかしくはない見た目だが、年齢はイルミと同じ歳だ。なのに今は見た目通り、少女のように頬を染める姿に、イルミは違和感を覚えた。

「何なのさ。ハッキリ言ったら」
「…だから…それはほら…あれだよ」
「あれって?」

淡々とした表情で問い詰めるイルミに、も仕方ないとばかりに溜息を吐くと、一言「もうすぐバレンタインデーでしょ…?」と言いにくそうに応えた。その聞きなれない言葉に、イルミの脳内ではクエスチョンマークが並ぶ。

「バレンタインデー?何それ」
「えっ?イルミ知らないの?」

怪訝そうな表情を浮かべるイルミに、は彼以上に驚愕の表情を浮かべている。知らないから聞いているのに「知らないの?」と切り返されると、相手から無知だとバカにされた気分になる。イルミも同様で、彼女の返しには少々ムっとしてしまった。

「だから何なの、それ」
「あ、もしかしてイルミの国はバレンタインの習慣ないのかな」

そこに気づいたらしいはバレンタインについて説明し始めた。要は今月の14日は大切な人にプレゼントを贈る日ということらしい。彼女の育ったジャポンでは女性から男性にチョコレートを贈る習慣があるものの、本当のバレンタインデーは男女関係なく、大切な相手に花やプレゼントを贈る、というもののようだ。

「フーン…大切な相手…ねえ」

子供の頃から暗殺のノウハウを叩きこまれて育ったイルミからすると、の言うバレンタインデーなど、変なイベントがあるものだとしか思わなかった。いくら大切な相手、例えば家族であろうとゾルディック家の人間に贈り物をするという習慣はないからだ。

「で?オマエはそのバレンタインデー?にクロロへ その本をプレゼントしたいと。そういうわけ?」
「う…ま、まあ…そういうことなんだけど…」
「ふーん。っていうかってクロロのこと好きなの」
「そ、そういう意味じゃないからっ」

ハッキリしたツッコミにますます頬を赤らめるを見て、何となくイルミは面白くない気分になった。本人は否定しているが、どう見ても"そういう意味"だと勘ぐってしまう。そして自分の中に芽生えた不愉快さにも内心驚いていた。目の前でオロオロしだした少女にも見える女が、クロロの為に危ない橋を渡って単独、マフィアのボスの家に盗みに入ろうとしているという事実に、殊の外、イラついてしまっている。

「イルミ…?何か顔が怖いよ」
「もともとオレはこういう顔だけど。っていうかクロロに渡すプレゼントの為にわざわざオレを雇ったってこと」
「う…ごめん。他に頼める人いなくて…」
「旅団のメンバーに頼めば良かっただろ」
「ダ、ダメだよ…そんなことしたら絶対バレちゃうもん。みんな、団長には隠し事できるタイプじゃないし…でもイルミなら口は堅そうだし頼りになるし…」
「………」

頼りになる=頼りにされてる。そう感じたイルミは意外なほど気分が高揚していく自分に再び驚いた。たった今まで不愉快だったものが消し飛んでいく。

「まあ…そういうことなら手を貸してあげてもいいけど」
「ほんと?イルミ、ありがとう!」
「………」

は満面の笑みを浮かべてイルミの手をぎゅっと握り締めてきた。その感触にビクリとなったイルミは、彼女の手が予想以上に小さいことに驚いた。かれこれ二年以上の付き合いがあるものの、こうして触れあったのは初めてだ。
常に元気で行動力があり、時にはイルミの予想の上をいくは、イルミがこれまで関わったことのないタイプであり、変わった能力も相まって以前から気になる存在ではあった。普段はあまり他人に興味を示さないイルミだが、彼女だけは何となく気になる。その理由が今夜、どういう意味のものなのか、彼女に触れられ、ハッキリと理解してしまった。

「…イルミ?どうしたの?ポカンとした顔して」
「…いや、まさか。ありえない」
「え、何が?」

一人ブツブツ言い始めたイルミを見て、はますます不思議そうに首を傾げている。そのあどけない表情を見て、可愛い…という今まで感じたこともない感情がイルミの中で溢れた。

「何なの、オマエ…ムカつくんだけど」
「えっ何で?わたし、何かした?」

突然ムカつくと言われても驚く。だがイルミは自分の中に芽生えた何とも言えない淡い思いに戸惑い、どう返していいのかすら分からない。女の扱いには慣れているはずなのに、どうも相手だと普段のように振る舞えないのだ。

(常にオレのペースを崩すんだよな、コイツは…)

イルミが右と思ったら彼女は左といった感じで、毎度予想の裏をいくようなところがあるだけに、これまで暗殺者として培った色々な経験が何の役にも立たない、いわばイルミの天敵とも言えるような女だと思う。最初は面倒だと思ったはずなのに、だんだんと自分の考えもしないような言動をすると会うのが面白くなってきた。だからこそ呼ばれればこうして来てしまう。そこに答えはあったのだとイルミは自覚した。

(オレとしたことが何でこんな女に…)

しかも彼女はどうやらクロロに惚れてるらしい。自分の気持ちに気づいた時点で報われないと思うと、やたらと独占欲が刺激された。イルミはプロの殺し屋であり、盗賊ではない。でもこれまで望んだものは全て手に入れてきただけに、目の前に手に入れられない存在がいるというのが耐えられなかった。ただ家族以外の他人に対して愛情を持ったのが初めてのイルミは、彼女の存在をどう扱っていいのかが分からない。

「イルミ、何してるの。早く行こう」

考え込んでいると、不意に頭上から声が聞こえてイルミは顔を上げた。するとはサッサと高い塀の上に上ってイルミを見下ろしている。ついさっきまでイルミの機嫌が悪いことを気にしてたクセに、今は「早く早く」と急かしてくるのだから、相変わらず気持ちの切り替えが早いなと溜息が漏れた。そもそも他の男の為に盗みを働こうとしている彼女を護衛するなど、今となっては不本意でしかないというのに。そんな思いを抱きながら、イルミは仕方なく跳躍して軽々と塀の上へと飛び乗った。幸いなことに高い塀には電流などを流す仕掛けはないようだ。まあ、そんな程度の妨害ではゾルディックの人間や旅団の人間を足止め出来るはずもないが。

「で…?ここからどうする気?外の奴らはオレが倒せばいいわけ?」

妨害はなかったものの、屋敷の敷地内にはイルミの予想した通り、見張りについてるマフィアが大勢いる。この人数相手でも何ら問題はないが、今回の目的は殺しではなく、あくまでボスの所有する呪いの本。あまり派手に動いて警戒されるのは得策ではない気がした。はしばし考えこむと「そこはイルミに任せる。まずは屋敷内へ入りたいし」と言った。

「了解。で、入った後は?ボスを捕まえて本のありかを吐かせる?それとも――」

イルミが返事を促すようにへ視線を向けると、彼女はいつもの明るい笑顔を浮かべながら、ある物を取り出す。それはリモコンのようだった。

「…何?そのふざけた造形」
「これシャルが作った即席の操作用リモコンなの。可愛いでしょ!」
「……(可愛い?)」

が手にしていたのは猫耳のついたリモコン。旅団メンバーの中に確か自分と似たような操作系がいたことを思い出したイルミは「それでボスを操って本を奪うの?」と溜息交じりで尋ねた。別にそんなものに頼らずとも、人間を操るならイルミの針でも出来る。そう言いたげだ。しかしは「これは操ると言うより、自白をさせる機械なの」と得意げに言った。

「自白…?」
「うん。これにシャルの念が込められてるんだけど、この小さい針を自白させたい人間に刺すことでこっちの質問に素直に応えるってやつ。試作品らしいんだけど、ボスが素直に本のありかを吐かなければ、これ使ってみようかと思って、ちょっとシャルから拝借してきちゃった。ほら、イルミの針人間は自我がなくなっちゃうし」
「……(勝手に持ち出したな…)」

ウキウキした様子で説明するを見て、イルミの猫目が若干細くなっていく。まさか仲間内でまで盗みを働くとは、クモの鑑かもしれない。と言って、もしバレても彼女が仲間から怒られることはないのもイルミは知っていた。良くも悪くも天真爛漫な性格のは、殊の外メンバーから可愛がられているのだ。

「ま…オレは何でもいいけど。じゃあ、あの雑魚どもは片付けるから、合図したら降りて来て」
「うん!ありがとう。イルミ」
「……(こういうとこ、本当に素直だよな)」

ありがとう、とストレートに言われたことは一度もないイルミにとって、の口から溢れる素直な言葉はいつも新鮮に感じた。常に闇の中へ身を置いているからこそ、彼女の素直さがイルミには眩しく映るのだ。
自分の中に芽生えた想いの答えがあるとしたなら、それこそが一番の理由なのかもしれない。そう思いながら、イルミは静かに庭へと降り立った。