00:焼け切れたオペラ・カーテン [ opera curtain ]




それは静かに、ゆるやかに、幕を開けた―――。


舞台。客席。それを照らす照明―――全てが赤く染まる。
悲鳴。断末魔。全てが途絶えた後には静寂が戻るだけ。

それはいつもの仕事の一つに過ぎなかった。欲しい物は全て奪う。邪魔な者は皆殺し。
幻影旅団を結成した時からの暗黙のルールであり、団員達にとっては殺しも、盗みもほんのお遊びの一つ。全て欲を満たす為だけの行為。

「―――手に入れたか?」

クロロ=ルシルフルは死体の転がるフロアをゆっくりと歩きながら仲間の顔を見渡した。
この男が幻影旅団クモのリーダーである事は団員達に語りかける雰囲気で伝わって来る。
すらりとした長身に黒い髪、耳には大きなピアスをつけている。
端正な顔立ちながら、この男の表情は残酷で冷淡。若干22歳とは思えないほどの威圧感だ。黒いロングコートを身にまとい、たらした前髪の間からは額に刻まれた十字架を模したような模様と、冷ややかな視線が覗いている。そしてそこに揃う団員達もまた、同じように冷めた目で足元に転がる死体を見渡した。

「手に入れたね」

旅団設立当初からいるフェイタンが笑う。彼の手にはキラキラと輝くティアラ。この劇団のスター女優が身につけていたお宝だ。どこぞの国王がその女優に惚れこんで贈ったというティアラは、クロロの目を予想以上に楽しませた。先ほどまでティアラの持ち主だった女優は、すでに冷たい床でただの肉片と化している。

「見事だ」

ティアラに飾られた石の輝きに目を細めたクロロは、満足げに呟いた。

「このダイヤはある国でごく僅かにしかとれない石から作られてるという。なるほど。これまで見た事のない光り方をする」

クロロは誰に言うでもなく独り言ちながらティアラを手にステージの上に立つと、すでに生きている者は誰もいない客席を見渡す。もう二度と――この舞台の幕は上がらない。

「生き残ってる者はいないか?」
「いないね。全て殺した」

フェイタンが淡々と答える中、クロロはもう一度その広いフロアを見渡した。
目の前に広がるのは惨劇。その後の静けさ。"殺した者"と"殺された者"―――

「行こうか」

欲しい物は手に入れた。こんなところに長居は無用だ。クロロは静かに歩き出し、その後に団員達も続いた。静かな空間に数人の足音。それしか聞こえない、はずだった。

「………」

カタン、と普通の人間ならば聞き逃してしまうほどの小さな音。僅かな気配。微量の異変を感じたのはクロロ達が今まさに廊下へと続く扉を開けた時だった。かすかな音も聞き漏らさないというように、クロロは足を止めた。

「…聞こえたか?」
「おかしいね。ワタシ見てこよか?団長」

クロロ同様、小さな物音に気づいていたフェイタンは納得のいかないような表情で踵を翻す。クロロがそれを静かに止めた。

「いや…オレが行こう」

ほんの気まぐれ。普段ならこんな些細な事で動く事がないクロロが動いたのはそれ以外に理由はなかった。欲しい物を手に入れたという満足感に満ちていたからかもしれない。その場に団員達を残し、クロロは中へと戻っていく。足元に転がる死体には目もくれず、ただ音のした方へ―――。

(確かこの辺から聞こえたな…)

クロロは再びステージの上に上がると、裏へと続く入り口を隠すように覆っているカーテンへと目を向けた。そこにも数滴の赤い液体が飛び散っていて、クロロは無言のまま赤い染みを見つめる。そうする事でカーテンの向こう全てが見通せるとでもいうように。暫しの沈黙。1分、3分、5分――静かに時間は過ぎていく。その時、僅かながらにカーテンが揺れた。

「―――誰だ」

クロロがそれまでの静寂を破る。カーテンの向こうからは何も聞こえない。

「出て来なければこちらから行くぞ」

本来ならそんな忠告をする必要もない。誰かがいるのを確認したければ、ただカーテンをまくればいい。簡単な話だ。クロロがそれをしないのは獲物を追い詰めていくこのスリルがたまらなく好きだからだ。確実に獲物がいるのに動かない。ただそれだけで"隠れている者"に相当な恐怖を与える。これも多分そう。クロロの退屈しのぎでしかないのだ。

(―――そろそろ狩るか)

出てくる気配もない。クロロはゆっくりとカーテンへ近づいた。伸ばした手にはいつの間にか、鋭いナイフ。ほんの少し力を込めるだけで、いとも簡単にカーテンは切り裂かれた。

「……」

獲物を視界におさめた時、クロロは僅かに目を細めた。そこにいたのはまだ15〜16歳の少女。艶やかに光る長い黒髪、それに似つかわしくない淡い翡翠色の虹彩が印象に残る、瞳の綺麗な顔立ちには見覚えがある。

(―――あの女優の娘か)

視線を横に向ければステージ上でバラバラとなっている塊。先ほどまで女優…いや人間だった・・・・・もの。数分前にステージ上で輝いていた美しい顔など見る影もない。しかしクロロが少女に興味を抱いたのは母親譲りの美しさでも、ひとりだけ生き残っていたからという理由でもなかった。自分を見つめる目――少女の翡翠色の瞳が、ほんの一瞬だけ赤く光ったように見えてクロロの興味を引いた。また、これだけの惨状を見ても怯えた様子すらないところも気に入った。

「お前、あの女優の娘か?」
「……」

少女が僅かに頷く。

(やはりな。面影がある)

クロロはそう思いながら、少女を観察するように眺めた。先ほど一瞬赤く光ったように見えたのは何だったのか。

「…あなたは…誰?」

怯えた目ではない。真っ直ぐにクロロを見つめる少女。その瞳に恐怖の色は見えてこない。面白い、とクロロは思った。あの惨劇を見ていたであろう、少女。それなのにクロロを見ても泣きも喚きもしない。もしこの場で少女が泣き叫び命乞いをしていたとしたら、クロロは確実に目の前の弱き獲物を殺していただろう。

(…まるで流星街の住人みたいだな)

その少女の瞳を見つめながら、ふと思う。親を目の前で殺されていながら、怯えた顔や悲しむ素振りも見せない。どこか、そう。全てを受け入れている、目。自分と同じ…"死"を身近なものとして―――

「お前…面白いな」

クロロは笑って少女の前へしゃがんだ。これもまた些細な気まぐれだった。

「名前は?」

自分から視線を反らそうとしない少女を見つめながら、クロロは訊いた。少女はその問いかけに、僅かに首を傾けると、

「…
か。なるほど。響きが綺麗だ」
「…あなたは?」
「オレはクロロ。クロロ=ルシルフル」
「クロロ…?変な名前」

旅団のリーダーに向かって大胆な言葉を吐いた少女にクロロは思わず笑った。
変わったものは欲しくなる。盗賊の性分なのかもしれない。

「…私も殺すの?」
「殺す気があれば、とっくに殺している」
「じゃあ…殺さないの?」
「そうだな…」

少女の問いかけにクロロは暫し考えた。少女を殺すのはいつでも出来る。それこそアリを踏み潰すくらいに、容易い。だが…クロロは少女の姿を無言のまま見つめた。少女の身に纏った綺麗な衣装はあちこちが破れ、白い肌が見え隠れしている。それでも―――

(――無傷、か。あいつらは手加減などしていない。どこに隠れていようと致命傷になるくらいの攻撃はしていたはず。なのに、何故?)

破れた場所から見えている肌には多少の痣はあるものの、出血するような傷は一つもついていない事で、クロロはますます少女に興味を持った。

(…何かの念能力か?)

―――好奇心。

欲しいと思ったものは純粋に欲しい。自分とどこか似た少女の瞳も気に入った。気に入ったものは必ず手に入れる。

、オレ達と一緒に来るか?」

クロロは暫し考えてから、その言葉を口にした。少女の瞳が大きく見開かれる。初めて少女の感情が見えた瞬間でもあった。

「一緒…?」
「お前が選べ。ここに残るか、オレ達と一緒に来るか」
「私が…選ぶ?」

クロロの言葉にという少女は不思議そうな顔をした後、ほんの僅か嬉しそうに頬を緩ませた。その無邪気な笑顔を見て、クロロもまた内心驚いていた。仮にも親を殺した相手に見せるものではない。

「私が…選んでもいいの?」
「ああ。お前が選ぶんだ。

弱き者に選択肢を与えることは殆どない。普段なら問う前に奪うだけ奪う。この時何故そんなことをしたのか、あとになって考えた時もクロロ自身、よく分からなかった。

「―――さあ、どうする?」

少女の頭にそっと手を乗せ、微笑む。その余裕の笑みは新しいオモチャを見つけた子供のようだ。

「一緒に…行ってもいい?何でもするから」

それはまるで哀願だった。少女の言葉にクロロは僅かに眉を寄せる。――何でもするから。
まるでそう言えば全てをゆるされるとでも言うような、そんな悲しい響きがあった。

「いいだろう。一緒に来い。

体を小さく屈めていた少女にクロロは手を差し伸べた。少女が恐る恐る差し出した手を、クロロが強く引き寄せる。そこから生まれた関係は、加害者と被害者ではない、別の何か。見えない絆が生まれたような、そんな瞬間。少女の手を引きながら、クロロはその場に火を放つ。全ての痕跡を消す為に。一気に燃え盛る炎は、無数の死体も、煌びやかなステージも、誰もいない客席も、全て燃やし尽くしていく。クロロに手を引かれながら、少女が振り返る。
その目に映ったのは、豪華なオペラ・カーテンが炎に包まれ、燃えながら宙に舞う、そんな光景。

「――綺麗」

少女が呟く。 その時、クロロは見た気がした。
全てが炎に包まれていく情景を見ながら、少女がかすかに微笑むのを。


それは悪魔の笑みか、天使の笑みか。