01+2:バスタブに愛は浮かない [ bathtub ]




母親への憎悪 × ト × 救いの手




「休む前にお前はまず風呂に入れ。汚ない」

容赦ないクロロの一言には改めて自分の姿を確認した。怪我はなくとも、クロロ達が散々暴れた場所にずっと隠れていたのだ。髪や白い肌には多少殺された人間達の血液が付着していた。

「仮宿のベッドでも血で汚されちゃ困るからな」

自分達が殺した人間の血液である事すら忘れたように、クロロは少女をアジトの奥にあるバスルームへ連れて行った。数日利用するというのに風呂がないのは嫌だ、と女性団員達から苦情があがり、シャルナークが上手く改造したのだ。もちろんガスや電気、水道といったものも近くの街から無断で引いて使っている。

「湯は溜まっている。サッサと入れ」
「で、でも―――」
「後ろを向いてるから早くしろ」

クロロが背を向けるとはおずおずといった様子でシャツを脱ぎ、湯の張ったバスタブの中へと入る。それを確認してから視線を戻せば、の細い肩がクロロの目に入った。こうして明るいところで見ると、少女の身体はどこも痣だらけだ。どれも薄くなってはいるが華奢な肩や背中辺りは特に酷い。どの痣も人の目につきにくい場所にあり、普段から虐待を受けていたのだろうと思わせる。

(確か16歳と言ってたか。まさか母親が自分を売り込む為に娘を食い物にしてきたとは…親子でも分からないものだな)

家族など最初からいないクロロにとって、世の中の親子がどういうものだか知らない。故にこの少女が受けた心の傷も全ては理解できない。

(こんな仕打ちを受けるなら親なんぞ最初からいない方がマシってもんだ)

燃え盛る母親を見つめ、微笑んでいた理由がやっと分かった気がした。

「髪が血で固まってるぞ」

クロロは僅かに目を細めると、背中を向けているの髪へと手を伸ばす。 の肩がピクリと跳ねたのを見たクロロは小さく息を吐いた。

「……髪を洗うだけだ。血で汚れたままじゃ嫌だろ?」

バスタブに浸かりっぱなしのに優しく声をかける。

「洗うからそっちを向いてろ」
「え、でも……バスタブの中じゃ――」
「出なくても洗える。湯ざめして風邪を引きたくなきゃ大人しくしてろ」
「う、うん」

若干頬を赤くしているを見てクロロの顔に苦笑いが浮かぶ。先ほど自ら身体を投げ出そうとしていた少女とは思えないほど、今は幼く見えた。

(……おかしなガキだ)

無条件で懐いて来た少女の存在が初めは信用出来なかった。少しでもおかしな様子を見せたらすぐに殺すつもりでいた。しかし少女の過去を知り、気が変わった。クルタ族の緋の眼も多いに興味がある。

(これまで誰も知らなかったクルタ族の住処がこの少女のおかげで分かるかもしれない)

気まぐれで助けた少女はクロロにとっても良い拾い物だった。幸い少女は本気でクロロの傍に置いて欲しいと願っているようだ。これなら言うことを聞かせるのは簡単だろう。

クロロは着ていたジャケットをドアノブに引っ掛けると、その手にシャンプーを取った。マチかパクが買ったものだろう。それを確認して腰まで伸びた髪に揉みこんで泡立てる。最初は恥ずかしそうにしていたも気持ちがいいのか、今は目を瞑っていた。

「気持ちいいか?」
「……うん。でも…ここでお風呂に入れるとは思わなかった」
「うちの団員は綺麗好きでね。特に女達は」
「……パク…ノダさん?」
「他にマチとシズクってのもいる」
「…みんな、クロロの友達?」
「友達とは……ちょっと違うな。仲間だ」
「仲間……学校とかの?」
「いや……学校なんて場所とは無縁だな」
「じゃあ――」
「ガキの頃から傍にいた奴らばかりだ」
「幼馴染ってこと?」
「まあ……大きな括りで言うなら…そうだろうな」
「そう…なんだ……」

は良く分からないといったように小首を傾げる。まさか彼らが盗賊だとは思っていないのだろう。何故自分の母親が襲われたのかさえ、理解していない様子だ。

(幼馴染、か……。そんな可愛いものでもないが……)

ふと自分たちの子供の頃を思い出したクロロは、内心苦笑した。

瓦礫に埋もれる死体やゴミ。そんなもので埋め尽くされた街。そこは何を捨てても全て許される、流星街――。ゴミも、武器も、死体も、赤ん坊も。この世の何を捨てても、ここの住人はそれを受け入れる。
"我々は何者もこばまない。だから我々から何も奪うな"―――。

そんな世界で生きて来たクロロは、欲しいと思う物全て自分で手に入れて来た。最初はただ欲しかった。そんな単純な欲だった。そのうち、クロロの欲は外界へと向けられる。世界には欲しい物が想像以上に散らばっていた。そんなクロロの元に自然と集まって来た者達で構成された幻影旅団は、彼が13歳の時に結成した。

(懐かしいな……。あんな昔の事など忘れかけていた)

若き日の団員達を思い出し、笑みを浮かべる。幼き少女との他愛もない会話で引きだされた記憶が、クロロにとっては全ての原点だった。

「終わったぞ」

クロロはの髪にこびりついた血を丁寧に落とすと、軽くお湯で洗い流した。

「あ、あの……トリートメントは……」
「ったく…トリートメントまでやるのか。女は面倒だな」
「長いから絡まっちゃう…」
「はあ…分かった」

クロロはシャンプーボトルの隣にあるトリートメントを手に取り息をつく。

「こっちは自分でやれ」

クロロはトリートメントのボトルを湯へ投げ入れ、ゆっくりと立ち上がった。他人にこんな世話をしたことなど殆どないクロロは多少の気疲れを感じた。

(このオレが子供の世話なんて……)

団員達が知れば目を剥いて驚くかもしれない。今は今回の仕事の成功を祝って酒盛りの真っ最中。おかでクロロの動向など全く気づいていない。

(すぐ次の仕事にかかると言ったら喜ぶだろうな。特にウボー辺りは)

クロロは目の前でトリートメントをし始めた少女を見下ろし、先ほど見た彼女の記憶を思い返していた。クルタ族――緋色の眼を持つという民族はクロロの興味を引いたが、更にもう一つ、少女の過去もそれなりに興味を引いた。

(同胞に里を追い出され、その原因を作った母親を殺したオレ達に救いを求めた少女――)

あの時に見たの記憶の断片がクロロの脳裏に過る。

最初は黒い点にすぎなかった。それが少しずつ形を現し、最後には母親の目に変わる。嫌悪や蔑みのこもった目。はそんな視線を受けながら生きて来た。幼い頃からずっと。母親だけでなく、同胞からも。最初の発端は母親のだらしない性格のせいだった。

少女の母親ユリアナは18歳の時、とある劇団で歌っていた。その姿をクルタ族の男に見初められ劇団から逃げるように男の元へ嫁いで来たようだ。だが若かった彼女は結婚後しばらくして里の他の男と浮気をしてしまう。それから間もなく――ユリアナは子供を身ごもった。それがだった。

何も知らなかった夫は生まれた娘を大層可愛がった。しかし夫と愛人、どちらの子供なのかユリアナ自身にも分からない。それでも愛人との密会を長いこと続け、そのまま時がが過ぎ、少女が12歳になった頃、ユリアナと愛人の密会が夫の知れるところとなった。ユリアナの愛人は夫の友人だった。夫は良く家にも遊びに来ていた友人と自分の娘が少しずつ似て来る事に疑問を感じていた。小さな違和感。そんな目で見ればユリアナと友人のふとした会話や目配せなども全て怪しく見える。ある日、夫は出かけて行くユリアナの後をつけた。そこで初めて妻と友人の裏切りを知った。

夫が「浮気をしやがって」と責め立て母親を殴っている。

はオレの子じゃないんだろう!あいつの子じゃないのか!」

そう怒鳴り散らすのを幼い少女が泣きながら見ていた。

「あの子、浮気相手の子らしいよ。相手は彼女の夫の友人だって」
「やっぱりねえ。旦那に似てないと思ってたのよ。だからよそ者はダメなのよ」

激しい夫婦ゲンカのせいで更に噂は広まる。元々小さな集落にひっそりと暮らして来た民族だ。全員が顔見知りの中、は好奇心の目にさらされていた。

「お前の母ちゃん浮気したんだろ?お前は浮気相手の子だってうちの母ちゃんが言ってたぞ」
「お前の母ちゃんは一族の恥さらしだ。早く出てけよ」

それまで仲の良かった幼馴染でさえ、少女に対し冷たくあたる。当時のクルタ族は外界から来た人間に対し警戒心が強い者も多かった。他にも外界から嫁いで来た者が何人かはいたが、ユリアナのように派手な遊びもせず、一族達に従順な者が大半の為、普段は平和に暮らしている。しかしそんな"よそ者"が夫以外の者と通じて出来た子供、となれば周りの目は途端に厳しくなる。

「あの母親じゃ娘の方も男好きするタイプになるかもしれないねえ。うちの息子に近づかないよう言わなくちゃ」
「やっぱり外界の劇団に務めてたような派手な女なんか受け入れなきゃ良かったんだよ」
「そうそう。歌で客の気を引いてた女だ。尻軽に決まってる」

その親にまで蔑み、うとまれる。

(みんなが私を笑ってる。みんな私のことが嫌い。どうして?私が何をしたの?)

少女の瞳には周りの人間全てが自分を蔑んでいるように見えていた。幼い少女にはそれが何故なのか分からない。深い記憶に残るのは、ただ悲しいという思い。それが少しずつ憎しみへと変わって行く。噂は広まり続け、そして遂にそれは長老の知れるところとなった。

「里の掟を破ったユリアナは追放とする。ユリアナの血を受け継ぐ娘もまた同罪じゃ」

愛人の男は1年間のみの追放で済んだが、"よそ者"だという理由だけでユリアナと少女は里を着の身着のままで追い出されることになった。2名ほど「だけは許してあげて」と長老に頼みこむ子供達もいたが、それは大人達の反対で受け入れられることはなかった――。

次に映ったのは口ひげを生やした知らない男。いやらしい顔で近づき、そのゴツゴツとした手を少女に伸ばした。

「お前がユリアナの娘か」

男が少女の身体を撫で始める。それは以前ユリアナがいた劇団の座長だった。里を追い出されたユリアナは生活の為、前に世話になっていた劇団へと戻るしかなかったのだ。

「お前に似て美しい。こいつはまだガキだが、もう少し育てば金になるな」

男が躊躇いもなく言う。母親は男を止めようともしない。むしろ責めるような目つきで少女を見ていた。次に見えたのはまた違う男、次の日はまた別の男…。母親がそれを見ている。見ていて見ないフリをしている。見知らぬ男達に弄ばれて泣き喚く少女を、座長の男が「うるさい」と殴る。が救いを求めて手を伸ばしても母親は助けないまま。

≪ お母さん助けて。どうして助けてくれないの?どうして傷つけるの?痛い。苦しい。もうヤメテ――!!≫

は心の中で必死に叫んでいた。その声は誰にも届かない。更に母親が彼女を傷つける。

「お前なんか生むんじゃなかった」

――そうすればこんな場所に戻らずに済んだのに。

ユリアナは貧しい家の子だった。そのせいで親がこの劇団へと彼女を売ったが、座長である男はユリアナに虐待を繰り返すような酷い男だったのだ。そんな所へ戻るはめになったのはお前のせいだ、とユリアナは毎日少女を責めた。

「大きな劇場で舞台をするにはお偉いさんに手を回す必要がある。分かってるな?」

当時、座長は自分の劇団を更に大きくする為、あらゆる業界人とコネを持つのに必死だった。安定した暮らしを手に入れたいなら言うことを聞け――。そう言われるとユリアナも従うしかなかった。これがにとっては新たな地獄の始まり――。

座長がユリアナを知り合いに売り込んで女優に仕立て上げると、更に少女の地獄は続く。母親も仕事を取る為なら進んで我が子を男達に売った。業界には幼女愛好家など腐るほどいる。それも美しければ美しいほど重宝されるのだ。同時に半分だけクルタ族の血を引く少女の緋色の眼も大物からは大層喜ばれ、容姿しか取り柄のなかった母親もいつしかトップ女優に上り詰めていた。その裏で座長は少女にも厳しいレッスンを強要した。いつか母親同様、世間に売りだし儲ける為だ。歌や演技のレッスンを毎日10時間以上もやらされる。それらをサボれば殴られた。

「誰のおかげでこんなにいい暮らしが出来てると思ってんだ!お前ら親子に投資した分、きっちり稼いで返すまで自由なんてないと思え!」
「ごめんなさい…!殴らないで……っ!何でもするから――」

母親を売りだす為の投資という名目で、多額の借金を背負わされていた少女は言うことを聞くしかなかった。

それでも里を追われて来た頃とは比べモノにならないほどの華やかな生活。母のファンだと言う世界中の金持ちや王様からは毎日のようにプレゼントが届く。それをネタにマスコミが騒ぐ。周りに人が集まれば集まるほど、母親は少女に優しく接するようになった。自分が長年我が子を虐待してきたことがマスコミに暴かれるのを恐れた為だ。母親は裏の顔を隠し世間に仲のいい母子として自分達をアピールしていた。反吐の出る話だ。しかしそれは表面だけで裏では相変わらず少女を食い物にしていた。そのおかげでオペラの主演という大役が舞い込む。そこで母親はある事を思いついた。

「そろそろお前も舞台に出なさい。親子共演だと何かと話題になるから」

ある日。不意に言われた母親からの言葉。言うことを聞かなければ殴られる。少女に選択肢などないも同然だった。母親譲りの美しい少女は、こうして昨夜の舞台に上がった――。


(……よく逃げ出さなかったな)

少女が実際に見た記憶、母親や周りから聞いた記憶。それらのものを頭の中で順序立てて整理しながら、クロロはふとそう思った。

(いや……逃げ出す気力も知識も、この少女にはないに等しいか)

はたったひとりで生きていかなければならなかった。自分ひとりで耐え切らなければならなかった。そのための能力――。は虐待されて出来た傷を自分で治していた。殴られて出来た傷も全て自分で治していた。

――治癒能力。
通常は自分で自分の体をただ癒すだけのようだが、瞳が緋色に染まった時にだけ、触れた相手から少しづつ生命エネルギーを削り取って我がものに出来る力。彼女の念能力は、まさにそれだとクロロは少女の記憶を見て気づいた。少女は念の力だと分かってはいないのかもしれない。ただ痛みや苦痛から逃げ出したくて、生まれた能力だったろう。自分をいたぶる相手の力を利用し、己自身を癒す為に。

(レアな能力だ。それに少女は気づいていないだろうが恐らく――)

少女の記憶の中に対象に触れて力を吸い取る際、相手の過去や思考なども読みとっていたのが見えた。他人が自分のことをどう思っているのか。常に周りに怯えていたからこそ知りたかったのか。パクノダも「意識はしてないだろうけど、この子は私と少し似ている能力も使えるみたいね」と言っていた。

(気持ち次第で相手の全てをも奪える力…。記憶も、知識も、そして多分そう、命さえも。面白い。その力、緋色の眼…)

クロロは欲しい、と思った。その気になれば相手に気づかれることなく情報を得られ、静かに殺すことが出来る。

(とはいえ、この力はまだ未熟だ。奪うにはそれなりに力の使い方を覚えさせてからでないと…。それまではを上手くコントロールし操ればいい。傷を癒す能力は他人に対しても使えるようだしな)

記憶の中で垣間見たのは、少女が傷ついた犬を治しているところだった。少なからず自分以外のものも治せるようだ。

(オレが盗めばはこの力を使えなくなる。それはが自分の身を守る術を失うと言うことだ。すぐ死なれては盗む意味もなくなる…)

その力すら失ったらは間違いなく生きていけない――そう思った。

"何でも"する"とは、の悲しい願い。自分を受け入れて欲しい、という小さな望み。逆に死を受け入れているのは、が受けた傷の象徴。"お前さえいなければ"――母親に言われ続けた呪いの言葉が未だに少女を縛っているのだ。

――お母さんなんて死んでしまえばいい。

それは激しい憎悪だった。幼い頃から続いた虐待の憎しみは自分を傷つけた男達ではなく、助けてくれなかった母親へと向いていたのだ。最後にの瞳に映っていたのは母親が殺される光景。その残虐な場面をは淡々とした表情で見つめていた。
――少女の心がクロロの頭に響く。

"これで、やっと自由になれる――――。"

安堵するかのような響き。にとって幻影旅団という盗賊は、まさに救世主だった。


「終わったか?」

髪を洗い流した音がして、クロロはふと我に返る。見下ろせばが顔を上げて微笑んだ。クロロはバスタオルで少女の濡れた髪を拭いてあげた。

「明日、お前の故郷であるルクソ地方に行く。仲間のところへ案内しろ」
「え?」

クロロの思わぬ一言には大きな瞳を更に見開いた。

「お前も持つ、その緋色の眼に興味が沸いた。それを奪いに行く」
「奪う……?それってみんなを殺すって…こと…?」
「――クルタ族はかつてオレ達の同胞を手にかけた。当然だな」

かすかに笑うクロロの言葉をは黙って聞いていた。

「どうした?お前を里から追いだした奴らが心配か?」

幼い頃の少女の記憶。そこには悲しみと憎しみしかなかった。

「心配なんかしてない」

首を振りながら小さく、それでもシッカリとした声で応える。

「里の人達は誰も……私を助けてくれなかった」

一瞬、少女の瞳が紅く染まる。気分が高揚して発動するその緋色の瞳は、クロロの目を心底楽しませた。
一人だけ、手元に生きた緋の眼・・・・・・を置いておくのもいいかもしれない――。

「決まりだな」

僅かに屈んでの瞼に口づけると、クロロはゆっくりと仲間の元へ向かった―――。



次ナル獲物ヲ告ゲル為ニ



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