03-2:ソファに日溜りが落ちていた [ sofa ]



善意 × ト × 悪意



8月初旬――。


この日の夜も≪Diva≫は満員だった。いつ開けるかも分からない気まぐれな店にも関わらず、常連たちは必ずオープン時刻になると一応は店の前へ集まって来る。そして開店の合図である入口の照明がつくと同時に店内へと入って来るのだ。

「皆さま、今宵も楽しい一時を音楽と共に――」

ステージ上でがいつもの挨拶をすると、客達からは拍手や歓声が飛び交う。そしてバンドの演奏が始まると更に店内は盛り上がっていく。今夜の選曲はジャズ。その日に何を演奏するのかはバンドのメンバーとが決めていた。ジャズと言う事もあり、今夜は黒いロングドレスに身を包み、少し濃いめのメイクをしたが艶のある声を披露する。曲が進むにつれ、客達は騒ぐ事をやめ、暫しの歌声に酔いしれていた。

(この歌声……とても20歳の少女とは思えないな)

カノイもバーカウンターでカクテルやフードを出しながら、彼女の歌に聴き入る。仕事と趣味をかねたこの生活がカノイは満足だった。好きな音楽を聴いているこの瞬間は他の何にも代えがたい。こうして自分の求める≪音≫に出逢った瞬間は――。


ちりん――。
と、ドアの鐘がかすかに聞こえ、カノイがふと顔を向ける。
入って来たのは一年ほど前からこの店に通うようになった男の常連客だった。今日は4か月ぶりの来店だ。

「いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
「やあ。今夜も盛況みたいだね」

カノイが営業用スマイルで声をかけると、男はそう言いながら彼の目の前に座った。長身に上品なスーツが良く似合い、燃えるような赤い髪と切れ長の細い目が印象的な顔。胡散臭い雰囲気は抜きにして、美形の部類に入るだろう。浮かべる笑みとは裏腹で全く隙を見せないこの男に、カノイは初めて会った時から興味を持っていた。いや――「要注意人物」とインプットした、の方が正しいだろう。もちろんそんな顔は一切見せない。

「何をお飲みになりますか?」
「うーん、そうだな。じゃあジャック・ローズを」
「かしこまりました」

男の注文を受け、カノイはすぐにシェイカーと材料の準備をする。その間にチラリと男へ視線を向ければ、かすかに笑みを浮かべながらステージ上で歌うを見つめていた。その怪しい光を帯びた目に、カノイの表情が僅かに変わる。

(来る度に観察してたが……やはり目当てはのようだな)

そう思いながらも慣れた手つきでシェイカーを振りだす。

「お客さんは彼女のファンでしたよね?」

手を休めないまま尋ねると、男は視線だけをカノイに向けて微笑んだ。

「そうなんだ。最初にここへ来た時に彼女の歌声が凄く気に入ってね」
「そうですか。彼女のファンは多いのでその気持ちはよく分かりますよ」
「前回来た時、帰り際に"また来て下さいね"と言われたから、つい来ちゃったよ」
「ああー。そう言えばそうでしたね」

常連となった男はのファンだと公言し、喜んだは彼が来店するたびに話をするようになった。そして前回来た時には男に「また来て下さい」と声をかけてたのだ。

「――どうぞ、ジャック・ローズです」
「ありがとう」

カノイがカクテルを置くと、男はゆっくりとグラスを傾けながら再びの方へ顔を向ける。その横顔を見ながら、カノイは注意深く男を観察していた。
スっとした端正な横顔。その顔には似つかわしくない大きな手。指先こそ細くて長いが、拳は鍛え抜かれた者だけが持つ"戦い"を知る手だ。

(この男、やはり只者じゃないよな。相当な使いて手だ。だがこの男、最初に会った時から思っていたが何となく見覚えがあるような、ないような……)

赤い髪にたらした前髪から覗く鋭い目。独特の空気感――。

どこか異様なオーラを放つ男を観察しながら、カノイはどこで男を見かけたのか会うたび思い出そうとした。しかしいつも思い出せない。好きな音楽以外、あまり記憶力のいい方ではないのがカノイの悪いところだ。(客の顔を忘れてに何度か怒られた事もある)
暫し考え込んでいると視線を感じ取ったのか、男は不意にカノイの方を見た。

「ボクの顔に何かついてる?」
「え?いえ……失礼しました。――以前・・どこかでお会いしたかなと思いまして」

思い切って言ってみる。もちろんこの店で、という意味ではない。男もその意味を理解したのか、かすかに笑みを浮かべた。営業用スマイルを忘れず言いながら、内心カノイは目の前の男を"やはり侮れない"と判断した。の歌に集中しているようでいて、カノイの一挙一動にも意識を向けている。男はカノイの言葉に楽しげに肩を揺らした。

「ああ、やっぱりそうだったんだ。ボクも見た顔だと思ってたんだ」
「じゃあやはりどこかで?すみません。人の顔を覚えるのって苦手でして――」
「確か第286期ハンター試験の試験官の中にいたよね、君」
「―――ッ?」

男の言葉にカノイの顔から一瞬笑みが消える。と同時に目の前の男の顔が、カノイの記憶の中である人物・・・・と重なった。

「……まさか、あの・・――?」

その時、バンドの演奏が終わり、店中に盛大な拍手が起こる。そのせいで会話が途切れたふたりは暫し見つめ合った。妖しい笑みを浮かべている男の指にはいつの間にかトランプが一枚挟まれている。長い指がひらりと返せばそこには≪Joker≫の絵――。それを見てカノイは盛大な溜息をついた。

「……確か……ヒソカ、だったな」
「思い出してくれて光栄だなぁ♡」

指先でくるくるとカードを回し、ヒソカはニヤリと口端を上げた。

「そんな格好だし髪も下ろしてるから全然気づかなかったよ。お前みたいな危険度MAXの奴にも気づかないとはオレも焼きが回ったな」
「そうだったのかい?最初にここへ来てからずっと、ボクは君の視線を痛いくらいに感じてたのに♡」
「胡散臭さ全開だからな、お前」
「ひどいなあ。これでも一応お客なんだけど」

そう言いながら盛り上がる店内を見渡す。達は一旦ステージを降りたようで今は今日のゲストバンド――レギュラーではなく時々出演するメンバー――が上がり、軽快なR&Bを演奏しだした。

「いい店だ。さすが"ミュージックハンター・・・・・・・・・・・"がオーナーなだけあるね」
「何が目的だ?ここへ何しに来た」

カノイはヒソカの賛辞に耳も貸さず、鋭い目で問い詰める。普段の彼からは想像できないほどの威圧感だ。ヒソカはそれでも笑みを絶やさない。

「もちろん歌を聴きながら一杯飲みに来たんだよ。ボク好みの"Diva歌姫"も見つけたことだしね」
「……が狙いか。彼女に何をする気だ?返答次第によっては――」
「嫌だなあ…さっきも言ったようにボクは彼女のファンになっただけ。それ以外に理由なんかない」
「お前の言うことは信用出来ないな――」

「カノイさん、私にもカクテル――って、あ!」

その声にカノイはハッとしたように口を閉ざした。ステージを降りたが二人の方に歩いて来たのだ。

「お久しぶりです!」
「やあ」
「また来てくれたんですね!ありがとう」
「君の声を聴きたくなってね。今日も凄く良かったよ
「最後にまたステージに上がるから聴いて行って下さいね」
「もちろん」

嬉しそうにヒソカと話すを見ながら、カノイは僅かに目を細めた。戦闘を好み、笑いながら人を殺せる男と話してる事も知らないで、と溜息をつく。

(オレがもっと早くヒソカのことを思い出してれば……)

今日まで胡散臭いと思っていた男を放置しておいた自分に、カノイは心底腹が立っていた。

「あ、カノイさん。私にも何かカクテル作ってくれますか?喉渇いちゃって」
「……はいはい」

ヒソカの隣に座るを横目で見ながら、仕方なくカクテルの用意をする。ふたりは楽しげに会話をしていて、それがカノイには面白くなかった。とはいえ今は営業中だ。あまり不機嫌な顔でいるわけにもいかない。その上事情も知らないに怒ることも出来ず、カノイは無言のままヒソカの方を睨んだ。

当然ヒソカはカノイの視線に気づいていたが、敢えて気付かないフリをし、の話に耳を傾ける。無邪気な笑顔で話しかけて来るは、ヒソカが話に聞いていたよりもずっと純粋に見えた。

(これがクロロの気に入った女……。実の母親に虐待され、まだ少女の頃から男達の玩具にされてきた可哀想な少女……)

に優しい笑みを見せながらも、ヒソカは内心ほくそ笑む。

(そして自分を見捨てた同胞の眼を奪う為、クロロに協力した残酷な少女。――うーん、そのアンバランスなところもまた堪らない♡)

ヒソカはゾクゾクしてくるのを堪えながら何とか興奮を鎮めようとカクテルを一口飲む。空いたグラスに気づいたが同じものをカノイに頼んでくれているようだ。

「あ、同じもので良かったですか?」
「もちろん」

ヒソカはに優しく微笑む。この少女の行方を捜していたクロロに、居場所を教えるかどうか迷いながら――。

約二年ほど前、クロロと戦う目的で幻影旅団の当時のNO4と入れ替わったヒソカは、メンバーからの話を聞いていた。もちろん入団前のこととはいえヒソカも劇場での事件は知っていたし、幻影旅団が女優の一人娘を浚ったことも知っていた。予想と反したのはマスコミが派手に報道していた内容とは全く異なったこと、クロロがその娘を単なる記念品スーベニアとして連れて来たのではないということ、それどころか旅団のメンバーに加えようとしていた事実。それにヒソカは驚かされた。

「団長はにある種の情のようなものを感じたんだと思うよ。当時はそう言ってなかったけど今でも彼女を探してるのがいい証拠さ。まあ彼女の力を盗みたいだけなのかもしれないけど、あれから二年も経ってるのにそこまで執着するのは、きっととの約束を守りたいからだと思うな。クモは一度仲間と認めた相手は最後まで見捨てないからね。裏切り者を除いては、だけど」

その時シャルナークに聞いた話はヒソカの興味を引くものだった。

(あのクロロが執着?そんな年端も行かない少女に?)

ヒソカは少女をこの目で見てみたい、と思った。そして本当にクロロが執着してるのなら本気を引きだす為にその少女を――。

話を聞いた後、すぐにヒソカもを探す為、秘密裏に動きだした。少女に政府の証人保護プログラムが適用されたところまではクロロ達も掴んでいたようだ。そこから現在の住所や名前などを探し出すのは確かに大変だった。流星街の仲間の協力も仰いだが、元々警察とは縁遠い者達だ。そもそも過去に流星街の住人が冤罪で逮捕された事件などで警察や政府といった類を憎んでる者が多い。

どちらかと言えばマフィアと繋がりの深い街なのだ。それなら、と警察と繋がりのあるマフィア方面から探ってもらったが、これもまた空振り。入ってくる情報はどれもガセネタばかりで、警察上層部内でも、ごく一部の者しか分からないらしい、と言うことだった。そうやってクロロでさえ手を尽くして探しても見つけられなかった少女だ。ヒソカも見つけ出すのに数年はかかると予想していた。

しかし、これもまたヒソカの予想をいい意味で裏切った。ヒソカが雇った情報屋がたまたま少女の入った施設にいたことがあったのだ。彼もまた証人保護プログラムを受けている元マフィア専属の情報屋だった。その男から「例の女優の娘がオレのいた保護施設に来たらしい」との情報が入り、ヒソカはその施設へ向かった。だが一足遅く、少女は施設を飛び出した後。とはいえ外の世界に出たのなら前よりは簡単に見つけ出せる。少女が政府の用意した新しい名前を使用していなかったことも、ヒソカにとって幸運だった。――こうしてヒソカはこの街で少女を見つけた。

奇しくも8月30日。クロロが全員集まるように、と提示してきた場所はヨークシンシティ。それをマチから告げられた時は運命すら感じた――。

「団長も来るのかい?」
「おそらくね。今までで一番大きな仕事になるんじゃない?今度黙ってすっぽかしたら団長自ら制裁に乗り出すかもよ」
「それは怖い……。だけど――団長が知りたがっている情報を教えれば、きっと喜んでくれると思うな」
「……何それ」

訝しげに振り返るマチに、ヒソカは怪しい笑みを浮かべた。

「団長に伝えておいてよ。――"探し物"が見つかるかもしれないってさ」

意味深な言葉でマチを交わし、居場所をすぐに伝えなかったのは、ヒソカ自身が先ず自分の目で少女を確かめたかったからだ。少女の存在がクロロにどう影響するのかも興味がある。その為こうして客となり少女の動向を観察し続けていたのだ。しかしヒソカの我慢も限界に来ていた。

(探し続けてた少女がここにいると分かったら……クロロはどんな顔をするんだろう?彼の反応を見てから彼女をどうするか決めるのも楽しそうだ――)

再びステージに上がったがヒソカに手を振って来る。ヒソカもにこやかに振り返すと、カクテルを飲みほしながらそっと携帯を取り出した――。



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