03:ソファに日溜りが落ちていた [ sofa ]



その店はヨークシンシティの中心街から少し外れた、コンチネンタル通り沿いにあった。おもむきのある古いビルの一階に入っているその店≪Diva≫は、この辺りで最も有名なミュージック・バーだ。元々はジャズ・バーだったこの店は、営業日も、メニューも、流れる音楽さえ気まぐれという一風変わった店だった。それでもなかなかに繁盛していて、その理由としてレトロな店内の空気が落ち着くという者、フードやドリンクが美味しいという者などが挙げられるが、最大の理由はレギュラーで出演しているバンドの生演奏と、それに合わせて歌う女性ボーカルの歌声にあった。流れる音楽はジャンル問わずのこの店で、ジャズやブルース、はたまたオペラにポップスなど幅広いジャンルを見事に歌い上げる彼女こそが一番の魅力だ、というファンも数多くいる。

少女は二年ほど前、この街へやって来た。丁度その頃ボーカルを募集していた≪Diva≫の前を通りがかった彼女が、ふらりとオーナーの元を尋ねて来たらしい。

「私を雇ってくれませんか?」

そう切り出した、まだ少女とも呼べるようなあどけない表情をした彼女に、オーナーであるカノイ・ジョリス(当時22歳)は試しに一曲歌わせてみる事にした。その時に彼女がチョイスしたのは、何故かトスカの"歌に生き、恋に生き"。当時まだジャズ・バーだった店でオペラを歌われたオーナーのカノイは酷く驚いたものの、彼女のその透明感溢れる声とグル―ヴ感に酔いしれ、自ら「この店で歌ってくれ」と頼んだという。その後、どんな曲でも歌いこなす彼女の為にジャズ・バーという形式をやめ、ジャンル問わずという現在の形にした。それ以来カノイの思惑通り、少女の歌声は評判となり店は以前にも増して繁盛するようになった。

その少女の名前は――――。

4年前、劇団のスターだった母を幻影旅団に殺されたあげくに誘拐され、警察に保護されたあの少女だった。




現在 × ト × 原罪



4月初旬―――。

「カノイさん!またそんなところで寝て…!4月とはいえまだ寒いんだから風邪引きますよ」

――――いつも通りの朝。
は朝食の用意をしようと店のキッチンへ向かう途中、店内にある客席のソファで眠りこけているオーナーを発見し、思い切り息をついた。長身のせいで足がはみ出てしまうらしく、狭いソファの上で丸まって寝ているその姿はまるで猫の様だ。ついでに窓から入る日差しが眩しいのか、頭まですっぽりと毛布に隠れている。かすかに見えている銀色の髪が、陽だまりにキラキラ光って見えていた。

「何度言えば分かるんですかー。店で寝ちゃダメですってばっ」

怒りながらカノイが包まっている毛布を思い切り引っ張れば――ドスン、という鈍い音が店内に響いた。その表現通り毛布を体に巻いていたカノイは引っ張られた勢いのままクルクルと二回転し、当然の如くソファの下へ落下したのだ。

「……いったたた……。ああ、か。おは……ふあぁぁ……っクシュ!」
「挨拶しながら欠伸とクシャミを同時にしないで下さい」

は手にした毛布を丁寧に畳みながら、鼻をすする己の雇い主を呆れ顔で見下ろした。

「ひどいな、……。起こすならもっと優しく起こしてくれない……?」

カノイは目を擦りながらソファに這い上がり、再び横になろうとする。しかしそれもに「ダメですよ!」と阻止され渋々起き上がった。目が隠れる程度の長さまで伸びた髪を掻き上げ、恨めしそうにを見上げる瞳は切れ長、色素の薄い銀色で、綺麗な顔立ちをしている。しかし瞳と同じ色の髪は寝起きの為ボサボサで、シャツはしわくちゃ、ボタンは全て外れ前が全開していた。その姿はどう見ても、やさぐれた独身男にしか見えない。きちんとしていれば普通にモテるタイプなのに何でこんなに緩いキャラなんだろう?とは常々不思議に思っていた。

(まあ"夜の顔"と"昼の顔"は全く違うからお客さんもここまでひどいとは思ってないだろうけど)

内心そんなことを思いながらテーブルに散乱しているビールの空き缶や空になった皿――夕べカノイが飲み食いした――を手早く片づけ始めた。当の本人は未だ欠伸をしながら、てきぱきと動くをボーっと眺めている。カノイは基本、夜型人間であり朝が物凄く弱いのだ。

「……悪い。片づけてから寝ようと思ったんだけど」
「いいですよ。いつものことだし。これも私の仕事のうちと思ってますから」
「君はうちの看板歌手だろ。雑用させる為に雇ったわけじゃ…ってオレが言っても説得力ないな。普段から世話してもらっちゃってるし」

カノイは苦笑気味に頭を掻いたが「それはこっちのセリフです」とお皿を洗いながらが笑った。

「こんな私を雇ってくれたばかりか、ここに住み込みで置いてくれて…これでもカノイさんには感謝してるんですから」
「こんな私ってことないだろ。の声は素晴らしい。初めて聴いた時は久々に心が騒いだしな」
「……それ耳にタコです」

は照れ臭そうに笑うと、洗った皿を丁寧に拭いて棚へと戻した。カノイは軽く笑い、ふと壁にかけてあるカレンダーに目を向ける。

がうちに来てから……明日で二年になるのか。早いもんだな」
「そうですね……」
「あの日も今日みたいに肌寒い日だったっけ」

カノイは思い返すように言いながらソファの背もたれに頭を置いた。

「……そろそろ表舞台に出てもいい頃なんじゃないか?」
「え?」
「本当ならこんな小さな店で歌ってるような人間じゃないだろ、君は」

カノイはいつになく真剣な顔でへ視線を向ける。それに応えることなく、は冷蔵庫を開けると「朝食、今日はブレッドにしましょうか」とカノイに微笑んだ。


二年前のあの日―――。
カノイに「是非うちで歌ってくれ」と言われた際、は迷いながらも自分の過去を全て彼に告白した。もちろん一部の真実を除いて――。

四年前、あの劇場で殺された女優の娘。そう告げるだけで彼はの過去に何があったのかすぐに察したようだった。あの事件で幻影旅団に浚われた被害者――。当時マスコミが大々的に報じたせいでは世間でそう認識されていた。四年前、クロロ達と別れた後、は無事に保護され、怪我などないか調べる為に警察病院へ入れられた。親を目の前で殺害されたことでPTSDになったのでは、と精神科でも何度もカウンセラーを受け、暫くはそこに隔離された。
その合間に警察が事情聴取にやって来る。もちろんクロロとの約束通りは真実を隠し、事件の被害者を演じ切った。世界中の人々がそう信じたように警察もその嘘を疑うことはなかった。

親を目の前で殺され誘拐された可愛そうな少女――――。
は世界中から同情され、家族のいなくなった彼女を養女にしたいと言いだす者まで現れた。母親と彼女を暴力で支配し表向きは後見人とされていた例の座長もあの劇場で殺されていた為、を引きとるような親族は誰一人いなかったからだ。それでもはクロロ達が迎えに来てくれると信じ、それらの申し出を断り続けた。

その間、今回の事態を重く見た警察や政府はが再び幻影旅団に狙われないよう、異例の証人保護プログラムを実行した。通常、その制度はマフィアの「血の掟」によるお礼参りから、事件について知る「証言者」を保護する目的で設けられたものだ。対象となった者は裁判期間中、もしくは状況により生涯にわたって保護されることになる。その間は政府極秘の国家最高機密とされ、住所の特定されない場所で生活することになり、その際の生活費や報酬などは全額が連邦政府から支給される。内通者により居所が知られることも想定し、パスポートや運転免許証、果ては社会保障番号まで全く新しいものが交付され完全な別人になるのだ。

幻影旅団に深く関わった者――この場合、誘拐され一日以上彼らの傍にいた――の中で唯一の生存者であるは、保護に値すると判断された。そうなってしまえば本人の意思とは無関係にことは進んでいく。すぐに新しい名前と住む場所が用意され、は政府によって警察病院から連れ出されてしまった。あげく、まだ未成年だったは一人での生活は困難とされ、政府の用意した施設に入れられた。自分がどこにいるかも分からず、また暫くの間は護衛までついた状況の中、はクロロ達が自分を探し出し迎えに来てくれることだけを願っていた。だが、半年が過ぎ、一年が過ぎても、クロロは現れない。それは当然のことと言えば当然の結果だった。保護プログラムを実行されれば、いくらクロロと言えど探し出すのは困難だったろう。いつしかは、クロロが迎えに来てくれる、というたった一つの希望さえ諦めてしまっていた。クロロは来ない。そう思うようになっていた。

(たった一日、一緒にいた私のことなんて、きっともう忘れてる――)

期待なんかしなきゃ良かった。期待なんてしていいわけがなかった。結局、自分は孤独なのだとは思った。

そして二年が経とうとしていた頃――はやっと自由になった。ここ二年で幻影旅団によるものと思われる目立った事件も一切なくなり、政府が安全だと判断したのだ。そのため護衛もいなくなり、ある程度普通の生活が送れるようになったはこの時、17歳になっていた。そしてもうすぐ18歳になるという時、は施設を飛び出した。本当の自由を得る為に。

少しづつ溜めた――政府から配給されていた――金を手に、は行き先も決めず近くの空港から飛行船に乗った。その飛行船の着いた場所が、このヨークシンシティだったのだ。にとって生まれて初めての一人旅だった。

どこで何をしようと誰に叱られることもなく、殴られることもない。自分の意思で好きな場所へ行ける。普通の人なら当たり前にしていることが、にとっては新鮮で、とても幸せなことだった。一人で生きて行く。そう決めた。その為には先ず仕事を見つけなければならない。そんな時、見つけたのがこの店だった。幸い子供の頃に習ったおかげで歌が歌える。は考えるより先に目の前の店へと足を踏み入れていた。

「私は、と言います」

最初、カノイに名を訊かれ新しい名前を告げなかったのは、心のどこかでまだ少し。ほんの少し期待していたからかもしれない。

クロロが自分に気づいて、迎えに来てくれることを――――。


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