04-5:ニアミス以上でも以下でもなく [ near miss]





再会 × ト × 再開


店の入り口を入ると正面にはカウンター。そして左手奥にステージがある。
のいる場所から入口は、まさに死角だった。


「―――動くな」

「―――っ?」


が気付いた時には首に細い糸状のものが巻きつけられ、男の腕に後ろから羽交い締めにされていた。首を締め付けられる苦しさから逃れようと暴れた足がイスを蹴り倒し、ガタンっと派手な音を立てる。

「暴れるな。動けば首と胴体が切り離される事になるぜ?」

声のする方へ視線だけを向ければ、良く店に来ていた常連の男。何故?どうして彼がこんな事を――そう叫びたいのに声が出ない。普段みんなに見せていた表情とは違うその鋭い眼がの瞳に焼き付いた。

「大人しくオレと来れば殺しはしない。だが暴れたり大声を出した時は体をバラして持っていく。要はお前が人質だという証拠・・さえあればいいんだ」

(人質?証拠?何故?この人は何者?誰?どうして私を――?)

耳元で響く低い声には背筋が寒くなるのを感じた。この男は本気だ。言うことを聞かなければ躊躇いなく人を殺せる。男の言葉にはそんな響きがあった。どんな目的かは知らないが、ここは言う事を聞いた方がいいと判断したは男に向かって小さく頷いてみせた。

「いい子だ。なら外してやろう。だが少しでも大声を出せば――分かってるな?」

もう一度が頷く。男は安心したように笑うと、ゆっくりとした動作での首を絞めていた糸を外した。

「……げほっ…げほっ」

崩れるように床へ倒れ込むと、一気に吸い込んだ空気で咳込む。喉の辺りを手で押さえると、僅かに出血しているのか指が赤く染まった。その血を見た瞬間、は体中の熱が高まるのを感じた。脳裏に過るのは過去の記憶。 殴られ血が出る。その傷が癒えぬ間にまた殴られ、蹴られ、血が出る。――痛い。苦しい。治さなきゃ。早くこの血を止めなくちゃ。はあの頃と同じように傷口へそっと手を置いた。体中の血液がどくどくと体内を駆けまわるような激しい、熱。

「何をしている?早く立て」

男は座ったまま動かないの腕を強引に引き、無理やり自分の方へと寄せた。その瞬間見たモノ――それは緋色に染まったの眼。

「な、に――?」

真っすぐに己を見上げるのその眼を見た瞬間、男は咄嗟に離れようとした。本能的に危険だ、と感じたからだ。しかしが男の腕に触れた時――男は全身から力が抜けて行くような感覚に陥った。

「な…んだ、これは……っ!離せ!!」

このままでは危険だ――。そう判断し必死にの腕を振りほどくと、男はフラついた足で後ろへと下がる。その手にはあの糸状の武器が握られていた。

「お前……オレに何を…したっ」

表情も変えず、ただ緋色の眼で見つめてくるに男は怯えたように叫ぶ。何も応えないに男が攻撃しようとしたその時、

「あなた……ブラックリストハンターだったのね……」
「……っ?」
「私を浚って……幻影旅団を捕まえようと思ってる……」
「な、何故それを――?」

自分の目的を話しだしたに、男は言い知れぬ恐怖を感じた。常連客のフリをして来ていた時も彼女に身元を明かした覚えもなければ本当の目的を告げた覚えもない。なのに何故この女は知っているんだ?男の目はそう語っていた。そして――

「お前……っ傷を治したのか……?」

見ればの首筋から流れていた血は止まり、傷が綺麗に消えている。男は信じられないといった顔で笑みを浮かべた。

「そうか……。お前、念能力者だったのか……」
「……念……能力?」
「知らないのか?それだけの力を持って…いや、待てよ……。ならオレの目的を知ったのもその力のせいか?」
「何を言ってるの……?そんなの知らないっ」

の言葉に男は僅かに眉を上げた。その表情を見れば本当に知らないようにも見える。

「ふん…自分の力も知らずに使ってるってわけか……。だったらまだオレに分がある」

男は糸を握りしめると攻撃態勢を取った。しかしは何の警戒もしないまま動かない。今も怯えたように男を見ているだけだ。しかも緋色に染まっていた眼が少しづつ元の色に戻って来ている。その様子に男は笑みを浮かべた。――殺れる。咄嗟に念を使われ驚いたが、この女は戦い慣れしていない。
それどころか自分の力すら把握していない。

「お前の言った通りオレはブラックリストハンターだ。幻影旅団の首を狙ってる。A級首は賞金の額が相当なもんだからな」
「……だからって何で私を――」
「幻影旅団とお前は加害者と被害者の関係じゃない。そうだろ?」
「………っ」
「幻影旅団に誘拐されたにも関わらず、お前は無傷で解放された。しかもお前は保護された安全な環境から逃げ出した。自分を守ってくれてる奴らから普通は逃げない。オレはそこで気づいたんだ。お前も誘拐された時点でクモの一味になったんだ、とな」
「ち、違う!私は――」
「いいや違わないさ。お前を見張っていれば奴らがいつか接触してくる。そう思って長い間お前を監視していた。そして――遂にクモが動いた」
「―――ッ」

男の言葉には息を呑んだ。

「情報が入ったのさ。奴らがこのヨークシンに現れるってな。この街にはお前がいる。きっと接触するだろうと睨んだオレは奴らが来る前にお前を浚って――」
「そんなの嘘よ……!みんなは来ないっ!私は仲間じゃないから!クロロはもう――」
「クロロ?へえ……それがクモのひとりの名前か?これでお前が奴らと親しい関係にあるっていうオレの読みは当たった事になるな」
「……っ」

は僅かに息を呑む。ついクロロの名を口にしてしまったことをすぐに後悔した。

「幻影旅団は誰も名前や顔を知らない。調べるのにも高額な情報料をとられるんでね。貴重な情報、ありがとよ」
「違う…」
「奴らの名前を知ってるのがいい証拠だ」
「それは、」

そう言いかけた瞬間、男は素早い動きでへと飛びかかり床へと押し倒した。その首や腕にはすでに先ほどの糸が巻き付けられている。

「……ぁっ……」

腕は後ろに回され縛り上げられている為、身動き一つ取れない。その上首には糸が食い込み喘ぐ事さえ出来なかった。

「無駄だぜ。さっき以上に締め付けてるからな。お前の力は謎だが、その手に触れられなければ攻撃出来ないだろう?」

男は楽しげにを見下ろすと「死体でも奴らにバレなければ"人質"としての価値があるんだよ」と笑った。

「幻影旅団は仲間思いだって聞くからなあ。お前の死体・・を助けにのこのこ現れた時、オレと仲間で一網打尽にしてやるぜ」

男はそう言いながら更に糸を締め付ける。完全に空気を遮断され、呼吸一つ、声も出せない。涙が溢れ指先の感覚すらなくなっていく。肌を裂き己の肉に食い込んでいく糸を感じながらは目を見開きながらも意識が朦朧としてきた。その刹那――。

「……うぐぅ?」

男が変な声を上げたと思った瞬間、ぐらりと顔が手前に落ちてきた。

「………っ?!」

どさ、という音に視線だけを動かせば、の顔の目の前には男の、顔――。
体は未だに圧し掛かっている。なのに首から上は、何もない。

「………っ!!」

は叫んだ。いや叫んだ気がしただけかもしれない。首が絞められた状態で声など出なかったのだから。だがそれも一瞬のことだった。不意に圧し掛かっていた男の体が横に傾き倒れる。重みがとれると遮っていた店内の明かりが視界に入った。思わず眩しさで目を細めたの視界に、自分を見下ろす人影が映った――。


「――大丈夫か?」


顔は影になっていて分からない。しかしその声はの記憶に深く刻まれている懐かしい声だった。

「ク……ロロ――?」

の掠れた声がその名を口にする。同時に伸びて来た腕が彼女の体を抱き起こした。

「殺られる前に殺れ、と教えなかったか?」

耳元で響くその声を聞きながら、は瞳から涙が溢れるのを感じた。
クロロはの腕を拘束していた糸を外すと、力のないその体を抱き上げソファの上に座らせる。目の前に立つクロロを見上げ、は未だに信じられないというように何度も何度も瞬きをした。

「ホン…トに……クロロ、なの…?」
「あまりしゃべるな。もう少しで首と胴体がバラバラになるところだったんだ」

の問いには答えず、クロロは呆れたように息をつくと、カウンターに置いてあったボトルを手に戻って来た。

「飲め。少しはマシだろう」

差し出されたペットボトルを無言で受け取り、はゆっくりと水を喉に流し込んだ。知らず知らずのうちに喉が渇いていたのだろう。その冷たさが喉に沁みては一気に残りを飲み干した。聞きたい事は山ほどある。しかし何か言えばクロロが消えてしまいそうで、は何も言えないままクロロを見つめた。

以前よりも少し歳を重ねたクロロは、下ろしていた前髪をオールバックにして額の十字架を惜しげもなく晒している。黒いコートは相変わらずだが、その背中には逆十字の模様。その小さな変化が少しだけ時間の経過を物語っているような気がした。

「夢、みたい……」
「夢?」
「……もう会えないと思ってた」

の言葉にクロロは僅かに目を細めたが、すぐにステージの方を指差した。

「あれでも夢だと思うのか?」

そちらの方向に目を向ければ、そこには男の死体。それも首と胴体が離れている。多分クロロが何かをしたのだろうがは何も見ていない。ただ気づけば男が死んでいた。それだけだ。そしてこの時の頭に浮かんだのは"アレをどうしよう"ということだった。

「あ、あの人はその……ブラックリストハンターでクロロ達のことを狙って私を――」
「ああ、聞いていた」
「え……?聞いてたって……」
「あの男がここへ入って行くのを見てた。殺気の匂いをぷんぷんさせてたからな」
「な……なら何でもっと早く――」
「お前の力を見ようと思った」
「……え?」
「あの男がお前に説明してただろう?」

そこで改めて聞いた念能力という言葉に、は訝しげに首を傾げた。里を出て母親に虐待されるようになってから、自分に傷を治す力があると気づいたは自分のソレがどのような物かは知らない。ただ殴られて負った傷を治したかっただけ。知らないうちに授かっていた自己治癒力だった。

「念能力。お前の力はそこから来ている」
「それって……何?」
「簡単に言えば体から溢れ出すオーラとよばれる生命や精神エネルギーだ。それを高めた者だけがその力を自在に操れる。だがお前は無意識で使ってたようだな」
「……それはクロロも使えるの…?」
「ああ。ついでに言えばそこで死んでる男も能力者だった。お前は他人の記憶も盗めるのに気づかなかったのか?」
「記憶……」

そう言われて先ほど男に触れた時、頭に流れ込んできた映像を思い出した。これも子供の頃、何を考えているのか分からない母親や、周りにいる大人達の気持ちを知りたいと強く思っていた頃、勝手に見えるようになっていた力だ。

――何で?何でお母さんは私のことを嫌うの?どうして殴るの?男の人達は何で私を殴るの?どうして――?

確かに昔は優しかったはずの母親が、何故あんな風になってしまったのか。何故知らない男達に触れさせるのか。の知りたいと言う強い気持ちはそこから来ていた。

「あれは……記憶を読みとってたってこと…?」
「相手に触れる事でそいつの生命力や記憶を盗める。それがお前の念能力だとオレは思っている。それも…緋の眼の時にだけ発動する力だろう」
「緋の眼の時だけ……」

先ほど男に殺されそうになった時、確かに感情が昂ぶり体中の熱を感じた。それはクルタ族の血からきていることはでも知っている。

「覚えがあるだろう?お前には」
「…うん。子供の頃から…怖い思いをした時は眼が緋色になった。だから大人達は面白がって私を――」

おぞましい過去を思い出し声が震えた瞬間、の顔はクロロの胸に押しつけられていた。

「ク、クロロ……?」
「迎えに来るのが遅くなって悪かった」
「……え?」
「言っただろう。必ず迎えに行く、と」

その言葉をの耳が覚えていた。

"――心配するな。必ず迎えに行ってやる"

その言葉だけを信じて、待って、待って、待った。クロロが迎えに来てくれるのを。

――もう一度…オレ達と一緒に来るか?」

あの日、初めて会ったあの夜。クロロに言われた言葉と記憶とが一つに重なる。の瞳に涙が溢れた。

「クロロ……私――」

そう言いかけた時。店の外で車の止まる音がして、は思わず身を固くする。

「お前の雇い主が帰ってきたようだな」
「ど、どうしよう――」

言った瞬間、クロロは素早く立ちあがりステージに倒れている死体を軽々と担いだ。

「クロロ……?」
「これはオレが始末しておく。首の傷は自分で治せるだろう?」
「…え…でも」
「オレのことは言わなくていい。――また、来る」
「あ――」

が言葉をかける間もなく、クロロは姿を消した。裏口から出て行ったのだろう。ドアがかすかに開いている。不意に静寂が戻りは呆気にとられていたが、車のドアを開ける音がしてハッと我に返った。

「ど、どうしよう。あ…血…血を拭かなきゃ…ってその前に首の傷……!」

ステージ上に飛び散ったであろう血を拭こうと身近にあったタオルを手に、は自らの傷にも手で触れた。昔やったのと同じように傷を治しながら急いでステージへと上がり、あの男の血を拭こうとした。だが――そこにあるはずの血痕が、ない。

「嘘、でしょ……何で?」

首を切り落とされたのだ。普通なら大量に血が飛び散ったはずだ。なのにそこには何もない。は唖然と立ちつくした。どうやったのかは知らないが、クロロは自分のいた気配だけじゃなく人を殺した痕跡すら残さなかったようだ。
まるで狐につままれたかのような気分になりながら屈んで床を丁寧に見て回っていただったが不意に店のドアが開いてカノイが入って来た。

「何してんだ?そんなとこで這いつくばって」
「あ、お、お帰りなさい、カノイさんっ」

ぴょこんっと立ち上がり何とか笑顔で出迎えるに、カノイはあからさまに顔をしかめた。

「何だよ……。てっきり怒られるかと思ったのに。何か気持ち悪いな」
「な、何ですかその言い草は。怒られたいんですか?」
「それは勘弁だな。今夜は疲れたしシャワー入って寝るよ」
「そ、そうして下さい」

動揺を悟られないよう何とか普段通りの口調で言ってみる。だから気づかなかった。カノイも動揺を誤魔化すようにとは目を合わせなかったことを。

「掃除なんていいからももう寝ろよ」
「え?あ、はい。後はピアノ拭くだけだしこれ終わったら寝ます」

カノイはタオルを手にしていたを見て店の掃除をしていたと思ったようだ。は何とか話を合わせると、二階へ上がって行くカノイを見送った。

「はあぁぁ……心臓に悪い……」

完全にカノイの気配がなくなってからは思い切り息を吐きだした。そしてすぐに裏口から外へ出てみる。しかしすでにクロロの姿はどこにもなかった。

「まさか……夢、じゃないよね」

中へと戻り普段とは変わらぬ店内を見ていると、本当にクロロと再会したのか、と疑いたくなる。それでもはかすかに手が震えていることに気づいて苦笑いを零した。

「やだ……今頃になって震えてる」

殺されそうになった時でさえ、こうはならなかったのに、と自分でもおかしくなった。

(でも、どうしよう……)

オレ達と来るか――?

クロロがそう言ってくれた事は嬉しい。しかし冷静になってみると今のが果たしてクロロの元へ行っていいのかどうか。カノイの事もある。この店の事も。これまでの生活を全て捨てる事になるのだ。

(それに保護プログラムされてる私が幻影旅団と接触して……ホントに大丈夫なんだろうか)

政府がその処置をとったのは幻影旅団からの身を守る為だ。目的は違えど先ほどのブラックハンターを名乗る男もその筋から情報を得てここまで辿り着いたと言っていた。ならば他に誰が幻影旅団目当てで追ってくるか分からない。

(私がこの店にいるのも迷惑なのかもしれない……)

自分のせいでカノイに迷惑をかけることも、クロロを危険にさらすこともしたくない。はどうしたらいいのか分からなくなっていた――。



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