04-7:ニアミス以上でも以下でもなく [ near miss]





開店 × ト × 来店


夜、店のライトを灯すと久しぶりの開店とあって常連たちが大勢やってきた。

「やあちゃん!いつ開けるかと待ちくたびれたよ」
「いらっしゃいませ!サトリさん!ごめんね、カノイさん気まぐれだから」
「今夜もいい声聴かせてくれよな」

そんな会話を数人とした後、はミリヤと一緒に客達へ酒や料理を運ぶ。基本この店はカノイとバンドのメンバーしかいない為、今日みたいに混んだ日には達が手伝うようにしている。

「はあ、疲れたぁ。カノイさん私にもビールくれますか」
「はいよ。でも今のバンドが終わったら次は達のステージだから飲み過ぎるなよ」
「分かってますよー」

カウンターに座り、は目の前に置かれたビールを一口飲んだ。

「はー美味しい!」
「今日も暑かったしな」
「店の中も暑いわよ」
「おうミリヤ、ご苦労さん」

そこへ料理を運び終えたミリヤが戻って来た。の隣に腰掛けと同じくビールを頼む。

「久しぶりだし凄い人ね」
「ああ、まあ良かったよ。忘れられてなくて」
「ほーんと。いくら気まぐれが売りでも今回は長すぎよ?何かあったの?カノイ」
「いや別に……ただ暑いからやる気でなくてね」

カノイはそう言いながら笑って誤魔化したが、は「毎日友達と飲み歩いてたんですよ」とミリヤに文句を言っている。

「おいチクるなよ」

とカノイは苦笑しながら、がいつも通り明るく振舞うのを見て内心ホッとしていた。彼女の過去を思うと、このままソっとしておくべきだと改めて思う。

(誰だって人には知られたくない過去の一つや二つはある……。なのにオレは彼女の過去に土足で踏み込んだ。最低だな……)

色々な要素が重なり調べてしまったが、カノイはそれを後悔していた。これからも今まで通り好きな音楽を聴いて、とふたりで楽しく過ごせたらそれでいい――。カノイはそう思いながらビールグラスを傾ける。この時――カノイはまだ気づいていなかった。の"過去"が静かに近づいてきている事を。


「お、ステージ終わった。次は達だろ?早く準備してこいよ」
「了解、行きましょうか、ミリヤさん」
「OK!あ、カノイ。店終わったら飲みに行く約束なんだから仕事中はお酒控えておいてね」
「はいはい。了解」

ミリヤの言葉に苦笑しつつふたりがステージ裏へ向かうのを見送ると、カノイは空いたグラスを洗い、一息ついた。今夜は店が終わった後でバンドのメンバーと飲みに行く約束をしている。暫く店を休んだペナルティとしてカノイがおごる約束だった。

(これだけ客が入ると少し遅くなりそうだな)

カウンター以外、満員の店内を見渡せば客達はそれぞれ酒を飲みながら談笑している。その中には常連客の他に初めて来店した客達もいた。

(そう言えば半月ほどで毎年恒例のオークションが始まるのか……。通りで観光客っぽいのが多いと思った)

ここヨークシンでは毎年この時期になるとドリームオークションなるものが開催される。10日間の日程で公式の競りだけでも数十兆の金が動くとされ、世界的にも有名な大競り市だ。市内にも大なり小なりの競り市が出され、一般人にも気軽に参加出来る場所として人気があった。その中には闇のオークションなるものまでが存在し、犯罪に関わるもののみを扱う裏オークションまでがある。それらは"地下競売アンダーグラウンドオークション"と呼ばれ、世界中のマフィアが協定を結んで開催する物らしい。当然この地下競売には一般人は入場できない。暗黙の了解として地元の警察も手が出せないようだ。

(今年はを競り市にでも連れてってやるか。去年は何かと忙しくて行けなかったしな)

ふと去年が行きたがってた事を思い出し、カノイはカレンダーに印をつけておいた。そこへ達が姿を現した。それまで雑談していた客達も達がステージに登場すると途端に話をやめて歓声を上げ始める。一斉に拍手が起こり店内は更に賑やかになった。

「皆さま今宵も楽しい一時を――」

いつものようにが挨拶をして演奏が始まる。今日の演奏はオペラ。昨夜久しぶりにピアノで演奏したあの曲だ。

(これは……あの日、劇場で公演してたオペラだ)

新しい注文のカクテルを作りながらもカノイはふと手を止める。が歌うオペラはあの事件があった時に公演中だった事をカノイは覚えていた。どこか物悲しい母と娘の復讐の話だ。

(時々ピアノで弾いてはいたが…ステージで歌うのは初めてだ…。何故今更この歌を?)

の良く透る声を聴きながら、ふとカノイは心の奥で嫌な胸騒ぎを感じた。その時――ちりんと入口の鐘が鳴り新しい客が入って来た。カノイは我に返ると「いらっしゃいませ」と声をかける。

「ここ、いいかな?」

そう言ってカウンターの前まで来たのは黒いスーツを着たカノイと同じ歳くらいの若い男だった。額にバンダナのようなものを巻き、黒髪に大きな瞳が印象的だ。きちんとした身なりは傍目に青年実業家のようにも見える。綺麗な顔立ちに爽やかな笑みを浮かべる男に、この辺じゃ見かけない顔だな、とカノイは思った。

「どうぞ。――お客さんも観光ですか?」
「うん、そうなんだ。近々オークションが開催されるだろ?」
「ええ、この都市の一大イベントです。お客さんも参加されるんですか?」
「まあね。貴重品は全て手に入れる予定なんだ。――ああ、ビールもらおうかな」

男は注文すると、ステージ上で歌うへと目を向けた。

「綺麗な歌声だ。彼女、ここの専属?」
「ええまあ。彼女の歌声に一聴き惚れしちゃいましてね。是非うちで歌ってくれとボクが頼みこんだんです」
「へえ。でもその気持ち分かるなあ。ホント、いい声だ」
「どうぞ」

カノイがビールを出すと、男は「ありがとう」と笑みを浮かべ、再びへと目を向ける。カノイもつられてステージへ目を向けたが、その時が一瞬こちらへ視線を向け僅かに息を呑んだように思えた。

「あれ……珍しいな。歌詞忘れるなんて」

独り言のようにカノイが呟く。今一瞬が声を詰まらせたのだ。それに気のせいかその表情は驚いたようにも見えた。だが上手く誤魔化したせいで客の中に気づく者は誰もいない。もすぐに修正し今は普通に歌い始めていた。おかしいな、と思いつつ、ふと目の前の男に視線を戻す。男は僅かに笑みを浮かべながらの歌に聴き入っているように見えた。

(さっきがこの男を見て驚いたように見えた気がしたが……気のせいか?初めての客だしな…)

そんな事を考えていると、が次の曲を歌い始めた。今度は明るめのR&Bで一曲目の暗いイメージから一転、店内も盛り上がる。久しぶりの開店という事で、今夜はジャンル構わず色々と演奏する予定だった。

「おかわり貰えるかな」
「あ、はい」

不意に男から声をかけられ、カノイはすぐに新しいビールを用意した。その際も男はから視線を外さない。その姿を見ていると、カノイはふとあの男を思い出し顔をしかめた。

(そういやヒソカも初めて来た時はこんな感じでを見てたな……。何故かこの男、ヒソカと似たような空気を持ってるような…)

そんな事を考えながら、カノイは内心苦笑した。目の前の爽やか系とあの変態色が濃いヒソカとでは似ても似つかないはずだ。そうは思っても何となく気にかかり、カノイはビールを出しながらも男の様子を観察していた。入って来た時に感じたのは身長がかなり高いということ。カノイやヒソカと同じくらいはあるだろう。体格もどちらかと言えば細身の方だが肩のあたりはガッシリしているようにも見える。テーブルをとんとんと叩きリズムをとる指先は綺麗だが、その拳を見てカノイは僅かに目を細めた。

(この男の拳もまた戦闘を知っている手を持ってる……か。見た目は普通の兄ちゃんなんだけどな)

と言ってもヒソカのように妖しいオーラもなく、を見つめる表情も事の他、優しい。カノイは多少気になりながらも下げた皿を洗い始めた。

「――ありがとう御座いました」

何曲か連続で歌うと、は客に挨拶をしすぐにステージ裏へと引っ込んだ。時計を見ればそろそろ閉店の時間が近づいている事に気づき、

「ラストオーダーになりますが何かお飲みになりますか?」

と男へ尋ねた。
男は「え、もうそんな時間?」と慌てたように腕時計を見ている。

「じゃあ最後にブラッド・アンド・サンドを。――ああ、彼女の分も」
「え?」

男の言葉に顔を向けると、いつの間にかが彼の隣へ座っていた。それも少し息を切らしている。

、お疲れ。どうした?そんな慌てて……」
「ちょっと歌いすぎて喉渇いたの」
「そうか。じゃあ彼が言ったカクテルでいいか?」
「うん。――あの……頂きます」

がちらっと男の方へ視線を向けて言えば、男も爽やかな笑みを浮かべて彼女を見た。

「どうぞ。光栄だな、隣に座ってもらえるなんて。歌、とても良かったよ」
「……ありがとう……御座います」

ふたりはそんな会話をしつつ、どこかよそよそしい空気だ。初対面なのだから当然と言えば当然だが、カノイは小さな違和感を感じ首を傾げた。

「ではブラッド・アンド・サンドを二つですね」

カノイはの様子が気になりながらも言われた通りカクテルの用意を始める。その間もふたりは一言二言、言葉を交わすだけだった。

「どうぞ。ブラッド・アンド・サンドです」
「ああ、ありがとう」

カクテルグラスを目の前に置くと、男はの方に一つ差し出した。

「綺麗な赤だろ?闘牛士の盛衰を描いたスペインの小説のタイトルを名前にしたカクテルなんだ。”血と砂”の名前の通り赤い色彩が気に入ってる」
「……そ、そうですか」
「まあ名前とは違って味は凄く甘いんだけどね」

男はそう言って笑いながらカクテルを口にしている。もまた一口飲んで「ホントだ、甘くて美味しい」と僅かに笑顔を見せた。そこへミリヤが歩いて来た。

「カノイ、そろそろ店閉めましょう。お客さんも帰り始めてるし」
「ん?ああ、そうだな……」

ミリヤは早く飲みに行きたいのか、帰った客などのグラスを下げながらカノイにせっついていたが、ふとカウンターの男に気づき、「あら初めての顔ね」と笑顔を見せた。

「どうも。観光で来てこの店を見つけたんだ。歌声に惹かれてつい入っちゃったよ。君のピアノも凄く良かった」
「まあ、ありがとう。あなたも素敵だわ。かなりのイケメンだし私好み」
「それは光栄だな」

ミリヤの言葉に男は照れ笑いをすると最後のカクテルをゆっくりと飲み干した。

「そろそろ閉店だろ?オレはもう帰るよ」
「え……?」

その言葉に今まで黙っていたが慌てたように顔を上げる。そこへミリヤが口を挟んだ。

「あら飲み足りないなら今からみんなで飲みに行くんだけど、あなたもどう?」
「え?」
「おいミリヤ……いきなり誘うなんて失礼だろ」
「いいじゃない。人数多い方が盛り上がるし」

カノイの言葉にミリヤは耳を貸さず「ね、一緒にどう?」と再び男を誘う。男も苦笑交じりで「いいのかな。新参者のオレがついて行っても」とカノイを見た。

「あら、もちろんよ。いい男は無条件に。カノイもそれでいいでしょ?」

ミリヤの強引な誘いにカノイは苦笑し仕方ないな、といったように肩を竦めた。

「良かったら来て下さい。今日来てくれたのも何かの縁ですから」
「なら…お言葉に甘えて」

男がニッコリ微笑む。は何も言わず、ただ黙って俯いたままだ。

「ああ、そう言えば……名前聞いてなかったわ」

ミリヤが思い出したように尋ねれば、男は笑顔のまま。

「――クロロって言うんだ。クロロ=ルシルフル」

その名を出した時、が僅かに息を呑んだのを、カノイは見逃さなかった――。



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