06-1:追憶の果てのブルー [ blue]



蜘蛛 × ノ × 原点



頭の奥が痺れている――。少しづつ意識が戻る感覚で、は僅かに瞼を押し上げた。最初に薄ぼんやりと見えたのは白い天井。徐々に視点が合う頃にはゆっくりと回転するシーリングファンが見えた。見慣れない景色には自分がどこにいるのか分からなかった。何度か瞬きをしてから体を起こそうとしたが、力が入らず再びベッドへ倒れ込む。

「気づいたか?」
「――――っ?」

突然すぐ隣から声がして顔を向ければ、クロロがベッドボードを背にして座っていた、その手には本を持っている。室内は薄暗く、ベッドの横にあるスタンドライトがクロロの影を揺らしていた。

「クロロ…私――」

そう言いかけた時、先ほど意識が薄れていった時のことを思い出した。

「気を失ってた…?」
「ああ。念を一気に使ったせいでオーバーヒートしたんだ」

読んでいた本を静かに閉じると、クロロはの顔を覗き込んだ。

「体調はどうだ?」
「頭はボーっとしてるけど、もう大丈夫みたい。体にまだ力は入らないけど…」
「もう少し横になってろ。――で?オレの記憶は見えたのか?」

軽く目をこすっていたは、目の前のクロロを見つめた。先ほど見た記憶がまるで夢のように感じる。子供の頃にクロロが見ていた光景。それはの知らない別の世界のものに見えた。感じ方も物の見方も、どこか特別なものに感じて、言葉ではうまく説明できない。

「…うん。見えたけど……」
「けど、なんだ?」

は自分が見たものや感じたものを思い出しながら、黙ってクロロの瞳を見つめた。黒曜石のような大きな瞳は、気を許すと吸い込まれてしまいそうだ。

「最初に広くて巨大な街が見えたの…砂煙がすごいとこ…。そこに色んな物が散乱してて――」
「ああ、それは流星街だ」
「流星街……?」
「何でも、どんなものでも捨てていい場所がある。オレはそういう場所で育った」
「何でもって……」
「ゴミ、武器、死体。生まれたての赤ン坊、何でもだ」
「そんな場所が……。じゃあ旅団のみんなも?」
「初期のメンバーはな」
「家族とか……」
「いない」

あっさりと言い切るクロロに、はどこか深い孤独を感じた。家族がいないせいでとかそんな簡単なものではなく、先ほど見たクロロの思考がそう思わせるのかもしれない。けれど、クロロはひとりじゃなかった。周りにはいつだって人が集まって来ていた。

「さっきクロロの…心を感じた時、とても不思議な気分だったの」
「心?…やはり過去だけが見えるわけじゃないんだな」

クロロはひとり納得したように頷いた。

「最初は色んな映像が見えたし時々は会話も聞こえた。でも途中でクロロの感情というか気持ちみたいなものが私の中に入ってくるような感覚になって……」
「なるほど。お前の力は対象者の記憶だけじゃなく心を読み取っていく力なのかもしれないな。で……オレの心は見えたのか?」

興味深いというようにクロロが訊ねる。しかしは小さく首を振った。

「クロロ自身が良く分かってない感じだった。自分は一体何者なんだって…常に考えてるような…」

クロロは何も応えなかった。もそれ以上うまく言葉にできず口を閉ざした。クロロ自身も自分が何者であるのか知りたいと思っている。それは出生のことなのか、それとも自分個人のことなのか。それはにも分からない。本人にも分からないものが他人に分かるはずもない。クロロもそう感じたのか僅かに視線を外した。

「あ、でも…クロロが凄く好奇心旺盛なのは分かった」
「…ああ。ガキの頃は外の世界のものは何でも物珍しく思ったな…」
「そういう物ぜーんぶ欲しいって、子供のクロロの心はそんな欲求とか、見たことない場所への好奇心が強かったが気がする」
「当たりだ」

改めて口に出されると照れ臭いのか、クロロは僅かに苦笑した。欲しい――。
クモの原点はそんな単純な欲から始まったことを思い出す。

「……そろそろ時間だな。もう動けそうか?」
「うん、何とか…」
「家まで送る」

クロロは静かに立ってジャケットを羽織った。がふと時計を見ると、すでに夜の11時を回っている。

「え、私こんなに意識なかったの?」
「それだけ力を消費したという事だ。念を使う上での必要最低限のことは今度教えるが、これからは自分で少しづつ慣らしていくんだな」
「うん…」
「ただし――無茶な使い方はするなよ」

くしゃりと頭を撫でられた。クロロは自分に力の使い方を教えてくれようとしている。もそこは素直に頷いた。

(そういえば…昔、クロロは私の力が自分にとって必要なものだったら一緒にいていいって言ってた気がする…)

最初に出会った時のことを思い出し、はクロロを見上げた。クロロが何故自分を助けてくれるのか。この不可解な力だけが目的なのか。しかし力だけが目的なら「一緒に来るか」などとは言わないだろう。自分自身で決めろ、とも。

「どうした?行くぞ」
「……次は、いつ会えるの?」

離れたくないという昔の想いが蘇ったかのように、クロロの背中を見ていたら寂しくなった。帰りたくない、と思うほどに。クロロはふと振り返り、の方へ戻って来ると、再びベッドへ腰を下ろした。

「何だ。寂しそうな顔して」
「そ…そういうわけじゃ…」

にやりとしたクロロを見て、心の中を見透かされたような気分になる。でも、実際寂しいと感じていた。この4年、二度と会えないかもしれないと思いながら生きて来た。でも迎えに来てくれたことで、会ってなかった分の空白を埋めるように、まだそばにいたいと思ってしまった。

「そんな顔をするなと言わなかったか…?」
「…え?」

クロロが手をつくと、ベッドがギシリと音を立てる。至近距離にある漆黒は、スタンドライトに照らされて妖しく揺らめいている気がした。

「お前は昔から無意識に俺を煽ってくる」
「…ク…ロロ?」

伸びて来た指先がの顎を捉え、僅かに持ち上げられた時。脳裏に先ほどの光景がフラッシュバックした。息が出来ずに喘いでいた時、クロロが人工呼吸をしてくれたことを。

「あ…あの…」

ジワジワと上がる顔の熱に耐えられず、目の前で見つめて来るクロロから視線を反らした。綺麗な瞳も、形のいい唇も、がっしりとした首筋も、何もかもが扇情的で鼓動が速くなるのを止められない。その時、唇に僅かながら熱い吐息を感じて不規則に動いていた心臓が大きく跳ねた。しかし唇を寄せたかのように見えたクロロはから離れると「送る」とだけ言ってすぐに立ち上がる。

「ま、待って」

部屋を出ていくクロロを見て、もすぐに起き上がると、慌てて後を追いかけた。

(い、今の…何だったの…?)

ほんの一瞬だけ見せたクロロの男の部分がを戸惑わせた。鼓動だけがドクドクと音を立て、頬の熱も上がったままだ。しかしふと時計を見た時、一気に現実に引き戻される。すっかり遅くなったことでカノイが心配しているかもしれない。はすぐにバッグの中のケータイを見た。

「あれ……電源切れてる。電池切れかな……」
「ああ、それならオレが切った」
「え?」

部屋を出て、前を歩くクロロがあっさり言った。

「さっき何度か鳴ってうるさかったからな。お前の雇い主からだった」
「な、何で勝手に切るの?ああ…っ。カノイさんに何て言われるか……」

文句を言いつつ、すぐに電源を入れると何通かメールも届いている。全てカノイからで「今どこにいる」や「電話に出ろ」という怒りの内容だった。

「やっぱり怒ってる……」

がっくり項垂れるを見て、クロロは呆れたように息をついた。

「子供じゃないんだ。いちいち説教されることじゃないだろう。親でもあるまいし」
「そ、そうだけど……いつもは私がカノイさんに怒る方だから……」

エレベーターに乗り込んだあともまだ項垂れているを見ながら、クロロは僅かに目を細めた。あの雇い主の男を気にするの姿が何となく不快に感じる。

「今の生活は楽しそうだな」
「え……?」
「あの店で歌ってるは昔とは比べ物にならないくらい楽しそうだった」
「そ……そうかな……」

確かに昔は穏やかな生活なんか知らずに毎日が苦しかった。しかし最初にそこから救ってくれたのはクロロだ。クロロがいなければ今の自分はないと、は思っている。

「ホントに…私が決めていいの?クロロ達について行くかどうか……」
「ああ」

クロロは駐車場の階のボタンを押しながら黙ってを見下ろした。

「もし、今の生活を手放したくないなら断ってくれてかまわない」
「クロロ……」
「だがオレ達と来る覚悟が出来たなら……明日の正午、この場所へ来い。そこに全員集まる」

クロロが一枚のメモをだしへと渡す。そこには簡単な地図が描かれ、大体の住所が載っていた。

「ここ…って…あ、あの廃墟ビルが並んでるとこ?」
「今度のアジトだ」

駐車場につき車の方へと歩き出すクロロの背中を見ながら、はクロロが何故この街に来たのかが気になった。

「仕事って言ってたけど……何をする気なの?当然何かを盗むんでしょ?」

車に乗り込み訊いてみるとクロロは無言のままエンジンをかけた。

「明日来た時に教える。旅団と関係のない人間に話す内容でもないからな」
「そ、そうだね……」
「とりあえず明日と言ったが決めた時点で来ればいい。オレは今夜からここにいる。ただし――迷っているうちはアジトへ来るな」
「………」

これ以上聞いても無駄だと判断し、は小さく息を吐いた。確かには今のところ団員でも何でもない。しかしクロロの口からハッキリ言われると多少は悲しくなる。クロロはそんなを横目で見ると、

「お前がオレ達の仲間になる気があるのなら決めた時点でここを出る準備をしろ。ただし言ったようにこの街には残り10日しかいられない。覚悟して決めるんだな」

10日と聞いては小さく頷く。それが自分の今後の人生を大きく左右する決断になることだとにも分かっていた。その後はクロロも何も話さず、も口を開かなかった。ただ黙って流れるヨークシンシティの街並みを眺める。

"お前の意思がそこになければ意味がない"

先日クロロに言われた言葉を思い出した。確かにクロロの言う通りだ。けれど、その言葉は逆に本心から一緒に来て欲しいと言ってくれてるような気がしていた。もし、クロロがそう口に出して言ってくれたなら、ここで築いた生活すべてを投げうってでもついていく。ハッキリそう言えたのに。クロロは気づいている。ほんの僅かな迷いがあることを――。

「ついたぞ」

その言葉にハッと我に返ると、目の前に店の看板が見えて来た。もう着いてしまったのか、という寂しさが再び襲う。クロロは店から少し離れた場所に車を静かに停車させた。

「帰らないのか?」
「か、帰る…」

必要なことは全て伝えたのだろう。クロロはそれ以上、何も言おうとしない。時間はとうに0時を過ぎていて、カノイが心配しているのも分かっていた。なのに金縛りにあったように体は動かず、は手の中にあるバッグをぎゅっと握り締めた。

「じゃあ…お休みなさい――」

覚悟を決めて顔を上げた時だった。ふと顔に影が落ちて、前方に見えていた月が視界から消えた。同時に唇が熱を持つ。クロロに口づけられていると気づいた時、頭の芯が激しく揺さぶられた気がした。角度を変えながら触れてくるクロロの唇が、戯れるようにの唇を啄む。やがて、満足したようにそれはゆっくりと離れていった。

「ク…クロロ…?」

戸惑うように視線を上げれば、下ろした髪の間から見える黒い瞳。クロロは僅かな笑みをその口元に浮かべると「オレは…明日が来ることを望んでる。それだけだ」と告げて運転席のシートに凭れ掛かった。は言葉もなくクロロの横顔を見つめていたが、店からカノイが出て来るのを見た時、慌てて車を降りた。エンジン音で気づいたのか「か?」とカノイが車の方へ歩いて来る。

「今、あいつと顔を合わせたら説教されそうだから、オレはこのまま退散する」
「…あ、あの…」
「お休み、

真っ赤になったまま立ち尽くすを見て微笑むと、クロロはすぐに車を発車させた。どういうつもりなのかさえ聞けない。は車が見えなくなるまで、その場から動けずにいた。



*NAME

◆感想などお待ちしております。レスはMEMOでさせて頂きます。(不要の方はお知らせ下さい)