06:追憶の果てのブルー [ blue ]



蜘蛛 × ノ × 記憶


他人の腕に包まれると、こんなにも暖かいんだ――。

クロロの体温を感じながらはそんな事を考えていた。

"オレはお前に強く生きて欲しい――。"

クロロに言われた言葉に、この腕の温もりに、また泣きそうになる。しかし不意に体が離れた。ゆっくりと顔を上げれば、クロロは普段の表情でを見下ろしていた。

「落ち着いたか?」
「……え?あ……ご、ごめんなさいっ。泣いたりして――」

クロロのいつもと変わらぬテンションには急に恥ずかしくなった。慌てて距離をとる。ベッドの上で抱きあっていたことを思うと顔の熱が勝手に上がっていく。

(クロロは私を落ち着かせようとしてくれただけ…。そう、それだけなんだから…)

鼓動が速く打つ胸をおさえながら何とか落ち着こうと深呼吸を繰り返す。クロロは特に気にした様子もなく「続けるぞ」と普段と変わらぬ態度だ。まるでこういった状況に慣れているかのように見える。焦っているのは自分ばかりの気がして少しだけ悔しくなった。密室のベッドの上で抱き合おうとクロロは全く動じていないことで経験値の違いを見せつけられた気がしたのだ。

(結局…ハッキリとは答えてくれなかったな…)

寂しいような拍子抜けしたような何とも言えない気持ち。そんなの動揺を知ってか知らずか、クロロは再びの手を引いた。

「さっき言った通りにやってみろ」
「……うん」

言われるがままにクロロの胸に手を当てた。かすかにクロロの体温と共に体内の鼓動を感じる。心臓の音だけは自分と同じだと安心しながらも、は先ほどクロロが言っていたことの意味が何となく分かってきていた。今なら出来るかもしれない。今はクロロのことを知りたいと素直に思う。クロロは普段から感情を頻繁に出す方ではない。必要最低限のことしか話さない。しかし時々見せてくれる笑顔や、かけてくれる優しい言葉。過去にがしてきたことを、軽蔑するでもなく当たり前のように受け止めてくれた人。初めてクロロの過去を、本当の顔を、知りたい、と強く思った。

「私に…記憶や思考を読まれてもいいの…?」
「何も隠すことはないからな。オレ自身、自分の記憶や、自分でも気づかない思考を引き出されるなら、それに興味もある」

まるで他人事のように言う。その真っ直ぐで揺らぐことのない瞳を見ていると、何故クロロが幻影旅団という盗賊を作ったのか知りたくなった。

「分かった…。じゃあ、やってみるね」

覚悟を決めると目を瞑り呼吸を整える。心の奥に沸いたクロロを知りたいという思いが少しづつ鼓動を速めていく。肌に触れている手が熱を持ち、そこから体全体へと広がっていくイメージを感じながらはゆっくりと目を開けた。緋の眼。それが発動したと感じた瞬間、の頭の中にたくさんの映像が流れ込んでくる。

廃墟とゴミの山。武器と無数の死体。スクラップの中の子供と大人。盗む子供の笑顔。人を殺す。殺す。また殺して、奪う。あれはクロロの手――?笑う仲間達。残すべき蜘蛛――。クロロの声。

目まぐるしく変わる映画の一コマのような映像が会話、思考などが一瞬のうちに流れては消える。同時に何十年もの月日の中を旅しているような不思議な感覚。あの日と顔を合わせた旅団のメンバーが次から次に現れては消えていく。中には知らない顔もあった。その仲間が死んでいく。目の前のものをただ、欲しいと願う強い欲望。知らないものを知りたいという好奇心と探求心。そして旅団クモへの思い。仲間への信頼。クロロの心の奥深くにあるそれらのものが浮かんでは、また沈んでいった。もう少しで心の奥に沈殿している心の欠片を手にできそうな感覚に襲われ、はもっと、もっと――!とクロロの心の奥を覗こうとする。その時――異変は突然起きた。

「―――っ」

何の前触れもなく全身の力が抜けていく感覚には小さく息を呑んだ。呼吸をしようとしても出来ない。それを見たクロロはすぐさまの手を自分の胸から離すと、彼女の震える体を支えるようにしてベッドへと寝かせた。軽く息を吸い込んだクロロはの唇を塞ぎ、人工呼吸の要領で空気を送り込む。目を見開き、驚いたの肩が僅かに跳ねたが、クロロは気にすることなく彼女の肺へ空気を送り続けた。時間にして10秒足らず。は激しく咳き込み、自発的に呼吸が出来るようになったのを見たクロロは軽く息を吐いた。

「大丈夫か?」
「……な…にこれ…急にだるくて苦し…ぃ…」

指ひとつ動かせない状態で浅く呼吸を繰り返すを、クロロは呆れたように見下ろした。

「念とは生命エネルギーだと言ったろう。使い慣れてない者が一度に力を使いすぎると時々こうなる。要は燃料切れだ」
「……私……どうなる……の?」
「少し休めば大丈夫だ」
「ほ……んと……?」
「ああ。今は休め」

クロロの声が子守歌のように耳に響く。は何かを言おうとしたが自然に瞼は閉じていき、ゆっくりと目を瞑った――。


(気を失ったか……)

すーっと眠るように意識を失ったに気づき、クロロはかすかに苦笑した。念の使い方に慣れてない者が一気に力を使えばこうなることは分かっていた。しかしクロロは敢えてに力を使わせた。いわゆるショック療法というやつだ。念は奥が深く、知らないまま使うには危険なものだ。自分の力を知らない人間は一度やってみないと、どのくらいで自分の体に負担がかかるか理解できない。理解できないまま使用すれば気を失うだけじゃ済まない。場合によっては死に至る。それを避けるためには先ず経験。何度も意識して力を使うことで念を理解し、上手く活用することも出来る上に、どれだけ危険なのかを知ることが出来る。今日クロロがをデートと称して連れ出したのも、この街にいる間に力の使い方を教えておくためだった。

はこれまで無意識に使ってたようだが、それらを使いこなし武器として使うためにも意識的に使い分けられるようにさせないとダメだな)

水見式をしたわけではないがクロロはの能力を自分と同じ特質系だと感じていた。特には記憶を読むだけでなく、治癒能力や察知能力など複数の力を使えている。それは緋の眼という特異な体質からきているのだろう。それと他人の記憶を読むのはパクノダも同じだがはまた少し違うようだ。対象者に触れるのは同じだが、質問して原記憶を掬うパクノダと違い、は触れるだけで相手の過去の記憶や現在の記憶を読み取ってしまうらしい。

(いや、記憶というよりも相手の心の真ん中にある強い思いや考えみたいなものか…)

自分を虐待する母親の気持ちを知りたいという思いから来てるこの能力は、の悲しみと憎しみが生み出したものだということはクロロにも分かっていた。

「お前はオレの中に何を見たんだろうな…」

クロロはの顔にかかった髪を指で避けると、暫くその寝顔を見ていた。4年前より確実に大人っぽくなっている。出会った時のような死を覚悟していた暗い瞳ではない。あの夜に別れて以来、彼女が政府の保護プログラムの中に置かれていたのは知っているが、前よりはマシな日々を送ってきたんだろう。あの店で歌う姿はクロロから見ても、とても楽しそうに見えた。出会った頃のように何かに怯えていた少女はもういない。

はここに残ると言うかもしれないな…)

壁に背をつけて天井を仰ぐ。隣では静かな寝息を立て始めたが眠っている。その寝顔を見ながらクロロはそう感じていた。何も好き好んで犯罪者になることはない。どっぷりと裏世界に浸かって生きてきた自分たちとは違うのだから――。しかし、クロロは自分が彼女を簡単に手放さないだろうことも知っている。欲しいものはどんなことをしてでも奪う。クモとはそういうものだ。に選択権を与えたのはあくまで彼女自身の覚悟を試したいからに他ならない。もしを迷わせているものがあるのなら、それら全てを消すのもまた一興か、とクロロは思う。

ふと静かな部屋にケータイの着信音が鳴り響き、クロロは音のする方へ目を向けた。それはリビングのソファに置いたままののバッグから聞こえてくる。クロロはベッドから下りると隣の部屋へゆっくりと歩いて行った。

「……カノイ。あの男か」

のケータイを手に取り、相手を確認すると軽く舌打ちをする。電話は一向に鳴りやまない。出かけてからまだ数時間しか経っていないが、おおかた心配してかけてきたのだろう。様子伺いといったところか。

「まるで父親か兄貴だな」

警戒するような目つきで見ていたカノイを思い出し、クロロは皮肉めいた笑みを浮かべる。そして徐にケータイの電源を切った。に知れたら文句の一つでも言われるかもしれないが、今は少しでも体力を戻すために休ませないといけない。

「確かハンターと言ってたな…」

この4年、の傍で彼女を見守って来た男――。黒の虹彩が妖しく光る。

「――こいつを消すか」

何の感情もない冷たい音を吐き出したクロロは、のケータイをバッグに戻し、ベッドルームへ戻ろうと歩き出す。すると今度はクロロのケータイが鳴りだした。相手を確認すると、ディスプレイには予想外の名前。

「…ヒソカ?」

そこには現在の団員、No.4の名前が表示されている。あの夜に話して以来だ。クロロはが起きないようベッドルームのドアを閉めると、溜息交じりで通話ボタンを押した。

「……何の用だ」
『相変わらず冷たいなあ』

いつもと変わらないねっとりとした愉しげな声が、クロロの耳に届く。

「集合は明日の正午だ。何か用なら明日聞く――」
『別にデートの邪魔・・・・・・をする気はないよ』

ヒソカが薄く笑う。クロロは素早く窓の傍へと歩いていった。通話口の向こうからは様々な喧騒が聞こえて来る。車が走る音も混じっていることからして、どうやらホテル内ではないらしい。では外か――。ここは最上階だから見られてはいないだろうが、ヒソカは近くに来ているはずだ。

「オレを見張ってるのか?」
『怖いなあ。声のトーンが急に下がったよ』

言葉とは裏腹にヒソカの声は楽しげだ。クロロも僅かに笑みを浮かべると、窓の外の街並みを見下ろした。

「オレじゃなければか。やけに気にするんだな。あいつはお前が興味を持つような人間と思えないが」
『ボクは彼女のファンでね。彼女の歌は最高だよ。それに…団長が興味を持ってるものはボクも興味があるんだ。同じクモの仲間になるかもしれないし』
「興味、か。あいつはまだ旅団に入るかどうか決めかねてるようだが…どっちにしろお前には関係のないことだ」
『あれ、そうなのかい?団長が目を付けた獲物をまだ手に入れてないなんて珍しいね♡』
「用がないなら切るぞ。――ああ、それと……あの店にはもう行くな」

それだけ言うとクロロは電話を切った。つかめない男だ、とクロロは思う。何かに属するような人間には見えないのに突然クモに近づいて来た。腕が立つので重宝すると思っていたが何か他に目的があるようにも見える。

(もっと警戒しておくべきか……?)

ヒソカの本当の目的までは読めない。クロロはすぐに誰かへ電話をかけ始めた。

「――ああ、オレだ。今どこにいる?」

ワンコールで出た相手に訊ねながら、クロロは眩しい太陽を遮るように重いカーテンを力任せに閉めた――。



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