07-4:きみが囚われたフィルター [ filter]



ヒソカ × ノ × 狙い



1.

優しく頭を撫でてくれた、肩を抱いてくれた、そんな優しい手を、は思い出していた。

…!元気そうで良かった」

パクノダは、嬉しそうな笑みを浮かべて歩み寄り、の体をぎゅっと抱きしめた。最後の夜にそうしたように、温もりを確かめながら。
――あの夜のことをどれほど悔やんだか。
パクノダはを警察に渡したことを、酷く後悔していた。懐かしそうにを見つめる瞳は、少しだけ潤んでいるように見えた。

「パクノダさん…ありがとうって、ずっと言いたかった」

クロロについて来たことは後悔していない。でも最初は旅団のメンバーが自分より年上ばかりで少し心細かった。そんな時パクノダが優しく寄り添っていてくれたことを、は覚えている。姉がいたらこんな感じなんだろうかと、思ったことも。

「私は何もしてないわよ…」

パクノダはあの頃と同じようにの頭を優しく撫でる。出会った頃の少女の面影が重なり、少し感慨深げに「すっかりいい女になって」と微笑んだ。そして隣で澄ました顔をしているクロロへ視線を向ける。

「団長、見つけたのなら連絡くらいしてよね」
「サプライズのほうが盛り上がるだろ」

やはり澄ました顔で言うと、クロロはシャルナーク達のほうへ歩いて行った。珍しく機嫌がいい、とパクノダは思う。クロロがと交わした約束は叶えられたのだ。あの夜の、真っすぐ前を見て歩いて行く少女の後ろ姿を思い出しながら、パクノダ自身もようやく安堵することが出来た。

「それで…はどうしてたの?聞かせて」

の肩を抱きながら、パクノダは笑顔で言った。





2.


「は?帰ってる?何で」

夕方、なかなか戻って来ないが心配になり、カノイはケータイに電話をかけた。その時は出なかったものの、30分後に折り返しかかってきて安心したのもつかの間、は一足先に店へ戻っていると言われ、カノイは驚いた。

『ちょっと疲れちゃって…』
「って競りで値段付けたヤツはどーすんだよ?」
『うーん…やっぱり部屋に置くところもないし、他の人が値段付けてるならいいかなって』
「いいかなってオマエ…」
『カノイさんはまだ競り市でしょ?ミリヤさんと夕飯でも食べて来て下さい』
「いや、オマエはどーすんだよ」

カノイは言いながら隣で聞き耳を立てているミリヤを見た。今日一日彼女と競り市を回っていたが、寝不足のわりに疲れていない様子だ。

『私は適当に食べるんで大丈夫です。今日はお店も休みなんだし、カノイさんも久しぶりに外食楽しんで来て下さい』
「…そりゃ食ってこいっつーならそーするけどさ。何かオマエ、大丈夫か?体調とか悪いんじゃ…」

どこか様子がおかしい気がした。しかし"音"を探ってみても、の言葉が本心なのだと分かっただけで、特に他意はないようだ。

『体調は悪くないですよー。カノイさんもたまにはミリヤさんとデートでもどうかと思っただけです』
「は…?デートってオマエなあ…」
『カノイさん…』
「何だよ…」
『私…カノイさんには本当に感謝してるんです』
「何だよ、急に」
『別に。ただ…言いたくなっただけです』

その言葉も本心なのだろう。カノイの耳にはそう聞こえた。だがどこか心が晴れない。この間から、どこかモヤモヤとしたものが胸の辺りにこびり付いている。

――」
『それじゃ…』

そこで唐突に電話が切れた。

「………」

しばしケータイを握り締めながらの言葉を思い返していると、隣でミリヤが待ちきれないといった顔で「カノイ」と腕を引っ張った。

「お許しも出たことだし、ご飯食べてこーよ」
「ああ…そうだな」

言われなくても腹は空いているが、カノイはどうもの様子が気になった。やはりどこかおかしい。

(帰ったら問いただしてみるか…)

ミリヤに腕を引かれながら、カノイはふとそう思った。




3.


電話を切り、は小さく息を吐いた。どうにか自然に話せたことで、初めて少しの緊張を覚える。本来ならきちんと挨拶をしてお礼も顔を見てしたいところだったが、何故店を辞めて出て行くのか聞かれても答えられないのだから仕方ない。カノイに幻影旅団の話をするわけにはいかないのだ。

「ごめんね…カノイさん…」

飛び込みで面接に来たを雇い、今日まで面倒を見てくれたことを感謝しながらも、は次の自分の人生を考えていた。奪われる側で、何も持ちえなかった4年前。に自由を与えてくれたのはクロロだった。奪われた羽を取り戻せたのは、あの地獄から解き放ってくれた幻影旅団という、にとっての救世主たちだ。彼らはいつでも自由で、自分の心に正直で、あの頃のには眩しく映った。
――みんなのように生きてみたい。
そう、思わせてくれたからこそ、今の自分がある。本当なら、あのままずっと傍にいたかった。

(でも…私はもう蹲って怯えていただけの子供じゃない。自分の意志で、未来を決められる)

――戻って来るまで計画はオマエに伝えない。

全ての団員が揃った時、クロロに言われた言葉をふと思い出した。きっと今頃、みんなはその"計画"を聞かされているんだろう。
ケータイをポケットに戻し、は代わりに店の鍵を取り出した。
昼間、旅団のメンバーと再会を果たした後、これまでに起きた色んな話をしたり、聞いたりして盛り上がった。そしてはクロロに言った通り、今は荷物を取りに一度戻って来たところだった。クロロだけじゃなく、ウボォ―ギンやシャルナークといった面々が「一緒に行く」と言ってはくれたものの、万が一のことを考えて、その申し出を断ったのは、あの緋色の瞳をした少年のことを思い出したからだ。二度と来ないでとは言ったものの、まだ旅団との繋がりを疑っているのなら見張られている可能性がある。そんな場所にメンバーを連れてくるわけにもいかない。それにもし生き残りがいたと知れれば、あの少年もまた無事では済まない気がした。

「…このお店ともさよならか」

鍵を開けて中へ入ると、は少しだけ感傷に浸った。真っ暗な店内にびっしりと入った客がいる風景を思い出しながら、テーブル一つ一つを見ていく。ステージに上がれば歓声すら聞こえてきそうな気がした。でも、もうこの場所で歌うこともない。

「――今夜は休みかい?」
「―――ッ?」

静かな空間。突如背後から声が聞こえて、は息を飲んだ。異様な気配はいつからしていたのか、最初からか、それとも声をかけられた時からか、には判断できなかった。

「…だ、誰…?」

その人物は店の入り口に寄り掛かって立っていた。夕日を背にしているせいで、の位置からは顏が良く見えない。しかしスラリとした背格好は見覚えがあった。特徴的な声も耳が覚えていたようだ。ただ、自分の記憶にある人物と、そこに立っている男が同一人物なのかまでは自信がない。外見が驚くほどに違うせいだ。男はゆっくりと歩いて来る。コツ、コツ、と靴音が響き、は緊張した様子で目の前に来た男を見つめた。燃えるような赤い髪を逆立てて、端正な顔立ちを惜しげもなく披露している。両頬にはピエロのようなペイントが施されていた。

「やあ。久しぶりだね」
「…ヒソカ…さん?」

はヒソカを見て少々呆気に取られた。いつものスーツ姿ではない。どこか奇術師を連想させる服装とメイクを施しているヒソカは、の知らない空気を漂わせている。そこでカノイに聞いた話を思い出した。カノイは何度もヒソカのことを「危ない男だ」とに忠告していたのだ。

「ど…どうしたんですか…?その恰好…」
「どうって、これがいつものボク。ここに客として来た時は目立ちたくなかったから地味・・なほうがいいと思ってさ」

ノーメイクにスーツ姿でも十分に目立っていた気もするが、そこは敢えて言わなかった。ただヒソカが何の為に今ここへ来たのかが分からない。

「あ、あの…すみません。お店今日は休みで――」
「ああ、今日は客として来たわけじゃないんだ」
「え、じゃあ…」

何をしに、と言いかけた瞬間だった。気づけば目の前にいたヒソカが消え、背後に僅かな吐息を感じた。喉元にかすかな痛みがあるのは何かを押し当てられているからだ。

「ヒ、ヒソカ…さん?」
「少しばかり協力して欲しいんだよねえ、君に」

ヒソカは背後からを抱きしめるようにしながら、耳元で囁いた。その声色にゾクリと寒気が走る。今、背後にいるのは自分の知っている男じゃない。はカノイの忠告を今頃になって理解した。

「きょ…協力って…?」
「クロロを本気にさせたい」
「…え…」

は耳を疑った。何故ヒソカの口からその名前が出て来るのか分からなかった。嫌な汗がこめかみを伝っていく。耳元で、ヒソカの熱い息遣いを感じた。

「ボク、さあ。クロロが大事にしてるものに興味があるんだ」
「……大事な…もの」
「そう。例えば、君」
「…ぁ…っ」

長い指が髪を梳いて行くのを感じたのと同時に、耳輪にぬるりとしたものが触れた。それがヒソカの舌だと気づいた時、の頬がカッと熱くなる。その反応に気分を良くしたのか、ヒソカがくつくつと笑っている。

って感度イイね。コーフンしてきちゃったよ」
「や…放して…っ。何でこんなこと――」

体を捩り、ヒソカの腕から逃げようともがくが、力では敵わない。背後からホールドされ、さっき以上に身動きが取れなくなった。

「動かない方がいい。間違えて首をスッパリ切ってしまうかもしれないよ?」
「…く…っ」

喉元にあてられている鋭い刃のようなものが肌に食い込む感触にゾっとした。本気なんだと知り、はますます混乱する。店の客だと思っていたヒソカが、実はクロロのことを狙っていた。ではヒソカもブラックリストハンターなんだろうか。あれこれ考えたもののにはこの状況の意味が分からない。

「ど、どうしてクロロを…?捕まえたいの…?それとも――」
「捕まえる?違う違う」

ヒソカはクックと喉の奥で笑いながら再びの耳元へ口を近づけた。

「ボクは本気のクロロと戦いたいだけ」
「…た…戦う…?」
「そう。でもなかなか機会がなくてね。だから…ボクも旅団に入ったんだ」
「……ッ?」
「聞いてない?クロロに」

ヒソカの言葉を聞いて、先ほどクロロに言われたことを思い出す。自分の知らない団員があと二人いると話していた。その一人にはここへ帰ってくる前に会っている。ボノレノフという包帯を全身に巻き付けた変わった民族の男だった。ということは残るもう一人が――。

"アイツ、来る気あんのかよ"

ウボォ―ギンが遅いと言いながら文句を言っていた。では彼らが待っていた残りのメンバーがヒソカなのか、とは気づいた。

「ちなみに…がこの店にいることをクロロに教えたのは、ボク」
「え…?」
「クロロが来ただろ?この店に」

確かにクロロはこの店に来た。そう、ブラックリストハンターに殺されかかった夜、突然に。あれはヒソカから聞いて来たのかとは理解した。

も入るんだろ?旅団クモにさ。じゃあ…ボクらは仲間だ」
「…な…仲間なのにこんなことしていいの…?」
「う~ん…ダメ、だろうね」

ヒソカは楽しげに笑っている。どういうつもりなのかサッパリ分からない。

「だったら――」
「でもボクの狙いはクロロだから、君を使ってクロロを本気にさせたいだけなんだ。協力してくれないかい?」
「す、するわけないでしょ…っ?」
「いいじゃないか。何も一方的に殺すって言ってるわけじゃない。戦いたいんだ。クロロと」

戦いたいというだけで旅団に入ったなんてには到底理解出来ない。

「で、でも私なんか人質にしたってクロロは本気にならないと思う…」
「人質って。ボクはそんな姑息な真似はしないよ」

ヒソカは言っての体の拘束を解いた。その瞬間、はヒソカから距離を取ってステージから飛び降りる。ヒソカは驚くでもなく、笑みを浮かべたままだ。

「出てって…みんながアジトであなたを待ってる」
「やだなぁ。そんなに怯えなくても。前は懐いてくれてたろ」

ヒソカはステージに腰を掛け、トランプを指でくるくるっと回している。それを見てさっき喉に当てられたのがカードだったのだと分かった。おそらく念というやつで強化されているんだろう。クロロから聞かされたことをは思い出した。しかしは聞いただけで自分の能力をまだ使いこなせていない。それに目の前の男にはそう簡単に通用しない気がした。

「な、懐いてたわけじゃ…」

確かにスーツ姿で紳士的だったヒソカに少しはときめいたりもしていた。今のようにおかしなメイクもせず、髪を下ろしているヒソカは端正な顔立ちをしていて男の色香も漂わせていたのだ。しかし本当の素顔は今、目の前にいるヒソカなんだろう。

「それとも…今のボクは嫌いかい?」
「こ、来ないでよ…」

ステージから軽やかに下りたヒソカは、ゆっくりとのほうへ歩いて来る。何をされるか分からない恐怖が、足元からじわりと這いあがりの額に汗が浮かぶ。

「怯えてる君もそそるね」
「来ないでってば…!」
「クロロに言いなよ。ボクに襲われたって。そうすればクロロも本気でボクの誘いを受けてくれるかもしれない」

くつくつと笑うヒソカは楽しんでいるようだった。ジリジリと近づいて来るたび、も後ろへ下がる。今ここで背を向ければ殺されるような気がしていた。その時、の背中がトンと何かに当たり、ハッと後ろを仰ぎ見ると――。

「あれ、何で君がここにるのかなぁ」

ヒソカもの背後にいる存在に気づき、徐に顔をしかめた。

「もちろん依頼されたからだよ。困るよなァ。オレの仕事は殺しだってのに」

頭のすぐ上で淡々と話す男の存在に、は呆気に取られていた。腰までの長い黒髪と、大きな黒目。夜を象ったような男がそこに立っていた。

「大丈夫?何もされてないかい?」
「…え…は、はい…」
「オレ、イルミ。クロロに頼まれてね。君に変なヤツが近づいた時は助けろってさ」
「え…っ?」

イルミと名乗った人物はまるで機械のようにスラスラと説明しだし、クロロの名が出たことでも驚いてしまった。

「おいおい…変な奴ってまさかボクのこと?」
「さあ?来たらヒソカがいたからオレは納得したけどね」

どうやらこの二人も知り合いらしい。クロロも含めた三人はどういう関係なんだろうと、ますますの頭が混乱した。

「とにかく、仕事だからヒソカがこの子に何かするっていうならオレも手加減しないけど」
「………」

イルミが言いながらを自分の後ろへ追いやると、ヒソカは興が削がれたように目を細めた。

「…別に本気で殺そうとか思ってないよ」
「ふーん、ならいいけど」
「はあ…イルミの顔を見てたらその気がなくなっちゃったよ」

苦笑しながら肩を竦めたヒソカは、二人の横を素通りしてスタスタとドアのほうへ歩いて行く。そばに来た時は一瞬緊張したものの、ヒソカは「またね、」と言うだけだった。

「ああ、そうだ。ボクが来たことクロロに話すかい?」
「……い、言いません」
「あれ、そうなんだ」
「別に何もされてないので」
「ふーん…じゃあ次は何かしようかな」
「な…」
「ははは。ま、次に会った時は同じ旅団の仲間同士、仲良くしよう」

ヒソカはそれだけ言うと静かに店を出て行った。気配が消えてホっと息をつく。知らないうちに随分と体が強張っていたようだ。まさかヒソカがクロロ目当てで旅団に入っていたとは思わない。もし自分を戦いのキッカケにするというなら、ヒソカのことは敢えてクロロには言わない方がいいと判断した。

「あ、あの…イルミ、さん?ありがとう御座いました。助かりました」
「オレは何もしてないけどね。ああ、とりあえずクロロのところまで送るよ」
「はい…。あ、じゃあ荷物を取って来るので待っててもらってもいいですか?」
「うん」

イルミと名乗った男は淡々とした様子で頷くと、店内を見て回っている。その間には二階へ上がり、隠しておいた自分の荷物をクローゼットから出した。ちょっとした着替えくらいだが、何も持たずに行くよりはマシだろう。バッグを手に自分の部屋を出ると、カノイの散らかった部屋をぐるりと見渡した。ここに住むことになって四年。色んなことがあったなあと思い返す。自分がいなくなればカノイは落ち込むだろうか。そんな心配をしてみたところで裏切ることには変わりない。謝ったところで、は結局クロロ達と生きていくことを選んだのだ。

"ごめんね、カノイさん…本当にありがとう"

そう走り書きしたメモをカノイの机に残し、はその部屋を後にした。




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