07-5:きみが囚われたフィルター [ filter]



「じゃあ…本当にありがとう御座いました。イルミさん」

アジトまで送ってくれたイルミに、は丁寧に頭を下げた。それを無表情で眺めていたイルミは「別にこれも仕事だから」と抑揚のない声で淡々と告げる。といってもイルミは別に護衛が仕事ではなく、本来は凄腕の暗殺者だ。なのに古い付き合いになりつつある幻影旅団の団長から「護衛して欲しい仲間がいる」と依頼されてしまった。普通なら断るところだが、あのクロロがそこまでして守りたい人物が誰なのかが気になったイルミは、あっさりと畑違いな仕事を引き受けることにしたのだ。ただ、実際に会ってみて、イルミは少々拍子抜けをした。あのクロロが気にかけている人物なのだから、それなりの実力者なのかと思えば、ごく普通の綺麗な女だったからだ。

(能力者っぽいけど…戦闘力はないに等しい。クロロは何でこの子を旅団に入れたんだ?)

やけに礼儀正しいを見下ろしながら、イルミは首を傾げた。

(まさかオレに自分の恋人の護衛をさせたのかな…)

そして疑問に思っていることを、そのまま口にする。

「ところで…君はクロロの恋人?」

イルミのとんでもない質問に、は慌てて否定する羽目になった。




歌声 × ト × バスルーム


1.

クロロの気まぐれで、旅団に誘われた日から四年――。
現在アジトにしている場所へ戻った瞬間から、はその存在感を現していた。

「――が歌ってるのか」
「団長、早かたね」

戻ってすぐ、独り言のように呟くクロロの声に、いち早く反応したのはフェイタンだ。その向かいに座っていたパクノダも「お帰り、団長」と立ち上がった。
今回の計画の為の仕込みをしてきたクロロ、そしてクロロと一緒に戻ったシャルナークとマチ、ノブナガとウボォーギンも、どこかから聞こえてくる綺麗な歌声に耳を傾けた。

は?」
「今、お風呂入てるね。ずと歌てる」
「あいつは風呂と歌が好きだからな。用意しておいて正解だったか」
「全部用意したのオレだけどねー」

とシャルナークが苦笑する。アジトにしている廃墟ビルは元々建設途中のマンションなども多い。バスルームを少し綺麗にして、電気とガス、水道などを近隣から引いてくるのは簡単だった。もちろん全部、無断で。

「相変わらず、いい声だ」

優しい笑みを浮かべて、クロロが独白する。それを呆れたように見つめる他の団員たちも、聞こえてくる美しい歌声に聴き入っていた。

「歌声は母親譲りだろうなあ。あの劇団のスターだったんだから」

ノブナガが呟けば、シャルナークも笑顔で頷いた。

もまたデビュー出来るんじゃない?歌声も容姿も極上品だしさ」
「バーカ。そんなの団長が許すはずねぇーだろが。つーか、この歌声はオレ達が独占だ」

ウボォーギンも話に加わり、ニヤリと笑う。その一言にその場にいた全員が頷いた。

「団長があの劇場からを連れて来た時はマジで驚いたけどね~」
「ワタシもびくりしたね」
「あれから四年、か。早いな」

シャルナークやフェイタンの言葉にノブナガも頷きながら、バスルームへと歩いていくクロロの背中を見つめた。



2.

音もなくバスルームへと入ったクロロの目に、最初に飛び込んできたのは線の細い肩と、白い首筋。
その妖しい色香は、クロロと出逢った頃の少女とは大きく異なる。長い髪を高い位置で縛り、湯に浸かっているその姿は、すでに少女から女へと変わっていた。
彼女は歌う。クロロの存在すら気づかずに、その美しい歌声を惜しむ事なく、披露する。

(――魔笛"夜の女王のアリア"…『復讐の炎は地獄のように我が心に燃え』か…)

ドアに寄り掛かり、その歌に耳を傾けながら、クロロはあの夜の事を思い出す。襲撃したその日。あの劇場で上演してたのが、このオペラだった。
夜の女王はの母親であるスター女優。そして夜の女王の娘、パミーナを演じていたのはだった。

――地獄の復讐がわが心に煮えくり返る!
死と絶望がわが身を焼き尽くす!
お前がザラストロに死の苦しみを与えないならば、そう、お前はもはや私の娘ではない。
勘当されるのだ、永遠に。永遠に捨てられ、永遠に忘れ去られる、血肉を分けたすべての絆が。
もしも、ザラストロが蒼白にならないなら!聞け、復讐の神々よ、母の呪いを聞け!――

夜の女王が娘パミーナにナイフを渡し、宿敵ザラストロを殺害するように命じる場面で歌われるこの歌は、パミーナがザラストロの殺害を断わるようなら、もはや私の娘ではないと公言するほどの復讐心の苛烈さを歌ったものだ。
この歌をは好んでよく歌う。それは自分の最後の舞台で演じたオペラになったからなのか。クロロはその綺麗な高音に聞き入りながらもの心情を思った。

表向き、幻影旅団はにとっての親の仇。その仇と一緒にいる娘を、あの母親はどう思いながらあの世で見ているんだろう。
クロロの脳裏にふとそんな思いが過ぎる。この歌は、まるであの母親が復讐を遂げようとしないを諌めているように聞こえる。

(さながら、ザラストロはオレ達、幻影旅団…といったところか)

が何故、この歌を好んで歌うのか。クロロは聞いたことがない。もしかしたら、あの最低な母親に少しは負い目を感じているのか――。
――その時、歌が静かに終わりを告げた。自然と拍手をしたクロロに気づき、が驚いたように振り返る。

「クロロ!帰ってたのっ?」

驚いたのと同時に、恥ずかしそうに頬を染めながら湯船の中へ身を沈めるに、クロロは僅かに微笑んだ。

「つい五分ほど前にな」
「…声、かけてくれれば良かったのに…」
「歌姫の歌の途中に声をかけるのは無粋だろ?」

クロロが湯船の傍らへしゃがむと、は嬉しそうな笑顔でクロロを見上げる。それでも自分が裸、というのが恥ずかしいのか、今は顎まで湯に浸かっていた。
その顔を見ていると、最初に出逢った頃よりは随分と変わったものだ、とクロロは思った。自分の身を、クロロに平気で投げ出そうとしていた、あの頃よりは――。

「髪、久しぶりに洗ってやろうか?」

湯船に浸かりっぱなしのに優しく声をかけると、は恥ずかしそうにしながらも小さく頷いた。

「じゃあ、そっち向いて」
「え?」
「そこから出なくても頭は洗える」

頬を赤くしているを見て、クロロの頬も僅かに緩む。クロロはジャケットを脱ぎ捨てると、その手にがお気に入りのシャンプーを取った。
今では腰まで伸びた髪を、ゆっくりと濡らしていきながら、慣れた手つきで泡立てる。最初は恥ずかしそうにしていたも、気持ちがいいのか、今は目を瞑っていた。

「気持ちいいか?」
「…うん。クロロに髪を洗ってもらうの久しぶり」
「そうだな…」
「準備は終わったの?」
「ああ。バッチリだ」

クロロの言葉を聞いて、はゆっくりと目を開けた。

「…それ、私も参加していい?」
「参加?どうして」
「だって準備も私だけ置いて行かれた」
「そんなことないだろ。と一緒に何人かは残らせた」
「でもそれは私がいるからでしょ?私一人だと置いていけないから…」

は不満だというように、その赤く火照った頬を膨らませた。それは大人とは思えないほどに幼い。その表情を見ていたクロロは出逢った頃のを思い出した。

(――母親を憎み、その母親を殺したオレ達に救いを求めた少女…)

あの時に見たの記憶は、クロロの中に今でもどす黒い痛みを残している。
はたった一人で生きていかなければならなかった。自分一人で耐え切らなければならなかった。
そんな彼女にとって、幻影旅団という盗賊は、救世主だった。
そして、旅団にとってもはなくてはならない存在になっていた。

「…ホントに行っちゃダメ?」

泡を洗い流していると、が不意に口を開く。クロロは少しだけ迷った。今度の仕事・・は世界中のマフィアが相手だ。旅団にとって敵ではないが、は戦闘する術を持たない。前線に出るような今回の仕事は、あまり向いてないと言えよう。

は戦えないだろ」
「…そうだけど…裏で援護くらいは出来るかもしれないし…」

は早く旅団に馴染みたいと思っているようだ。会えなかった分の時間を早く埋めたいんだろう。クロロはしばし逡巡した。
前衛はウヴォーギンやフェイタンにフランクリン,中衛はシャルナークにマチ、後衛にパクノダとを配置することを想定して、脳内でシミュレーションしていく。今回は念の使えない人間が相手ということも考慮すれば、まで危険が及ぶことなはないか、と思った。
がふと、クロロを仰ぎ見る。クロロはバスタオルでの濡れた髪を拭いてあげた。

「分かった。連れて行こう」
「ホント?!」
「ああ。でもパクから離れるな。何かあったら困るからな」
「分かってる。ありがとう、クロロ」

無邪気に喜ぶ姿にクロロは微笑んだ。それは他の誰にも見せた事のない、愛情溢れる微笑みだった――。


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