2刻...暗殺者と復讐者



「あれ…」

イルミはふと目を開けて驚いた。真っ暗闇。しかしそれは一瞬だけで、すぐに形のある景色が目の前に広がった。そこは夕べ自分が潜んでいた場所。ターゲットである男の屋敷…の屋根の上だった。

「ほんとに戻ってる…」

普段あまり驚くことのないイルミでも今日ばかりは驚かずにいられなかった。時間を確認するとイルミの視界にターゲットが入る5分前。ちゃんと戻りたい時刻に戻っている。

「驚いたな…」

独り言ちながらもすぐに気持ちを切り替える。考えるのは後でいい。今は夕べやり損ねたことを今度こそ遂行する。目下に見えるのは広い庭とそこへ設置された大きなプール。夕べ、男はそのプールに入る為に庭へ出て来た。その瞬間をイルミが殺ろうとした時、思いがけず女が横切ってきたのだ。イルミは夕べ女が出て来た方向へ視線を走らせた。

(確かあそこから飛び出して来たな)

そこはちょうどイルミのいる場所から見て死角となるエントランスへ続く小道だった。女は夕べこの家に来て、家の中を通らずに小道から庭先へとやってきたんだろう。全くもってイルミには予想外だった。

残り二分――。もうすぐ男が庭に出てくるはずだ。そして一秒後に女もやってくる。そして一分も満たないくらいでターゲットが敵対している組織の連中が乱入して来るのだ。イルミは夕べの出来事を思い浮かべながら、脳内でシミュレーションをして男が出て来るのを待った。一秒待ってターゲットの男とその女を同時に殺す。死んだのを確認してすぐに逃げれば乱入してきた集団にも出くわさない。

(――出て来た)

夕べと全く同じ時刻にターゲットの男が庭先へと出て来る。その一秒も満たないくらいで女が姿を現す。――前回と同じだ。イルミは女の姿を視界で捉えた後、まずは夕べと違う角度から男に針を飛ばした。男の頭頂部に数十本の針が刺さり死亡。悲鳴を上げる前に女の後頭部にも同じように針を投げる。女も死亡――。ふたりは呆気ないほど簡単に倒れ、庭に設置されたプールの中へと落ちたようだ。満月を映すプールの水がじわりと赤く染まっていくのを確認したイルミがその場を離れるのと、夕べ乱入してきた組織が放ったマシンガンの弾が飛んでくるのは、ほぼ同時だった――。








イルミがまさに目的地へ辿り着いた同時刻。戻し屋――は夕べ自分がいた場所に戻っていた。

ちゃん、次は何飲む?」
「あ…えっと…」

目の前には行きつけの飲み屋のマスターがニコニコしながら注文を待っている。
――そう。夕べ私はここで飲んでいた。
戻る前、自分がその時刻どこにいたのかを頭には入れていたものの、どんな会話をしていたかまでは来てみないと分からない。はすぐさま頭を切り替えた。

「じゃあ、同じのもう一杯」

と笑顔で応えると、マスターは「はいよ」と言って赤ワインをグラスへ注いでいく。その赤い液体が増えていくのを眺めながら、イルミさんは無事に目的を果たせたかしら、と頭の隅で考える。

「はい、どうぞー」
「ありがとう、マスター」

がにこりと笑みを浮かべれば、マスターもデレデレしながら「これサービスね」と美味しそうなチーズを出してくれる。しかし他の客から注文が入り、渋々ながら奥のテーブルへ歩いて行った。これも夕べの通り。はそれを見届けると小さく息を吐き、注がれたばかりのワインを一口飲む。しかし夕べ・・すでに味わっているので新鮮味はない。

「はあ…このチーズも味はハッキリ覚えてるのよね…」

指でつまんだオレンジ色のミモレットを口へ運び、戻し屋の仕事の後はこれがちょっぴりツラいと溜息をつく。今回のように短い時間の場合、連続して同じことをしなければならないこともある。一週間前に戻った時は更に悲惨だ。一週間に起きたことをもう一度体験しなければならない。なのでこの力を客に使うのは一ヶ月にひとりと決めている。それでも値段を高額に設定し、強い念能力者と限定しているので、裏メニューを求めてやってくるのは、それこそイルミのような裏社会の人間が多かったりする。

「でもまさかゾルディック家の長男が来るとは思わなかったな…」

グラスの淵を指でなぞりながら、その赤いくちびるについたワインをペロリと舐める。想像していた以上の力と、禍々しい美しさ。少しの隙も見せずに自分を観察していたことを思い出し、は軽く身震いをした。イルミの祖父、ゼノから聞いていた印象よりもずっとずっと恐ろしかった。手を、握ることさえも。

(大きくてしなやかな指だった。あの手でどれだけの命を奪ってきたのやら…)

イルミの闇夜を思い出させる瞳を思い出し、ゾクリとしたものが背中を走る。あの男・・・とはまた違う冷酷さを持っている目だった。の脳裏にふと昔馴染みの顏が過ぎる。それを待っていたかのように、のケータイが鳴った。

「…そうだった」

そこで夕べも同じ相手から電話が来たことを思い出し、は溜息をつく。ここへ飲みに来たのは息抜きであり、仕事のことは忘れたいから飲んでいる。だから昨日はこの電話を無視した。けれども今夜は二度目ということもあり、昨日しなかったことをしてみるのも新鮮でいいか、と思い直した。は一口ワインを飲むと、未だに振動を続けているケータイを持ち、耳に当てた。

「もしもし」
か。今、話せるか?』
「うん、まあ…いいけど。死んだことになってる人が私に何の用?生き返らせてっていう依頼ならお断り――」
『断るな。その通りの依頼だ』
「…嘘でしょ」
『通常の倍は払う』

溜息をついたと同時に淡々とした声で相手が言った。しかし値段の問題ではなく、その力は先ほど使ってしまったばかりだ。

「無理よ…さっき使っちゃったもの」
『…何?お前が依頼を受けるような客が来たってことか』

戻し屋の客は相応の相手だと決まっているので、それほどしょっちゅうは来ない。そのことを言ってるのだろうと、は苦笑いを浮かべた。

「そうよ。久しぶりに極上のお客様」
『誰だ』
「守秘義務があるの。お客様の情報は言えない。知ってるでしょう?――クロロ」

クロロ、と呼ばれた電話の相手は、の一言に軽く舌打ちをしたようだった。その様子に珍しいなとは思う。クロロのことは幼い頃から知っている。いわゆる幼馴染というやつだった。祖父のナキが流星街の出身でも15歳まではそこに住んでいたが、ナキが仕事先で知り合ったゼノ・ゾルディックに誘われ、この国に店を持つことになり、両親と共に移り住んで来たのだ。その後クロロが仲間達と幻影旅団という盗賊集団を結成し、あちこちでその名を轟かせていることも知っている。

『参ったな…』

その悪名高き幻影旅団のリーダーでもあるクロロが、本気で困ったような声を出すのを聞き、は思わず「どうしたの?」と尋ねてしまった。

『あるヤツに力を封じられた』
「……は?クロロが?」
『ああ…。旅団のメンバーとの接触も出来ない。そういう念をかけられた』
「嘘でしょ…相手のヤツ、どれだけ強いのよ…」

クロロの強さはも嫌と言うほど知っている。残酷に冷静に物事を考え、静かに動くクロロはそう簡単に油断もしない。そんな男が、いつも奪うだけ奪って来た男が他人から力を奪われるなどと到底信じられない。

『強い弱いの問題じゃない。オレを縛っているのは相手の深い恨みみたいなもんだからな』
「…なるほど。それで…それはいつ?」
『一昨日だ』
「そう…けど…クロロ自身が念能力を使えないなら無理よ」

の力は相手が能力者、それも強い相手でなければ使えない。力のない者や弱い者を過去に戻すと、時間の歪みに耐えられず肉体は消滅してしまうからだ。

『それは知っているが、どういう理由で?念が使えなければ何が危険なんだ』
「……時間を戻るというのは想像以上にリスクを伴う。物理的にもね。強い念で守られていない肉体は時空の狭間で消滅する」

いくら幼馴染とは言え、自分の能力を詳しく話したことはない。特にクロロは他人の力を盗む能力。情報を与えるという迂闊なことは絶対に出来ない相手ではあるが、何故力がないとダメなのかくらいなら平気だろう。クロロはその説明を聞いて深い溜息を吐いた。納得してくれたのだろう。少しすると『分かった』とだけ口にした。

「クロロは今どこ?」
『ヨークシンにいるが移動しようと思ってる。お前がダメなら除念師を探そうと思ってた』
「あ…そっか。徐念師ね…」

その存在ならばクロロの力を封じている力を除けるだろう。一つ安心した。ついでに大事な要件も思い出した。

「ところで…いつになったら前回の報酬、払ってくれるの?」
『…報酬?』
「とぼけないでよ。前の報酬まだ未払いでしょ」
『ああ…そう言えばそうだったな』

クロロがヨークシンに行く前、一度の店を訪れ、裏メニューを頼んだことがある。その時の報酬はヨークシンの仕事が終わった後に振り込むと言ってそのままだったのだ。

『悪い。色々ありすぎて忘れてた』
「全く…で、いつ払ってくれるの」
『そうだな…』

クロロは何かを考えるように黙り込んだが、すぐに『がオレのところへ来てくれたら払ってやるよ』と笑った。この男は昔からこういうところがある。大した意味もない言葉を吐くのは相変わらずだ。は盛大に溜息をつくしかなかった。

「あのね…私にも仕事があるの」
『そんなに客は来ないだろ?それに今日すでに裏の仕事をしたなら財布も潤ってるだろう。のんびり旅行がてら来たらいい』
「冗談でしょ。そもそも何で私がクロロのところに行かなくちゃいけないのよ」
がいれば何かと退屈しない』
「嫌よ。いいから早く振り込んでよ」

本当に念を封じられているのかと疑ってしまうほど呑気なクロロに、も次第にイライラしてきた。もちろん本気でクロロが支払いを踏み倒すとは思っていないが、振り回されるのは遠慮したいところだ。そもそもは裏の人間相手に仕事をしているだけで、裏の世界に生きてはいない。

『なら…ひとつ情報をやる』

がイラついているのも気づいているのだろう。クロロの声が意味深な響きを放つ。

『お前の探している人間がこの街にいる』
「……っ?」
『どうだ?来る気になったか?』
「……どこにいるの」
『言っただろ。ヨークシンだ。が来るならあと10日はこの街にいてやる。でもそれ以上は待てない。言ったように徐念師を探さないといけないからな』

来る気になったら電話しろ――。
クロロはそれだけ言うとサッサと電話を切ったようだった。ケータイを握り締めるの手に力が入り、ミシっという嫌な音が鳴る。

"お前の探している人間がこの街にいる"

クロロの言葉がぐるぐると頭を回り続けている。しかし本当なのかすら確かめようがない。クロロは全部を話そうと思うなら最初から話す男だからだ。話さなかったのはに直接会って話すということだろう。

「忌々しいヤツ…」

はぼそりと呟くと、マスターに支払いをして店を出た。夕べはもっと遅くまで飲んでいたのだが、すっかりそんな気分ではなくなってしまった。

「ヨークシン、か…」

時計の買い付けに何度か行ったことがある街。そこに探している人物がいる。人気のない道を店に向かって歩きながら、は行くべきか行かざるべきかを迷っていた。もし標的を見つけた時はこの手で、と思っているが、あいにくの戦闘力は皆無である。同じ念能力者と言えど、クロロみたいな敵を圧倒するような力などないに等しい。

「はあ…無理…私に人殺しなんて…」

店の裏手――自宅の裏口に向かって歩きながら溜息交じりに独り言ちる。
には復讐を誓った相手がいた――。

この街へ引っ越して一年が経った頃、の目の前で両親が殺された。両親もまた念能力者ではあったが、戦闘する為の力はと同じくなかった。裏メニューのことをどこからか訊いて来たその男は、条件を満たすほどの念能力者ではなく。それを理由に断ったの両親に腹を立てた男は、いきなり念弾を放ちあっさりふたりを撃ち殺した。あまりに突然のことで両親は頭を破壊され即死。傍にいたことで両親の脳髄と返り血を浴びたの赤い瞳には、同じように血を浴びた男の顔と、逃げていく後ろ姿が焼き付いたまま、今日まで忘れたことはなかった。
――この手で殺してやる。
そう心に誓い、あの日以来、仕事の合間に男を探す日々が続いている。素性は分かったものの居場所までは分からず。今も探し続けていたが、クロロの話ではその男がヨークシンにいると言うのだからが動揺してしまうのも当然だった。

(世界中を盗みで飛び回っているクロロにも情報を渡しておいて正解だったということか…)

しかし、いざ見つかったとなるとも躊躇してしまう。相手は何と言っても念能力者。弱いとは言ってもよりは強い。ヘタに手を出せば返り討ちに合う可能性もある。

「誰を殺すの?」
「―――ッ」

店の裏口、ちょうど鍵を開けようとしていた時、背後から突然の声がして、は弾かれたように振り向いた。

が無理ならオレが殺してあげようか」

薄暗い小道の奥から闇をかたどったような黒い影が近づいて来た。その抑揚のない声には聞き覚えがある。月明かりの下に姿を現した男を見て、は僅かに息を飲んだ。

「…イ…イルミ…さん?」

一時間前に過去へ飛ばした男が、そこに立っていた。


関係ないけどドラマ「トドメの接吻」好きでした笑
あのドラマはキスをしたら一週間前に戻るという設定でしたけど、これを書いた時は最長一か月前にしたんですが、現実的にツラそうなので今回一週間に変更しました笑