4刻-意外な客



「イルミ」

ゾルディック家敷地内。もうすぐエントランスへ辿り着くというところで、イルミは呼び止められた。もちろん気配に気づいていたイルミは、自分の名を呼んだ祖父のいる方へ顔を向けた。

「行ったのか?」
「うん」

主語がなくても何について聞かれたのかは分かっている。すぐに頷くと祖父であるゼノはフォッフォと楽しげな笑い声をあげた。

「どうじゃった?」
「驚いたよ。話には聞いてたけど、やっぱり実際に戻りたい場所へ戻れた時は脳が数秒フリーズした」
「そうじゃろ。あれは人智を超えた力。念が強い弱いという話ではなく、な」
「ふーん。やっぱりアレ、念能力じゃないんだ。まあ…そうだよね。確かに凄い力だし色々と便利だよ」

それゆえ興味を持った。あの力を持ってすれば色々と使い道はあるし、自分の都合の良い方へ未来を変えられる。

(ただ…過去へ戻す手順がどこまで真実か分からないな。彼女自身、何かまだ力を隠してる気がするんだけど…)

実際に過去へ戻され、興味を持ち、仕事を無事に終えた後で自然にあの時計屋へ足が向いた。咄嗟にお礼を言いに来たなどと嘘をついたが、イルミの目的は彼女の力の全容を知りたいという好奇心から来るものだった。

「イルミ」
「なに?」
には…手を出すなよ?」
「それは……どっちの意味で?」

家の中へ入ろうとしたイルミは足を止め、ゼノを見ないまま敢えてそう応えた。ゼノは楽しげな声を上げて笑いながら「どっちもじゃ」と言った。

「あの子はワシの大事な友人の孫じゃ。もし彼女の力が必要になったなら客として行けばいい」

ゼノはそれだけ言うと音もなく姿を消した。イルミは無言のまま立っていたが、不意に「何だ…バレバレか」と呟く。同時に強い山風が吹き付け、細くしなやかな黒髪が踊るように舞う。

「ま…それでもいいけどね」

乱れた髪を手で押さえ、誰に言うでもなく独り言ちたイルミは、今度こそ屋敷の中へと入って行った。








「ふあ…」

バスルームから出た途端、欠伸が出る。やはり夕べは嫌な夢を見たせいで快眠とはいかなかったようだ。それでもきちんと起きていつもと変わらない一日を過ごす。
の一日はまず朝風呂から始まる。寝起きで冷えた体を温め、ゆっくりと全身を起こす。それから消化の良い食事を摂り、着物に着替えて店の掃除をするという流れだった。この日も例外なく食事を終えただったが、店の掃除をする前にケータイである人物に電話をかけた。それは夕べかけても繋がらなかった相手だ。

「もう…ウボーったら何で出ないの?」

何度かけても留守電に切り替わることで、は僅かに頬を膨らませた。あのウボォ―ギンが留守電のまま放置するなんて珍しい。旅団のメンバーはいつ何時、クロロから呼び出しがあるか分からない為、滅多なことで電源など切らないと前に話してたのをも知っている。

「何か…あったのかな…」

あのクロロでさえ念能力を封じられたのだ。他のメンバーにも何かが起こっていても不思議じゃない。

「仕方ない…フィンクスに連絡してみるか」

幻影旅団の初期メンバーは全員が幼馴染だが、理由によって連絡をする相手は変わって来る。力仕事―この場合、戦闘も含まれる―の時はだいたいウボォ―ギン、フィンクス、ノブナガと決まっていた。強さで言えばフェイタンも入るのだが、彼の力は周りに影響しやすい上に短気と来ている。なのでつい単純に戦闘好きな相手を優先して連絡をしていた。

『もしもし』

フィンクスはワンコールで出た。

「あ、フィンクス?久しぶり」
『おう、か。久しぶりだな。元気にしてるのか?』
「うん、まあ…相変わらず。それより…大変だったんだね、クロロ」
『…っ団長から連絡来たのか?』
「うん、夕べ」
『じゃあ団長がそうなる前の時間に戻してくれんのかよ?団長からの連絡ってそういうことだろ?』

フィンクスも当然のことながらの能力については知っている。しかしクロロと同じく全てを知っているわけじゃない。はクロロにも説明したようにフィンクスにも念能力がない相手は戻せない旨を伝えた。

『…そっか…まあそういうことなら仕方ねぇよなぁ』
「ごめんね…。でも代わりに私も徐念師を探す手伝いはする」
『そりゃ助かる。手が多いに越したことはねえ』

フィンクスはホっとしたように言った。何だかんだとクロロを心配してるのが伝わって来る。

『ああ、それで何の用だったんだ?』
「あ、そうそう。実はクロロと話した時にね、私の両親を殺した犯人を見つけたって教えてくれて――」
『何?マジか!それでどこにいるって?』
「それがヨークシンシティらしくて」
『ヨークシンって…この前までオレらがいた街じゃねぇかっ!じゃあ…団長は鎖野郎に会った後でその犯人見つけたってことかよ』
「鎖野郎…?」
『ああ…団長の念を封じたヤツだ…。いや脱線してわりぃ。んで?』
「それで私じゃ犯人の男は倒せないから手を貸してもらおうと思ったの。ウボーに頼もうと思ったんだけど電話に出なくて。どこにいるか知らない?」

その名を出した途端、フィンクスが僅かに息を飲んだのが分かり、は「どうしたの?」と尋ねた。

『いや…その話は…団長に会った時に聞いてくれ』
「え…どういうこと?」
『とにかく…そういうことだ。まあ…代わりにオレが手伝ってやりてぇんだけど、実は今、ゲーム中でよ』
「…ゲーム?」

フィンクスの様子がおかしいのは気になったが、とりあえず話を聞くと、今フィンクスとフェイタンはふたりで世界一高値のついたグリードアイランドというゲーム内に入っていると教えてくれた。何でも念能力者の作ったゲームであり、実際に中へ吸い込まれたらしい。自分がリアルにプレーヤーとしてプレイ出来るという話だった。

「そんなものがあるんだ。で、フェイタンとフィンクスのふたりなわけ?他のメンバーは?」
『まだヨークシンにいると思うがどうだかな。多分、皆も後でゲームに入って来ると思う』
「そっかぁ…。じゃあ頼めないなぁ」
『でも、ヨークシンに来るんだろ?』

そう訊かれては一瞬返事に迷った。援護なしであの男と相対するのは自殺行為に等しい。しかし、ここで逃せば次、いつチャンスが巡って来るか分からないのも事実だ。

「行く…と思う」
『そっか。まあ、まだハッキリ分かんねぇけど、このゲーム実際にあるどこかの島かもしんねえ。だから上手く出入り出来るならと合流できるかもな』
「え、ほんと?でも期限が10日ってクロロに言われて…」
『10日か…厳しいな…。ただオジサンとオバサン殺したその犯人はオレ達にとっても仇同然だ。もし本当にソイツがヨークシンにいるならこの手で殺してやる。ああ、フェイタンもやるってよ』

フィンクスの後ろで懐かしい声も聞こえて来る。

「…フィンクス…フェイタンもありがとう…」
『オマエの両親にはオレ達も散々世話になったからな』

フィンクスはそう言って笑った。その言葉がは嬉しかった。流星街の住人達は絆が強い。同胞が殺されれば、悲しみ、怒り、殺した相手を憎む。自分と同じように両親の死を嘆いてくれるフィンクス達は、家族同然だ。
は最後にもう一度フィンクスにお礼を言ってから電話を切った。とりあえず今すぐには動けないが、ゲーム内から出る方法が見つかれば手伝ってくれるかもしれないということだけは分かった。しかし万が一のことも考えておかないとダメだ。ただクロロは会いに行かなければ男の居場所を教えてはくれないだろう。

「どっちにしろ時間はない、か。残り9日…」

ここからヨークシンシティまで飛行船で最低一週間はかかる。決めるなら遅くても明日までに答えを出さないと、クロロは徐念師を探してどこかへ行ってしまうだろう。

「…電話で教えてくれればいいのに。ほんと面倒な性格してるんだから…」

幼馴染への愚痴をボヤきつつ、は店に向かうとまず店内、そこを終えると店先にある落ち葉や風で飛んで来たゴミなどを箒で掃いていく。掃除をしながらも頭の中では、すでに旅立つことを前提に荷造りのことを考えていた。だから気づかなかった。
店先を掃いているの背後に立つ存在のことを。


「…わっ」

突然声をかけられ、は飛び上がらんばかりに驚いた。振り向くと、そこには昨日の仕事着ではなく、上品な黒紅色のシャツを着たイルミが手に大きな箱を持って立っていた。朝日を背にしていても相変わらず夜を思わせるイルミの姿に、の口元が僅かに引きつる。それでもすぐに頭を切り替えると、商売人らしい愛想笑いだけは浮かべることが出来た。

「いらっしゃいませ、イルミさん。今日はどのような――」
「これ壊れたから修理して欲しいんだけど」

言葉を遮りながらもに差し出されたのは、イルミが手に持っていた大きな箱。
呆気にとられつつも箱を受けとると、ずしりとした重みを感じた。

「これは?」
「オレの部屋にあったからくり時計なんだけどさ。時間がズレてるんだよね。前から気になってて」
「からくり時計…では見せてもらいますね。中へどうぞ」

まさかイルミが"表の客"として来店するとは思わなかった。少しばかり驚きながらも、はイルミを中へ案内した。

「では少々お待ち下さい」
「うん」

今日のイルミは特に急ぎでもないのか、前と同じように店内に飾られている時計を眺めている。その姿は腕利きの暗殺者と思えないほどのんびりしている。イルミの真意は測りかねたが、特に意味はないのかもしれない。は普段通りに仕事をしようと、すぐに預かった箱を奥の作業場へと運んだ。

「わ、立派なからくり時計…」

箱の中身を出すと、大型の壁掛け時計が入っていた。解体して中を見るとからくりは文字盤が動くタイプのようで、いわゆる電波時計の類だった。

「確かに時間がズレてる」

作業場の壁時計と自分の持っている懐中時計を確認すると、数分のズレが生じていることが分かった。故障個所がないかを見たが特に壊れている様子はない。ならば、と電波の受信器を調べると、そこが壊れかけているようだった。

「コレか…。交換すれば大丈夫そう」

原因が分かったところで、はイルミの待つ店へと戻った。

「イルミさん」
「ああ、どうだった?」

が顔を出すと、イルミはその手に砂時計を持っていた。が海外で買い付けて来たアンティークのもので、ブロンズで象られたガラスは真ん中が捻られたような変わった形をしている。イルミはそれを持ったままの方へ歩いて来た。

「やっぱり壊れてた?」
「はい。でも本体ではなく受信機が電波を受信しにくい状態まで劣化していました。きっと山の天候によって電波が受信できなかった時にズレが生じたんだと思います。でも交換すれば直ります」
「そう。良かった」

少しも良かったとは思っていなさそうな淡々とした返事をするイルミは「それで、いつ直る?」と訊いて来た。

「本日預からせて頂ければ今から新しいものと交換して今日中、または明日にもお渡しできます」
「ふーん、なら待たせてもらっていい?」
「…え?」

イルミの言葉に驚き、つい素で聞き返してしまった。

「ダメ?」
「い、いえ…」

まさか待つと言われるとは思わなかったが、はすぐに首を振って「では待合室に…」とイルミを奥へ案内した。時々はこういう客もいることにはいる。しかし時計の修理を待つより、預けて出来上がってから取りに来る者が殆どだ。イルミを案内しながら、は内心やっぱり変わってる人、と思った。

「ではコチラでお待ち下さい」

イルミを待合室へ案内し、まずはコーヒーを入れにキッチンへ向かう。前回同様、豆を中煎りにして、丁寧に仕上げていく。イルミがブラックで飲んでいたことを思い出し、砂糖やミルクといったものは今回つけずにカップを運んだ。

「どうぞ。もしお代わりが必要になりましたら、ここからどうぞ」

ソファに座りながら、先ほど手にした砂時計を眺めていたイルミに、カップとコーヒーの入ったポットを置く。

「ああ、ありがとう。の淹れるコーヒーが飲みたかったんだ。オレ好みで美味しかったから」
「ありがとう御座います。では――少々お待ち下さい」
「うん」

イルミは砂時計をひっくり返しながら頷くと、言葉通り美味しそうにコーヒーを飲んでいる。あまり表情を見せないイルミの僅かな笑みを見て、はドキリと鼓動が跳ねた気がした。

「意外…あんな顔するんだ」

待合室を出てふと独り言ちる。普段、無表情の男がほんの僅かに見せた素の部分は、意外にも悪くないと思ってしまった。

「は…いけない。ボケっとしてないで仕事仕事!」

色々と考えることはあるが今は目の前の仕事に集中するべく、は作業場へと戻って行った。