5刻-夜の訪問



夜、夕飯を食べ終えると、は旅行用のトランクに必要なものを詰め始めた。
ヨークシンに行ってもフィンクス達はゲームの中から出て来られるとは限らない。しかし行かなければ犯人の痕跡さえつかめないのだ。せめてクロロから男の居場所を聞き出したかった。

(でも…まだアイツはヨークシンにいるのかな…)

ふとそんな不安が過ぎる。

「いや…いる」

もし移動したならクロロが連絡してくるはずだ。時々意味のないことを言ったりやったりするが、に対して嘘はつかない。特に殺されたの両親に関することならば尚更だ。

「絶対に見つけてやる…」

両親を殺した後、悲鳴を上げたを睨みながら慌てるように逃げて行った男の姿を思い出しながら、は強く拳を握り締めた。
あの時、自分に力さえあれば、追いかけて行けたのだ。いや、今の能力をもし使えていたならすぐにでも時間を戻し、ふたりを助けることが出来たはずなのだ。しかし当時にその力はなかった。祖父が不在だったことも災いした。それが何より悔しかった。
その時――突然チャイムが鳴り、はドキっとして裏口の方を見た。

「誰…こんな時間に…」

時刻は午後10時を回っている。こんな時間に店ではなく、自宅のある裏口のチャイムが鳴ることは滅多にない。一瞬だけイルミの顏が過ぎった。

「もしかして…時計動かなかった…とか?」

昼間、からくり時計の受信機を新しいものに交換して返すと、イルミは修理の支払い、そして「これ気に入ったから買うよ」と手にしていた砂時計を買って帰って行った。
これまでの動向を考えると、この時間に突然現れても不思議ではない。一瞬のうちにあれこれ考えていると再びチャイムが鳴り、は警戒しながら裏口へと向かった。

「…ワシじゃ」
「え…ゼノさん…?」

の気配を察知したのか、ドアの向こうからよく知った声がして、はホっと息を吐いた。そう言えばゼノも時々気が向くと、こうして突然訪ねて来ることがある。その辺はイルミと似てるかもしれない。

「ゼノさん、どうしたんですか?」

ドアを開けると、ゼノ・ゾルディックが酒瓶の入った袋をかかげてニヤリと笑った。
一見小柄な老人だが、一皮むけば恐ろしいほど強力な能力を秘めているらしい。しかしゼノはに暗殺者の顏を見せたことがなかった。

「暇で散歩しとったんじゃが…と一杯飲みたくなってな」
「え、」
「忙しいか?」
「あ、いえ。どうぞ」

ちょうど報告したいこともあったは快くゼノを中へ招き入れた。買って来たばかりの美味しいチーズもある。

「ゼノさん、チーズ食べますか?モッツアレラチーズ買って来たからカプレーゼにしましょ」
「おぉ、いいねえ」

ゼノは勝手知ったるは何とやら、慣れた足取りでリビングへ向かうと、ソファに座り、ワインのボトルを用意した。そこへがグラスを運んで来る。

「ゼノさんの持ってくるワイン、いつも美味しいから楽しみ」
「今日のはヨークシンで手に入れたもんでの。ワシも初めて飲むんじゃ」
「え…ヨークシン…に行ってたんですか?」

最近よく聞く名前だ、と思った。ゼノはワイングラスにワインを注ぎながら、意味ありげな視線をへ向けた。ふわりと赤ワインの豊潤な香りが鼻をつく。

「ちょっとした仕事でな」
「そう、ですか。無事に終わったんですか?」
「いや…まあ…無事にというか…」

言葉を濁すゼノを見て、は「あ、チーズ持ってきますね」と話題を変えた。元々ゼノは自分の仕事の内容を話すようなことはしない。も敢えて聞いたことはなかった。すぐに冷蔵庫からチーズとトマト、そしてオリーブオイルを用意しながら手早くカプレーゼを作る。最後に塩と胡椒で簡単に味付けし、バジルを乗せた。お手軽なサラダであるが、これがワインによく合う。

「お待たせしました」
「ほぉ、美味そうじゃ」

ゼノはの分のワインも注いでグラスを差し出す。色身を見れば少し若そうだが、香りはの好みだった。

「では乾杯」
「乾杯。頂きます」

軽くグラスを合わせ、ワインを少しだけ回すと更に香りが引き立つ。ゆっくり舌へ滑らすように飲めば、フルーティな味が口内に広がった。重すぎず軽すぎず、ちょうどいい。

「ん、美味しい!」
「うん、まあ若いが、これならグイグイ飲めそうじゃな」

ゼノも満足そうに笑みを浮かべると、早速フォークをカプレーゼに伸ばしている。それを見ながらは例の話を切り出そうとした。だがそれより先にゼノがふとを見た。

「そうじゃ。そう言えば孫のイルミがここへ来たじゃろ」
「え?あ…はい。先ほどからくり時計を修理して欲しいって…」
「は?からくり時計…」

キョトンとした顔のゼノを見て、も「え?」と首を傾げる。その話じゃなかったのか、と思いながら、その前のことを言ってるのだとすぐに気づいた。

「あ、もしかして…裏メニューの件ですか?」
「そうじゃ。しかし…さっきと言っとったが…今日もイルミが来たのか?それも表の客として?」
「はい。部屋に飾ってたからくり時計の時間がズレてるからって」
「ほぉ…からくり時計ねぇ…イルミがそんなもん気にするとは思えんが…」

ゼノは苦笑交じりで言いながら、ワインを飲みほした。しかし実際イルミはからくり時計を持ってきて直して欲しいと言って来たのだ。そして言われた通り修理したものを受けとり、普通に帰って行った。他に何か用事があったようには見えなかった。

「まあ…の能力に随分と驚いて興味を持ってたからの…それでかもしれん」
「そう、なんですか?そう言えば…過去に飛ばしたすぐ後にもここへ来て、お礼を言われました」
「何…?イルミが…礼を?」

更に驚くゼノに、もギョっとした。やはりあれは祖父のゼノから見てもおかしな行動だったのだろうか、と不安になる。しかしゼノは何故かニヤリと笑みを浮かべて新たにワインを注ぎだした。

「なるほど…興味を持ったのはの力だけじゃないかもしれんのぉ…」
「…え、どういう意味ですか、それ」
「お主自身に興味を持った、ということかもしれんぞ?」
「…は?」

今度はが驚く番だった。何の冗談だと笑ってしまいそうになったが、意外にもゼノの顏は真剣だ。

「そんなに驚くことか?イルミも暗殺を仕事にしているが年頃の男じゃからの。可愛いおなごと知り合ってその気になったとしても不思議じゃない。イルはより一つ上だったかな…ふむ」
「え、ちょ、ちょっとゼノさん、何言ってるんですか…。確かにイルミさんは今日も来たけど、ゼノさんが言うような感じじゃなかったです」
「いや分からんじゃろ。イルミの本心なんて。そもそもワシでもイルミの考えてることは分かりづらいからの」

そう言われると確かに分かりづらい。何せあまり感情が表情に出ないタイプなのだ。
同じゾルディックでもゼノとは全くタイプが違う。

「でも…ゼノさんが言うような感じじゃ…」
「まあ…どちらにせよ、ないとは思うが、万が一イルミが何か悪さでもしたなら思い切り引っぱたいてくれてかまわん」
「む…無理ですよ!ゾルディック家のエリートを引っぱたくとか…私の命がいくつあっても足りません」
「いやいや…ターゲットでもない女の子に手を上げるような男じゃないから安心せえ」
「………」

ゼノは楽しげに笑っているが、はちっとも笑えない。あの闇を象ったような禍々しいオーラを前にして何の戦闘力もないが抗えるはずもない。

「ところで…何かワシに話したいことがあったんじゃないのか?」
「え…?」
「いや、さっきそんな顔をしとったから」

気づいてたのか、とは内心苦笑した。ゼノはの両親が殺されたことも知っている。そして祖父のナキに「ワシが殺してやろうか」と提案したこともあったようだ。しかしナキはそれを断り、自分でカタをつけると話してたらしい。今もナキがここへ戻らないのは犯人を捜しているからなんじゃないかとは思っていた。でも未だに見つけたという連絡はない。ナキはケータイの類を持っていないので、から連絡を取ることは出来なかった。

そんなこともあり、ゼノには犯人が見つかったことだけは伝えようと思ったのだ。は簡単にクロロから教えてもらった情報をゼノに話した。先日まで自分が滞在していたヨークシンにいると聞き、さすがのゼノも驚いていた。

「そうか…あの街になぁ…」
「あの国は広いし人も多い。犯罪者にはうってつけの街ですもんね」
「ああ。マフィアンコミュニティが仕切ってるくらい警官などもアテにはならん場所じゃ」

マフィア。そう聞いては思い出した。犯人の男は両親を殺す前、何故過去に戻りたいのかという理由を話していた。当時その男はマフィアのボディガードをしていたようだが、雇い主が自分のミスで殺されてしまったという。そこで時間を戻せる能力者の話を聞き、ここへとやって来たのだ。

"雇い主が殺されてしまう前に戻りたい"

男の依頼はそれだった。けれど、その時の男は念能力が弱かったことで、両親がその依頼を断った。それに逆上したのは、男が自分のミスで主が殺されてしまったことを絶対になかったことにしたかったからだろう。ただの自業自得なのに、自分の保身のために過去へ戻りたかった男は、断られた腹いせにあっさりとの父と母を殺した。あまりに身勝手な理由だ。

「それで…はヨークシンへ行くのか?」
「……はい。そう考えてます」
「しかし…相手は念能力者じゃろ。お前さんひとりでどうにか出来る相手じゃない」
「分かってます…。一応、古い友人に頼んではいるんですけど…」
「古い、とは流星街の?」
「はい。でも今、ちょっとすぐに駆け付けられない場所にいるみたいなので、行ってみないことには分からないんですけど…」

ゼノはの話を聞きながら「うーん…」と腕を組み、目を瞑って何やら考えているようだ。だが不意に目を開けると「よし」と軽快に手を打った。

「ならやはりワシが手伝おう」
「……えっ」
「以前ナキには断られたがの。男の居場所が分かったのならナキを待ってる時間はないじゃろ」
「で、でもまさかゼノさんに頼むわけには…」

それ以前にゾルディックに殺しの依頼をしたら、いったいいくらの報酬を要求されるんだろう、とそっちの方が気になった。絶対に数千万じゃ済まないはずだ。

「友人の大切な孫をみすみす危険な目に合わせるのは忍びない。いいからワシに任せろ」

ゼノはそう言いながら、最後に「ああ、報酬はいらん。これはワシ個人で引き受けるからの」と付け足し、ニヤリと笑った。