6刻-同伴者



ゼノがを尋ねて来た夜が明けて今日。はやるべきことを済ませ、旅支度を終えると、ゼノが迎えに来るのを待っていた。親の仇がヨークシンにいると話し、ゼノが手伝うと約束してくれたことでも決心がついたのだ。ただ天下のゾルディック、それも現当主シルバの父でもあるゼノを個人的な復讐、かつ無報酬で連れ出していいものなのか、と未だに悩むところではある。祖父のナキから聞いた話では当然ゼノはかなりの使い手であり、かの有名なハンター協会の会長とも親交があるということだ。そんな凄い人が一般庶民の個人的な復讐に付き合ってくれるとは思わなかった。

「はあ…お爺ちゃんにバレたら怒られそう…」

ゼノ曰く、ナキには一度協力を持ちかけて断られていると言っていた。なのに孫が勝手に受けたとなれば、ナキの意向を無視してしまうことになってしまう。

(いや…でもこの機会を逃せば、次いつチャンスが来るか…)

こうして支度も終えてゼノを待っている間も、の中にそんな葛藤があった。はどうしても犯人の男に罪を償わせたかった。そう、それに肝心な時、傍にいない祖父も悪い。ケータイさえ持っていない相手には連絡のつけようもないのだから。はそう開き直ることにした。

「やり忘れたことはなし、と…」

何となく落ち着かない気持ちながらは最後に店内の戸締りを確認した。しばらく休むことは張り紙に書いて表のシャッターに貼ってある。後は家を出る時の戸締りくらいだろうか。そんなことを考えながら廊下奥の自宅へ続く扉を開けた時、裏口のチャイムが鳴った。

「ゼノさんだ…」

時計を見れば午前10時。行くと言っていた時間通り、というよりも正確すぎるほどピッタリにチャイムが鳴り、は慌てて鞄を持つと裏口へと向かった。

「おはよう御座います。ゼノさん――」

ドアを開け、笑顔で挨拶をしただったが、目の前の人物を見た瞬間、その笑顔が固まった。

「や」

相変わらず表情とは裏腹な様子で、片手を上げて軽く挨拶する人物に、は口元が引きつってしまった。

「イ…イルミ、さん?えっと…すみません…今日からお店は休みで――」
「うん、知ってるよ。ヨークシンに行くんだろ?じいさんから聞いてる」
「え、では…今日はどんな用件で…」
「ああ、だからじいさんの代わりにオレが行くことになったから」
「………」

イルミの一言にの瞳が何度か瞬かれる。そしてたっぷり数秒経った頃。

「……え?」

ようやく驚きが声となって口から零れ落ちた。

「ん?オレじゃ不満?」

唖然としているを見て、イルミが首を傾げる。は「まさか、とんでもない!」と慌てて首を振った。それにしても何故ゼノの代わりに?と当然の如く疑問が湧く。

「でもゼノさんは……」
「ああ、じいさんは仕事が入ったらしくてね。だからオレに話が回ってきた」

イルミがそう説明し終えた時、のケータイが鳴った。

「ああ、きっとじいさんからだよ」

イルミに言われてすぐにケータイを開くと、確かに電話はゼノからだった。内心困りながらもすぐに出ると『やあ、すまんかったのー』と呑気な声が聞こえてくる。

「ちょ、ちょっと待ってて下さいね。―――ゼ、ゼノさん…!いったい…どういうことですか?」

イルミに待つよう頼みながら、は一度家の中へ入ると小声でゼノに尋ねた。朝から悪い冗談だ。

『それがのー。どうしても断れん仕事が舞い込んでな。ワシが困ってたらちょうど仕事を終えたイルミが帰って来たんで頼んでみたら行くと言ってくれたんで任せたんだが…ダメじゃったかの』
「ダ、ダメっていうか…知り合ったばかりで良く知らないし、これからの長旅をふたりきりでするのは…」
『いやターゲットのいる場所さえ教えてくれたらイルミだけで行かせるんじゃが…それは無理だと言うてたしな』
「…それは…はい」

出来ることならもターゲットの居場所を知りたかった。しかし情報をくれたクロロはが行かなければ詳しい場所を教えてくれないだろう。それはきっとひとりで無茶をしないようにというクロロの配慮なのかもしれない。それともクロロまでが復讐を手伝ってくれようとしてるのか。

「すみません。情報をくれた相手が変人で私が行かないことには居場所を教えてくれないと思います…」
『そうじゃったな。まあ…イルミも変わってるが、道中オマエさんのことは守ってくれるだろうし仕事はキッチリしてくれるはずじゃ』
「あ、でも報酬が…」
『ああ、そのことなら大丈夫。ワシがイルミに支払うことになってる』
「えっ?ダ、ダメです、そんな――」


慌てて断ろうとしたの言葉を、ゼノが静かに遮った。

『断らんでくれ。今、ソイツを逃がせば次のチャンスが回って来るのがいつになるか分からんのだろ?もう時間もない』
「ゼノさん…」
『これでもオマエさんの両親とはワシも懇意にしとったし犯人に対して怒りはある。まあ…年寄りのお節介と思ってイルミを連れて行ってくれんかの』

ゼノの言葉は優しい響きを持っての心に入って来た。こうまで言ってくれるゼノの好意を無下にするわけにはいかない。この礼は倍にして返そうと思いながら、ゼノの気持ちに感謝をした。

「分かり…ました。ではお言葉に甘えさせて頂きます。ありがとう、ゼノさん」
『礼などいらん。まあ、次に裏メニュー頼みに行った時に少しばかりまけてくれるだけでいいわい』
「はい、もちろん」

楽しげに笑い声を上げるゼノに、も釣られて笑う。

『じゃあ気をつけて行っておいで。イルミにくれぐれもを頼むと言ってあるからの』

そこで電話が切れた。は小さく深呼吸をすると、もう一度「ゼノさん、ありがとう…」と呟く。ゼノの優しさが身に沁みた。両親が殺され、頼りたい祖父も不在。はひとりで店を切り盛りしてきたが、住み慣れない国で本音を言えば心細かった。
その寂しさを紛らわせてくれたのがゼノだった。時々会いに来ては夕べのように他愛もないお喋りをして、実の孫のように可愛がってくれる。それだけではひとりじゃないと思える夜もあった。

「全く…ナキおじいちゃんより私のおじいちゃんっぽい」

苦笑交じりでボヤくとはケータイをバッグにしまい、イルミの待つ外へと出た。

「じいさん、なんだって?」

イルミはに気づくと、淡々とした様子で訊いて来た。

「あ…イルミさんとヨークシンに行けと…」
「そう。で…は納得したの」
「はい。あの…どうぞ宜しくお願いします」

先ほどは驚き過ぎて失礼な反応をしてしまった。反省しつつ、今度はきちんと頭を下げると、当のイルミは特に気にしていないのか、相変わらず何の感情も乗せない顔で振り返った。

「うん。じゃあ行こうか」
「あ…はい」

あっさり言って歩き出したイルミを見て、はすぐに家の戸締りをしてから追いかけた。ここから空港へ行き、飛行船でヨークシンまで移動する。と言っても到着するのはギリギリ約束最終日の夜だ。間に合うだろうかと不安になりつつ、イルミについて行くと、そこには車が一台止まっていた。黒のセダンタイプのその車は一目で高級車と分かるほど手入れも行き届いていて、ゾルディック家の乗用車らしかった。

「乗って。飛行場まではこれで行くから」
「はい」

は荷物を抱えたまま助手席へと乗り込んだ。イルミが運転席へ乗ったところを見ると、彼が運転をするのだろう。エンジンをかけたイルミはすぐさま車を発車させた。しかも物凄いスピードで。

「…ひ…っ」

あまりのスピードでの体がシートに張り付く。イルミがチラっとに視線を向けた。

「朝の道は混むんだ。少し飛ばすよ」
「は…はい」

先に言って欲しかった、と思いつつ、笑顔で頷いたものの口元は僅かに引きつってしまった。言葉の通り、イルミはアクセルを踏み込むと、ぐんぐんとスピードを上げていく。シートベルトはしていても怖いものは怖い。は血の気の引く思いでドアの上にあるグリップにつかまった。しかしイルミのドライビングテクニックは相当なもので、他の車を上手く避けながらスムーズに走らせている。この速さだと11時の乗船時間にも余裕で間に合いそうだ。
イルミは相変わらず無表情でハンドルを握っている。その横顔を盗み見ながらは不思議な気持ちになった。知り合ってまだ三日ほどの相手と二人旅をすることになるなんて思わない。

「何?」
「…え?」
「オレの顏に何かついてる?」
「い、いえ…」

前を向いたままイルミが口を開き、は慌てて視線を反らす。最初の印象よりも怖さは感じなかったものの、改めて間近で見ると本当に綺麗な顔立ちだなと、少しだけ見惚れてしまったのだ。外した視線を手元へ移せば、長くしなやかな指先が器用にハンドルを切っていく。

「その後、からくり時計の調子はどう、ですか?」

ふと思い出し、当たり障りのない話を振る。密室の中での無言状態は変に緊張してしまうのだ。

「うん、調子はいいよ。おかげさまで」
「そうですか。なら良かったです」

は笑顔で応えながらも、イルミは今回の仕事をどこまで聞いているのか気になった。以前、イルミに「誰を殺したいの」と訊かれている。その時はつい誤魔化してしまったが、もし今回のことをゼノから聞いていればあの時の話が嘘だと気づいたはずだ。としては少し気まずかった。

「あ、あの…イルミさん…」
「イルミ」
「え?」
「イルミでいいよ。今のオレは君の客じゃない。は今、オレの依頼人だろ」
「え…」

が視線を向けると、イルミもの方へ顔を向けた。もろに目が合い、ドキリとしたはすぐに目を伏せる。普段は表情のないイルミの顔に、ほんの僅かな笑みが浮かんでいたせいだ。

「じゃ、じゃあ…イル…ミ」
「うん、何?」

イルミは相変わらず車を飛ばしながら応えた。

「その…ゼノさんからはどこまで聞いてるんですか?」
「依頼内容?それともターゲットのことかな」
「…ど、どっちもです」
「まあ…今回は依頼人も同行するっていう変わった内容で、しかもターゲットの居場所はヨークシンについてからじゃないと分からないっていうこれまた変わった依頼だって聞いてるけど」
「う…ご、ごめんなさい。変な…依頼ですよね」
「別にいいよ。どんな内容でもオレがやることは変わらない」

淡々とした表情で淡々と応えるイルミは、特に気にした様子もない。はホっとしつつ、クロロにイルミの存在を伝えておいた方がいいだろうかと思った。今朝起きた時に"今日そっちへ出発する"というメッセージは送っておいたが、同伴者がいることは伝えていない。クロロが今どんな状況にいるのかは分からないが、きっとだけが来ると思っているはずだ。

(でもクロロのことだから私以外の人間がいると知ったら姿は見せないかも…。そうなると困るし…)

とりあえずヨークシンに到着するのは一週間後だ。それまでゆっくり考える時間はある。

「ほら、見えて来たよ」

イルミの言葉にハッと顔を上げると、前方に空港が現れた。時刻は10時45分。どうやら乗船時間には間に合いそうだ。がバッグをぎゅっと抱えるのと同時に、イルミは更にアクセルを踏み込んだ。


※調べたところ、パドキアからヨークシンまで飛行船で行くのに3日じゃ無理だろうという感じなので移動を一週間、クロロの待つ期間を10日に変更しました。