8刻-本当の依頼と思惑



旅立ち前夜――。


「"傍観者ぼうかんしゃ"…?」

イルミは興味深げに、祖父ゼノへ視線を向けた。

「うむ」

ゼノは腕を組みながら深く頷いた。その顏はほんのり赤く、かすかに酒の匂いもする。しかし酔っている様子はなく、帰って早々イルミを屋敷のリビングへ呼び出した。

「ナキやのような時を戻す一族達は大昔から存在した。じゃが…それを良しとしない者達がいる。それが"傍観者"達じゃ」
「そいつらは…どんな奴らなの」
「彼らは自然の摂理を最も大事と考える。起こること全て運命のまま受け入れろといった感じでな。あくまで何もせず、ただ傍観する。ナキと知り合ったのはワシのターゲットがたまたま"傍観者"の一人で殺しに行った時じゃった」
「…へえ。で、そのターゲットは」
「ワシが殺した。抵抗すらせず、自らの運命だと受け入れてた。そんな人間は初めてじゃからの。少なからずワシも驚いたもんだった」

人が自分の死に突然直面した時、覚悟があるないに関わらず、本能でそれを阻止しようとする。逃げる者、抵抗する者、反撃に出て来る者。それぞれの違いはあれど、人は本能で死を拒絶しようとする。しかしゼノが殺しに行った"傍観者"はどの反応も見せなかった。

「そんな彼らが時を戻し、これから起こることをひっくり返してしまうかもしれない一族を放っておくはずはないだろう?」

ゼノの話を聞きながら、イルミは何かを考えこむよう顎に指をかけた。

「…そいつらが彼女たちの一族を?」
「そうじゃ。ワシとナキが出会う少し前、ナキ以外の一族は彼らに皆殺しにされた。ナキはワシが殺した"傍観者"を殺しに来たんじゃよ」
「…それっていつの話?」
「オマエが生まれるずっと前じゃ」

ゼノは遠い日を思い出すよう目を閉じた。

「彼らはその名の通り、ただ傍観する。目の前で起こったあらゆる事象を受け入れるべきという考えじゃ」
「ふーん…なら無理やり運命を捻じ曲げるかもしれないのような能力者は邪魔だろうね」
「そういうことじゃ。今のナキは復讐者じゃが、そのナキもまた、未だに命を狙われておる。だからこそ、娘夫婦と孫を置いて家を出た」
「…彼女とその両親を守る為に?わざわざこの国に移り住んで…じいさんに彼女の護衛を頼んだのは彼なんだろ」
「………」

イルミの問いにゼノはしばし黙り込むと、ゆっくり首を振った。

「ここへ移ることもを守ることもワシがナキに言い出したことじゃ」
「ああ…彼の力を利用しようと思ったんだ」

イルミの言葉を、ゼノは否定しなかった。かすかに苦笑いを浮かべると、

「否定はせん。最初はナキの力が使えると思った。じゃがの…」

そこで言葉を切ると、ゼノは思い出すように遠くを見つめた。死を覚悟した鋭い視線を、正面から受け止めた遠い夜のことを。あれは底冷えのする雪の夜だった。
そして――彼の復讐は、まだ終わってはいない。

「ワシは…アイツが気に入ったんじゃ」
「…気に入った…」
「自分の中にある信念を貫こうとする人間はワシみたいな人間からすれば眩しいんじゃよ。ハンター協会の会長も然り」
「へえ…じいさんにもそんな感傷があるんだね」

イルミは少し笑ったようだった。表情が変わらないので分かりにくい。
ゼノはイルミの言葉に思わず顔をしかめた。

「当たり前じゃ。仕事で殺しはするが、人間らしさは捨てたくないからの。暗殺が仕事だからと言って殺戮マシーンになる必要はない」
「………何が言いたいのさ」

今度はイルミがムっとしたようにゼノの視線を受け止めた。ゼノは溜息を一つ零し、気を取り直してから言った。

「今回オマエに依頼したいことは二つ。を"傍観者"から守ること。そして安全にヨークシンへ運び、ターゲットを殺すこと」
「…守るって…護衛ってこと?」
「そうじゃ。まあ本来、ワシらは殺す側じゃ。しかし…今回は彼女が現地に行かないとターゲットがどこに潜伏しているのか分からんらしい。彼女を一人でこの国から出すのは心配での」

ゼノがナキ一家をこの国に住まわせたのは"傍観者"から守る為だった。ナキがゾルディック家に"傍観者"の全滅を依頼したという嘘の情報を流し、国の上層部にも手を回し、パドキア共和国に"傍観者"達が入れないようにもしてある。その中での両親が殺されたのはいわば不測の事態。犯人は"傍観者"ではなかった。自分から守るとナキに誓ったのに、娘夫婦を守り切れなかったことを、ゼノは未だに後悔していた。
だからこそ残されたのことを常に見守って来たのだ。

「ふーん。事情は分かった。でも…何でオレに?じいさんが行くと約束したんだろ?彼女に」

イルミの問いにゼノは少しの間黙っていたが、不意にニヤリと笑みを浮かべた。

「いい機会だと思っての」
「…何の」
「オマエ、に興味を持ったんじゃろ」
「………」

感情のないイルミの顏にほんの僅か動揺が見てとれて、ゼノはかすかに笑った。

はいい子じゃ。あんな子がウチに来てくれたら楽しくなると思っての」
「…は?それ…どういう意味さ」

珍しくイルミがギョっとしたように猫のような黒目を大きく見開いた。いつも祖父が突拍子もないことを言いだすのは知っていたが、今回は今までの比ではないくらいに驚かされた。

「そろそろイルミもたった一人、大切な存在を傍に置いてもいい年頃じゃろと思っての」
「オレにと結婚しろって言ってるの」
「まあ…ワシの願望じゃ。そもそもオマエが女の子に興味を持ったところは初めて見たんでな。適当に遊んでるみたいじゃがオマエ、初恋すらまだじゃろ」
「…そういうの余計なお世話って言うんだよ。それにオレは…」

あまりに強引な祖父にイルミは今度こそ顔をしかめたが、ふと言葉に詰まった。暗殺者にとって心のよりどころなどいらない。女は必要な時だけ相手をしてくれればいい。そのうち親の決めた相応な相手と結婚すればいいだけのことだ。

「じいさんも知ってるだろ。ゾルディック家に相応しい相手は父さんや母さんが選ぶよ、きっと」
「オマエはそれでいいのか?好きでもない相手と一生、添い遂げる覚悟があると?」

前のイルミはそんなことに興味はなかった。だから誰でもいいと父や母に言ったこともある。子孫だけ残せばいいんだろという気持ちが強かった。

「…別に誰でもいいよ。自分で相手を選ぶ必要はない」
「そうか…。まあイルミの人生じゃ。好きにしたらいい。でも…のことは頼むぞ」
「依頼人が例え身内でも正式な依頼なら完璧にやるよ、もちろん。ああ、護衛分のギャラもちゃんともらうから」
「…ちゃっかりしとるのー。家族割りはありか?」
「………」

ゼノの言葉に歩きかけたイルミの足が止まり、振り返る。その顏は――。

「なし、か。世知辛くなったもんじゃ」

イルミの無言の圧を感じたゼノは苦笑しながら、その場を去っていく孫の背中を見送った。その時、背後に僅かな気配を感じ、振り返る。

「本当のこと言わなくて良かったんですか?」

歩いて来たのはキキョウ。イルミの母親だった。ゴーグルで目元を隠しているが、綺麗な形の唇からは仄かな色気を漂わせている。

「まあ殆ど話したようなもんじゃろ」
「でも…もしイルミがその気にならなかったら?私、心配で心配で…何であんな冷めた子に育ってしまったのかしら」

キキョウのその発言にはゼノも吹き出しそうになった。イルミを育てた母親の言う台詞ではない。イルミを優秀な暗殺者に育てる為、徹底的に英才教育をしてきたのは何を隠そう、このキキョウ自身なのだから。なのに本人は自分の教育のせいでイルミが感情の抜け落ちたような冷めた男に育ってしまったことを嘆いている。ゼノはそれが面白かった。

「その時は…またその時考えたらいい。接しているうちにイルミも思い出すかもしれんしの」
「だといいんですけど…。こんなことになるなら、あの時にちゃんをウチで預かっておけば良かったんだわ…」
「あの頃はの両親もまだ健在じゃったからのー」
「そうですけど…はあ…」

キキョウは残念そうに首を振りながら戻っていく。彼女も暗殺者ながら年頃の息子を持つ母親。長男が暗殺者として優秀なのは嬉しいのだが、いかんせん浮いた話が一つもない。容姿は母親似で美しく育ったおかげか、出先で適当に知り合った女と一夜限りの関係を持ったりすることもあるというのは薄々分かってはいるものの、肝心の恋人を連れて来たことがないので、母としてはそれなりに心配しているようだ。

だがゼノからのことを気にかけていたと聞き、彼女ならば「ゾルディック家に相応しいわ」と乗り気になった。キキョウもゼノとナキの関係は知っている。が嫁に来てくれれば、あの不思議な能力も手に入り、孫の才能も期待できると判断したようだ。ゼノも最初こそ、ナキの力に興味を持った側だった。しかしナキの人柄や確固たる信念を見せつけられ、そんな野心は消えさってしまった。今は本心からナキの唯一の家族となったを守りたいと思っている。

「…ほんとにがイルミの嫁に来てくれたらいいんだがのぅ…。可愛い嫁がいれば陰気臭いこの家も明るくなるし、毎晩晩酌に付き合わせるんじゃが…」

随分と小さな野心に変わったもんだ、と自分に苦笑しつつ、ゼノはその場を後にした。