9刻-絡められた指先




"ちゃっかりしとるのー"

(ちゃっかりしてるのはどっちだよ)

ふとゼノから言われた言葉を思い出しながら、目の前でシャンパンを飲むを眺める。自分もゆっくりとロックグラスを傾ければ、カランっと中の氷が小気味いい音を立てた。

「あ、おかわり作りますね」
「…ああ、うん。頼むよ」

はイルミのグラスが空になったことに気づくと、グラスを受けとりアイスペールから氷を取って入れていく。そして酒を入れる前にマドラーで氷をかき混ぜるように回し、グラスを冷やしてからバーボンを注いだ。何とも気が利くやり方だと感心して見ていると、は「どうぞ」とその綺麗な手にグラスを持ち、イルミの方へ差し出す。

「ありがとう」

お礼を言いながらも、イルミの目はの白い手を追っていた。以前、裏メニューを頼んだ際、彼女の手に触れた時のことを思い出す。あの時は触れた場所から電流のようなものが体内を走ったことまでハッキリと。

(あれは何だったんだろう…)

未だにイルミにはよく分からない。攻撃されたのかと思ってしまうくらい初めての経験だった。もし本当に何等かの攻撃がなされたのだとしたら、一欠けらの殺意もなくはそれをやったことになる。イルミの中でそれは絶対にありえないことだと分かっている。こうして傍で観察していても、の念は戦闘力のそれとは全く違うものであり、またイルミをどうにか出来るほど強いわけでもない。言ってみればはその辺の一般人と何ら変わらないのだ。戦闘力において、という意味では。

「あの…何か?」
「…え?」

気づけばジっとの手元を眺めていたのだろう。それに気づいたが訝しげな顔をしている。イルミは軽く首を振って「何でもない」と応えた。その時、のグラスが空になっていることに気づき、さっきのお返しと言わんばかりにシャンパンを注ぎ直す。

「あ…ありがとう、御座います…」
はお酒、強いんだね」
「え、そ、そう、ですか?」

ドキっとしたようにが顔を上げる。イルミは残りを注いだことで空になったシャンパンボトルを見ながら、かすかに笑みを浮かべた。

「これ一本、ひとりで飲んでもシッカリしてるし」
「……す…すみません」
「いや、何で謝るのさ」

アルコールで赤みを帯びていた頬を更に赤く染めながら、は恥ずかしそうに俯いたのを見てイルミが首を傾げる。会ったばかりとはいえ、未だよそよそしいの態度も気になった。

(何か…警戒されてるみたいだな。じいさんが仕事で来れないんじゃなく、わざわざオレに依頼してきたのを感じ取ってるのか…?)

全くバカげた依頼だった。どうせ裏で母親も絡んでるんだろうとイルミは思う。

"早く恋人を作って家に連れて来てちょうだい"

最近、母のキキョウと顔を合わせるたび言われていた言葉だ。連れて来いと言われても、そこまでするほど感情が揺さぶられた女は今のところいなかった。出会いも仕事先で立ち寄ったバーなどが主で、だいたいが向こうから声をかけてくる。一夜を共にするくらいなら構わないが、妻にしてゾルディック家に迎え入れるとなれば、話は別だ。
それなりに暗殺者としての、またはそれに匹敵するくらい特殊な何かの資質と素質がなければならない。そう、例えばのような特殊な能力を持つ女性でなければ。

「……」

なるほど、とイルミは思った。改めて考えると、はイルミの中の絶対的条件をすでに持っていることになる。そして確かにゼノが言うように、イルミはに興味があった。美しいのもさることながら、やはり理解を超えた未知の能力は惹かれるものがある。自分に見せたアレが全てなのか、それとも他に何か違うことも出来るのか。過去へ戻るのは自分だけでも可能なのか、否か――。

(いや…他人をも戻せるんだ。当然、自分だけでも過去へ戻れるだろうな…。その発動条件はオレに見せたやり方のみなのか、それとも…)

美味しそうにシャンパンを飲んでいるを眺めながら、気づけばそんなことを真剣に考えていた。ふとが顔を上げ、目が合った。イルミは視線を落とし、グラスを持っていない方の彼女の手を見つめる。が戸惑うように瞳を揺らした。

「あの…」
「手…」
「え?」
「貸して」

言いながらの返事を待たずに、イルミはその細い色白の手をそっと握った。驚いたのか、ビクリとの肩が跳ねる。

「…あ、あの…何です、か…?」
「…ちっちゃい手。力を入れたら骨が粉々になりそう」
「……ッ」

サラリと怖いことを言われて驚いたのか、の手にグっと力が入るのを感じた。
無意識に引こうとするその手を、イルミは少しだけ力を入れて握り締める。

「ああ、怖がらないでいいよ。別にそんなことする気ないし。ただの感想」
「……は、はあ」

アルコールで赤くなっている頬が青くなりそうなほど怯えた顔をしたに、イルミは淡々とした様子で応えた。こうして握っても前のように痺れる感覚はない。目の前の弱々しいオーラを感じながら、やはり彼女には戦闘能力はないと判断した。イルミに畏怖の念を抱き、かすかながら怯えているただの女だ。

「前に裏メニューで過去に戻してもらった時さ。こうして手を握ったよね」
「…それが…何か?」
「あの時…何かビリビリっと来た気がしたんだ」
「……え?」
「君から何か攻撃を受けた気がしたから、今もそうなるのか確かめたくてね」
「ま、まさか…私そんなことしてません…!」

はギョっとしたように首を振った。イルミは「うん、それは分かってる」と返しつつ、その時と同じようにの指へ自分の指を絡めてみた。

「ちょ…」
「………」

互いの指を絡め、かすかに力を入れて握ると、は頬を赤らめて手を引こうとした。それを許さないと言うように、イルミは更に力を込める。やはり前のような感覚はない。だが代わりに絡めた指からじわりとした熱が生まれていく。その最初の時とは違う暖かいものが、胸の奥を刺激した。

「……ドキドキ、する」
「え?」
「こうしてに触れると……オレの心臓が速くなった。何でかな。こんな風になったの初めてだよ」
「な…」

は唖然としたようにイルミを見つめた。またイルミも見つめ返す。シャンパンのせいなのか、の真紅の瞳は潤んで揺れていた。イルミが僅かに握った手を引き寄せれば、の身体は簡単に傾いてイルミの腕の中へと納まる。

「イ、ルミ…っ?」

急に抱き寄せられたことに驚いた様子で、がもがく。しかしイルミはもう片方の手首も掴むと、をソファへ押し付けた。の瞳が驚愕したように見開かれる。赤い虹彩がイルミを捉えて、誘うように揺れていた。

「…言いなりはイヤだと思ったけど…今回ばかりは期待に応えてみるのも悪くないかな」
「……え?」

イルミの言葉にが戸惑いながら顔を上げると、ちょうどいい角度になる。
彼女の赤い唇に吸い込まれるようイルミは顔を傾けて、そっと自分の唇を重ねた。