11刻-宣戦布告




この国から出るな。分かったな――?

それは旅に出る時、祖父のナキが両親に言っていた言葉だ。その時は何故この国を出てはダメなのか分からなかった。しかし命を狙われ、事情をイルミから説明されたは、やっとナキの言葉の意味を理解した。

「…ちなみにさっきのは"傍観者"ではなかったよ」
「え…?」
「言ったろ?"傍観者"はパドキアに入国できない。入国管理局が厳しく徹底的に審査するからね。自分達が入国できないから多分その手の仕事を請け負う人間に依頼して空港を見張らせてたんだろうけど、まあ素人に毛が生えた程度の殺し屋だったよ」

イルミは再びバーボンをロックで煽りながら淡々と説明した。もだいぶ落ち着きを取り戻し、今はイルミが頼んでくれた暖かい紅茶を飲んでいた。

「その…事情は分かりました。今、思えば確かに祖父も私がひとりで他国に時計の買い付けをしに行くこと反対してたの思い出しました」
「これまでもウチのじいさんがに気づかれないよう護衛を付けてたはずだよ」
「そんな…言ってくれればいいのに…」
「言ったところで怖がらせるだけだと思ったんじゃない?のじいさんだって孫が怯えて暮らすことを望まないだろうし」

イルミは酒を一気に飲み干すと、また新たにグラスへ注いでいる。その様子を眺めながら、小さく息を吐いた。自分の知らないところで命を狙われ、祖父に守られていたという事実は、にとっても衝撃的な話だった。

「あの…」
「なに」
「その"傍観者"達は…どう見分ければ…」
「見ただけじゃ分からないってオレのじいさんが言ってたな。普通の一般人とさほど変わらないって。ただ…」
「ただ?」
「彼らは鎖骨の下辺り…心臓の近くに目の形を模したタトゥーを入れてる」

イルミが自分の胸元を指しながら言う。そこでは思い出した。先ほど襲って来た男の襟元を下げて、イルミが何か確認していたのを。

「奴らはなかなか手ごわいという話だね。戦闘慣れしてるとか。ただ傍観してるだけの人間じゃないことは確か」
「……そ…そうですか」

イルミの話を聞いてはふとうすら寒くなった。今まで生きて来て、自分達が狙われていると感じたことはない。命の危険を感じたことも。でもそれは予め用意された平穏だった。何もかも、家族が守られるようナキやゼノが動いてくれていた。

「怖い?」
「……っ」

不意にイルミに尋ねられ、はドキリとした。怖くない、と言えるほど強くはなれなかった。一撃で殺されなければにもまだ生き延びるチャンスはある。先ほど使った力を使えば回避も出来る。しかし、もし即死するような攻撃を喰らった場合は抗う術もないまま、死ぬ。その光景を想像するだけで身体が震えた。同時に両親の殺された光景がフラッシュバックする。父も母も、頭を吹き飛ばされ即死だったのだ。

(私も…あんな風に殺されるの――?)

両親の死はいわば突発的に起きた事故みたいなものだ。だが自分は一族の生き残りとして確実に命を狙われている。突然、死を身近に感じた瞬間だった。その時、零れ落ちた涙を伸びて来た指が拭っていく。ハッと視線を上げればイルミが目の前に屈み、の方へ手を伸ばしていた。

「泣かなくても大丈夫だよ。オマエを殺させたりしない」
「…イルミ…」

イルミの指先は冷んやりとしていた。なのに、優しく涙を拭う動作に、トクンと鼓動がかすかな音を立て、胸の奥がじんわりと暖かくなった気がする。恐怖で動揺していた心が少しずつ、落ち着きを取り戻していった。







「客全てをチェックしましたが他に不審な人物は乗船していないようです」
「そう。でも一応、オレの部屋の周りは人を配置しておいて。不審者がいたら何もせずオレにすぐ連絡ね」
「分かりました。では警備の者を数人ほど配置しておきます」
「宜しく頼むよ」

飛行船のスタッフにそう声をかけて、イルミはパソコンの乗船名簿を閉じた。偽名を使っている者がいないか、身元がハッキリしていない客がいないかを一人一人調査したが、さっき殺した男以外の不振人物はいないようだ。この飛行船はパドキア発のもので他の国からの乗船客はいない。ならば素人一人しか乗っていなかったことも頷ける。

(次の停船は隣国のミンボ共和国か…あと30分ほどで着くな…)

スタッフルームの窓から外を眺めると、遠くに航空灯火が見えて来る。すでにパドキアは出ているので、ここからが本番だ。

(多分、がパドキアを出た情報はさっきの男から"傍観者"に伝わっているはずだ。なら必ず何人かは乗り込んで来る)

ふと男が持っていたケータイに視線を向ける。イルミはそれを手にすると通話記録を開いた。男が何度かやり取りしていた番号が残っている。イルミは迷わずその番号へかけてみた。すると数秒もかからず男が出た。第一声で『やったか?』と訊いてくる。「オマエが傍観者?」とイルミは尋ねた。通話口からは僅かに相手の息を飲む気配がした。

「オマエの雇った男は死んだよ」
『ゾルディックか…』
「うん」

あっさり認めると、相手は小さく舌打ちをしたようだ。イルミは僅かに薄ら笑いを浮かべた。

「どうせ諦めてないんだろ?でも彼女は殺させない」
『………』

相手は何も応えない。イルミは言葉を続けた。

「オマエらの目的は何だっけ?ああ…起こること全て運命のまま受け入れろ…だっけ。全て自然のままにさ」
『…神が定めた運命を受け入れるのは当然のことだ…』

やっと応えた男は無機質な感じの声だ。だがイルミは笑いがこみ上げて来た。

「あははは!神だって?」
『…っ何がおかしい』
「神が定めた運命って言うなら時を戻す者がいたとしても、それさえ自然のままに受け入れたらいいんじゃない?」
『…何だとっ?』
「矛盾してるんだよね、オレから言わせると。時を戻せる者達も意味があるからこの世に生まれたのかもしれない。それをこの世から消すのは自然の摂理に反するんじゃないのかな」
『何度も過去へ戻って起こったことをなかったことにしてしまう。未来すら変えてしまうかもしれない者の何が自然なんだ!』

これまで感情を見せなかった男が初めて声を荒げたが、それさえイルミを楽しませるだけだ。

「オマエらがこれから彼女を殺すために差し向けて来る人間は確実に、死ぬ」
『……っ?』
「来なければまだ生きていられたかもしれないのに。これってソイツらの運命を捻じ曲げてるってことじゃないの」
『…大層な自信だな』
「……さて、オマエらの戯言のせいで何人死ぬかな。ああ、一人殺すたびに教えてあげようか――」

楽しげに言ったところで唐突に電話が切られた。

「あれ…切られちゃったよ」

つまんない奴とイルミはケータイをポケットへ突っ込んだ。

「…次はどんな奴が乗り込んで来るかな」

まさか"傍観者"が素人を雇うとは思ってなかったが、これでイルミに100%油断はなくなった。

(あんなんでゾルディックの目を盗んでを殺れると思われても困るしね…本気でやらせてもらうよ)

再び窓の外へ視線を向けると、飛行船がゆっくりと高度を下げていくのが分かった。

「もう、そんな時間か」

ふと時計を確認すれば午後の7時になるところだ。これから、ここミンボ共和国で新たに客を乗せる。今の電話の男が乗って来るかは分からないが、あの感じだと諦める気はないらしい。しかしイルミも次の手は打っておいた。

(一度部屋に戻るか)

は部屋へ残してあるが、あまり一人にさせておくのも心配だった。自分の命が狙われていると知り、動揺していたのを思い出す。

(結局…何で嘘を言ったのか聞きそびれちゃったな)

部屋に戻りながらふと苦笑が洩れる。忘れて来たと言っていたクレンジングクリームをバッグの中に見つけた時、何故嘘をついたのかを考えて追いかけたのだ。違和感もずっと残っていた。もしかしたら時を戻したのかとも思った。もしそうなら、何故?イルミはそこが一番気になった。しかし部屋を飛び出したところで殺し屋の殺気に気づいたのは幸いだった。

(アイツに殺されそうになって時を戻したのかと思ったけど…さっきの様子じゃ自分が狙われたことに酷く驚いてた…もし二度目・・・だったなら、あそこまで驚かないだろう。なら…時を戻したって感じたのはオレの勘違いか…)

ただクレンジングクリームのことをさりげなく聞いたら「てっきり忘れたと勘違いしてた」と言ってはいたが、それも本当かどうか疑わしい。やはり嘘を言って部屋を出るのが目的だったとしか思えない。

(オレがいたら不都合な電話がかかってきたとか、それとも別の理由か――)

ハッキリしているのは、もしが時を戻したのならそのことをイルミに隠しているということだ。もし買い物中さっきの男に襲われそうになって時を戻したのならイルミに隠す必要がないし、そもそも部屋を出たら襲われるのを分かってて買い物にも行かないはずだ。

「なら…オレが…原因?」

ふと呟く。時を戻したことをがイルミに隠しているならば、原因は自分という可能性もあることに気づいた。だが気づいたところで更に謎が深まってしまう。

「…が時を戻さなくちゃいけないことをオレがしたってこと?」

考えてみたがサッパリ分からない。だいたい、どの場面で戻したのかすらイルミには分からないのだ。

「意外と厄介な能力だな…」

イルミは軽く溜息をつく。でも、面白いと思う。仕事での予定外は嫌いだが、予想もつかないことをする人間は興味をそそられる。

「案外この依頼、楽しめそうだ」

かすかな笑みを口元へ浮かべて、イルミはゆっくり静かな廊下を歩いて行った。