12刻-兄弟



ウトウトと微睡んでいた時、飛行船がゆっくり降下していくのを感じてはベッドから起き上がった。室内にイルミの気配はない。

(まだ…戻ってないんだ)

"暗殺者を迎え撃つ準備をしてくる"とイルミが部屋を出て行ってから30分ほど経っていた。ひとりになるのは怖いと思ったが、イルミは「人を配置しておくから」と言っていた。それに――。

"オマエを殺させたりしない"

イルミの言葉を聞いて恐怖が薄れていくのを感じた。会ったばかりの男なのに、不思議と強い信頼感を覚えた。この人のそばにいれば大丈夫。そう思えたのだ。それは彼が世界的にも有名なゾルディック家の人間だからなのか、それともイルミ自身へのものなのかは分からない。ただ、を安心させてくれる存在には変わりなかった。

「…ミンボ空港…」

窓の外を見下ろせば、暗闇にいくつも航空灯火が見えて、それがキラキラと輝いている。パドキアの隣国でもあるミンボ共和国はも時々時計の買い付けをしに来ている国だ。だがそれも自分の知らないところで誰かに守られながらだったことは、少なくともに衝撃を与えた。祖父のナキもゼノもを怖がらせないよう今日まで黙っていてくれたのだろう。しかし親の仇の情報を得たがその人物を追ってパドキアを出ることを決めた時、きっとゼノはもう隠しておけないと判断した。だからこそ強行的に孫のイルミを同行させたに違いない。さすがにもう陰から守ることは難しいと考えたのだろう。
イルミに"傍観者"の話をしたのも多分こういう事態を想定したからこそ。必要とあらばにも自分が狙われていることを伝えるもやむなしといった心境だったのかもしれない。守る対象者が自分の命が狙われているのを知っているのと知らないのとでは、守りやすさが違うはずだ。知っていれば危機感を覚えるし、自らも不必要な行動はしなくなる。

「おじいちゃんてば…何でも勝手に進めちゃうんだから…」

流星街を出ると決めた時も突然だった。でもそれは背景に"傍観者"の存在があったからだと分かり、は深い溜息を吐いた。

(おじいちゃんは一族のことを訊いても何も教えてくれなかった。何で自分達はこんな力があるのと訊いても念の話しかしてくれなかった。確かにあの力にはある程度の念能力も必要だけれど、あくまで念は力を発動させる時のスイッチ的な役割でしかない。なのにおじいちゃんは私に念を教え込む中に一族の力が目覚める為の修行も課していたのね…)

一族が殺され、子供夫婦までが殺され、このままでは危険だと判断したのだろう。ナキはパドキアを出る前にの力を目覚めさせ、あの店を任せてパドキアに留めさせようとした。時計の買い付けはナキがすることになっていたが、送られてくる外国の時計に興味を持ち、自身も自分で買い付けにいくようになったのはナキも想定外だったに違いない。

「全く…信じられない…」

これまで自分は殺し屋がウロついているのを知らずにパドキアを出ていたのかと思うと改めてゾっとする。

(おじいちゃんは"傍観者"を一人残らず消すつもりだ…。今後、私が安心して自由に暮らせるように)

ナキ自身は大丈夫なんだろうか、と心配になった。もしどこかの国でナキが"傍観者"に殺されてしまったとしても、それを知る術はないのだ。ナキはケータイすら持っていない。向こうから年に数回電話がかかってくるだけで、こちらからは探しようもない。
その時、静かにドアが開き、はハッとしたように振り返った。

「あれ、起きてたんだ」
「イルミ…」
「あと数分でミンボ空港に降り立つ。どんな奴が乗り込んで来るかも分からないからは引き続きこの部屋にいて」

イルミは淡々とした口調で言うと、再び部屋を出て行こうとした。それを見たが慌ててイルミの腕を掴む。

「…何?」

に引き留められたことに驚いたのか、イルミが大きな猫目を更に大きく見開いた。

「あ、あの…イルミはどこに?」
「オレはもちろん暗殺者を探して排除する為に動くよ」
「…そ、そう…よね。ごめんなさい」

そばにはいてくれないのか、という少しガッカリした気分で腕を放す。でもそれも自分を守る為なのだから我がままは言えない。それを見ていたイルミは訝しげに眉根を寄せてを見下ろした。

「もしかして…オレにいて欲しいの」
「えっ?あ…そ、そういうわけじゃ…」

ハッキリと指摘され、は慌てたように首を振った。まるで自分が子供のような駄々をこねている気分になったのだ。何も言ったわけじゃないが、イルミの淡々とした表情を見ていると、何故かそんな気持ちにさせられる。

「大丈夫だよ。さっきも言った通りは殺させない。ただ護衛対象であるのそばにオレがいたら危険にさらしてしまうかもしれない。目の前で戦われるのも怖いだろ?」
「あ…」

の不安を感じ取ったのか、イルミはきちんと説明してくれた。確かに暗殺者はを殺しにやって来る。イルミと殺し屋がここで戦闘になればを巻き込んでしまう恐れがあるから、その前に敵を排除しようとしているのだろう。

「分かりました…私はここにいます」
「そうして。時々オレも戻って来るけど、もし何か必要なものがあれば電話して。あと部屋の電話でフロントにかければルームサービスも運んでもらえるし」
「はい、そうします」

がそう返事をした時、ガクンと振動した。どうやら空港へ着陸したようだ。イルミは一瞬窓の外へ視線を向けると、すぐにを見て「じゃあ、またあとで」という言葉を残して部屋を出て行った。

「…ミンボ空港についた…」

は窓の方へ駆け寄ると、空港スタッフが飛行船から垂れて来た太いロープを地面に設置されたフックへと繋いでいる様子が見えた。あの作業が終われば降りる客を先に下ろし、その後に新たな客を迎え入れる流れになるだろう。

(また暗殺者が乗って来る…)

そう考えるとも緊張してくるのを感じた。さっき襲って来た男も普通の一般客にしか見えなかった。でもそれもそうか、とは苦笑した。暗殺者がいかにも暗殺者ですといった格好で来るはずもない。イルミは身長もあり容姿が美しいから目立ってはいるが、その前に実力が違うのだろう。目立っていようと確実にターゲットを殺せる技量がある。でもその辺の殺し屋や"傍観者"たちは一見してそれと分からない姿で現れるはずだ。は募る不安を落ち着かせるよう両手を握り締め、祈るように目を瞑った。未だ全貌が分からない相手。優秀な暗殺者と言えど何が起こるか分からない。

「気をつけて…イルミ」

それは自分への祈りではなく、イルミの無事を願う祈りだった。







「イル兄」

イルミが飛行船のロビーで目を光らせているところへ近づいて来た人物がいた。イルミと同じような黒髪に黒目ではあるが細く吊り上がっている。高身長だが丸っこい体型。歩いているだけですでに息が上がっている。イルミはその人物を目に止めると「ミルキ」と声をかけた。ゾルディック家の次男であり、イルミの弟だ。

「例のモノ持って来てくれた?」
「う、うん。これだろ?」

ミルキはふぅっと息を吐きながら、手に持っていたジェラルミンケースをイルミに差し出した。イルミはそれを受けとるとすぐに中身を確認し「うん」と頷く。ミルキも同じ暗殺者ではあるのだが、普段は殆ど家に引きこもり、暗殺に必要な道具などを色々発明したりもしていた。だいたいは下らないと笑われて終わるようなものも多いが、時々役立つものを発明したりするのでバカに出来ないのだ。

先ほどイルミはミルキに連絡を取った。今すぐアレを持ってミンボ空港に飛べと。ゾルディック家には専用の小型飛行船があり、一人用のはそれなりにスピードが出る。飛ばして来れば自分達の乗っている飛行船と同じ時刻にはミンボ空港に来れるだろうと思っての呼び出しだった。そしてミルキはイルミに逆らえない。好きなものばかりが並ぶ自分の部屋から出るのを極端に嫌うミルキでも、イルミの命令は絶対だった。

「じいちゃんから聞いたよ。イル兄、護衛の仕事してるんだって?」
「うん、そう。でもそれだけじゃなく、ちゃんと殺しの仕事もあるよ」
「ふーん。やっぱりワケありっぽいな」

ミルキは興味が湧いたのか、そのふっくらとした頬をゆがめた。これでも笑っているらしい。

「イル兄が守ってる女…じいちゃんの愛人だってほんと?」
「…は?」

何故か小声で、しかもとんでもない言葉を吐いた弟を、イルミはポカンとした顔で見つめた。

「何それ」
「いや、だって執事の中で噂になってるっぽいよ。執事室に仕掛けた盗聴器で聞いたんだ。じいちゃんが若い女に夢中になってて、その女の護衛をイル兄に任せたって」
「………」

どこかウキウキした様子で話している弟を見て、イルミは黙ったまま今の話を二度、脳内で繰り返した。耳に入ってはきたものの、少し理解しがたい話だったらしい。そして三秒後にどうにかミルキの戯言を消化したイルミが突然、「あははっ」と笑いだす。ミルキがギョっとしたようにイルミから離れた。弟がビビって距離を取るくらいイルミが声を出して笑う姿はレアなのだ。

「イ、イル兄…?」
「じいさんの愛人?が?面白いね、それ」
「え?って…」
はじいさんの愛人でも何でもない。じいさんの友人の孫だ」
「へ?」

あっさり答えを差し出した兄に、今度はミルキがポカンとした顔をした。

(ミルって頭はいいのに時々バカなとこが玉に瑕なんだよなぁ)

まさか心の中でイルミにそう思われてるとも知らず、ミルキは「なーんだ、そっか」と安心したように笑っている。しかしイルミは今度こそ笑えなかった。

「ああ、ミル。その噂話してた奴ら消しておいて」
「あ、そーだな、うん。分かった」

そこはミルキも素直に頷く。ゾルディック家に仕える執事が家族の噂話をするなど、とんでもない愚行だ。イルミはそれだけ言うと時計を確認した。そろそろ一般客を乗船させる時間だ。

「なあ、イル兄」
「なんだ、まだいたの」

乗船口へ向かおうと歩き出した時、ミルキが追いかけて来たのを見て、小さく溜息を吐いた。

「そのって女、綺麗なの?」
「なに急に…。ミルでもそんなことが気になるんだ」
「そりゃあ…噂話をしてた執事がめちゃくちゃ綺麗だったって言ってたからさ。何でもソイツ、その女の店にたまたま買い物に行ったことがあるらしくて。その時じいちゃんが女のとこに来てたの目撃して驚いたって」
「ふーん…それで変な噂が広まったんだ」

ネタの出どころまで分かったところでイルミも納得した。執事室に盗聴器を仕掛けているのはそういった人間をあぶり出すためでもあるが、ミルキの暇つぶしの趣味にもなっているようだ。ミルキは明らかにその噂を楽しんでいたようだが、今度はに対して興味を持ったらしい。イルミはふと笑みを浮かべた。

は綺麗だよ、凄く。オレが見惚れたくらいにね」
「え…」

ミルキはまさか、といった顔でイルミを見つめた。兄が女、それも時計屋を営んでいる一般人の女に見惚れたなどと到底信じられないといった顔だ。そもそもミルキはイルミから女の話を聞いたこともなかった。

「そ…そんなに綺麗な女ならオレも会ってみたいな…」
「そう?まあ…そのうち家に連れて行くよ」
「……っ?!」

さっき以上にぶっ飛んだ答えが返って来たことで、今度こそミルキは細い目を大きく見開いた。汗がドっと吹き出して来たのが分かる。

「何してるの。もう帰って家で待機してて。ミルには他にもやってもらうことあるから」
「……う…うん。分かった。イル兄も護衛頑張って…」

ふくよかな頬を引きつらせながら、歩いて行くイルミを見送っていたミルキは、すぐに踵を翻して自身の乗って来た飛行船まで走り出す。ミルキが走るのは数年ぶりのことだった。

「イル兄が…家に女を連れて来る…っ」

たったそれだけのこと、と普通の人間なら思うだろうが、ことゾルディック家に関して言えばそれは大きな意味を持つ。

「遂に…イル兄の見初めるような女が現れた…大変だっ」

何が大変なのかは分からないが、ミルキにとっては相当な衝撃だったらしい。早速家に帰って女の素性を調べよう。そう決心したミルキは重たい体を揺らしながら飛行船へと飛び乗った。