13刻-信頼



遂に新しい客の乗船が始まった。イルミは客からバレない位置でその場を見張り、一人ひとりの念を探っていく。チケットをさばくスタッフにはミルキに持って来させた"念チェッカー"を使わせた。ミルキの発明したソレはその名の通り、念能力が高い者を感知するというもので、以前テストした結果、これがなかなかに高性能だった。ただ暗殺の仕事で使うにはそれほど必要性はないと父であるシルバが判断したため、実際に使うのは今回が初めてだった。暗殺の仕事にあまり向かなくとも、こういった大人数を秘密裏に調べる時には意外に役に立つ。しかし今のところ引っかかる者はいないのか、イルミの手にある"感知したら通知が来る"というリモコンが点滅する様子はない。

(まあ敵もバカじゃないだろう。オレがいることはさっきの電話の男が殺し屋たちに連絡をしているはず。すぐにバレないよう対策はしてるだろうな…と言ってわざとらしい絶は使えない)

モニターで客をチェックしながら、イルミは目視でも探っていた。しかしイルミが見つけるより早く、リモコンがブブっと振動し、緑だったライトが赤に点滅し始めた。モニターで確認すると、ちょうど乗船チェックを済ませて歩き出した夫婦らしき男女が映っていた。

(まずはアイツらか)

人相を確認後、イルミは船のスタッフに連絡し、二人の手荷物を検査する際、微小サイズの針を付けさせた。これもミルキの発明した一石四鳥グッズの"ニードルポインター"――ミルのネーミングセンスは0だなとイルミは思っている――という代物で、盗聴器+GPS機能+薬物投与+爆弾が装備されているらしい。一般人なら視認できない程のミクロサイズの針であり、これもリモコンで遠隔操作可能の暗殺グッズだ。盗聴器やGPS機能はターゲットを捕捉しておくためのもので、残りは殆どミルキの趣味で出来ている。まず薬物というのは弛緩剤らしく、ターゲットの動きを鈍らせ、拷問する必要があればそれ用、ただ殺すなら遠隔操作をして爆弾で吹き飛ばすといった自ら動くのが面倒だというミルキらしい武器だ。

物はなかなか優秀。ただ一つ問題なのは強者相手には使えないということだった。どれだけ隠で隠そうとも針を相手に見抜かれる危険性があり、これもまたシルバには却下されていた。しかし今回の"傍観者"は自分達だけで動くのではなく、別に殺し屋を雇っている節がある。イルミの予想ではその殺し屋たちは自分達ゾルディックよりも遥かに劣る者達だろうと思っていた。そもそもこの世界でトップにいるのはゾルディック家なのだから当然といえば当然。格下相手ならミルキの発明した"暗殺グッズ"も役に立つと考えたのだ。案の定、針を付けられた夫婦らしき男女は全くといっていいほど気づいていない。それを証拠に船内の部屋へチェックインした直後、普通に会話を始めた。

『パっと見、ゾルディックらしい人物はいなかったわね』
『ああ。でも油断するな。必ずどこかで怪しい人間を探してるはずだ』
『そうね。でもまさか夫婦という形で乗り込んで来るとは思ってないでしょう』
『まぁな。これで大金は俺達のもんだぜ』

そんな会話を聞きながら、イルミはかすかに口端を上げた。

「…ご愁傷さま」

イルミは躊躇うことなく薬物投与のボタンを押した。イヤフォンから男女の話し声が途切れ、代わりに苦しげな呻き声が聞こえて来る。そこでイルミは船のスタッフに部屋番号を伝え、男女を拘束しておいてと頼んだ。その間も同時進行で他に引っかかる人間がいないかをチェックし、当たりを付けた人間全てに針を仕込ませる。夫婦に化けた男女の他にイルミが怪しいと睨んだ人物は五人だった。それらは全員引っかかった時点で船のスタッフが乗船名簿をミルキに送る手はずとなっている。そこからミルキが客達の身元を洗い出していくのだ。イルミにこれほど頼りにされたことのないミルキは頼んだ時点で大喜びだった。興奮して通話口から鼻息がフーフー洩れ聞こえて来たほどに。

(素直な弟は助かるよ。キルもミルくらい素直だったら可愛げがあるんだけど)

ふともう一人の弟を思い出し、イルミは溜息をついた。今はハンター試験で知り合った少年と念能力者が作ったというゲームの中にいると、ある人物から連絡は入っている。イルミの予想をいい意味で裏切り、着実に成長を遂げているようだ。父、シルバがキルアの家出を認めたので、イルミも手を出すつもりは今のところない。

(オレはオレでこっちに集中するか)

ミルキから送られて来た乗客のうち間違いなく殺し屋だという人物を確認して、イルミは静かに動き出した。







(今のとこ静かね…)

イルミに言われた通り部屋にいるは、乗船が始まって一時間経っても何事も起こらないのを感じ、少しだけホっとしていた。まさか派手にやりあうわけではないだろうが、もし殺し屋とイルミが遭遇した場合、ある程度慌ただしくなるんじゃないかと思っていた。しかし今のところそんな気配もなく、全ての客を乗せた飛行船は再び離陸しようとしていた。その作業を窓から眺めながらは喉の渇きを覚え、冷蔵庫の方へ歩いて行く。中にはミネラルウォーターや柑橘系のジュース、そしてビールなどが入っている。ふと隣を見ればバーカウンターがあるのだが、そこにはワインセラーも完備されているがシャンパンは保存方法が繊細なため、船内のカーヴにあるらしい。電話で注文しないといけないようだ。

「…お酒飲んでる場合でもないか。命狙われてる時に」

緊張状態をほぐしたいと思ったものの、イルミは危険な殺し屋を相手にしてくれている。なのに守られている方が呑気に飲酒というわけにもいかない。は大人しくミネラルウォーターを手にすると、それを冷えたグラスへ注いだ。

「はあ…眠たい…」

パドキアを出て数時間、夕べも殆ど眠っていない。さっきは恐怖でそれどころじゃなくなったが、少し落ち着いたところで急に睡魔が襲って来た。ふと振り返れば寝心地のいいベッドが自分を誘っているように見えた。

「でもダメ…イルミが戦ってくれてるのに私だけ呑気に眠りこけるなんて…」

水を飲み欲し、軽く頭を振ると、はバスルームへ行った。軽くシャワーを浴びて目を覚まそうと思ったのだ。Tシャツとジーンズを脱ぎ、熱いシャワーを浴びながらメイク落としで顔も一緒に洗っていく。ふとそのボトルを手にした時、イルミに疑われたことを思い出した。

"クレンジングだけど…部屋に置いてあったポーチに入ってたよ"

そう言われた時はヒヤリとしたが、前もって用意していた答えを言うと、イルミはふーんと言うだけでそれ以上追及されることはなかった。まさかバッグのボタンを閉め忘れるという初歩的なミスをしていたとは思わなかったが、それだけ動揺していたんだろう。

(キスは回避したけど…その後はあんな空気にもなってないせいか、イルミも普通だったな)

ふと、さっきのイルミを思い出した。仕事関係の話をする時は相変わらず淡々としていて、とても急にキスをしてくるような男には見えなかった。なら何故あの時、突然あんなことをしてきたのか。にはそこが一番の謎だった。

「はあ…スッキリした」

濡れた髪を拭き、化粧水や美容クリームで肌を整えるとバスローブを羽織る。そこで思い出した。

「いけない…着替え持ってきておけば良かった…」

服などが入ったボストンバッグはイルミがクローゼットへしまっていた。仕方ない、とはバスローブのままバスルームを出るとクローゼットの中からボストンバッグを出し、中から下着や寝る時用のルームウエアを取り出した。ちょうどその時、部屋のドアが開く音がして、振り返るとイルミが立っている。一瞬声をかけようと思ったは、イルミの視線が自分の胸元から足元へ移動したのを見て、自分の恰好を思い出した。

「…きゃっす、すすみません…!」

バスローブの下は当然素っ裸だ。それほど親しくもない異性の前でするような恰好ではないと慌てて寝室へと駆け込む。

「別に気にしないけど」
「…い、いえ…着替えるので待って下さい」

リビングの方から淡々とした言葉が返って来たが、はすぐに服を着替えると、濡れた髪を手で軽く整えながらイルミのところへ戻った。

「シャワー浴びてたの?」
「は、はい…眠くて…」
「寝てていいのに。、寝不足でしょ」

イルミは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、それをグラスに注いで飲み干した。その落ち着いた様子を見ていると、殺し屋とはまだ遭遇していないのかと少しホっとする。

「でもイルミが仕事してくれてるのに私だけ寝るのは…」
「気にしないでいいよ。オレにつき合って無理することない」

イルミはソファに座ると「ああ、でもちょっと報告に来たんだ」とを見上げた。そしてふと気づいたように「あれ」と言った。

「メイク、落としたんだ」
「え?あ…ま、まあ…。あの…あまり見ないで下さい…」

イルミにスッピンを見られるのは初めてなので妙に照れ臭い。は顔を反らしながら隣に腰を下ろした。こんな風に、他人に素顔をさらしたのはいつ以来だろう。そんなどうでもいことを考えていると余計、落ち着かなくなった。

「どうして。化粧なんてしなくても綺麗なのに」

が恥ずかしがると、イルミは表情も変えないままに応えた。どう返していいのかも分からず、言葉に詰まる。だがすぐにイルミが言っていたことを思い出した。報告――とは殺し屋のことだろうか。気になったはその話を振った。

「それで…報告って…」
「ああ、うん」

が尋ねると,イルミは思い出したよう頷いた。あまり緊張も見られない。

「目ぼしい奴らが数人いたんで全員拘束したから、次の国までは安全だと思う」
「……え?」

サラリと言われ、は一瞬何の話をされてるのか分からなくなった。ジっとイルミを見つめると、彼は「だから殺し屋」と付け足した。さすがにも驚いてしまった。まだ乗船を初めて一時間しか経っていない。なのにすでに乗り込んで来た殺し屋全員を拘束したと言っているのだ。

「あ、あの…本当に殺し屋が…?」
「うん。まあ今回も"傍観者"はいなかった。みんな普通の殺し屋だったよ」

やはり淡々とした口調で説明を始めたイルミに唖然としてしまう。もちろんもイルミが優秀な暗殺者だということは理解していたつもりだが、それにしても仕事が早すぎる。

「そ、その殺し屋たちは…」
「必要な情報だけ聞き出して始末したよ、もちろん」
「そ…う、ですか…」

始末――ということは乗り込んで来た殺し屋全員、イルミは殺したのだろう。改めてイルミのことを怖い人だと思う反面、頼もしいとも思ってしまう。命を狙われるという経験したこともない状況の中、が唯一頼れるのはイルミだけだからなのか。こうして傍にいてくれることで安心感を覚える。さっきは二人きりになるのが怖かったというのに。

「何。生かしておいたほうが良かった?」
「いえ…やり方はお任せます」

自分の命を狙って来た者のことまでは考えられなかった。護衛を任せた時点で、イルミのやり方に自分がどうこう言えるものでもない。

「少し寝たら?眠そうな顔してる。ああ、ベッドは使っていいから」
「え…イルミは…?」
「オレはまだやることが残ってる。それが終われば寝るよ」

言ってイルミは静かに立ち上がった。それを見上げていたの手が、イルミに伸びそうになる。何とか押しとどめて「分かりました」と応えた。
心細いから傍にいてくれ、とは言えなかった。最初の脅威は排除したというイルミの言葉を信じるしかない。その時、ふわりと頭に手が乗せられ、ハッと顔を上げた。

「そんな顔しないで。大丈夫だから」

何も言わなくても小さな不安は伝わっていたようだ。イルミはほんの僅かな体温と笑みをに残し、部屋を出て行く。触れられた頭にそっと手をやると、かすかな温もりの余韻があるような気がした。