14刻-記憶の扉



薄暗い倉庫に無数の遺体が転がっているのを横目に、イルミは椅子へ腰をかけると殺し屋から奪った持ち物を一つ一つ確認していった。殺しの仕事をしに来たのだから、それほど所持しているものはない。偽のIDや、いくらか入った財布などが主で、依頼人や身元がバレるようなものは一切なかった。腕が悪い殺し屋でも、その辺はキッチリしているらしい。手がかりと言えばケータイの中身だが、何度かやり取りしている番号は先ほどイルミが話した男のもので間違いなく、今回はあの男が"の暗殺"を任されている者なんだろう。

「さて…次はいったいどんな手で来るのかな」

次の停船は二日後のクカンユ王国。そこは独立した国であり、それなりに入国審査は厳しい。ハンター協会と密な関係にある為、試験会場としても使われるその国で、怪しい動きをするよそ者は目立つはずだ。

(そろそろ目立つ殺し屋は使わず、自分で動く可能性が高いな…)

窓の外へ目を向けると、漆黒の闇が広がっている。そろそろ時計の針が真上を指す時間帯。イルミも多少、睡眠不足で睡魔が襲って来た。その時、待ちわびていた連絡が届く。振動しているケータイを取り出すと、イルミはそれを耳にあてた。

『あ、イル兄?』
「どうだった?」

乗客を調べさせていたミルキからの報告電話だ。

『うん。他に経歴の分からないような怪しい乗客はいなかった。全員身元がハッキリしているし名前と顔も全て一致。イル兄が見つけた奴ら以外は普通の一般客だよ』
「そう。じゃあ次の国でも頼むよ」
『ま、任せて』

ミルキが張り切ったような声色で応える。どういうわけかイルミが自分を頼ってくれている。その事実がますますミルキを喜ばせた。欲しかったゲームを逃した悔しさは、すでに綺麗さっぱり消えていた。

『と、ところでさ、イル兄』
「なに」
『その…今、護衛してる女のことだけど…』
のこと?」
『そう、そのって女、パドキアに来る前の情報が全くないんだけどさ…どういう繋がりでじいちゃんと親しくなったの』

やはりイルミが気にかけている存在としてミルキも無視できず、イルミの仕事をする傍ら、あれこれと"ゼンマイ屋"の女主人を調べてみたのだ。しかしパドキアに来る前の情報は一切なく、それが謎としてミルキの中に残っていた。

『じいちゃんの友人の孫って言ってたけど、その友人って?』
「ああ、じいさんのターゲットを殺しに来たのがのじいさんで、そこで知り合って気が合ったってことだったけど」
『え、じゃあソイツも殺し屋?』
「いや…のじいさんの目的は復讐だからオレ達とは違うよ。詳しいことは帰ってから話すし、もういい?オレ、眠たいんだ」

ミルキの好奇心に付き合うのも面倒になり、イルミは欠伸を噛み殺しながら言った。当然イルミの機嫌を損ねたくないミルキは『分かった。じゃあ』と素直に応えて電話を切った。それを確認したイルミはケータイをポケットにしまうと、すぐにのいる部屋へ足を向ける。先ほど心細いという表情で自分を見送っていたのを思い出し、自然と足が速まる。

(ちゃんと寝れたのかな)

疲れた顔をしていた。それは当然のことだろう。命を狙われているのだから安心しろと言われても簡単にはいかないはずだ。それでもイルミには安心してと言う以外に言葉は見つからなかった。そばにいて欲しそうな顔をしているのにも気づいていたが、あの時はやることが残っていたので気づかないフリをしたのだ。

(次の国まで時間はあるし…気分転換させた方がいいかもしれないな)

最初の頃よりはイルミに対しての警戒心も薄れてきているような気がする。それはそれでイルミにとっても守りやすい。部屋の入口を守っていたスタッフに戻るよう告げて、イルミはドアを静かに開けた。

、起きてる?」

部屋に入り、声をかけたが返事がない。リビングに姿はなく、寝室を覗くとベッドの端には寝ていた。近づいてみると静かな寝息が聞こえて来る。

「眠れたみたいだね」

ベッドの上にそっと上がると、の方まで這っていく。シルクのブランケットを肩までかけて、背中を丸めるようにしながら寝ている様子は子供のそれと似かよっていた。イルミはふと笑みを零すと、そのままブランケットの中へ潜り込み、体を横へ向けてと向かい合う。化粧ッ気のない無防備な寝顔を見ていると、どこか懐かしい気分になった。以前にもこんな風に女の子の寝顔をこうして眺めていたことがある。

(あれは…いつだったっけ…。オレがまだ5歳か6歳の頃…家に知らない家族が来てしばらく泊ったことがあったな…)

ふと、昔の光景が頭に浮かび、イルミは過去に想いを馳せた。その家族の中に唯一いた女の子が何故かイルミに懐き、よく後ろをくっついて来たことを思い出す。あの頃は厳しい訓練ばかりで、まだ今みたいに全てを割り切れないでいた。周りにいるのは家族と執事のみ。赤の他人とあれほど長く接したのは後にも先にもあの時だけだ。いや、当時は親戚か何かだと思っていたかもしれない。でもゾルディック家の家族以外の人間と接することは、イルミにとっては刺激的だった。

"イルミー抱っこして"

その女の子は無防備に甘えて来た。あの頃は兄弟と言えばミルキだけで、女の子と接したのはイルミも初めてだった。

(可愛かったな…あの子…。素直で純粋で、何の力もない弱々しいところが逆に良かった。守ってあげたくなるような…か弱き者。そう言えば…いついなくなったんだっけ)

一ヶ月ほど屋敷に滞在してたはずだ。なのにその家族がいつ出て行ったのか、イルミは覚えていなかった。

(そう言えば…はあの時の女の子によく似てる。あの子もルビーのような赤い瞳と髪を持っていた――)

眠っているの頬へ指を滑らせながら、ふと思う。その瞬間、頭部に電撃を受けたかのような衝撃が走り、イルミは小さく息を飲んだ。

(似てるどころか…彼女は――あの時の女の子だ!)

唐突に思い出した遠い昔の記憶――。イルミは体を起こし、上からの寝顔を見下ろした。今では顔も思い出せない女の子。なのに不思議とふたりの面影が重なる。イルミの本能が訴えていた。このが、幼い頃に会ったあの少女だと。

「…クック……じいさんも人が悪い」

思わずイルミは笑ってしまった。まさか幼い頃にと会っていたとは思わない。しかしゼノは当然そのことを知っていたはずだ。なのに何も言ってはこなかった。

「そっか…オレと君は随分と前に会ってたのか…」

再び隣に寝転ぶと、イルミは楽しそうに呟く。それはまるでお気に入りの玩具を取り戻したかのような、高揚感だった。

「だからなのかな…あの時、こうして手に触れた時、おかしな感じになったのは…」

寝ているの手を取り、細い指にそっと自分の指を絡める。それだけで懐かしいという気持ちがこみ上げてくる。そう、幼い頃、イルミはあの少女と、こうして手を繋ぎ、よく昼寝をしていた。厳しい訓練の後の自由な時間。その少女はいつも庭でイルミのことを待っていた。

"イルミー遊ぼー"

イルミが庭に現れると、嬉しそうに無邪気な笑みを浮かべて走って来る。少女は太陽の下が良く似合っていた。赤い髪を揺らし、走って来るその姿は、大人しかいない殺伐とした屋敷の中に咲いた一凛の薔薇のように、イルミには見えた。
不思議なもので、一つ思い出すと次から次へと記憶の扉が開いて行く。しかしの方はきっと覚えていないだろう。これまでそんな素振りは一切見せなかった。

(それでもいい。オレが思い出せたんだから)

の寝顔を見つめながら、そっと絡めた指を折って握り締める。とくん、とくんとイルミの心臓が脈を打つ。あまり物事に動じない性格なのに珍しいこともあるものだと苦笑いを浮かべながら、イルミはの瞼へ優しく口付けた。

「お休み…。いい夢を」

そう呟いてイルミも目を瞑る。次に目覚めた時が楽しみだとでもいうように――。