18刻-あの頃の君を語ろう



「うわーここからだと星が見える!」

ほろ酔い気分で飛行船内にある展望室へ行き、黒い絵の具で塗られたかのような空にキラキラと光る星々を見上げたは、後ろから歩いて来たイルミの方へ振り返った。

「イルミ、見て。雲一つないから星がはっきり見えるの」

無邪気に喜ぶの姿は、まるで昔と変わらない。そう思いながらイルミはふと、彼女は何一つ覚えていないんだろうかと首を傾げた。祖父に連れられ、ゾルディック家に滞在してたはまだ幼い少女で、イルミ自身も少年と呼ばれるような年齢ではあったけれど。そこはやはりあの家に他人が滞在することなど殆どなかったこともあり、一度思い出せば鮮明にと過ごした日々が蘇って来た。あの頃は妹が出来たようで、それが嬉しいと思っていたことまではっきりと。

(母さんもやたらと彼女を可愛がってたっけ。そうだ…うちの子にならないかしら…なんてことも言ってた。まあ…母さんも一人くらい娘が欲しかったみたいだし)

でも結局ミルキの後に生まれたのも男の子ばかり。ただ三男のキルアの才能のおかげで意識はそっちへ持って行かれたようだ。おかげでイルミは自由になり、後継者という重責からも解放された。結婚相手も好きに選べる。まあそれでも一般人というわけにはいかないかもしれないが。

(でもなら…)

と目の前で星を見上げている無邪気な笑顔を見つめる。の不思議な力はゾルディック家にとっても役に立つ。自身の戦闘力はなくても、それ以上に重宝する力だ。けれども、イルミはそれを抜きにしても、このという女に惹かれている自分に気づいていた。これまで色んな女と出逢ったが、彼女ほど心を揺さぶられたことはない。まして体に電流が流れるような衝撃も受けたことはなかった。ふと彼女の店で会った時のことを思い出す。窓ガラスに張り付くように星を眺めているの手を見つめながら、もう一度触れたい、とそう思った。

「…イルミ?どうしたの?」

ジっと自分の方を見ているイルミに気づいてが振り返る。アルコールのせいか、頬がほんのりと赤く染まり、無邪気な表情と相まって可愛らしく見えた。

は星が好きなの?」
「え?あ…」

イルミの問いには頷いた。

「だって神秘的でしょ。今見えてる光は何万光年も昔に光ってたものかもしれないって思うと」
はロマンティストだね」
「え…そ、そう、かな」

くすりとイルミに笑われ、は恥ずかしそうに視線を反らして、再び空を見上げた。流星街にいた頃は、何もない場所だからか、とにかく星が綺麗だったのを思い出す。夜空にびっしりと散りばめられた星の絨毯は、今もなお目に焼き付いている。叶うなら、またあの場所に戻って星を眺めたいとも思う。

「でも…確かにこの光はすでに消滅した星のものかもしれないと思いながら見ると…宇宙の神秘って言えるよね」

ふと、イルミが言った。

「…うん」
「普段まったく気にしてなかったけど……たまにはこうして空を見上げるのも悪くないかな」

どちらかと言えばイルミは現実的な方だ。目の前に答えがないものには特に興味を示さない方だった。だけど、こうしてと星を見上げていると、目に映る星が本当に神秘的に思えてくる。それが自分でも新鮮だった。
一方、はイルミが自分と同じように感じてくれたことが嬉しかった。ついでにイルミが普段は何に対して興味を持つのかも気になって来る。

「イルミが好きなものって何?」
「…好きなもの?」
「例えば趣味とか。どんなものが好き?」
「…趣味…」

ここで弟への拷問だとか、暗殺の為の道具の手入れだとか。そういった類のことを口にすれば引かれるだろうな、というのはイルミでも理解出来た。と言って、暗殺の為の修行や勉強ばかりをしてきたイルミにとって、一般的な趣味と呼ばれるようなものは何もない。ただ、そう答えることに少しの抵抗を覚える。自分がとてもつまらない人間だと思われそうで嫌だった。その時ふと、幼い頃に少女だったと一緒にやって楽しかったことを思い出した。

「…木登り」
「え…?」
「子供の頃さ。ある家族がオレの家にしばらく滞在することになったんだ」
「…ゾルディック家に…?親戚とか?」
「いや。全くの他人。ジイさんが連れて来た友達の家族だった。その家族の中に小さな女の子がいたんだ。オレは毎日のようにその子と遊んでた」
「……女の子…」
「そう。ウチの庭は広大で殆ど家の周りは森になってる。遊ぶのはもっぱらそこだった。かくれんぼをしたり、鬼ごっこをしたり、厳しい修行の合間に唯一、普通の子供としてオレが遊べた時間だった」

イルミは淡々と、でも懐かしそうに目を細めながら話している。その静かな声を聞きながら、はイルミの言う光景を思い浮かべた。

「ある日、オレが鬼になってその女の子を探すことになった。彼女が行ける範囲は狭いから、すぐ見つけられる。その日もすぐに見つけた。微弱ながらオーラも出てたしね。でもその子はどうやって上ったのか、高い木の上にいて、下りられなくなってたんだ。オレが見つけると半べそをかきながら"イルミ、助けて"って言ってきた」
「え…で、その子を下ろしてあげたの?」
「最初はそう思った。でもオレが木を登って傍に行くと、彼女はピタリと泣き止んでこう言った。"見て、イルミ。夕日が綺麗だよ"って。さっき泣いた鴉がもう笑ってる。そんな感じで満面の笑みを浮かべて夕日を指さすんだ。結局その後、一時間近くも木の上で夕日が沈むのを一緒に見てた。それからは彼女の方が木登りしたいってせがみ出して、一番綺麗に景色が見えそうな木をオレが探す羽目になって…」

と、そこまで話してイルミは言葉を切った。が驚いたように目を見開いているからだ。

「木登りして夕日…って……」

イルミの話の情景を思い浮かべていたら、自分の記憶の中にあるものと一致したのが分かって声が震えた。幼すぎて忘れていた子供の頃の記憶が、フラッシュバックのように蘇る。大きなお屋敷と広大な庭。生い茂った木々。その上から見える夕日。どれもこれもは知っていると感じた。子供の頃、木登りが好きだったことさえ、は思い出した。でも何故、イルミの子供の頃の話と酷似しているんだろう。そう思った時、自分に向かって手を差し伸べる男の子の姿が頭に浮かんだ。

――、こっち来て。

あまり笑わない子だった。だけど、凄く優しくて、本当の兄のような男の子に、はよく懐いていた。その男の子の面影が、今目の前で自分を見つめているイルミと重なる。

「…え、まさか…」

戸惑うように瞳を揺らすを見て、イルミはかすかに微笑んだ。

「…思い出してくれた?」

呆気に取られた顔を見せながらも、はその問いに小さく頷いた。