幼い頃、二人は少しの期間、一緒に時を過ごしていた。そのことにを思い出したは「信じられない」とはしゃいだように笑う。部屋に戻ってからもテンションは上がる一方で、だいぶ酔っているにも関わらず「もう一本飲まない?」とイルミにシャンパンをおねだりした。イルミもイルミでが自分のことを記憶していてくれたことが想像以上に嬉しかった。何気なく話した思い出話により、完全に二人の記憶が一致したことも。久しぶりに気分良く酔ったおかげで、イルミは部屋のシャンパンを再び抜いて、二人で何度目かの乾杯を交わした。
「でもイルミがあの時のお兄ちゃんだったなんて…え、イルミは最初から知ってたの?」
「まさか。オレも思い出したばかりだよ。はあの頃の面影があまりないから、会ってすぐには分からなかった」
「え…わたし、そんなに変わった?」
そう尋ねてくるの頬は赤く、食事の時からだいぶアルコールを摂取しているせいで、目もとろんとしている。変わったかと言われれば、そう。初めて会った時も感じたけれど、とても艶っぽく仄かな色気のあるいい女になった。普段、裏の仕事では海千山千の客たちを相手にしているであろうは、それなりに店主を演じているんだろう。でも今は色気の中にまだどことなく少女の色香も漂わせ、無邪気な微笑みを惜しみなく見せてくれている。そのギャップがイルミを楽しませた。
「あの頃も可愛らしい女の子だったけど…今のは女っぽくて綺麗になったよね」
「……え」
ストレートに、それもイルミに褒められたことでの頬がかすかに熱を持つ。綺麗と言うならイルミの方が断然に美しい。そんな男にかすかでも笑みを見せられ褒められれば、ときめかない方がおかしい。
「あ…えっと…お、おばさまは…元気?」
恥ずかしさでつい話題を変えてみる。確かゾルディック家には優しくしてくれた少年の母親もいた。父親のシルバはそれほど接触する機会はなかったものの、母親のキキョウはとイルミが遊んでいる時、よく顔を見せては美味しいケーキと紅茶を振舞ってくれたものだった。あの頃はあの家がどういった家柄なのかは一切知らなかったが、まさかあの時の優しい女性が天下のゾルディック家の奥方だったとは、も驚いてしまう。
「母さんは相変わらずかな。まあ元気だよ。3男のキルアが家出してから少し元気なかったけど、だいぶマシになった」
「…きる…あ?」
「ああ、は知らないか。キルはオレの弟で他に…弟がもう一人いる」
「え、そう、なんだ。3男ってことは…わたしが会ったあのぽっちゃりした子は違うのね」
「ミルキのこと?」
「そ、そんな名前だったような…。お屋敷で2度ほど顔を合わせた記憶があるくらいだけど…」
誰だ、オマエ――。
顔を合わせた瞬間、ミルキは開口一番そんな言葉をぶつけてきた。我が家に見知らぬ子どもがいたせいで、酷く驚いてた記憶がある。
「ミルキは未だに引きこもりで家にいるよ。まあ今回の件で少し手伝ってもらったけど。のこと、じいさんの愛人だと勘違いしてたな」
「…えっあ…愛人って…わたしがゼノさんの…ってこと?」
「うん、そう。何でも執事がの店に通うじいさんを見かけて執事の間でそんな噂が流れてたらしい。それをミルキが鵜呑みにしててね。まあ説明して誤解は解いておいたけど」
淡々と話すイルミにの頬が僅かに引きつる。自分の知らないところでゼノの愛人だと思われていたのは地味に衝撃的だった。
「ゼノさんは昔から一人残されたわたしのことを気にかけてくれてたから…」
「そうみたいだね。ったく…じいさんも説明不足で困った人だよ」
の家族がゾルディック家を出た後のことを、イルミは何も聞かされてはいなかった。急にいなくなったことでイルミはゼノに家族のことを当然尋ねたが「あの一家には平和に暮らして欲しい。オマエも当分の間は関わるな」と、そういった言葉を言われた記憶がある。きっとパドキアでの生活に慣れるまでは、自分達のような殺し屋が関わらない方がいいと考えてたんだろう、とイルミは思った。しかしの祖父は生活の為、自分達の能力を使い、裏の仕事を始めた。
(その時点でオレにくらい教えてくれてもいいのに)
と言って、イルミも日々の訓練生活に追われ、殺し屋として本格的に動き出してからは、幼い頃に遊んだ少女のことも頭の隅に追いやられていたのも事実。その間もゼノはに寄り添い、守って来たのか、とイルミは苦々しい思いをしながら、目の前のを見つめた。こうして再会してしまえば、どうして忘れていられたんだろうと思うくらい、感情が揺さぶられる。
(幼い頃、オレは確かに彼女に癒されてた…。彼女と一緒に過ごす時間だけが、唯一人間らしくいられたから)
そう、イルミは幼い頃、隣で花のように明るく笑う少女のことが、確かに好きだった。
「…イルミ…?」
手にしていたシャンパングラスをテーブルに置き、一つ分開いていた距離をそっと詰めると、はキョトンとした顔でイルミを見上げた。その表情は、幼い少女がイルミに見せていたものと重なって見える。こみ上げて来る想いを解放し、迷うことなく腕を伸ばして、イルミはの華奢な体を抱き寄せた。の細い肩がビクリと跳ねたのも構わず、少しだけ抱く腕に力を込めた。
「イ…イルミ…?」
「オマエに会いたかった」
「……え?」
「それを思い出したよ」
耳元で呟いたイルミが僅かに体を離し、の顔を見下ろす。自然とも顔を上げ、サラリと垂れる綺麗な黒髪の合間に見える、漆黒の瞳を見つめた。背中に回されたイルミの手が、優しく髪を撫でると、よく分からないアルコール以外の熱がの全身に回って、じわりと頬が赤く染まる。恥ずかしくて離れたい思いと同時に、このまま彼の腕の中に留まりたい。相反する思いが交差して、は戸惑いながらも、自分を見つめるイルミの瞳を見上げる。最初の頃よりも柔らかい表情を浮かべるイルミに、少しずつ鼓動が速まっていくのが分かった。
その時、イルミの視線がふと下がった。鼻先や唇よりも、さらにその下へ向かう視線に釣られ、もそれに倣うように視線を下げれば、そこには首から下げていた小さな砂時計。それにイルミの手が触れてドクンと鼓動が大きな音を立てた。これには能力に関係する念が込められている。それを感じ取ったのか、イルミはそれを指で弄ぶように触れながら、再び視線を上げた。
「これ…持っててくれたんだね」
「―――ッ?」
イルミの一言に目を見開く。どういう意味だと問うように唇を開きかけた時、イルミは「あれ、覚えてない?」と微笑む。この砂時計は気づけば手元にあったものだ。てっきり祖父のナキか、両親から受け継いだものだとばかり思っていた。
「もしかして…これはイルミがくれたの…?」
「うん。あの頃、簡単にの一族の話は聞いてたからね。時を戻すなんて砂時計みたいだなと思った記憶がある。それで小さなそれを見つけた時、にあげたくなった」
「え…」
この砂時計じたいに時を戻す力はない。これに能力と念を込めて初めてスイッチのような役目を果たす。別に時計なら何でもいいのだ。針時計でも電子時計でも。ただそれらのものは時間を巻き戻す際、時間のロスがある。一瞬で戻すには砂時計が一番使い勝手が良かった。もしかしたらイルミもゼノから砂時計のことを耳にしてたのかもしれない。ただこれをイルミがくれたという事実に、は驚き、同時に知らない間にイルミとこんな繋がりがあったのかと嬉しくなった。
「ごめんね…覚えてなくて。幼い頃の記憶だから抜けてる部分もあるみたい」
「別にいいよ。それにそれ、遊んでる時にが居眠りしちゃって、寝てるオマエの首にオレが勝手にかけたんだから」
「え、そうだったんだ…」
「うん。何となく…直接渡すのが恥ずかしかったのかも」
イルミは当時の自分の心情を思い出しながら、苦笑いを浮かべた。女の子という存在はが初めてで、イルミなりにどう扱っていいものか手探りだった部分もある。
「ありがとう…」
当時、言えなかった言葉を口にすると、イルミはふっと笑みを浮かべて触れていた砂時計から手を放す。その手をもう一度の後頭部に添えて髪を一撫でした。
「こっちこそ、大切にしてくれてありがとう」
普段ほとんど口にしたことのない言葉を素直に言えるのが不思議だとイルミは思う。の前だと普通の男になったみたいに、胸がドキドキするのだ。こうして触れていると、それはますます速くなっていく。
「…オレ、オマエと会ってからちょっと変かも」
「え?」
「に触れるとドキドキするんだ」
「……っ」
ストレートに物を言うイルミに、の頬がまた熱を持つ。ドキドキするというなら自分も同じなのだ。
「オレ、オマエのことが好きなのかな」
まるで他人事のように無表情で呟くイルミに、今度こそ、の心臓が大きな音を立てた。