ふたりぶんの淋しさで夜をくるむ-02



吐き出すような暴力と、蔑んだ目に晒されていた遥か昔のことなど、とうに忘れ去っていた。



1.

次の日の夜、目が覚めたら傍らに女からもらった白い花があった。

(白い彼岸花……探してるのは青い彼岸花だ。それでも…)

オレが探して来た場所には赤い花のものしか見かけなかった。白い花は初めて見る。

「………」

今のところ他に情報もない。あの女はこれをどこで見つけたんだろう。

(聞きに行くか…?それにあの近辺は夕べの鬼狩りがまだウロついているかもしれない…)

鬼狩りの忌々しい顔を思い出し、再び怒りが湧いて来る。あんなひどい傷を負わされたのは初めてだ。もしまた会った時は必ず――殺す。

いつからなのか分からない。鬼になった時からなのか、それとも人間だった頃からなのか。強さだけが全てだった。相手が強ければ強いほどに体中の熱が滾って来る。

(アイツとやるには再生能力を上げなければ、あの早い太刀筋に追いつかない――)

鬼の力を上げるには人間を喰らえばいい。喰らえば喰らうほどに力が漲るのだから。強くなれるなら何人でも人間を喰らってやる。
強さがすべて――。そう、信じていた。




2.


今宵は満月だった。他の狩場で食事を済ませた後、再びあの女のいる宿へとやって来た。辺りを探ったが夕べの鬼狩りがいる気配はなく、女のいる宿は昨夜同様、静かだった。深夜ともなれば客の男どもは寝入ったか帰った頃だろう。

「…行くか」

昨日と同じ道を辿り、大きな建物を見つける。

「確かここだったな…」

独り言ちながら、ふと窓を見上げて眉をひそめた。

「…開いてる」

窓は少しだけ開けられていた。初秋にしては今夜も蒸し暑いのだろうが、夕べの今日ではさすがに閉まっているかと思った。仮にも侵入されたのだから普通の感覚なら戸締りはしっかりするだろう。なのに女の部屋は何度見ても一寸ほど開いたままだ。

「…本当にバカなのか?」

おかしな女だとは思ったが、やはり少々変わっているらしい。

(いや、それとも…客がいるのか?)

夕べは女ひとりだったが今夜はそうじゃないかもしれない。女は遊女なのだ。客が暑いと言えば窓も開けるだろう。

「まあいい…喰いたりなかったところだ。客の男がいるなら殺して喰らうか」

軽く舌なめずりをして屋根に跳躍し、開いてる窓から中の様子を伺う。室内は静かだった。昨日と違うのは行灯の灯りが奥の部屋を照らしていることだけ。静かに窓を開け、中へ入ると奥で蝋燭の明かりの中、影が揺れた。

「…猗窩座、さん?」
「……っ?」

いきなり名を呼ばれて驚いた。揺れていた影が動き、奥の部屋から女が顔を出す。夕べと同じ白い着物を着ているということは寝るとこだったんだろう。客は止まらず帰ったのか髪は結ったままだが、化粧っ気のない顔で女は壁伝いに歩いて来た。

「やっぱり猗窩座さんだった」
「…何故分かった」

見えないのに、と言いかけた言葉を飲み込んだ。女はかすかに微笑み「匂いです」とだけ言った。

「…匂い?」
「猗窩座さんは独特な香りがするので」
「………」

鬼の匂いなんてものがあるんだろうか、と首を傾げたくなった。いや、それか血臭かもしれない。さっきも数人喰らって来たばかりだ。あの鬼狩りを倒すために。

「また誰かに追われてるんですか…?」

女はどこか心配そうに訊いて来る。少し迷ったが、やはり聞いてみることにした。

「……いや。お前に聞きたいことがあって来た」
「聞きたいこと…?」
「夕べくれた花のことだ」
「彼岸花の…ことですか?」
「ああ。あれを…どこで見つけた?」

遊郭の女はそう遠くへ出かけられないはずだ。あの花は近所に咲いてるのかもしれないと思った。案の定、女は「えっと…確かこの近くの川岸で」と言った。

「それはどこにある」
「え…どうしてそんなことを?」
「いいから答えろ」

女は少し戸惑ったような顔をしながらも、ゆっくり足を進めて窓際へ立った。

「ここから正面に建物が見えると思うんですけど…その奥に川があると、女中の子に教えてもらったんです…花がたくさん咲いてて綺麗だったって。それで先日そこへ連れて行ってもらって…」

そう言って指を指した方向を見れば、ここから数分ほどの距離だった。

「分かった」

そう言って出て行こうとした時、隣に立っていた女にいきなり腕を掴まれた。

「あの…行くなら私も連れてってくれませんか?」
「……は?何故だ」

突拍子もない申し出にギョっとした。オレが人間を連れ歩くなどありえない冗談だ。なのに女は真剣な顔でオレを見つめている。何も映さない瞳とは思えないほど、しっかりとオレを捉えてる気がした。

「私は普段あまり外へは出られません…なので時々息が詰まりそうで…。深夜なら人も寝静まって出ようと思えば出られるんでしょうけど…夜は何も見えないのでひとりでは無理なんです」
「…だからオレに連れていけと?バカ言うな。何故オレがお前のような人間を――」

と言いかけて言葉を切った。女の瞳がみるみるうちに潤んでいく。何とも言えない苛立ちがこみ上げて来た。

「何故泣く…?オレは泣くヤツは嫌いだ。弱っちい人間もな…」
「す…すみません…でも他に頼める相手がいなくて…」

女は泣くのを堪えながらも、哀願するようにオレを見つめて来る。だが突然「彼岸花…他にも咲いてるとこ知ってます」と言い出した。

「もし知りたいなら案内しますから…」
「………」

確かにその情報は欲しいと思った。けれど、それを知るにはこの女を連れて行かなければならない。オレはしばし考えこんだが今のところ何の手がかりもない。ならば少しでも可能性のある場所を探してみるのもありか?とは思う。

「……分かった。連れてってやる」
「ほんとですか?」

今まで泣いていた人間とは思えないほどの笑顔を見せた女に思わず舌打ちが出る。もしこんなことが無惨さまに知れたらと思うとゾっとした。だがその無惨さまに頼まれた花を見つける為ならば仕方ない。

「行くぞ」
「え…?ひゃっ」

目の見えない女の手を引いてやる気はない。身体ごと担いで窓から飛び出すと、女は変な声を上げた。だがバレたら困ると思ったのか、すぐに口をつぐんだようだ。

「あ、あの…猗窩座さん…」
「何だ。口を開けてると舌を咬むぞ」

軽く着地し、女を担いで最初に教えられた川に向かって走っていると、女はいきなり「お、重たくないですか…」と訊いて来た。重いどころか中身が入ってるのかと思うほどに軽い。

「重いはずないだろう。オレにとったら何も担いでないのと同じだ」
「…ち、力持ち…なんですね、猗窩座さん」
「………」

何とも的外れな答えが返って来て返す言葉に困った。この女はいったいオレを何だと思ってるんだろう。普通の人間じゃないことは夕べの件で分かっているはずなのに。

(それにしても…重さは感じないのに体温はこうも伝わるのか)

女に触れている場所全てに人の温もりを感じる。それが何とも言えず心地悪い。

「…ここか?」

女の言っていた場所は確認した通り数分のところにあった。川岸にびっしりと彼岸花が咲いている。赤いものが大半で、夕べ女がくれた白い彼岸花も数は少ないが咲いていた。

「そうです…この匂い…間違いないです」
「なるほど…匂いで分かるんだったな」

見えないのにどうやって判断してたのかと思っていたが、コイツは匂いで花を嗅ぎ分けてるようだ。女を担いだまま川岸に下りてから手を放すと、女はそのまま地面に落ちた。

「いったぁ…」
「…のろまだな。普通に着地すら出来ないのか」

未だ尻を擦っている姿を見て笑う。

「手を放すなら放すと言って欲しかったです…」

女は恨めしそうな目でオレを見上げたが、ふと何かに気づいたように手を伸ばして来た。つい条件反射でその腕を掴む。

「勝手に触るな」
「す、すみません…猗窩座さんが笑った気がしたので触れて確かめようと…」
「確かめる…?」
「はい。私、見えない分、触れたものは何となく分かるんです。人の表情とか顔つきなんかも」
「……ふん。面白い特技だな」

言いながら女を見下ろす。触っただけで分かるものなのかと疑いながらも確かに夕べはケガの具合を言い当てていたことを思い出す。ふと確かめたくなった。

「なら…オレはどんな顔をしている?」
「え…?」
「確かめてみろ」

言ってから女と向かい合う。室内にいる時よりも、満月の月明かりでハッキリと女の顏が見えた。彼女の面影はどこか懐かしさを感じさせる。女は少し驚いた顔で「触れても…いいんですか?」と訊いて来た。

「いいからやれ」

女の腕を掴んで引っ張ると、容易くオレの方へ倒れ込み、胸元に顔をぶつけたようだ。また痛いと文句を言いながらも、再び手を伸ばして来た。小さな手のひらがオレの頬や額、目元、鼻へそっと触れて来る。そのぎこちない動きに、何故か鼓動が速くなった気がした。

「…猗窩座さんは…凛々しいお顔立ちなんですね」
「そうなのか…?自分じゃ分からない」
「凄く…均整きんせいが取れてます」

女は笑みを浮かべながら、再び頬を両手で包むように触れて来た。夜風で冷えた場所が、触れられるたび仄かに暖かくなる。その感覚がむず痒いようで、さっきのような不快感は消えていた。逆に心地いいと感じている自分に少しばかり驚く。

「瞳は大きくて…まつ毛が長い…頬は…引き締まってる。口元は――」

その時、女の指先がくちびるに触れた。指でなぞるようにくちびるの形を確かめている。それはまるで口付けをされているかのような高揚感があった。鬼になってから、こんな感覚は初めてだった。くちびるから感じたこともない疼きが全身に広がっていく。人を喰らっている時でもこんな感覚にはなったことはない。

「くちびるの形も綺麗。きっと猗窩座さんは男前ですね」

女が柔らかい笑みを浮かべながら言った。

「……何を言って…オレは――」
「鬼、なんですよね」
「―――ッ」

不意に彼女の手が止まり、オレはすぐに身体を離して辺りの気配を探った。人間の女と油断していた自分に腹が立ってくる。だが女は慌てたように言った。

「心配しないで下さい。誰もいません」
「…お前……」

オレ達鬼の存在を知っている人間はごくわずかだ。警察でさえ鬼の存在を知る者は少ない。鬼狩りでもないただの遊女の口から鬼と言う言葉が出るということは、誰かからその存在の話を聞かされたからだ。

「…誰から聞いた」
「……」

女は困ったように目を伏せたが、すぐに「今日、店に尋ねて来た鬼殺隊の方からです」と応えた。脳裏にすぐ夕べの男の顔が浮かぶ。あの店辺りでオレのことを見失ったのだから聞き込みに来たのだろう。

「ケガをした者を見かけなかったか?と…うちの者たちは皆、寝入っていて知らないと話してましたが、彼は最後に私のところへ。最後の客を見送ったのが私で、その時刻に彼は追っていた相手を見失ったのだと」
「どんな奴だった」

一応尋ねると、女は夕べの鬼狩りの風貌を口にした。やはりそうか、と頷く。

「最初は…その人も詳しいことは教えてくれませんでした。でも私は目が見えないので危険人物が逃げてるなら防衛の為にも本当のことを教えて欲しい、と頼み込みました。そしたら彼は鬼の話を…。聞いた時は信じられなかった。でも猗窩座さんは酷いケガをしてたのにすぐ治ってたようだし…そうなのかなって…。あ、もちろん猗窩座さんのことはその人に言ってません」
「何故だ。お前は怖くないのか?その男から聞いたんだろう。オレが人を喰らう鬼だと」
「……でも猗窩座さんは私を殺さなかった。殺そうと思えば…すぐ出来たんですよね…?」

女は意志の強そうな瞳で真っすぐオレを見つめて来る。大きな瞳に満月が映りこんで、とても幻想的な輝きを放っていた。

「オレは……女は殺さないし喰わないと決めている」
「え…どうして…?」
「…分からない。でも…本能が拒否している」
「本能……」

そうだ。オレの中に女を殺すとか喰うという選択肢はそもそもなかった。例え喰ったところで身体が受け付けない。そんな気がするだけだ。

(何でこの女にそんな話をしている…夕べほんの少し関わっただけの女に)

は黙ったままだった。だが不意に顔を上げてオレに微笑んだ。

「きっと…それは猗窩座さんに大切な女性がいるってことなんでしょうね」
「……大切な…女だと…?何をバカな…」

そんな記憶はオレの中にない。そう思っていた。なのに、目の前の女――を見つめていると、どこか懐かしい気がするのは何故だ?遠い昔、こんな風に見つめた女がいたとでも?

「……っ」

一瞬誰かの面影との顏が重なり混乱した。

「少し、羨ましいです」
「……羨ましい…?」

突然そんなことを言いだしたは、何故か悲しげな笑みを浮かべた。儚げで、月が翳って出来た闇に消えてしまいそうに見えた。

「鬼殺隊の方が言っていました。鬼も元は人間だと…猗窩座さんは鬼になっても…きっと忘れられない人がいるから女性を殺さないんだと思うと…そこまで想われているその方が羨ましくなったんです」
「勝手に決めつけて分かったような口を利くな…!オレを知ったような気になってるのか…っ?」

カッとしての腕を力いっぱい引き寄せる。一瞬、殺してやろうかと思った。なのに振り上げた拳はに見えてすらいない。変わらず澄んだ瞳でオレを射抜いてくる。死を恐れない女を殺したところで何になるというんだ。バカらしい。そう感じて女の腕を離した。

「…殺して…くれないんですか?」
「…何?」
「私は…猗窩座さんならいいかなと思ったのに」

はそう言って着物の裾から何かを取り出した。それは包紙で中身は――。

「……薬?」
「…本当は夕べ、これを飲んで死のうと思ってたんです」
「っ…?」
「でもそこへ猗窩座さんが」

はふと笑いながら「不思議なものですね」と呟いた。

「見ず知らずの侵入者でも…誰かと話したら死ぬ気が失せてしまって…」

は手の中の包を開く。中の粉は、秋風に吹かれて宙へと舞った。

「あ~スッキリした」

は初めて無邪気な笑顔を見せた。その明るい表情はとても夕べ死のうと考えていたようには見えない。

「何故…死にたかったんだ?」

聞いてすぐに具問だな、と苦笑した。遊郭にしか身を置けない人間がいるのはオレでも分かる。女が好き好んで働くような場所じゃないってことも。はふとオレを見上げた。

「…寂しかった」
「寂しい?」
「知らない男と身体を重ねても何も生まれない。愛してもいない男の腕で眠ったところで、この寂しさは埋まらない。どんどん心が冷えていくだけ」

誰も通りすがりの女が死んだところで悲しまない。はそう言って笑った。

花魁おいらんでもない。ただの遊女の私は…最初からいないも同然なんです。だから…もういいかなって。もう頑張らないでいいかなって思って…」

は川の流れを見ながら呟いた。その表情は今も孤独に包まれているように見えた。オレにはそんな気持ちなど分からない。孤独だと思ったこともないからだ。鬼はひとりでも生きていける。

「猗窩座さんは……寂しくないんですか?死なない身体になって…ずっとひとりで生きていくの?」
「…考えたこともない」

そう、考えたこともない。オレは死なない。まだ、死ねない。この世で夢のひとつも見れないくせに、まだ力にしがみついている。

「そう、ですよね…ごめんなさい。バカなこと聞いちゃって」

は慌てたように言いながら「あ、この花が咲いてるもう一つの場所に案内します」と踵を翻した。だが何かに躓いたのか、その身体が傾いていく。

…!」

気づいた時には咄嗟に腕を伸ばしていた。

「…あ…猗窩座さん…?」

転びかけた身体を引き戻して腕に抱きとめる。彼女の肩から羽織がふわりと足元へ落ちて、は驚いたようにオレを見上げて来た。

「見えないんだろ…っ?少しは考えて動け…!」

何故か分からない苛立ちがこみ上げた。たかが人間の女が転びかけただけのことで、一瞬でも焦りを感じた自分への苛立ちだ。

「あ…ありがとう…」

抱き留められたことが恥ずかしいのか、は白い頬をほんのりと赤らめながら離れた。仮にも遊女をやっている女が鬼のオレに恥じらいを見せるなんて笑い話にもならない。
けれど、の身体の温もりはいつまでも、オレの手に残っていた。



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