不死川が自宅の庭先で訓練をしている時、いつも決まって誰かの視線を感じる。パっと振り向けば、その視線を送ってきているであろう人物も素早く植え込みに身を隠す為、その姿を見ることは出来ない。が、不死川はその正体に当然気づいている。
「ハァ…おい、…いい加減それやめろォ」
訓練を終え、未だにコソコソと視線を送って来る人物の名を呼びつつ、汗を拭こうと手ぬぐいへ手を伸ばす。その瞬間、物凄い速さでそれを奪いとられた。と思えば、目の前に手ぬぐいが差し出される。
「お疲れさまです。実弥さま♡」
「………おう」
ニコニコとしているに呆気に取られつつ、手ぬぐいを受けとった不死川は額から流れる汗を拭いた。そして水を飲もうとした瞬間、またしてもギリギリのところで奪われ、
「お水、どうぞ♡」
「………」
が差し出す並々と水の入ったコップを受けとった。不死川は何かを言いかけたが、目の前で期待を込めた瞳を向けて来るを見ていると、何も言えなくなる。その気持ちが深い溜息となって零れ落ちた。
「ど、どうしたんですか?実弥さま!お疲れなら今すぐお風呂を――」
「あ~いい!いいから少しは落ち着けェ!」
走って行こうとするの腕を掴んで引き寄せれば、やっと大人しく腕の中に納まった。かのように見えたが、その体は軟体動物のようにクタリと崩れ落ちそうになっている。それはが失神寸前なほど茹蛸みたいになってしまったからだ。その姿を見て不死川はギョっとした。
「おいっここで寝るなァ!」
「ね、ねね寝てません…」
ハッと我に返ったはワタワタとしながら頭を元の位置へ戻す。しかし今度は目の前に不死川の顔があるのを見て、再び顔から火を噴いた。
何のことはない。好きすぎて単に恥ずかしいだけだった。
「ったく…いちいち失神しかけんじゃねぇっ」
「す、すすすみません…っ」
一瞬気が遠くなりかけただったが、ギリギリのところで踏ん張り、意識を保つ。そして"今日も怒鳴っている実弥さまは素敵だわ♡"と心の中で思うのだ。
このふたり――先月めでたく結婚をした夫婦である。
ふたりの出逢いは去年の冬。若い女ばかりが消えるという噂を聞きつけ、鬼殺隊の柱である不死川はある街へとやって来た。この街を荒らしているのは十二鬼月との噂もあり、慎重に聞き込みをしていたのだが、何の手がかりも得られずに一泊することにした。その街にある"藤の家"を訪問した際、不死川を出迎えたのがだった。最近は鬼の噂を聞きつけた鬼殺隊の訪問が増えたらしく、忙しい祖母のお手伝いをしているという。鬼殺隊、それも柱を出迎えるのは不死川で4人目だと教えてくれた。皆が十二鬼月を探しにこの街へ来ては見つけられずに帰って行くらしい。それを聞いた不死川は誰よりも先に、必ず十二鬼月を見つけて俺が頸を切ってやると決心した。何せ自分は特殊な体質、鬼が好むと言われている"稀血"の持ち主なのだから他の柱よりも鬼を引き当てる確率は高い。
その日から"藤の家"に泊まり込み、不死川は十二鬼月が現れるのを待っていた。その間の不死川の世話はが担当してくれていた。
は18歳と若く、美しい娘だった。この街でも評判で夫になりたがる男が大勢いたのだが、当のは絶対に自分が惚れた相手でなければ結婚しないと決めている。故にどんな男に言い寄られても全て断って来たことで、難攻不落の藤姫さまとまで言われるようになっていた。そんなが初めて恋をすることになったのは、寒い冬の夜のことだった。
毎晩、十二鬼月を探して回る不死川を労おうと、温かい夕飯を用意して帰りを待っていた。しかし鍋に入れる薬味を切らしていたことに気づき、慌てて買いに出た。店が閉まる10分ほど前で、は急いで夜道を駆けていた。その時だった。目の前に醜い異形の化け物が現れ、悲鳴を上げる間もなくを連れ去った。はそれが鬼だと気づいたものの、どうすることも出来ない。祖母に「夜は出歩くな」とあれほど言われていたにも関わらず、言いつけを守らなかった自分を責めながらも、せめてこの鬼を探していた不死川に知らせたいと思った。
(そうだ…不死川さまは風柱…風に血の匂いを乗せれば気づいてくれるはず)
幸い今夜は北風の強い日だった。は喰われるのを覚悟で自分を抱えて走っている鬼の頭頂部目がけて拳を何度も振り下ろした。
「放して!下ろしなさいっ。このバカ鬼!」
「コイツ…っ!大人しくしろっ!鬼狩りに気づかれるじゃねえか!」
その鬼は異様に警戒心が強く、さらった人間は必ず自分の
塒へ連れて行ってから喰っていた。鬼殺隊が血臭に敏感なのを知っているのだ。しかしの暴れっぷりに我慢ならなかったのか、鬼は街から抜けた辺りでを地面に放り投げ、まずは瀕死にしてから運ぼうと考えた。
「いったぁ…」
「へへへ…言われた通り下ろしてやったぞ…」
思い切り地面に落とされたは腰をしたたか打ち付け、動けない。そんなの肌を鬼の爪が切り裂こうとした。その時、一陣の風と共に飛んで来た攻撃が、一撃で鬼の頸を斬り落とした。十二鬼月とは言っても、どうやら下弦の方だったらしい。
「……し、不死川さん…?」
「…何してんだ、テメエはァ!」
いつ来たのかすら気づかないほどの速さで現れた不死川は、動けなくなっていたをその腕に抱きかかえた。しかしその顔は不機嫌そうな普段より更に、不機嫌極まりないといった顔だ。
「こんな時刻にフラフラしてっからさらわれるんだろーがァ!ババァに言われなかったのかよっ?」
「ご…ごめん…なさい…」
謝りつつも、自分を怒鳴り散らす不死川を見て、は何故か頬を染めた。胸がドキドキとして次にキュンという小さな音が鳴っている。この感覚は何なのだろうと思いながらも、未だに怒鳴っている不死川を見つめた。
この、男に怒鳴られたのは後にも先にも不死川が初めてだった。これまで周りにいた男はに対し誰もが優しく接していたので、男は皆がそうなのだろうと勘違いをしていたらしい。だが不死川の遠慮のない物言いに、逆に心が動かされてしまったようだ。この日からは不死川に対し、熱烈な恋慕を抱くことになった。泊まりに来るたび、不死川にベッタリ張り付いて、祖母からは「いい加減にせえ!」と叱られる始末。だが不死川もまた、滞在中に甲斐甲斐しく自分の世話をしてくれたのことを憎からず想っていたことで、ふたりは結婚をする流れに至った。というわけで、ふたりは只今絶賛新婚中の幸せ真っ盛り。のはずだった。
だがしかし、不死川には一つ、悩みがある。それは――。
「………」
夜になり、夕飯と風呂を済ませ、ふたりで寝室に入る。夫婦なので当然、一つの布団にふたりで横になった。いくら普段は
克己的で後輩の隊員に厳しい不死川でも、結婚したのだからやはり、夫婦の営みは致したい。それを実行をするべく、任務がなく家にいる時は必ず
挑戦するのだが、いい雰囲気になり、まずは口付けから…とくちびるを寄せると、
「さ…実弥さ……っ」
腕に抱いたの体が不意に脱力するのを感じ、不死川は深い溜息と共に項垂れた。
「……またかよっ」
今夜こそ、と思っていただけに、不死川の落胆する気持ちは計り知れない。というのも、毎度毎度不死川が触れるだけでの脳内が爆裂照れ状態に陥り、失神。そのまま朝までグッスリという流れになってしまうのだ。愛されすぎるというのも問題かもしれない。
「一体全体、いつんなったら俺とはまともな夫婦になれんだァ…?」
腕の中でスヤスヤと気持ち良さそうに眠っているを見下ろしながら、ふと苦笑を漏らす。その眼差しは殊の外、優しい。
「ったく…このまま襲っちまうぞ、コラァ」
ボヤきつつの鼻を軽くつまむ。すると寝顔が僅かに綻んで、
「う~ん……さね…みさま…だい、すき…むにゃ…」
「………」
寝たまま愛の告白をされ、不死川の頬がほんのり赤く染まった。
「はあ…ったく、人の気も知らねえで」
頭を掻きつつ、溜息交じりで言いながら、不死川は寝ているのくちびるに、そっと優しい口付けを一つ。
そして――今夜も眠れず、悶々とした夜を過ごすのだった。