今の今まで私の上に覆いかぶさっていた男――いや男だったもの、が目の前で散った。
破けた胸元を隠しながら立ち上がると、血の香りを身にまとった腕に優しく包まれる。

「やれやれ…困った人ですね、貴女は」
「…赤屍さん…」

たった今、人間一人を切り刻んだとは思えないほどの笑みを湛えている彼を、呆然としたまま見上げた。

「ごめんなさい…やっぱり足手まといだったね」

彼と仕事を組むのは今日が初めてじゃない。依頼者の希望でパートナーになったのは、ちょうど一年前の冬だった。最初は平気で人を殺す彼が怖くて、こんな風に守られる事も、触れられる事さえ拒んでいた。なのに…何度か一緒に仕事をしているうちに、彼の中にある救いようのない悲しみみたいなものを感じるようになって、この人の本当の姿というものを見たくなった。最も危険な興味を、私は彼、赤屍蔵人という人物に抱いてしまったのだ。

「足手まといなんて思っていませんよ。むしろ――」
「…?」
「今回の仕事のパートナーに、立候補して頂けて嬉しい限りです」
「―――ッ」

赤屍さんはそう言うと、私の胸元を上手く隠してくれた。彼の言葉に、一気に早まった鼓動がバレやしないかと、またドキドキする。目の前には血にまみれた死体が転がってるのに、何を考えてるんだと、自分に言い聞かし、素早く赤屍さんから離れた。彼と仕事がしたくて、今回の依頼人に頼み込んだ事がバレてる事に動揺が隠せない。

「一人で歩けますか?」
「…平気…。それより早く行かないと」

クスクスと笑う赤屍さんから顔を反らし、先を急ぐ。奪い取った"ブツ"はポケットの中にある。途中、赤屍さんとはぐれた時、さっきの男に襲われたが、これだけは何とか守り抜いた。赤屍さんとの仕事で、失敗はしたくない。そう思っていたのに、あんな雑魚に襲われて助けられるなんて、と自分が情けなくなる。

「待って下さい」
「………っ」

不意に腕を掴まれ、ドキっとした。

「怪我をしてますね。見せて下さい」
「い、いい…こんなの平気」
「いいから。私は元々医者ですよ?」

赤屍さんはそう言ってニッコリ微笑むと、ポケットからハンカチを出して、切れた唇から出ている血を拭ってくれた。

「殴られたんですか」
「…こ、こんなの大した事ない…奪還屋やってたら、こんなの普通だよ」
「全く…女性なんですから、少しは気をつけないと。綺麗な顔が台無しですよ?」
「な…何言ってるの?」
「本心を言ったまで、ですよ。さっきの男は殺しておいて正解でした。貴女にこんな怪我をさせるなんて」

赤屍さんはそんなことを言いながら優しい目で私を見つめてくる。彼がこんな顔をするなんて初めて見たことに驚きながらも鼓動が早くなるのを止められない。

平気で人を殺す人なのに、どうして、こんなにも惹かれるんだろう。裏の世界で、彼の名を知らない者はいない。それほどに恐れられていて、あの銀ちゃんや蛮だって、一目置いている人だ。銀ちゃんには赤屍さんに絶対に近づくなって何度も言われたし。なのに…私の中の何かが彼を求めてる。これは…この気持ちはやっぱり―

「…つっ」
「ああ、痛かったですか?」

口元から手を放し、少しだけ屈んだ赤屍さんは、赤く滲んだ唇をゆっくりと指でなぞった。その感触にビクっとなり、勝手に頬が熱を持っていく。もう、隠す事が出来なかった。
私は―――彼が好きだ。

「あまりノンビリしてられなくなりましたね」
「…え?」
「どうやら敵にバレたようですよ?」

その台詞とは裏腹の、ちっとも焦った様子のない赤屍さんの笑顔に、辺りを見渡すと、遠くから誰かの叫び声が聞えてくる。さっき倒してきた奴らを見つけられたようだ。 こっちに向かってくる、沢山の足音がだんだん近づいてきた。

「やれやれ…せっかく、さんといい雰囲気だったのが台無しですね」
「……は?」

あまりに驚いて、目の前で溜息をついている赤屍さんを見上げる。
そんな私を見て彼はクスっと笑うと、私の唇に、自分のそれを重ね合わせた。

「この続きは…後でゆっくり」

一瞬のキスの後、赤屍さんはそう言って微笑んだ。その瞬間、背後から飛び掛ってきた敵を華麗なメスさばきで切り刻んでいく。数人に囲まれても、舞うように敵を倒していく彼を見ながら、もう怖いとは感じなくなっていた。
ただ、愛しくて、もう一度、触れて欲しくて、彼が欲しい、と心から思った。
誰をも震え上がらせる狂気を持ち、誰よりも暗い闇を持つ、孤独な殺人者――。
どうしてこんなに好きなのか分からない。