彼女の事情―03



場地家にお世話になって3日目。どうにか少しだけ慣れてきた。ただ涼子さんがいる時はまだいいけど、仕事でいない時に圭介くんと顔を合わせるのは、まだ少しだけ気まずい。

「あ、圭介くん、おはよー」

朝、メイクを終えて茶の間に行くと、圭介くんも部屋から出てきた。これでも愛想はいい方だから、気まずいなんて顔は見せずに笑顔で挨拶をする。でも返ってきたのは「…おう」という何とも不愛想なものだった。わたしの口元がかすかに引きつる。これでも知り合った男の子からは「ちゃん可愛いねー」と言われる方なのに、わたしの笑顔は一切圭介くんに効果がないようだ。ツラ。

(別にいいけど…もう少し愛想よくしてくれても…)

なんて思いながらも、涼子さんの作っておいてくれた朝ご飯を圭介くんと一緒に食べる。彼は胡坐をかいて一見、行儀悪そうには見えるけど、ご飯の食べ方は綺麗だった。ちょっと意外だ。

(でも最初に思ったけど、この黒髪ロン毛…ウチの学校にいたっけ?)

特に会話もなく、黙々と食べてる間、圭介くんをジっと観察してみる。この風貌を学校で見かけたことがない気がするからだ。しかもダブってるから学年は同じ。なら廊下ですれ違ったことがあっても良さそうなものなのに、わたしの記憶の中に圭介くんはいない。松野と友達ならツルんでてもおかしくなさそうなのに。

「…何だよ」
「え?」
「ジロジロ見んじゃねえ」
「……ご、ごめん(こわ)」

圭介くんは怖い顔でわたしを睥睨すると食べ終わった皿をキッチンへと運んでいく。ちょうど食べ終えたからわたしも自分のお皿を持っていくと、「わたしが洗うし置いといていいよ」と言った。居候の身としてはこれくらいやろうと思っただけだ。なのに圭介くんは少し驚いた顔でわたしを見下ろすと、「オマエ、その爪で洗えんのかよ」と怪訝そうに眉を寄せた。

「洗えるよ。割ったりしないからかして」

そう言って圭介くんの手からお皿を受けとると、洗剤のつけたスポンジで手早く洗っていく。家にいる時も家事はわたしの仕事だったから、これくらい簡単だ。でも圭介くんはなかなか動こうとせず、わたしの後ろに立って「あー」とか」「うー」とかモゴモゴ言ってる。水の音でよく聞き取れなくて、一度水を止めてから「え?」と聞き返すと、彼は視線をそらしながら「…あー…さんきゅ」と小さな声で呟いた。不良なのにお礼とか言えるんだ、とちょっとだけ驚く。

「ううん、これくらい」

まさかお礼を言われるとは思わなかったから笑顔で応えると、圭介くんは「じゃあ…先に行くわ」といつものように家を出て行った。同じ場所に行くんだから一緒に行こうと二日目の朝に声をかけてはみたけど、その時は「学校の奴らに誤解されそうだし一人で行く」と言われてしまったから、それ以降はわたしも声をかけていない。あの時は絶対仲良くなれないと思ったけど、さっきはお礼を言ってくれたし、もしかしてシャイなだけ?

(だったら…少しは打ち解けてくれたってことかな…)

ママはいつ退院できるか分からないし、わたしもいつまで場地家にお世話になるか分からない。だから仲良く出来るのならそれに越したことはないと思った。例え苦手な不良でも。
この日以来、わたしと圭介くんは一緒に朝ご飯を食べて洗い物はわたしが担当するようになっていた。特に話すことはなかったけど、時々圭介くんからは「オマエ、毎朝その髪巻いてんの?すげーな」とか「そのまつ毛、地毛?」と話しかけてくれるようにはなってきた。
これなら仲良くなれそう。そう思った10日目の夜だった。まさか裏バイトをしてる時に圭介くんにバッタリ会ってしまうとは思わなかった。







彼女の年齢には不似合いの派手なメイクと服装。驚きに満ちた瞳は大きく見開かれ、無駄に長いまつ毛がやたらと強調されてる。腕を組んでる相手はどう見たって同年代には見えない。高級そうなジャケットを羽織って、今は夜なのにこれまた高そうなサングラスをかけてんのはどこぞの呪術師かって聞きたくなった。
ここはラブホ街とも呼ばれる通りであり、目の前の建物はまさしくソレだ。そこから知り合いの、それもウチに居候してる女が、随分と年上のチャラそうな男と出てくればオレだってビビる。

「オマエ…」

一瞬人違いかと思うくらい濃いメイクをしたに声をかけようとしたら、アイツはサっと視線をそらし、隣の男に向かって「早く帰ろ。大ちゃん」と親しげに名前を呼んだ。
この女が来てから10日目。バッチリ噂を裏付ける場面に遭遇してしまったのは、単なる偶然だった。

――10分前。

この日、オレは東卍の集会に出ていた。その時にバイク雑誌をドラケンに借りることになり、集会の帰り道。ドラケンの住むビルに寄ることにした。

「ちょっと待ってろ。今、営業中だしオマエ入れんのはやべえから」
「おー」

ドラケンの家は風俗店の中にある為、当然、未成年のオレは入れないから外で待つことにした。マイキーは何度も行ったことがあるようだけど、そのマイキーが「おっぱい丸出しの女がいっぱいいる」と話してたのを思い出す。

(アイツ、昔っからそーいうとこ早熟というかあっけらかんとしてるっつーか…)

バイクに寄り掛かりながら、ギラギラと派手な看板を見上げる。時々ビルの中に入ろうとやって来るスーツ姿のオッサンが、オレを見て気まずそうな顔をするのが居たたまれない。オレも大人になったらこういう風俗店に来るようになんのかなと首をかしげつつ、出来ればお世話にならず、ちゃんと彼女とそういうことをしたいと漠然と思う。とはいえ、今は東卍やバイクのことで頭がいっぱいだから、チームの奴らみたいに年中「彼女ほし~」と思ってるわけでもねえ。まあ、たまにああいうカップル見ると恋愛もいいかな、なんて思ったりも―――。

「……ん?」

ちょうどオレがいるビルのある通りを少し行った脇道の角。そこにラブホがある。というか、その店の前の脇道へ入ればいわゆるラブホ街と呼ばれる通りがある。時々近道で通るくらいの場所だ。そこの中でも一際目立つ角のホテルから、見覚えのある女が男と腕を組んで出てきた。人違いかもしれねえ。でも無意識にホテルの方へ足が動く。すると、ちょうどそのカップルもオレの方へ歩いて来た。

「あ…」

女の方がふと顔を上げてオレを見た。女と目が合う。彼女がギョっとした顔をして後ずさったのを見る限り、どうやら見間違いじゃなかったようだ。

「オマエ…」
「早く帰ろ、大ちゃん」

はくるりと踵を翻し、オレに背を受けてその大ちゃんとやらの腕を引っ張るようにして歩き出した。それを見て何故かオレは後を追いかけ、気づけば彼女の腕を掴んでいた。

「いやいやいや、ちょっと待て!」
「ちょ…何よ…っ」
「誰だ、コイツ。ってかオマエ、今ラブホから出てきたよな」
「か、関係ないじゃん!放してよっ」
「ちょ、ちょっとちゃん…誰?この男…まさか彼氏じゃないよね」
「ち、違う」

サングラスのチャラ男が戸惑い顔でオレとの顔を交互に見ている。どう見ても男はハタチを超えてる感じだ。まさか彼氏?と思ったものの、今この男はオレを見て彼氏かと聞いていたし、がやたらと慌てているのも不自然な気がした。

「つーかテメェが誰だよっ」
「オレ?オレはちゃんのソフレだよ」
「あぁ?!セフレだあ?テメェ、ロリコンかよ!」
「は?セフレじゃなくてソフレ!ってか、ちゃん、何なんだよ、コイツ」
「ご、ごめんね、大ちゃん!この人は…し、親戚のお兄ちゃんなの。いいから行こうっ」

オレと男の間に割り込んで来たは、またしてもこの場から逃げようとする。オレには一切関係ねえけど、でも何となくお袋の友達から預かっているという頭が働いた。預かっているからには責任というものが発生する。

「待て。行かせねえ。オマエはオレと一緒に帰るんだよ」
「ちょ、ちょっと!放してよ!圭介くんには関係ないでしょっ」
「あ?関係ねーわけねーだろ!こっちはオマエを預かってんだよ」

強引にの腕を引いて歩き出すと、大ちゃんとか言う男は「よく分かんないからオレ、帰るね」と言ってそそくさと逃げて行った。

「あ…大ちゃん!まだ今日の代金もらって――」
「おら、アイツも帰ったしいいだろ。帰んぞ」
「い、痛いってばっ」

未練たらしく男が逃げて行った方を見ているを引っ張り、バイクのあるとこまで連れて行く。

「だいたい何だよ、その恰好は。派手な化粧にミニスカート。全然似合ってねーぞ」
「だから放っておいてよ…!何なの?」
「言ったろ?オレにはオマエ預かってる責任あんだよ。それ以前にオマエに何かあればお袋の責任が問われんだぞ」

立ち止まってジロリと睨めば、はビクリと肩を揺らして俯いた。

「………っわ、分かったから…手、放してよ…」
「ホントに分かったのかよ」
「……わたしだって…涼子さんに迷惑かけたいなんて思ってない」

シュンと項垂れながら呟かれた言葉は意外だけど本心に聞こえる。10日も一緒に暮らしてりゃ、コイツが噂通りの女じゃないってことも薄々分かってきた。毎朝、本人はいねえのにお袋の作った飯に「頂きます」と「ご馳走さま」を言って綺麗に残さず食べるとこも、きちんと食器を洗ってくれるとこも。オレの中では好感が持てた。だからこそ、コイツが男とホテルから出て来たのは少し意外だった。

(よく分かんねえ女…さっきの奴は彼氏じゃねえ感じだけどラブホって…つーかアイツの言ってたソフレって何だ?セフレじゃないっつってたけど)

とにかく事情は後だ。まずはを連れ帰って――。

「は?場地、オマエ…何ナンパしてんだよ」
「――――っ?(忘れてた!)」

をバイクに乗せようと腕を引き寄せた時、雑誌を取りに行ってたドラケンが戻って来てしまった。






「ったく…オマエのせいで散々だったわ…」

をバイクから下ろし、溜息を吐く。あの後、変な勘違いをしたドラケンに事情を説明して、どうにか誤解を解いてから帰宅してきたとこだ。

「ひ、人のせいにしないでよ」

はフラフラになりながら文句を言って来る。どうやらバイクに乗ったのは初めてのようで、終始ビビって騒いでいた。

「あ?オマエのせいだろーが。そもそも中坊で男とラブホとかありえねえぞ、テメェ」
「だから別にエッチしたわけじゃないし。ただのバイトだって」
「ハァ?男とエッチなしでラブホ行くバイトってどんなんだよっ」
「ちょ、声が大きいっ」

ふざけたことを言いだすにイラッとして思わず声を荒げてしまい、ハッと口を閉じた。この団地は夜となると静かすぎてかなり響くからだ。

「チッ。家に戻んぞ。話はそっからだ」
「い、痛いってば…放してよ」
「ダメだ。逃げるかもしんねーからな」

ごねるの腕を掴んで家に戻ると、まずは特服を脱いで部屋着に着替える。茶の間に顔を出すと、もメイクを落としたのか、化粧っ気のない顔で洗面所から戻ってきた。そういやがここに住み始めてから、彼女のスッピンは初めて見たかもしれない。だいたいオレが帰ると先に寝てて、朝はオレより早く起きてるせいだ。因みにはお袋の部屋で寝ている。

「………」
「な、何よ…」
「いや、オマエ…メイクしねえ方が可愛いんじゃねえの」

マジマジとの顔を覗きこむ。いつも色々と塗ったくってるもんが綺麗さっぱり落ちていて、マジのスッピンだった。そこで思った通りのことを口にすると、はむっとした顔でオレを睨んだ。

「……よ、余計なお世話っ」

一応褒めたつもりなのに、はプイっとそっぽを向く。でも何気に色白の頬が薄っすら赤くなっていた。

「ははっオマエでも照れることあんのかよ」
「…て、照れてないし!」

ますます顔を赤くしながらその場に座るを見て、オレも隣に座った。とりあえず何のバイトをしてるか聞く必要がある。それで危ない内容ならやめさせなきゃなんねえ。何故かそう思った。

「んで…?さっきの…大ちゃん?とはどーいう関係かもう一度詳しく説明しろ。つーか、アイツ誰だ」
「……大ちゃんは近くの大学に通ってる大学生で…友達のお兄ちゃんの友達」
「あ?その…友達の兄貴の友達?と何でラブホなんか行ってたんだよ。バイトって?」
「だから…大ちゃんとはソフレだってば」
「だーからソフレって何だよっ」
「ハァ?そんなことも知らないの?ソフレは添い寝フレンドって意味だから」
「………添い寝…ふれんど?何じゃそりゃ」

聞いてもサッパリ意味が分かんねえ。もそう感じたのか、呆れ顔で溜息を吐きながら――ムカつく――説明しだした。

「添い寝フレンドってのは文字通り、ただ添い寝するだけの友達ってこと。エッチもキスもしない。ただ一緒に寝るだけ」
「ハァ…?意味不明だわ。わざわざ金払ってラブホ行って、ヤりもしねえで添い寝だけ?そんな男いんの」
「いるからやってんでしょ?大ちゃんは紳士なの。わたしがまだ中学生だから、エッチなことはしないって約束してくれてるし、ホントに寝るだけでお金もくれる。ラブホ代も彼が払うっていうから今日はたまたま行っただけで…普段は大ちゃんのマンションだもん」
「………」

の話を聞いて少し、いやかなり呆気にとられた。本気で意味が分からん。

「………なあ。一つ聞きてえんだけど」
「なに」
「添い寝するだけで何が楽しいわけ?」
「はあ?もー圭介くんってそっち系?」
「あ?何だソッチ系っ」
「だから…女の子と添い寝するならエッチするの当たり前とか思ってる?」
「あ?フツーそーじゃねえのかよ。だいたい女とベッドにいて添い寝だけって方が変だろ」

人間の三大欲求とも言えるのに、男女が一緒に寝てて――しかもラブホで――何もしない男がいる方が信じられねえ。チームの奴らに訊いたら全員が全員ともオレと同じ意見のハズだ。でもは更に呆れた目つきでオレを見た。

「はあ…それだけで癒されたりする人もいるの!男も女も」
「…癒し、ねえ…。アホらし…ってか、そんなバイトしてんのかよ、テメェは」
「だって…わたしの歳じゃ働けるとこないんだもん」

は溜息交じりで言うと「お金が必要なの」とハッキリ言った。その顏は今までのような取り繕ったものじゃなく、意外にも真剣だ。そこで初めて理由が知りたくなった。

「何でそんなに金がいんの」
「え?」
「何か欲しいブランド品でもあんのかよ」
「む…バカにしないでよ。女がみんなブランド品欲しがると思ったら大間違いだから」
「じゃあ何でだよ…」

メンドクセェと思いつつ、溜息を吐けば、は途端に泣きそうな顔で俯いた。

「…治療費」
「あ?治療費?何の」
「……ママの」
「…は?」

まさかの理由に驚いて、一瞬言葉に詰まった。確かに彼女の母親は病気で入院してるのは聞いてる。だけど治療費を中学生のコイツが稼がなくちゃいけないほどなのかと驚いた。

「ウチは父親が最低な男で、とっくに離婚してるし、ママにわたしの養育費も出さないようなヤツだから頼めない。ママの両親はとっくに亡くなってるから頼れる親戚もいない。ママ一人で働いてわたしを育ててくれてたの。だから…バカ高い入院費を延々と払ってられるほどウチには余裕がないの。だったらわたしが何をしてでもお金作るしかないじゃない…だから下らないバイトも引き受けてやってんの!文句ある?」

最後には涙目になりながらオレを睨んで来るは、本当に普通の、母親思いな女の子に見えた。まさかそんな事情を抱えてたなんて思いもしなかった。

「…バカかよ」
「は?」
「だからってあんなバイトして金稼いで…もしアイツが危ねえ男だったらどーすんだよ?お前の母ちゃんが泣くだろが」
「……っ」

オレの一言で、彼女の頬に涙がぽろりと零れ落ちた。学校で変な噂が流れるほど、コイツは自分を削って金を稼いでたってわけだ。しかも母親の為に?どこのメロドラマだよって思うけど、オレも案外そういう骨のあるやつは嫌いじゃない。もしオレがと同じ立場だったなら、どんな手を使ってでも金を稼ごうとするだろう。
派手なメイクやネイルは、コイツなりの鎧だったってわけだ。

「よく一人で頑張ったな」

俯いた彼女の頭にポンと手を乗せると、はとうとう子供のように泣き出した。大好きな母親が病気で倒れて、頼れる父親もいない。どんなに心細かっただろうと思うと、何となく他人事とは思えなかった。こんなに華奢な体で、年上を相手に危ない仕事をしてたと思うと、ガラにもなくオレが何とかしてやりたいと思う。まあ、そんな金はオレもねーんだけど。

(とりあえず…こういった家庭事情の人間を助ける方法はあるはずだ。明日、お袋にでも相談してみっか)

ウチもいわゆるシングルマザーだから、お袋もその辺はしっかり調べてあるに違いない。とにかく今はがバカなことをしなくていいように安心させてやらねえと。

「とりあえず、その話はオレがどうにか考えるから、オマエはもう男とそーいうことすんな。分かったか?」
「……圭介くん」
「それと…くん付けすんな。慣れねえからきしょくわりい」

顔をしかめつつ、前々から思ってたことを言えば、は「じゃあ…圭介…」と言いながら濡れた頬を拭う。その時浮かべた笑顔は、思わずハッとさせられるくらいに可愛い笑顔だった。