癒しって何ですか―04




「ぶぁっはっはっはっは!!」

静かな病室にばかデカい笑い声が響き渡った。しかもここは別に個室でも何でもなく。普通に6人部屋だったりするから、他の入院患者たちが一斉にこっちへ視線を向けた。恥ずかしくて「すみません」と謝りつつ、ベッドの周りのカーテンを閉じる。まあ視界を塞いだところで、このゲラのママの笑い声までは消せないんだけど。

「あーっ笑った!お腹痛い!」
「もう…病人のクセに元気すぎ…それに人が真剣に心配してたのに笑うとかマジ萎えたし」
「ごーめんごめん。いやにはそーいうこと説明すんの忘れてたよ。悪かったね」

ベッドから起き上がっていたママはぶーたれたわたしを見て両手を合わせている。でもまあ話を聞いて心底ホっとしたから別にいいんだけど。

「良かったじゃねえか」
「うん…」

因みに今日、ママの病院へは一人で来たわけじゃない。何故かわたしのやってるバイトの件を心配してくれた圭介も一緒に付き添ってくれてた。

「まあ普通はそうだよなあ。入院保険は入ってるだろ。何でオマエ気づかねえの」
「い、いたたっ痛いよ、圭介…!」

片手で頭を鷲掴みされてゆっさゆっさと左右に振られる。コイツは人の頭をバスケットボールか何かと勘違いしてないか?でもまあ、とにかく。ママは保険というものにシッカリ入ってたようで、それで十分賄えるとのこと。ついでに言えば通帳はわたしの預かってる生活費用だけじゃなく、他に貯金用口座が二つあって、わたしが思ってたほど我が家の家系はひっ迫してるわけじゃないということだった。

「それより…ケースケくん、ほんっと大きくなったねー!涼子に話は聞いてたけど、いい男に育っちゃって」

ママは娘の一大事よりも圭介の方に興味津々で、終始そんなことばかり言っている。何でも会うのは数年ぶりとのことだった。

「…はあ。いや…すんません。オレ、多香子さんのこと覚えてなくて」
「そりゃそうよ。小学校低学年くらいかなー。最後に会ったのって。すんごい可愛くて、わたしも息子欲しいって思ったもんだわ」
「うわ、ごめんね。娘に生まれちゃって」
「もーはすーぐスネる。ごめんねーケースケくんに迷惑かけてない?我がまま言ったらはったおしていいからね」
「ちょっと、ママ――」
「いや…別に我がままとは思わねえけど…迷惑もかかってないっスよ。ちゃんと家の手伝いもしてくれるんで、お袋が喜んでます」
「え、そう?なら良かった。ね?
「………」

ママはニコニコ喜んでるけど、わたしは何故か照れ臭くなってそっぽを向いた。いきなり褒めるとか反則だ。じわりと頬に熱が帯びて顔を上げられなくなった。家じゃ不愛想なくせにママの前じゃ笑顔なんか見せちゃって。わたしにはあんまり笑ってくれないクセに。そう思っていると、ママは急にわたしと圭介を交互に見ながら意味深な笑みを浮かべた。

「なーんか、こーして二人で並んでるの見てるとお似合いじゃない?」
「「は?」」

ママがニヤニヤしながらとんでもない爆弾を投下してきた。しかもわたしと圭介はこういう時だけ波長がピタリと一致して、同時に変な声が出す。

「な、何言ってんの、ママ!全然お似合いじゃないしっ」
「えー?そーお?お似合いだけどなあー。ね、ケースケくん、ウチの娘どぉ?ケースケくんの嫁に」
「は?!ちょっといい加減にしてよ、ママ!」
「いいじゃん。涼子の息子と私の娘がくっつくなんて理想的だわー」
「はあ…」

ママのノリに呆気にとられたのか、圭介は呑気に頷いている。少しはリアクションしてくれないと、わたしが恥ずかしい。

「と、とにかく心配しないでいいのは分かったし、そろそろ帰るね」
「はいはい。ごめんね、変な心配させて。とにかくはバイトなんてしなくていいから」
「わ、わたしのことはいいから…ママは早く治すよう安静にしててね!」

裏のバイトということは伏せて話したからバレてはないけど、何となく気まずくて。ママをベッドに寝かせてから布団をかける。元気そうには見えるけど、ママは心臓に不整脈が出てるから、あまり無理はさせられない。

「じゃあ、また来るから」
「うん。まあ、でもそんなしょっちゅう来なくていいからアンタは自分のしたいことしなさいよ。今しか出来ないこともいっぱいあるからさ」
「何よ、またそれ?」

以前よりも少し細くなったママの手を握り締めながら「じゃあまたね」と言って病室を出る。ここへ来た時とは真逆の心境になりながら、心底ホっとして息を吐き出した。

「良かったな。心配事が消えて。いい母ちゃんじゃねえか」
「…うん」

圭介と一緒に病院を出て家路につく。圭介の言う通り、心配事がなくなったせいで、気持ち的に随分と楽になった。これでもう年上のオジサンに媚びを売ることもなくなる。まあ美味しいご飯をご馳走してもらってお金まで貰えるのはおいしいバイトではあったけど、圭介の言うようにいつどこで変な人に当たるか分からないのも事実だ。

(大ちゃんともこれきりかなぁ…。大ちゃんは希子のお兄ちゃんのツレだから安全パイではあるし、いつも添い寝だけで3万もくれるから惜しい気もするけど…)

そう思いながら隣の圭介を見上げると、つかさず「もう変なバイトすんなよ?」と釘を刺されてしまった。口や態度は悪くても、圭介なりに心配してくれてるのが分かるから、そこは素直に頷いておく。不良で暴走族の幹部に説教されるのも変な感じがするけど。
その時、ケータイにメールが届いた音がした。見れば大ちゃんからで『昨日は大丈夫だった?ごめんね。先に帰っちゃって』という内容。まあ大ちゃんは普通の大学生、しかも富裕層のお坊ちゃんだし、いきなり特攻服を着た目つきの悪い男に絡まれたら逃げるのは当然だろう。わたしは大ちゃんの彼女でも何でもないし。
そう思いながらスクロールしていくと『お詫びに今日もどうかな。いつもの』という一文が添えてあった。いつもの、とは例の添い寝のバイトのことだ。

大ちゃんはイケメンだし金持ちだから大学の女の子にモテるって希子も話してたのに、何故かわたしみたいなお子ちゃまを気に入って、あげく添い寝を求めてくる。いわゆるロリコンの気があるみたいだ。一見、何の問題もない、いやそれ以上にいい条件の揃った男なのに、同年代の女を愛せないなんてもったいない気がする。

(でも…やっぱもう会わない方がいいよね)

隣の圭介を見上げながら、何となくそう思う。とりあえず『ごめん。もうバイトしなくて良くなったの』とだけ返信しておいた。

「あー腹減ったぁ…」
「わたしもー。今日何かな、夕飯」
「さあなー。昨日は魚だったし肉系じゃね」
「え、そんな流れがあるの、場地家」
「んー何となくあるな」
「何よ、そのふわっとした答え」
「あ?別に決まってねーんだよ。決まってねーけど、そんな感じの流れがあんの」
「ふーん。魚の次はお肉で、じゃあその次は?」
「麺類」
「え、そこは野菜じゃないんだ」
「うるせーなぁ。んなのお袋に聞けよ」

圭介は笑いながらサッサと前を歩いて行く。「待ってよー」と言いながらわたしも小走りになって追いかけてた時、またメールの届く音がした。

『でもお金は欲しいでしょ。今夜来てくれたら5万出すよ』

それは大ちゃんからの催促メールだった。5万という魅力的な金額にちょっとだけ心が揺れる。

「どーした?早く来いよ」
「う、うん」

とりあえず保留にしてケータイをポケットへしまう。久しぶりに心の平穏が訪れたことで、とりあえず今はバイトのことを考えたくなかった。








「あー食い過ぎた…」

夕飯の後、自室に戻ってベッドへ倒れ込む。ちなみに今夜のメニューはカレーだった。お袋はいつも作りすぎるから二人じゃ食いきれねえけど、今はがいるからちょうどいい。も美味しいと大喜びでおかわりしてたのを思い出す。身なりに気を配ってるわりに大食いで笑った。ついオレも意地になっておかわりしてたせいで、今はコーラすら飲めないくらいに腹が苦しい。茶の間からはお袋との楽しげな笑い声が聞こえてきてて、一人増えただけで随分と明るい家になったな、場地家も…と苦笑が洩れる。お袋は前から娘も一人欲しかったと言ってたから家に女の子がいるのが楽しくて仕方ないみたいだ。

(まあ、でも…金の問題も解決したし、アイツもこれでバカなことしねえだろ…)

学校で流れてる下らねえ噂話もそのうち消えるはずだ。

「ケースケ~」

その時お袋がドアの向こうでオレを呼んだ。

「何だよ」
「私、夜勤だから行って来るけど戸締りちゃんとしておいてねー」
「おう。行ってらっしゃい。気をつけろよ」
「誰に言ってんだよ」

お袋はゲラゲラ笑いながら、にも声をかけたあと仕事へ出かけた。まあお袋はクソ強いから、ただの痴漢とか引ったくりの類に襲われたとしても犯人に同情してしまう。

(今日は集会もねえし、ノンビリ漫画でも読んで寝るか…)

千冬に借りた漫画があったっけ、とベッドの下からそれを引っ張り出そうとした時、ドアの向こうから「圭介、起きてる?」というの声が聞こえてきた。

「おう、入れよ」

そう声をかけると、はケータイ片手に入って来て、ベッドに寝転んでいるオレの方まで歩いて来た。そして徐にケータイ画面を見せて来る。そこにはメールらしきものが表示されていた。

「あ?何だよ」
「…大ちゃんからのメール。今夜バイトしないかってお誘い来たんだけど――」
「は?まさかオマエ行く気じゃねえだろうな」
「い、行かないよ。断ったもん。だけど何度も来るしどうしようかと…」

困り顔で溜息を吐くを見上げながら、オレは鼻で笑った。

「んなもんスルーしとけよ。返事こなきゃ諦めんだろ」
「でも友達のお兄ちゃんの友達だし…」
「だから何だよ。別にそこまで気を遣う必要ねぇだろ」
「そう…なんだけどさ」

は困ったように言いながらベッドの端へ腰を掛けた。

「一応これまでお世話にあったのは事実だし、スルーってのは…申し訳ないかなーと…」
「ハァ?変なとこ真面目だな、オマエ」
「だ、だって…ホントに困ってた時、一番最初に大ちゃんが助けてくれたし」

オレから見れば、7歳は年下の女にそんなバイトを持ちかけることを助けたとは言わねえ。なのにはあの男に感謝をしてるようだし、どこまでお人よしなんだと呆れてしまう。あの男は自分の欲の為に母親を想うの気持ちを利用したようなもんだ。考えてたら胸糞悪くなって来た。

「助けたっつっても添い寝だろ?そんな下らねえもんに金払う男とか変態じゃねえか。やめとけやめとけ」
「む…それ偏見じゃないの」
「あ?どこが」
「添い寝だけで癒されるって人もいるって言ったでしょ。変態とかじゃなく心の癒し求めてる人って意外と多いんだよ」
「添い寝で何が癒されんの。さっぱり分かんねーわ」

ヤリもせず、ただ寝るだけってのがオレの中ではどうにも腑に落ちない。しかも癒される?意味不明だと思った。はオレの言葉にムっとしたような顔で睨んで来る。

「わたしだって分かんなかったけど…でも意外と安心感とかあるし、何かが満たされる気はしたけどな」
「じゃあも変態っつーことで」
「む。わたしは変態じゃないから。っていうか圭介がそこまで言うなら――」

は何故か寝転んでいるオレの方へ体を向けてニヤリと笑みを浮かべた。

「圭介、確かめてみる?」
「あ?」
「添い寝」
「……ば…っかじゃねえの…何言って――っておい!何してんだよっ」
「何って添い寝してあげる」

は勝手にベッドの上に上がって来ると、オレの隣にいきなり横になった。ギョっとして、すぐに起き上がろうとしたオレの腕を、はガシっと掴んで来る。

「そこまで意味不明って言うなら、実際してみてどう感じるのか試してみてよ」
「ハァ?必要ねえ…うおっ」

掴んだ腕をは強引に引き寄せ、オレの体が再びベッドへ倒される。そしてはつかさずオレの方へピタリと寄り添い、身体をくっつけて来た。オレの左腕を両手でぎゅっと抱きしめてくるからオレの脳内が少しだけカオス状態になった。密着してる部分がやけに熱い。

「どう?」
「あ?」
「添い寝された気分は」
「…チッ。別に何とも思わねえ」
「ふーん…じゃあ圭介の癒しはコレじゃないのかな」

は言いながらもオレの方へ体を向けたまま腕を掴んでいる。ってかはこの体勢であの大ちゃんとかいう男とラブホで添い寝してたのかよ?と驚いた。話で聞くのと実際にしてみるのとじゃ理解度が違う。ハッキリ言ってコレで手を出さねえ大ちゃんにある意味、尊敬の念を持ってしまった。

(ってか…のヤツ、地味に胸あんな…)

ぎゅっと抱きしめるように掴まれてる腕にさっきから柔らかいものが押しつけられているせいか、全神経がそこへ集中してしまう。これじゃ癒しどころか、悶々としてくるだけじゃねえかと言いたくなった。

(ダメだ…これ以上くっついてたら変な気分になっちまう)

家には二人きりで、あげくベッドの上で添い寝とか、これは確実にヤル方向へまっしぐらって感じだが、彼女でもねえのに手を出すのはオレの中の何かに反する気がした。

「おい…もういいだろ?放せ――って、寝てんじゃねえよっ」
「…ん…?」

見ればは半分寝落ちしていた。眠そうに目を擦ってる姿に思わず突っ込む。つーかコイツ、無防備すぎじゃね?仮にも男とベッドでくっついてんのに寝るとか。オレ以外の男だったら確実に襲われてるだろ。あ、いや。大ちゃんっていう例外はいるんだろうけど。オレから言わせると大ちゃんは男じゃねえ。今こうしてる間も、隣でくっついてるがやたらと女に見えてくるから嫌になる。腕に当たる柔らかい感触も、薄っすら艶めいてる唇も、閉じた目を飾る長いまつ毛も、全部がエロく見えるから不思議だ。

(まあ…スッピンは可愛い顔してんだよな、も…)

至近距離で観察すればするほど、可愛く見えて来るから不思議だ。ってか、コイツ、マジで寝てるし。どうせカレー食いすぎて腹が満たされたら睡魔が襲ってきたってとこだろ。そう言うオレも欠伸が出てきた。の体温が心地いいせいかもしれない。

(あー…こういうのが癒しってんなら……何となく分かる気もすんな…)

そう思ったのを最後に、オレもそのまま寝落ちをしてしまったらしい。
目が覚めて、隣に寝ているに気づき、飛び起きるまであと数時間。





緩いふたりがいい…笑