誘惑する女と乗っかる男―06




夕飯の後、涼子さんが仕事に行くのを見送って、友達から来てたメールの返信をしようとケータイを開いた。でも新着メールを見た瞬間、ちょっとだけ溜息が出る。

「また大ちゃんか…」

断ったのに、あれから何度となくお誘いのメールが届くから地味に困っていた。しかも金額が少しずつ上がって今や10万になっている。添い寝するだけで10万ってある意味凄いし、どんだけ好きなんだと思う。添い寝に何の意味があるのかはハッキリ言ってわたしも圭介と同じでよく意味が分からなかった。でも疑似恋愛的な意味では少しずつ理解できるようになって、大ちゃんがそれで癒されるなら、と続けていたものの。ここまで執着されるとちょっとは怖くなってくるというものだ。

(やっぱり会ってきちんと断らないとダメかも…)

メールでは言葉足らずになるし、上手く伝わってないのかもしれない。ここは一度大ちゃんに会ってハッキリ「もう会わない」と伝える。理由も話せば大ちゃんは優しいからきっと分かってくれるはず。そう思った。
メールを開き、大ちゃんの都合を確認する為「明日会える?」と送ってみる。すると秒で『もちろん。いつもの店でいつもの時間に待ち合わせよう』と返って来た。

「はあ…面倒だけど仕方ない…」

そこで了解と送り返しておく。

「一応…圭介には言っておいた方がいいか」

口は悪いけど何だかんだ心配はしてくれてるし、もう会うなと言われてる手前、報告だけでもしておこうと思った。ケータイをテーブルに置いて、圭介の部屋の前に立つと「起きてる?」と声をかける。すると中から「何だよ」と返事が返ってきた。

「入っていい?」
「おう」

お許しを得たのでドアを開ける。このくらいの年代の男の子の部屋は勝手に開けちゃいけないと本能的に知ってるから、毎回こうしてお伺いを立てるようになっていた。そういうのは友達の希子が教えてくれる。けど圭介はわたしの知ってるどの男よりも淡泊だと思っていた。この前添い寝体験をさせてあげた時も、何も感じてないようだったし、結局お互い朝まで一緒のベッドで寝てしまったのにも関わらず、特に何もなかった。まあ目が覚めて顔を合わせた時はさすがに圭介もビックリしてたし、何なら「何でオマエがここで寝てんだ」とベッドの下へ落とされるというオチはついたけども。っていうか女の子をベッドから追い出すとか、酷いと思う。

「何だよ」

圭介はいつものようにベッドにうつ伏せで寝転んで漫画を読んでいた。わたしはそこまで歩いて行くと勝手にベッドの端へ座って、何を読んでるのか上から覗き込む。

「何だ。エロ本じゃないんだ」
「は?…って、おい!勝手に座んな」
「だってソファないし」
「床にすわればいいだろが」

圭介は鋭い目を半分に細めながら睨んで来る。相変わらず目つきが悪い。

「やだよ。スカートだし」
「家でスカートはくな」
「そんなとこまで指図されたくないんですけど」
「チッ。で?何の用だよ」

圭介は諦めたのか、舌打ちして漫画に視線を戻したようだ。

「ああ、明日ね。ちょっと大ちゃんに会って話してこようかと」
「あ?オマエ、もうアイツには会うなつったろ」
「別に添い寝しに行くわけじゃないよ。ちゃんともう会わないって言いに行くの。ついでに理由もちゃんと話そうかと思って」
「まだアイツから連絡くんのかよ」
「うん…メールじゃ埒が明かないし。だから会ってちゃんと話そうと思って。やっぱり今まで助けてもらってたし、メールでもう会わないって言うのも何か気になってたから」

そう言うと圭介は体を起こし、ベッドの上に胡坐をかいて溜息交じりで項垂れた。

「別に彼氏でもねえのに、いちいち会って説明する必要あんのかよ。アイツからのメールがウザいなら拒否設定にすりゃいーだろ」
「そうだけど…でもそれも何か気になるし、ハッキリ説明すれば分かってくれると思うから。いいでしょ?別に。会って話すだけ。涼子さんの迷惑になるようなことはしないってば」

わたしがそう言うと、圭介はしばらく考えた後で「…そこまで言うなら勝手にしろ」と再びベッドへ寝転がった。

「勝手にしますー。じゃあね」

そう言って立ち上がろうとした時、いきなり腕をガシっと掴まれ、再びベッドに座るハメになった。

「何よ。また添い寝でもして欲しいの?」
「は?!ちげーわっ」

ちょっとからかっただけで圭介は真っ赤な顔をしながら怒り出した。冗談の通じない男だ。

「ってか…明日はどこで会うんだよ」
「どこって…大ちゃんの家がある駅前のカフェだけど」
「それってどこだよ」
「隣駅」
「フーン」
「何で?」

何か考えるような素振りをする圭介を見て、首をかしげる。別にそこまで心配することでもないのに、圭介は少し心配性気味だ。それかわたしが信用されてないだけかもしれないけど。

「じゃあ明日はオレもついてってやるよ」
「…え?何で?」
「何でって…オマエ一人じゃ危ねえだろ」
「え、危なくないよ。圭介も会ったでしょ?あの気弱そうな大ちゃんだよ?」
「気弱でも何でも男だろ。油断してんじゃねーよ」

圭介の指がわたしの額を軽く小突く。油断するなと言われても。今まで何回も添い寝してるけど、一切手を出して来ない相手だし、あまりピンとは来ない。

「大ちゃんが何するっていうの。カフェで会うだけだし、そもそもわたしに何かする気ならとっくにしてるよ」
「…そりゃそうかもしんねえけど、そういう別れ話みたいなことになったら豹変するかもしれねえだろ。だからついてってやるって言ってんだよ」
「もう…圭介はわたしのお父さん?」
「あ?誰がお父さんだ、コラ」
「いたたっ痛いってば」

またしても片手でわたしの頭を掴んでゆっさゆっさと揺らしてくる。圭介は力が強いから地味に痛い。

「で、明日の何時」
「学校終わった後だから午後4時に会う約束した」
「フーン。じゃあオマエ、真っすぐそこに行くのかよ」
「うん。あ、じゃあ帰る時、圭介のクラスまで迎えに行くよ。何組だっけ」
「………」
「圭介?」
「あ?いや……いいよ、迎えなんて。学校近くの公園で待ち合わせようぜ。駅に向かう途中であんだろ。あそこ」
「え、どうして?」
「いいだろ、別に。学校でオマエと歩いてたら何を言われるかわかんねーからな」

圭介はそれだけ言うとプイっと顔を反らす。何となくクラスに来て欲しくないように見えた。というか今さらそこで違和感に気づく。圭介は同じ学校だというのに、これまで一度も校内で会ったことがない。そもそも何組かも知らないのだ。同じクラスの松野と友達という話だけど、二人が校内で一緒にいるとこすら見たことがなかった。

「ねえ」
「あ?」
「圭介って何組なの?ちゃんと学校来てる?会ったことないよね、わたし達」
「…………」

わたしの問いに圭介はまた黙ってしまった。さっきといい、何かちょっと様子が変だ。圭介はある意味目立つはずなのに、学校で一度も見かけないのはおかしい。

「圭介…?」
「…ったくうるせーなぁ。ちゃんと行ってるっつーの。もうダブりたくねえからな」
「あ…そっか。圭介って同じ学年だけど実際は一つ上なんだっけ」
「そーだよ。何なら今度から場地先輩って呼んでいいぞ」
「ハァ?絶対やだし」

偉そうに、と言いつつそっぽを向く。でもその時、見慣れないものがベッドの枕元にあった。

「え、何この眼鏡…」
「え、あっ!おい勝手に触るな」

手を伸ばしてその度が強そうな眼鏡を取ると、殊の外圭介が慌てたように奪い返そうとしてくる。その手を交わして眼鏡をかけてみると、見た目ほど度が強くないことに気づいた。

「え、これ伊達眼鏡?」
「ちょ、返せって」
「何よ、いいじゃん。ちょっとかけるくらい――」

圭介が無理やり奪おうと手を伸ばしてくるのを見て、体を捻って抵抗する。すると圭介の手がからぶり、あげく傾いた体がそのままわたしの方へ倒れ込んで来た。

「うぉっ」
「わっ」

圭介の体の重みを受けて、わたしの体が後ろ向きにベッドへと垂れ込む。そして圭介はわたしに覆いかぶさるように上から倒れて来た…と思った。

「っぶねぇ~」
「………っ」

倒れそうになった圭介はどうにかベッドに手をついたようだ。おかげでわたしだけベッドに倒れて、今は目の前にある圭介の顔を見上げてる。彼の長い髪が頬を掠めるから、何故かじわりと顔が熱くなった。って言うかこの体勢はエッチすぎる。

「何だよ、その顔…」
「え、ど、どういう顔よ」
「はあ…つーか人のもん勝手に盗んな」
「あ」

深い溜息を吐きつつ、圭介はわたしがふざけてかけてた眼鏡をいとも簡単に取りさって上体を起こした。その瞬間、「ぶっ」と何か吹き出す音が聞こえた。

「おま…パンツ見えてっぞっ」
「え?ひゃっ」

勢いよく倒れ込んだことでスカートが見事に下腹部の辺りまでめくれて、バッチリと下着が見えてしまってる。慌てて起き上がり、スカートを戻すと、さっき以上に顔が熱くなった。

「み、見たの…?」

ジロっと圭介を睨めば「そりゃ見るだろ」とシレっとした顔で言われ、恥ずかしくなった。

「サイテー…」
「は?ってか見えちまったんだから仕方ねえだろっ」
「そ、そうだけどっ」
「見られたくねーなら家でスカート穿くんじゃねえよ」
「…う…」

さっき言われた言葉をまた言われてしまった。でもそうか。こういうトラブルもあるんだな、と理解する。別にパンツくらい見られたってどうってことないはずなのに、こんな状態で見られたから変に羞恥心が煽られてしまう。ただ…

(人のパンツ見たくせに…少しは動揺くらいしろってのよ)

再び漫画を読みだした圭介をジトっと睨みつつ。何の反応も示さない圭介が少しだけ憎たらしく思えた。普通、圭介くらいの年頃の男なら女の子のパンツを見ただけで色めきだつはずなのに――わたしの経験上――あんな無反応だったのは初めてだ。わたしのタイプの範囲外の不良だとしても、女として見られてないというのはなかなか癪に障る。そこでイタズラ心がむくむくと湧いて来た。

「…おい、何だよ」

読んでる本を後ろからサっと取り上げると、怪訝そうな顔で圭介が振り返る。構わず隣に寝転ぶと、圭介の首に腕を回してみた。ちょっとでも動揺させてやろうと思ったのだ。

「ちょ、何してんだよ…っ」
「どう?少しはドキッとした?」
「は?」

体を起こそうとする圭介を、首へ回した腕に力を入れて引き留める。思春期の男子なんて、これくらいのことでも興奮するはずだ。そう思ってた。なのに圭介は呆れたように目を細めると「オマエな…」と溜息を吐いた。

「いつも男にこういうことしてんのかよ」
「…してないけど。圭介、人のパンツ見ても全然動揺しないし、何したら動揺すんのかなと思って」
「バカか…そんな理由でこんなことすんな」
「何で?今だって圭介、全然動揺してないじゃん。何かムカつく――」

その後の言葉は続かなかった。上から見下ろしていた圭介がいきなり身を屈めて、わたしのくちびるを塞いだからだ。一瞬脳がフリーズする。なのにくちびるが触れあう柔らかい感触はしっかりと伝達してくる。あげく圭介が離れる際、ちゅ…っとリップ音までさせてきたせいで、一気に全身の血液が顔に集中したのが分かった。

「な…」
「こういうことしたくなるから」

意外にも、至近距離で見える圭介の顔は真剣で、鋭い瞳の奥に男の欲が見え隠れしている。圭介のまさかの行動に、わたしは完全に固まってしまった。
何故なら――今のがわたしのファーストキスだったからだ。