予想内と予想外―07



顔にサラサラと圭介の長い髪が降り注いで頬をくすぐる。たった今、奪われたくちびるには湿った感触。折り重なるように密着した互いの下半身。どれもが経験したことのないもので、わたしの頭は真っ白になった。


そもそも中学に入学した当初、わたしはごく普通の女子中学生だった。髪だって真っ黒のストレートだったし、ネイルだって今みたいにデコってもいない、ごくごくナチュラルな、そう。ホントに普通の爪だった。そんなわたしでも女の子に生まれたからにはメイクやお洒落に当然興味があって。ただ、どちらかと言えばママの方が「アンタも中学生になったんだからメイクくらい覚えれば」と、そういうことには積極的だったかもしれない。でも周りの友達にはメイクをするような子がいなかったから、自分だけするのも目立ってしまいそうで手が出せないでいた。

そんな時だった。たまたまトイレに落ちていた可愛い色のグロスを拾ってあげたことがキッカケで、隣のクラスの希子と仲良くなった。初めてグロスを手にしたことで、どうしても欲しくなったわたしが「これどこで買ったの」と聞いたのが発端だ。希子は見た目こそ派手で最初はちょっと怖い感じがしたものの、話して見ると凄く気さくでいい子だった。

「教えてあげるから一緒に買いに行こうよ」

そんな誘いを受けて二人で買い物に行ってからは、あれよあれよという間に希子の着せ替え人形みたいにされた。メイクをしてくれたり、ネイルを可愛くしてくれたり、着なくなった服をくれたりと、色んなお洒落をわたしに教えてくれて。後で聞いたら希子曰く、"自分の好きな物にが興味を持ってくれたことが嬉しかった"んだそうだ。それ以来、クラスの友達よりも希子とつるむことが多くなって、学年が上がり同じクラスになってからは常に二人で行動するようになっていた。

そんな中学デビューしたわたしと違って、希子はかなり早熟だった。彼氏もいたし、聞けば彼氏への貢ぎ物の為にパパ活なんてこともしてるという。逆にわたしは見た目こそ変わったものの、中学3年になった現在でも彼氏を作ったことはなく。「誰とでも寝る女」なんて変な噂を流された時はちょっとだけぶっ飛んだ。だからってわけじゃないけど、こうしてベッドの上で圭介に組み敷かれている状況はまさに初体験であり、ファーストキスを奪われたことも相まって、ちょっとしたパニックになったかもしれない。

ばちんっ

気づけば手が出てしまっていたのも、そうした理由からだ。

「…ぃて…」

圭介はわたしがビンタをしても、平然とした顔で「いてぇな」と言い返して来た。そうだ、コイツは不良だった。常に殴り合いをしてるのだから、女のわたしにビンタされたところで蚊に刺されたくらいのものかもしれない。

「何すんだよ」
「な、なな何するはこっちの台詞よ…っ」
「あ?オマエが誘ってきたんだろ」

またしても眉間を寄せながらシレっとした態度で物を言う圭介に、わたしは「誘ってないっ」と言い返した。確かにわたしの下着を見ても平然としてる圭介にイラっとして、ちょっとからかってやろうと思ったのは事実だ。でも、だけど!だからってキスする?普通はしない!

(やっぱり不良は手が早いって話は本当なんだ…。大ちゃんも男だから警戒しろみたいなこと言って来たくせに自分がキスしてくるなんて…ってかアレは油断させる為の作戦なわけ?!)

悔しくて涙をこらえながら唇を噛みしめていると、上から見下ろしていた圭介は溜息交じりで上体を起こした。

「あれで誘ってねーっつーんならオマエの頭がどーかしてんじゃねーの」
「ハァ?」

あまりの言いぐさに頭に来たわたしはガバっと起き上がってベッドから飛び降りた。

「どこがよ!普通に考えたら冗談だって分かるでしょっ」
「あのなあっ」
「…ぅ…っ」

ベッドに腰を掛けた圭介の前に仁王立ちして怒鳴ると、圭介は世にも恐ろしいといったキレ顔で睨みつけて来る。思わず怯んでしまった。

「例えオマエが冗談でやったことでも、ベッドの上で男にあんなことしたら男はアホだから勘違いすんだよ。だいたいオマエ隙ありすぎだし男舐めすぎ。大ちゃんって奴が何もしてこなかったからって誰でもそうだと思うなよって話」
「……っ~…っ…」

腹が立つのに何も言い返せない。圭介の言ってることは間違ってないからだ。ハッキリ言ってわたしは男という生き物のことを全く分かっていなかったのかもしれない。これまで接してきた男達は大ちゃんを抜かして全員が希子のパパからの紹介だ。それも買い物や食事に付き合うだけでお小遣いをくれる大人ばかりだったし、皆が紳士でわたしが嫌がるようなことは一切してこなかった。だから圭介のいうように少し男という生き物を舐めていたのかもしれない。全ての男がわたしの意志を全部尊重してくれるとは限らないということだ。圭介の言いたいことは分かる。分かるけど、でも腹が立つ!

「今度あんなことしてきたらマジで犯すからな。分かったらサッサと出ていけ」

何も言い返せないわたしを睥睨してとんでもない言葉をぶつけてきた圭介は、シッシと手で払う仕草をしてきた。それも無性に腹が立つ。

「…圭介のバカ!」

悔しいけど、それくらいしか言い返せない。そのまま部屋を飛び出して涼子さんの部屋へ飛び込んだ。後ろ手にドアを閉めた瞬間、力が抜けてずるずるその場に座り込むと、心臓が今さらながらにバクバクと動き出す。あんな不良に説教されたことも、初めてのキスを奪われたことも、全てが悔しくて涙が溢れて来る。ちょっとでもいいヤツかも、なんて思ったわたしがバカだった。

「……最低」

手の甲でくちびるを拭いながら、そんな言葉が零れ落ちる。
そうだ。最低だ。いきなり男の顔を見せる圭介も、あんなことを仕掛けてからかおうとした、わたしも――。
明日からどんな顔で一緒に生活をすればいいのか分からない。

(あ…大ちゃんのとこ一緒に行く約束しちゃったんだっけ…)

ふとそのことを思い出して憂鬱になる。今は圭介に頼りたくはなかった。








「…バカって…子供かよ」

真っ赤な顔で、目には涙を溜めながら怒鳴って出て行ったアイツを思い出しながら、軽く吹き出した。人を煽るだけ煽っておいて、キレるとかどこまでも勝手な女だと思いつつ、それが嫌だとも思っていない自分に気づく。そもそもは男の本性を知らなすぎると感じた。この前の添い寝の時もそうだ。大ちゃんって男が平気だからって他の男もそうだとは限らねえっていうのに、平然と体を寄せて来る。さっきだってそうだ。膝上の短いスカートを穿いて目の前をチョロチョロされれば、男なんて自然と剥き出しの白い太腿に目が行くし、スカートがめくれて下着が見えれば理性が働く前に邪な思いが過ぎる生き物だ。コイツ、こんな下着穿いてんのかなんて普通に思うし、更に突き詰めれば下着の中身のことまで完璧に想像してしまうのが男ってもんだと思う。それを知りもしないで平然と誘惑してきたのはの方だ。

アイツの腕が首に回った時、振り払おうと思えば簡単に振り払うことは出来た。でもそうしなかったのは、予想外にも男の部分をくすぐられたことと、思ってた以上にを可愛く思ったからかもしれない。言ってみれば理性半分、煩悩半分といったところでせめぎ合ってた。でもそれとはまったく別の方向で、アイツには腹も立っていた。いつまでも男に軽々しくこんなことをしてたら、いつか痛い目に合う。だからここらで男の怖さってもんを教えてやろうと思ったのが半分で、残りは単なるスケベ心だったけど。

案の定、は怒りだし、勝手なことを言って来た。まあ引っぱたかれるまでは予想の範囲内。ただ一つだけ予想外だったのは、キスをした時のの可愛さに少なからず動揺したことかもしれない。

「チッ…あんな顔すんじゃねーよ」

真っ赤になって泣きそうな顔をされた時、まさか胸の奥が音を立てるとは思わなかった。
外見だけ見れば何人も男を転がしてるようにしか見えない。でも、キスした時のの反応で分かった。見た目や口で言うほど、男に慣れてねえってことに。

「何だよ、そのギャップ…はぁ~!」

ベッドに寝転んでガシガシと頭を掻きむしる。おかげで変に悶々とさせられてイライラしてきた。

「あークソっ」

再び起き上がってベッドから飛び降りるとバイクのキーを手に部屋を出た。こういう時はバイクでぶっ飛ばすに限る。
玄関に向かう途中、お袋の部屋の前で一瞬だけ立ち止まったものの、なんて声をかけていいのか分からず、そのまま家を出た。とりあえず明日、に付きまとっている大ちゃんとやらを脅すなり何なりして、アイツを少しでも変なバイトから手を引かせることが先決だ。何でオレがと思わないでもなかったが、ここまでくりゃ乗りかかった船だ。

「場地さーん、走りに行くならお供していいっすか?」

その時――愛機に乗ってエンジンを吹かしていると、千冬が部屋から顔を出した。

「サッサと来いよ」
「ウっス!」

千冬は嬉しそうな笑顔で応えると、すぐに外へと飛びだして来る。こういう時、一緒に走る仲間がいるのはいいもんだな、と改めて思った。