繋がらない電話―08



明日から夏休みということで本日終業式。怠いなぁと思いつつ教室で希子とお喋りをしていた。例の大ちゃんを紹介してくれたのは希子なので、一応報告をしておく。

「え、じゃあ…昨日もう会わないって言ったんだ」
「うん。まあ美味しいバイトではあったけど、やっぱり今は人の家でお世話になってるし何かあった場合困るから」
「そっかー。でもまあお母さんの入院費は何とかなるならはしない方がいいよ。紹介したわたしが言うのもあれだけど」
「え」
「だって向いてないでしょ、は。わたしみたいに割り切れない性格だしね」
「う…ご、ごめんね。せっかく紹介してくれたのに…」
「いいのいいの。兄貴にオマエの友達紹介しろーって言われて、あん時はこっちも助かったわけだし。兄貴だって大ちゃんからたんまり紹介料もふんだくってたからね」

希子はあっけらかんとした様子で笑うから、少しホっとした。あの時はママが倒れてパニックだったし、どうしてもお金を作らなきゃと思い込んでたから必死だったのだ。でも必要ないと分かると不思議なもので、気持ち的にも彼氏でもない男の人と添い寝…ってのは抵抗が出て来たのもある。自分でもゲンキンだなと思うけど。

「でも大ちゃん、よくOKしてくれたね。あんなにを気に入ってたのに」
「ちゃんと事情を話したら分かってくれて」
「へえ、ロリコンの変態とかちょっと思ってたけど優しいじゃん」
「あはは。まあ…わたしも最初は少し怖かったけど、見た目は文句なしのイケメンだし、話すと気さくでおっとりしてるから自然と怖さもなくなってたんだけどね」
「あの外見で同じ年代と付き合えないってもったいないよねー」

希子はケラケラ笑ってるけど、本当にそう思う。ただ一つ、希子にも言わなかったけど、実は昨日で終わりにしたわけじゃない。大ちゃんは事情を話すと理解は示してくれたものの、今日もう一回だけ添い寝して欲しいと言われたからだ。でもこれで本当に最後にするし今後は連絡もしないと約束してくれたから、わたしもついそれを承諾してしまった。
因みに、昨日一緒に行くことになっていた圭介との約束はすっぽかして、大ちゃんのところへはわたし一人で行った。圭介は例の公園で待ってたらしく、帰宅してからブーブー文句を言われたけど、あんなことをされて圭介に腹が立ってたというのもある。まあ多少わたしの悪ふざけで煽ったせいというのもあって、さすがに涼子さんには話してないけど。

(なのに圭介のヤツ、あの後も普通の態度だし何か腹立つ…アイツにとってキスは大したことじゃないわけ?)

見た感じ不器用そうなのに、シレっとキスして来る辺り、相当女慣れしてるってことなのかな。不良の人達は早熟な人が多い印象だけど、圭介はそんなチャラくはない感じなのに、あんな目で見て来ちゃって――。
一瞬、男の欲を孕んだ圭介の目を思いだして、頬がカッと熱くなってしまった。

(ち、違う!今のなし!)

慌てて脳内から圭介の顔を思い出そうと必死になっていると、「何してんの?式始まるって」と希子が苦笑交じりでわたしを見下ろしていた。へ?と思って教室を見渡せば、皆が移動し始めているところだった。

「なーんか、いつもと違う。何かあった?」
「え?な、なな何が?何もないけど」
「そう?てっきりお世話になってるっていう家の男と何かいいことあったのかと思った」
「あ、ああるわけないでしょ?圭介なんかとっ」

希子にニヤニヤされ、ついムキになって言い返す。

「フーン。圭介って言うんだぁ~」
「な、何よ…」
「別に。ただ同じ学校の男子と同居ってさあ、ちょっとエッチだよね」
「…は?」
「だって不良だけどイケメンなんでしょ?何か間違い起こしそうじゃん」
「そそそんなこと――」

ない、と言おうとしたけど、あのキスも間違いを起こしたと言うなら、紛れもなく答えはYESだ。

「ん?どした?」
「な、何でもない!早く行こ」

またしても脳内にキスをされた時の光景が浮かんで思いきり頭を振ると、わたしは教室を飛び出した。思い出したくもないのに、あんなヤツにされたキスなんて。あれは、ファーストキスじゃない。カウントに入らない。そうだ、そう思えばどうってことない。自分に言い聞かせるようにその言葉を繰り返しながら、廊下を一気に駆け抜けた。







かったるい終業式も終わって帰宅すると、夜勤明けで昼まで寝てたらしいお袋が居間でテレビを見てた。今日は休みらしい。そのせいか「夜、3人で何か食べにいかない?」と珍しいことを言って来た。

「飯ぃ?何だよ、珍しい」

冷蔵庫から麦茶を出して飲んでると、お袋がウキウキした顔でオレを見上げている。

「たまにはいいじゃん。ちゃんもいることだしさー」
「…オレいいわ。夜はチームの集会あるし」

夏休みに入るってことで今夜はただ皆で集まって花火でもしようぜなんてマイキーからメールが入ってたことを思い出す。野郎同士で花火したって面白くもねえだろって思うが、まあただ大勢で騒ぎたいだけってのが大きな理由だろう。

「えーっこういう時は家族で行くもんだろが」
「家族って…どうせも明日から夏休みだし、友達と外で食ってくんだろ」
「げ、マジ…?それは寂しい…」

お袋はが遅くなるかもしれないと知ってすっかりテンションが下がったのか、今じゃふて寝をしだした。娘が出来たみたいできっと一緒に外食したくなったんだろう。があの派手な連中と寄り道して来るかなんて知らねえけど、でも早く帰って来たとしても多分、はオレがいたら嫌がるはずだ。結局昨日だって大ちゃんって奴のところに一人で行って終わらせて来たんだから。無事に終わったなんて言ってたから良かったが、は未だにあのキスのことを根に持っているようだ。オレには頼りたくねえとほざいて来た。

(ったく…オレだけが悪いみたいな言い方しやがって…ムカつく女…)

明日から夏休みで学校がない分、顔を合わせることも多くなるってのに、こんな気まずい状態でアイツと夏を過ごすのかと思うと少しだけ憂鬱になってくる。自分の部屋へ行って鞄から眼鏡を出すと、机の引き出しへとしまった。そもそもの原因がこのダサい眼鏡ってのが笑えねえ。

(つーか、アイツ、マジでどっか寄り道してくんのか…?)

いつもならオレが帰宅した前後に帰って来るはずが、今日は一向に帰ってくる気配がない。さっき学校で見かけた時は、あの田内とかいう女と一緒にいたことを思い出す。まさかまたあの女のパパとやらに飯でも奢ってもらう気か?と少しだけ嫌な予感がした。

「メールしてみっか…」

普段はそれほど使わないケータイのメール機能を開き、の名前を探す。だがハタっと手が止まった。

「あ?オレ、アイツのメアド知らねえかも…」

何かあった時の為にと教えてもらったのは電話番号のみだったいうのを思い出し、軽く舌打ちが出る。こうなりゃ直電するしかねえ。面倒くせえと思いつつ、番号を押して電話をかけるとコール音が聞こえて来た。でも何コール待っても出る気配はない。

「チッ!あのバカ女、オレを避けてんのか?」

はケータイ音に敏感で、友達から電話がかかってきた時は3コール以内で出ることが多かった。それ以外にもメールの着信があればその場で速攻開いている。そのアイツがこれだけ鳴らしても出ないということはオレを避けている以外に考えられねえ。しかも――。

「あっアイツ、留守電にしやがった…!」

不自然にコール音が途切れて留守電メッセージが流れ出し、オレは頭に来てケータイをベッドへ放り投げた。完全に避けられている。そう思うとやけにイライラしてきた。

「ったく、たかがキスくらいでいつまでスネてんだよ…」

なんて口では言ってみたものの。やっぱり彼女でもない女にあんなことをした後ろめたさはある。だから避けられると余計にイライラするのかもしれない。

(と言って今更謝るのもちげーしな…)

そこでまた悶々とする。気づけば最近アイツのことばかり考えてる気がして頭を掻きむしった。

「あー!めんどくせー!」

ベッドに寝転がって首元のネクタイを緩めると、深い溜息を吐く。
まさかこの瞬間、が危ない目に合っているなんて、オレは全く予想していなかった。







「……誰だよ、コイツ…。圭介…?ちゃんの何なんだよ…?彼氏か…?」

薄っすら意識が戻って来た時、誰かがブツブツ言っているのが聞こえて来た。ボーっとした頭でその声が大ちゃんだということに気づき、やけに重たい瞼をゆっくりと押し上げる。

(…ん…ここ…って…大ちゃんち……?)

ぼやけた視界に映るのは見覚えのある天井と照明器具。そこで終業式の後、大ちゃんの家に来たことを思い出した。「これで最後にする」というから、前のように待ち合わせをして大ちゃんの家にやってきて、それで、どうしたっけ。頭がぼんやりとして思考が上手くまとまらない。酷く眠たい気もする。

(あれ…わたし…添い寝したまま寝ちゃったのかな…)

最後に一時間だけ、なんて言って添い寝しながら前のように他愛もないお喋りをしてたことは思い出した。寝室に入る前に「暑かったでしょ」と言って大ちゃんがコーラを出してくれて、それから添い寝をしたはずだ。でも途中から記憶がぷっつり途絶えている。

(…やっぱりあのまま寝ちゃったんだ…ってか今、何時だろ…)

寝室はカーテンが閉められていて薄暗いけど、隙間からはオレンジ色の光が差し込んでいる。ということは夕方になっているということだ。

「…いけない…帰らないと…」

今日は学校から真っすぐここへ来たし、家には戻っていない。何も連絡してないから涼子さんや圭介が心配してるかもしれないと思った。

「ん…あれ…?」

起き上がろうとしても起き上がれない。というか手が動かせないことに気づいた。

「え、何で…?」

薄暗い室内。視線だけを動かして驚愕した。わたしの手首が紐のようなもので巻かれて固定されていたからだ。

「……は?」

信じられないものを見た時、人の脳は思考が固まるらしい。何が起きてるのか、考えることさえ出来ずにただ拘束されている自分の手を眺めていた。

「あ、起きた?ちゃん」
「………大…ちゃん?」

薄暗い中、足元でゆらりと人影が立ち上がったのを見てゾっとした。隣にいないからてっきりリビングにいるものだと思っていた大ちゃんは、床にしゃがんでいたらしい。ふと見れば彼の手にわたしのケータイが握られていた。

「な…何…してたの…?わたしのケータイで…」

聞きたくないけど、ついそんな質問が口から零れた。すると大ちゃんはクックックと笑いを噛み殺すように肩を揺らしている。どことなく普段の様子と違う気がして、小さく喉が鳴った。

「自分がベッドに縛られてるのにケータイの心配するなんて…さすがJCだねぇ」
「…え、ってか何これ?冗談だよね…?」

ハッキリ言ってこの時のわたしはパニくってたんだと思う。思考が全く働かなかったし、大ちゃんがどういうつもりなのかすら分からない。大ちゃんはわたしの問いに片方だけ眉を上げると、軽く小首を傾げた。

「冗談…?まさか」
「大ちゃん…?」

ゆっくりと近づいて来た大ちゃんはわたしの顔のところにしゃがむと、その綺麗な顔を僅かにゆがめながら微笑んだ。

「今日からちゃんはここで僕と暮らすんだよ」
「………はっ?」

お坊ちゃまのロリコンを怒らせると恐ろしい、ということを、わたしは身をもって体験していた。