監禁―09




暑さが肌に纏わりつくような湿気の帯びた部屋の中で、わたしは身動きが取れないでいた。両手は拘束されてベッドへ寝かされている。制服は着たままで少しホっとはしたけれど、この状況じゃいつ大ちゃんが豹変するかも分からない。少し落ち着いて来た頭で冷静になれ、と自分に言い聞かせながら、しきりにわたしのケータイを操作している大ちゃんを見ていた。

(…きっと最初に出されたコーラに薬か何か入れられたんだ…。それほど時間が経ってないところを見ると、そこまで強い薬じゃない。でも大ちゃんは本気でわたしをここへ監禁するつもりだ)

視界がハッキリしてきたところで改めて室内に視線を走らせると、部屋の隅に前まで置いていなかった大き目のチェストがある。そこには食べ物や飲み物などが乗せられていて、他にガムテープやロープなども無造作に置かれていた。床には女物の服を取り扱うショップの袋がいくつもあり、中にはランジェリーショップの物まであるのを見れば、大ちゃんがここでわたしと暮らすと言っていたのも本気なんだろう。そう考えるとゾっとした。わたしは今まさに、とんでもない事件の被害者になっているのだ。

"最後に一回だけ――"

あんなお願い聞くんじゃなかったと心から後悔した。きっと大ちゃんが会うのをやめることを承諾したのは油断させる為だったんだと、今更ながらに気づく。

「これでよし、と」

わたしの足元辺りに腰をかけてケータイを弄ってた大ちゃんが、不意に呟きドキっとした。

ちゃんがお世話になってる人って確か場地涼子さんって人だよね。心配しないようちゃんとメールを送っておいたからね」
「…は?何勝手にそんなことしてんの?っていうか、これ外してよっ」

どんなに手を動かそうとしても、かなりきつくロープで巻かれている為、びくともしない。ご丁寧に手首が擦れないようロープを巻き付けている箇所はタオルで保護されていた。だから痛みはないけど、水平に腕を広げている状態だから地味に肩や腕には負担がかかる。

「動かしても無駄だよ。疲れるだけだからジっとしててね」

大ちゃんは一度立ち上がると、わたしの傍に来てから再びベッドの端へ腰を下ろした。大ちゃんはうっとりしたような表情でそっとわたしの頬に触れて来る。それが嫌で思い切り顔を背けたものの、すぐに顎を掴まれ元の位置に戻されてしまった。

ちゃんがいけないんだよ。僕ともう会わないなんて言うから」
「そ、それはだって…説明したでしょ…っ」
「同居人の言うことなんて聞かなくていい。どうせ僕とちゃんのこと何も知らないだろ。ちゃんだけなんだ。僕を理解してくれるのは」
「……理解…?」
「そうだよ。こんな僕のことをバカにしないで添い寝に付き合ってくれた。同年代の女の子と向き合えない僕を笑ったりもしなかった。むしろ、そのおかげで僕と出会えて良かったって、会った頃に言ってくれたろ?」
「………」

言った、かもしれない。でも覚えてない。あの時は入院費を稼ぎたい一心で、物分かりのいい女を演じてただけだ。でも大ちゃんは優しかったから、そんなに変な印象を抱かなかったのも事実だけれど、そこに恋愛感情はない。

――オマエ、隙ありすぎだし男舐めすぎ。

不意に圭介に言われた言葉が頭を過ぎった。まさにそのツケが回ってこんな状況に陥っていることは否定できない。大ちゃんが何もしてこない優しい人だからという理由だけで信用して、最後の一回という言葉を信じてまんまと騙されたわけだ。悔しさや恐怖、それ以上に自分自身に腹が立った。

「ああ、汗をかいてるね。暑い?」
「さ、触らないで…っ」

汗で額に張り付いた前髪を避けられ、思わず顔を背ける。けど大ちゃんが小さく溜息を吐いたのが聞こえてドキっとした。この状態で彼を怒らせるのは得策じゃない。大ちゃんの気持ち一つで、わたしの運命は変わってしまう。そんな気がした。しばらくの沈黙のあと、ピっという音がしてベッドの上に設置されているエアコンの起動する音が聞こえてきた。この季節、夕方ともなるとかなり蒸し暑くなる。この部屋の気温もかなり上昇している気がした。

「ごめんね。急いでたからエアコン付けるの忘れてたよ」
「………」
「ああ、何か飲む?喉乾いたろ」
「い、いらない…」
「ダメだよ。汗かいたのに水分摂らなきゃ熱中症になっちゃうからね」

大ちゃんはそう言うと部屋の隅にあるチェストの上にあったペットボトルを手に戻って来た。見れば、それはわたしが好んで飲んでいた紅茶の飲料水だった。大ちゃんはキャップを開けると、そこへストローを挿し、わたしの口元へ持ってくる。

「はい。零れないように飲んで」
「…い、いらないってば…」
「ダメだよ。ちゃんと飲んで」
「………んぐ…」

強引にストローを口の中に入れられ、結局それを飲む羽目になった。ただ横になりながら水分を飲むと、どうしても…

「…ンッ、ゴホッゴホッ!」
「だ、大丈夫?ちゃん!」

激しく咽たわたしを見て大ちゃんは焦ったようにクローゼットからタオルを出して濡れた口元を拭きだした。せかっく塗っていたグロスも一緒に拭われたのか、タオルが薄っすら赤くなっている。それを見ていたら情けなくなって泣けてきた。大声で叫んだところで、この部屋が防音だというのは前に聞いて知っている。

「ごめんね…制服まで濡れちゃったね」
「い、いい…触らないで…」

今のところ大ちゃんは普段と変わりなく、濡れた首元を拭いたりして優しく接してくれてるように見える。でもいつ豹変するか分からないと思うと、また足元からジワジワと恐怖が這い上がってきた。最悪なのは、今日のことを希子にさえ話していないということだ。大ちゃんにもう会わないと伝えたことを話した以上、最後の一回というお願いを聞き入れてしまったことは何となく言い出せなかった。だからわたしと連絡が取れなくなったところで、イコール大ちゃんには繋がらないかもしれない。それにもっと最悪なのは明日から夏休みということだ。となると頼みの綱は涼子さんと圭介しかいない。わたしが無断で外泊をすれば警察に捜索願を出してくれるかも――。

いや、違う。さっき大ちゃんはわたしのケータイを使って涼子さんにメールをしたと話してた。どんな内容のメールをしたのか分からないけど、それなら涼子さんも今日中には異変に気づかないかもしれない。

(…これから夜になる。大ちゃんと一晩、何もないで過ごせるの…?今までは年下の未成年だと遠慮して手を出してこなかったかもしれないけど、監禁するつもりなら、そんな理由はどうでもよくなるはずだ…)

…と、そこまで考えて改めて恐怖を感じた時、突然大ちゃんの指が制服のリボンをしゅるっと解いていった。ゾっとして「何するのっ」と大声を上げてどうにか体を動かそうと暴れる。でも唯一動く足をバタつかせたところで何の抵抗にもならない。

「だって濡れちゃったからね。着替えてもらおうと思って」

わたしが必死にやめてと叫びながら暴れてるのに、大ちゃんは普段と変わらない笑顔を見せる。それがいっそうわたしの恐怖を煽った。

「…ゃあっ」
「暴れないで。手を外してあげるから」
「……っ?」

大ちゃんは本当に着替えさせようとしているのか、手を拘束していたロープを外そうとしている。これはチャンスかもしれない。そう思ったのに――。

「ああ…これを外しても逃げようなんて思わないでね。じゃないと…僕、何するか分からないよ」
「……な…」

大ちゃんがポケットから何かを出して、わたしの目の前にチラつかせたのは、いわゆるサバイバルナイフと呼ばれるような刃先がガタガタとした大きなナイフだった。本物を見るのは初めてで思わず喉が鳴った。手が自由になったとして、ベッドから飛び降りてドアを開ける前に刺される。もしそれを回避できたとして、寝室を出ても長い廊下の先にある玄関まで辿り着けるか分からない。ドアには鍵がかかってるだろうし、サブキーまでしていたら開けるまでに時間がかかってしまう上に、恐怖で震えた足で走り、震えた手でそれらを開けられるのかと考えたところで、逃げると言う選択肢がわたしの中から消えていく。

「じゃあ外すけど、暴れないでね」
「…わ…分かった…」

この状況ではそう応えるしかない。とりあえず手を拘束されているのはいい気分じゃないし、ここは従順なフリをして大ちゃんの様子を見るしかないと思った。

「はい。じゃあ制服、脱いで」
「……は?」

ロープを外された手首を擦っていると、大ちゃんはさも当たり前のように言って来た。

「い…嫌だよ、そんな…」
「そんなベタベタしたシャツじゃ気持ち悪いでしょ。大丈夫。下着もあるから」

大ちゃんは先ほどわたしが見つけたショップの袋をとると、それをわたしの前に置いた。どれも見覚えのある渋谷のショップの物だ。大ちゃんはわたしが動こうとしないのを見て、自分で袋の中からワンピースらしき服と、別の袋からはピンク色のフリルのついた可愛らしいブラジャーとショーツのセットを取り出した。

「ほら、汚れたのは脱いでこれに着替えて」
「……」

大ちゃんは嬉しそうな顔でわたしの前に服や下着を置く。でも一向に部屋を出ていく気配はない。

「どうしたの?早く着替えなよ」
「……き、着替えるから出ててよ」

思い切って告げると大ちゃんは「ああ」と何かに気づいたように笑った。

「そうだよね。僕がいたら恥ずかしいか…ごめんね」

シャイなちゃんも可愛いなぁ、と大ちゃんはわたしの頭を一撫でして寝室の鍵を開けてドアを開く。でも一旦振り返ると「着替えたら呼んでね」と言ってドアの向こうへ姿を消した。

「はぁぁぁ…」

一人になった途端、緊張していた分の溜息が一気に口から零れ、肩の力が抜けていく。そしてすぐに自分の荷物を探した。

「あった…」

さっき大ちゃんがしゃがんでいたらしい場所に鞄がある。でも付けていたキーホルダーもないばかりか、中も漁られていてケータイは持っていかれた。すぐにベッドの近くの窓を確認してみたものの、ここは15階。しかも窓の外にベランダの類はなく、外へ出て助けを求めるといったことは出来そうにない。

「ダメか…」

窓を開けてただ叫ぶにしても、15階じゃ下にまで声は届かないだろうし、この建物は防音設備がしっかりしてると話してたことから、隣の部屋の人にすら気づいてもらえない可能性の方が強い。例え薄っすら人の声が聞こえる程度に気づいてもらえたとしても、その前に大ちゃんが気づいて妨害されるだろう。

「マジヤバい…どうしよう…」

逃げられる可能性をアレコレ考えてみても、まずムリだと分かって途方に暮れる。ワンチャン、ケータイさえ奪い返すことが出来たらといったところだ。その時、コンコンとドアをノックする音がしてビクリと肩が跳ねた。

「着替えた?」
「ま、まだ…もうちょっと」
「早くしないと開けちゃうよ」
「ま、待って!すぐ着るからっ」

大ちゃんに入って来られても困る。すぐに濡れたジャケットやシャツを脱ぎ、少し抵抗はあったものの下着も全て脱いで用意されてるものを身に着けた。最後にワンピースへ手を伸ばし、広げてみれば、それはロリータの子達が着るようなヒラヒラフワフワドレスだった。

「げ…これをわたしに着ろと…?」

好みとは真逆の服に口元が引きつる。そう言えば大ちゃんはどっちかと言えばロリータ系の子がタイプだと前に話してたっけ。わたしみたいなギャル系は苦手だったのかもしれない。でも、じゃあ、何でここまで執着されてるんだろう。

「と、とりあえず着なくちゃ…」

下着姿の時に入って来られても困るし急いでそのドレスを着た。普段着慣れない恰好すぎて少々手間取ったものの、どうにか着替えて背中のファスナーを上げていく。でも上げ切る前に寝室のドアが開いた。

「まだ?遅くな……って、凄い可愛いよ、ちゃん!」

最初は不機嫌そうに入って来た大ちゃんは、着替えたわたしを見て満面の笑顔を浮かべた。そのうっとりした顔にわたしの頬がどこまでも引きつっていく。

「ああ…やっぱりちゃんはこういう服の方が似合うよ。メイクとかもこれから少しずつ変えて行こうね」
「……か、変える…?」
「そう。今日からちゃんは僕のお人形だから」
「………っ」

後ろ手にドアを閉めると、大ちゃんはニッコリと微笑みながらわたしの方へ歩いて来た。







「…ここか…」

20階建てのマンションを見上げながら、オレはバイクを下りてエントランスの方へと歩いて行った。話の通りオートロックらしいドアの前に立ち、ふと横にある郵便ポストを見ていくと、1503室に"白石"という名前を見つける。ここがあの"大ちゃん"という男の部屋だろう。

「…のヤツ…マジでここにいんのか?」

先ほど電話したのダチの話を思い出しながら首を傾げる。もう会わないと言った次の日にここへ来てるとは考えにくいが、あのダチの女が心当たりはここしかないと言うのだから探してみるしかない。

「ったく…マジでいたら説教してやる」

イライラしつつインターフォンの前に立つと、1503と数字を入力した。

そもそも、何故オレがを探しにここへ来たのかと言えば、話は数時間前に遡る。学校から帰宅して、オレは東卍のメンバーと集まる約束をしてた為、夜には外出。でも集会場所の神社に来てすぐにお袋から電話がかかってきた。

『今ちゃんから夏休みの間は友達の家に泊るってメールきたんだけどさぁ。ちょっとおかしいんだよねー』

お袋が言うには、いつものの文章とは明らかに違うと言う。オレにはサッパリ分からないが、絵文字だか顔文字が一切なく、文章の打ち方もらしくないと言う。気のせいだろと言ったものの、人はそんな急に普段の言葉遣いや文章を変えられるものじゃないと言い張った。『嫌な予感する』というお袋に頼まれ、が本当に学校の友達と一緒にいるのか調べて欲しいと言われた。何でオレが?と文句を言ったものの、そこはお袋のパワハラとも取れる圧でオレが屈する形になった。

(クソ…言うこと聞かなかったら一週間、飯抜きとか、お袋のヤツ、マイキーより理不尽だ…)

と言って、お袋の言うようにの身に何かが起きてたとしたら、さすがにそれは心配でもある。ただのダチの連絡先など知るはずもなく、どうやって探すか考えていた時、「どうしたんスか?場地さん」と声をかけて来た千冬を見てコレだと思った。

「オマエのクラスののツレ、アイツなんて名前?」
「え?あー…田内希子っスか?」
「ソイツのケータイ知ってっか?」
「い、いや…知らないっスけど。何かあったんスか?」

驚く千冬に簡単に説明すると、奴はすぐに動いてくれた。千冬がつるんでいたツレの中に1年の頃、田内と付き合ってた男がいるらしい。ソイツからどうにかケータイ番号を聞きだしてくれた。

「今も番号が変わってなければコレらしいっス」
「さんきゅ!」

とりあえずその番号に電話をかけてみると、相手はすぐに出た。田内もと同じく3コール以内に出るタイプらしい。

『あぁ~?誰ぇ?』

と怠い話し方をされてイラっとしたものの、事情を簡単に説明し、と一緒かどうかを尋ねてみた。

『えーなら学校帰りに別れてから会ってないけど。マジで連絡つかんの?』

どうやらお袋の勘が当たったらしい。それを知った時、胸の奥がざわりと嫌な音を立てた。

「かけても留守電になんだよ。どこ行ったか心当たりねえのか?誰かと会ってるとか」
『別に何も言ってなかったけどなぁ…。それにはウチの紹介で男とご飯行ったりしてただけで、それ以外に会うとしたら大ちゃんくらいしかいねーんじゃね?』
「あ?ソイツにはもう会わないって言ったんだろ」
『まあ、そう言ってたけど大ちゃん、かなりに執着してたし、また呼び出されたのかもー』

ケラケラと呑気に笑う田内にイラっとはしたものの、執着してたと聞いて嫌な予感が確信に近いものに変わる。そこでどうにか大ちゃんって奴のマンションを聞き出し、ここへ来たというわけだ。

「…はあ…何でオレが…」

何度目かの溜息を吐きながら相手が出るのを待つ。今は夜の10時を回ったとこで、大学生なら帰っていない場合もある。だが田内の話だと大ちゃんとやらは夜遊びはそれほど頻繁にしないと言う話だった。前にと一緒のとこを見た限り、普通の爽やかイケメンといった風貌だったことを思い出す。

「チッ…出ねえ。やっぱ留守か?」

と言って心当たりはここしかない。あの男が戻るまでここで待ってみるかと考えながら、ガラス張りの扉から見えるロビーを覗き込んだ。こういうマンションには管理人が在駐してるはずだが、こんな時間じゃすでに窓口は閉じられていて誰もいない。もしいればがここへ来たかどうかくらいは聞けたかもしれないのに。

「クソ…めんどくせえ…どうっすかな…」

とボヤいた時だった。ロビーエレベーター前の隅っこに見覚えのあるものが転がっていることに気づき、小さく息を飲んだ。

「あれ…が鞄につけてた変な形のキーホルダーじゃねえか…?」

ハニワか何かの形をした小さなキーホルダーで、友達からお土産にもらったからと常に付けていたのを思い出す。アレがエレベーター前に転がっているということは、やはりはここに来ている。或いは来たかのどっちかだ。

「何でアイツ、また…」

もう大ちゃんと会わないと言った時の顔に嘘はなかったはずだ。なのに何でまたここに?とは思ったが、それは後で本人に聞けばいい。今はが自分でメールを送れない、電話にも出られない状況にいると仮定して動くことにした。

「ってことは留守ってのも怪しくなってくんな…」

目の前の高いマンションを見上げながら、オレはどうにか中へ入れないかと考えていた。