救出劇のあとに―10




(これって…何ごっこ?)

全く趣味の違う服に着替えさせられ、ベッドの上で大ちゃんに抱きしめられながら添い寝させられてるおかしな状況に、恐怖が少しずつ和らいでいく。というか冷静になってきた。監禁された時はてっきりレイプされると覚悟したのに、大ちゃんは一向に手を出してはこない。むしろ状況だけ見れば前と同じ、ただ添い寝をするだけ。いったいコイツは何がしたいんだと思っていると、「あー癒される…」と大ちゃんが呟いた。

「僕、ちゃんとこうしてる時が一番幸せだよ」
「……それにどう応えれば正解?」
「………」

わたしが問いかけると大ちゃんは黙ってしまった。間違えたかな?と思っていると、大ちゃんは少しだけ体を離し、わたしを見下ろしくる。彼の表情は怒っているとかではなく、どこか悲しそうに見えた。

「…怒ってるよね、こんな強引なことして」
「………それは…」

これまた答えに困ることを訊かれて言葉につまる。本音を言えば怒ってるし怖いし混乱してる。どんなに優しい言葉を言われようと、こんな犯罪行為を受け入れられるわけがない。わたしは人形じゃなく、生きてる人間であって意志があるのだ。その意志を丸ごと無視されて好き勝手に弄られるのは屈辱的だ。

ただ、少なくともわたしだって大ちゃんを利用してお金を稼いでいた。それはわたしの責任でもある。彼に甘い夢を与えて対価を受けとる。一歩間違えればこれだって犯罪行為に当たるかもしれない。やっぱり対人間であって大ちゃんにも気持ちはあるし、こういう付き合いをしてたら相手の気持ちがどう動くかなんて分からないのだ。大ちゃんの気持ちをそこまで想像できなかったわたしも悪い。

「やっぱり…怒ってるんだ…」

わたしが何も応えなかったからか、大ちゃんはしゅんとしたように目を伏せた。この場合、怒ってないよというのが正解かもしれないけど、それを言えば監禁されてることを受け入れてると思われてしまいそうで言えなかった。すると大ちゃんは溜息を一つ吐いて、わたしを抱きしめていた腕を解いた。

「そんなに体を強張らせないでも何もしないよ」
「…だ、大ちゃんは…何がしたいの…?ずっと閉じ込めておけると思ってる?」

ついそんな質問を投げかけると、大ちゃんは「さあ」とだけ応えて起き上がった。

「そのうち見つかるかなとは思ってるよ。ただ…ちゃんと一緒に暮らしたいだけなのに」
「わたしは…帰りたい…」

思い切ってその言葉を言えば、大ちゃんの肩がピクリと跳ねた。やっぱりまずかったか?と心臓が次第に速くなっていく。こういう変わった人はあまり刺激しない方が得策なのは本能的に分かっているのに、わたしの意志を無視した発言に少しだけイラっとしてしまったのだ。大ちゃんはふとわたしを見て、ぽつりと言った。

「…どうせ見つかって捕まるなら…いっそちゃんを道連れに死のうかな」
「……な……」

間違えた。と、そう思った。こういうタイプは追い詰められると簡単に死を考える気がしてきた。

「でもその前に…ちゃんを好きにしていいよね」
「…ちょ…」

ふっと笑みを浮かべて、突然覆いかぶさって来た大ちゃんに血の気が引く。一瞬、このまま手を出されないなら時間をかけて油断させて脱出方法を考えようと思ってた。でもそれが甘い考えだったと思い知らされる。

「な…何もしないって言ったじゃない…」
「ああ、もちろん。最後まではしない」
「……最後…まで…って…」

意味が分からず、確認するように大ちゃんを見上げれば、彼はあっさりと言った。

「しないっていうか…出来ないんだ、僕」
「……っ?」

わたしを見下ろしながら微笑む大ちゃんにゾっとした。いつもの笑みのようでいて、いつもとは違う冷たい眼差しが射抜くようにわたしの精神を攻撃して来る。

ちゃんは知ってるかな。EDっていう男の病気」
「……ED?」

聞いたことがあるようでいて、それが何を意味するのか分からず戸惑っていると、大ちゃんは身を屈めてわたしの耳元に顔埋めた。

「勃たないって言えば分かるだろ?」
「……っ」

すぐ傍で囁かれ、ゾクリとした寒気が走る。まさか、彼はその病気のせいで――。
そう思った瞬間、大ちゃんは体を起こしてわたしの頬へ触れて来る。条件反射で顔を背けると、彼はかすかに笑ったようだった。

「この病気のせいで恋愛も出来ない。最初はね、普通に同じ歳頃の子と付き合ったりしてたんだよ。でも身体の関係を持とうとした時に気づいた。頭では興奮するのに僕のあそこは少しも反応しない。最初は緊張してるだけだと思った。でも何度もそういうことがあれば彼女も不審に思う。だから…病院に行ったんだ。そしたらEDって診断されてさ。驚いたよ。僕の年齢でもそんな病気になるんだって。そして絶望した」

淡々と話す大ちゃんは何もかも諦めているように見える。何故大ちゃんが同年代の子を愛せないのかと思っていたけど、それにはちゃんとした理由があったらしい。そして頭の隅でホっとした。一先ず無理やり処女を奪われることはなさそうだ。ただ、最後までしないということはセックス以外のことをされる危険性はあるということで。それを考えるとやっぱり怖い。

「こんな体じゃ恋人も出来ない。出来たとしても僕の病気のことを知れば幻滅される。だからちゃんみたいな年下の子だったら、手を出さなくても怪しまれないと思ったんだ。けど…もうこんなことをしてしまったし、未来なんてないから最後はちゃんと楽しい時間を過ごしてから死にたいと思ってさ」
「か、勝手なこと言わないでよ…わたしは…死にたくない…」
「うん。そう言うと思った。僕だってちゃんが今までみたいに会ってくれていたら…ここまでするつもりはなかったよ。でも会わないって言われて僕は更に絶望した」
「…や…っ何すんのっ!」

大ちゃんの顏から不意に笑みが消えてドキッとした瞬間、大ちゃんの手が伸びて背中のジッパーを無理やり下ろされた。驚いて暴れた両手を拘束されて頭の上に縫い付けられる。

「大丈夫。勃たないけど気持ち良くはしてあげられるから」
「…は?何言ってんの…っ?やだってばっ」

大ちゃんは片手でわたしの両手を抑えつけると、もう片方の手でワンピースのスカートをまくり上げて来る。太腿を撫でられ、必死に足をばたつかせたものの、上から覆いかぶさってくる大ちゃんを押しのける力はない。

「やっぱりスベスベだね、ちゃんの肌」
「…や、触らないでよ、変態っ」

太腿を撫でていた手が内股の方へ移動するのが分かって鳥肌が立つ。思わず怒鳴ると、大ちゃんは怖い顔でわたしを見下ろした。

「ダメだよ。そんな口汚い言葉を吐いちゃ。せっかく可愛いのに台なし。そう言う口は塞がないとね」
「…ちょ、やめて…っ」

ベッドの下から何かを拾い上げた大ちゃんの手にはガムテープが持たれている。それの意味を理解した瞬間、顏から血の気が引いた。やっぱり大ちゃんはどこかイカレてる。

「大人しくしないとこれで口を――」

と大ちゃんが言いかけた時だった。室内にインターフォンが一回鳴り響き、心臓がドクンと大きな音を立てた。このオートロックのマンションはエントランスからだと二回鳴る仕組みになっている。だけど今のは一回しか鳴ってない。それはこの部屋のドア前から鳴らされたということだ。大ちゃんもそこに気づいたのか、ハッとした様子でドアの方へ視線を向ける。

「助けて――!!」

大ちゃんの視線が外れたのを見て、頭で考えるよりも先に叫んでいた。防音で聞こえないかもしれない。でも少しのチャンスも逃したくなかった。

「誰か!助けて…!」
「静かにしろっ」

そこで大ちゃんが我に返ったのか、わたしに跨ったままガムテープを破り、それをわたしの口に張り付けてきた。

「んー!!」
「こんな時間に誰だ…」

大ちゃんはブツブツ言いながらわたしの両手、両足首にまでガムテープを巻きつけると、「大人しくしてて」と言いながら寝室を出ていく。それを見てわたしはすぐに体を起こすと、テープでぐるぐる巻きにされた手をどうにか動かし、足首に巻かれたテープを外そうと必死に手を伸ばした。今なら寝室に鍵はかかっていない。ナイフもベッドの下に転がったまま。そのナイフを使って大ちゃんを脅せば、玄関まで突破できるかもしれないと考えた。
今、尋ねて来た人間が大ちゃんの友人なら、多少の会話は交わすはずだ。その間にテープを外してしまえれば――。そう思いながら必死で動きにくい体を動かし、足首に巻き付いたテープを外していった。







「いーからここ開けろつってんだよ!!」

ガンっとドアを思い切り蹴ると、大ちゃんはインターフォン越しに『ひ…っ』と悲鳴を上げるのが分かった。
マンション内にどうやって入るか考えていたがいい案は一向に浮かばず。仕方ねえから郵便受けの名前を調べ、適当に部屋番号を押す。そして相手が出たら名前を確認し、宅配業者を装ってオートロックを外させた。運よくカメラなどはなかったことで相手は特に疑いもせず開けてくれたが、これじゃオートロックの意味ねえじゃんと呆れつつ。マンション内に入ってしまえば後はどうにでもなると、大ちゃんとやらの部屋までエレベーターで上がっていく。もし部屋にいても出てこない場合を考えたものの、そうなればそうなったで今度は隣の人間に頼んでベランダ伝いで部屋を確認するつもりでいた。別に警察を呼ばれても構わないくらいの気持ちで、まずは目当ての部屋のインターフォンを鳴らす。けど予想外にも『はい…』と相手からの応答があった。

『どちらさまですか…?』

どこか怪訝そうな声で相手が応答した瞬間、「ここにいんだろ」と間髪入れず言ってみれば、大ちゃんが小さく息を飲むのが分かった。その後は問いただしても知らないの一点張り。けど何となく動揺した様子が声から伝わって来た。それに『け、警察を呼びますよ!』と言ったわりに呼ぶ気配がない。そこで冒頭のようなデカい声で怒鳴り、ドアを蹴った。

「いいから部屋ん中を確認させろ。テメェの言うようにいないなら警察でも何でも呼べばいいだろが」
『…くっ…き、君は…ほんとにちゃんの友達…?』
「あ?友達なんて言ったか?オレはアイツを預かってる家のもんだ。連絡つかねえからテメェんとこに探しに来てんだよ!その様子じゃはいるんだろ?早く開けねえとオレが先に警察呼ぶぞ、コラ」

これくらい脅せばいいかと思って言ったが、相手はすっかりビビったのか『あ、開けるわけないだろ?君が何をするかわからないのにっ』と言い出した。

「………(マジでめんどくせえ)」

こうなればドアをぶっ壊してでも中へ入ってやろうか、と考えていると、インターフォン越しに『あっ?ちょ、危ないよ、そんなもの持っちゃ!』という声が聞こえて来た。同時に『…いいからそこどいてっ』と怒鳴るの声。やっぱりここにいたのか、と安堵の息を洩らした直後、ガコンっという雑音と、オロオロする男の声が聞こえて、中で何が起きてんだ?と思った時だった。カチリという解錠音がして目の前のドアが勢いよく開いた。

「きゃっ」
「うぉっ」

開いた瞬間、中から飛び出て来た人物と正面からぶつかる。同時にカランっという金属音がした。

「け、圭介?!」
「は?オマエ…か…何だ…そのヒラヒラな恰好――」

と指をさした途端、が思い切り抱き着いてきた。

「…圭介!」
「お、おい――」
「…こ…怖かったぁぁぁ…!」

背中に回った細い腕にぎゅうっと抱きしめられ、何が何だか分からない。ついでに足元に落ちていた大きなサバイバルナイフが視界に入り、それにはもっと驚愕した。あげく視線を落とせばの着ているフリフリワンピースの背中のジッパーが腰まで下がっている。そのせいで下着のホックの部分まで丸見えでギョッとした。

「おい、!アイツに何かされたのかよ?」
「さ、されるわけないでしょっ!っていうかされる寸前で圭介来たから助かった…し…」
「あ、おいっ」

の腕の力がふっと消えたと思ったら、いきなり崩れ落ちそうになり慌てて支えた。見ればは意識が朦朧としているのか、グッタリしている。安心したら気が抜けたようだ。仕方ねえから特攻服の上着を脱いで、の肩からかけてやった。

そこからは大変だった。警察に通報し、夜のマンションに数人の制服警官がやって来て、近所の野次馬もわらわら出て来る中、大ちゃんは警官に囲まれパトカーに乗せられて行った。オレとも事情聴取を受ける為、渋谷の警察署まで移動する羽目になり、結局全てが終わったのは朝方だった。

「…ちゃん!圭介!」
「…お袋」

一応、未成年ってことでお袋に連絡がいき、迎えに来てくれたようだ。

「無事で良かったぁぁ~~!!」
「ご、ごめんね、涼子さん…心配かけて…」

泣きながらを抱きしめるお袋を見て、オレもホっと胸を撫でおろす。問題は大学生の大ちゃんと中学生のがどういう関係なのかを根掘り葉掘り聞かれたそうだが、ソフレだと言ってもやっぱり意味が通じなかったらしい。それでも肉体関係はないと言い張ったようで、結局はおとがめなし。ただの被害者ということで終わった。

「…もうちゃんに何かあったら多香子になんて言えばいいか分からなかったよ…はあ…寿命が三年は縮んだ」
「ご、ごめんなさい…。あの…圭介もありがとう…助けに来てくれて」
「…いや…オレは言われて探しに行っただけだし」

今回、の異変に気づいたのはお袋だ。あれがなければが外泊しようが、きっと友達と遊び歩いてるとしか思わなかったかもしれない。

「…それでも…嬉しかった」

よほど怖かったんだろう。初めて素直な笑顔を浮かべるを見て、オレも間に合って良かったと内心思う。

「おう…もうバカなことすんなよ」
「うん…ほんとごめん」

本当なら、嘘をついてアイツのマンションに行ったことを説教してやろうかと思ったが、本人が一番自分の行動を反省してるのを見て何も言わないでおいた。多分これに懲りて二度とバカなバイトはしないだろうし、男が見た目じゃ分からないという戒めにもなったはずだ。

「でも…大ちゃんどうなっちゃうのかな」
「あ?酷い目にあわされたのにアイツの心配かよ」
「べ、別に心配なんてしてないよ…。ただ警察沙汰になったし大学とかも退学になるのかなって」

やっぱ心配してんじゃん、と内心思っていると、お袋が代わりに口を開いた。

「まあ未成年に薬盛って拘束、監禁したわけだからね。ケガはさせられてなくても心の方に傷をつけたことには変わらない。退学は妥当だと思うよ。初犯とはいえ相応の罰は受ける」
「…そっか…」
「でもちゃんも多香子の為とはいえ、もうそんな危ないバイトはするんじゃないよ?何かあっても今回みたいに運よく助かるとは限らない」
「…はい。もうしません」

素直に頷くを見て、お袋はニカッと笑うと「じゃあこの話はこれで終わり!」と言いながら彼女の頭をぐりぐりと撫でた。結局こうなった以上、何故がアイツと知り合って、どういう関係だったのかを知られることにはなったが、お袋は多香子さんには話さず自分の胸に止めておくと決めたようだ。

「じゃあ今夜こそ三人で夕飯食べに行かない?」

家路につきながら、お袋がウキウキしたように言いだした。

「あ、行きたい!っていうか今すぐ何か食べたい」
「あー夕べから何も食べてないんだっけ。じゃあまずは我が家に帰って…って言っても材料がないか。夕べは買い物に行かなかったし」
「ペヤングあんだろ。この前買いだめしたヤツ」

つかさずオレが口を挟むと、は徐に顔をしかめてふくれっ面で睨んで来る。大事なペヤングを分けてやろうってのにムカつく態度だ。

「…朝からペヤングって…」
「あ?文句あんのかよ」
「ある。ああいうのはカロリー凄く高いんだから」
「ハア?カロリー気にしてるやつは飯食うな」
「え、食べるよ。お腹空いてるし」
「って食うんかよ」

いつものやり取りで苦笑交じりに突っ込めば、不意に服をツンと引っ張られた。見ればは羽織ってるオレの特服をつまんで「これ…ありがとね」と呟く。その顏がやたらと可愛く見えて、予想外にも胸が音を立てた。頬を赤らめ、恥ずかしそうに視線を反らしてる姿はいつものらしくない。

「…別に…ってか、サッサと帰ってそのヒラヒラした服は脱げよ。全然似合ってねーぞ」
「う、うるさいなぁ。これは別にわたしの趣味じゃないもん」
「まーたケンカしてるの、二人とも。仲いいねえ」
「「仲良くねえ!」ない!」

同時に叫んでハッとしながら互いに顔を見合わせると、お袋の顏がにやぁっと不気味な笑みを浮かべた。

「ぷぷぷ。気も合ってるじゃない。お似合いだよ、二人とも」
「ハァ?どこがだよっ」

ふざけたことを言って来るお袋に文句を言いつつ歩いて行く。でもオレの服をつかんだままのの手は、家に帰るまで外されることはなかった。