ふたりだけの夏休み①―11



「…ほんっとーにごめん!!」

あの最悪な監禁事件から一週間。だいぶ気分も追いついて来たことで久しぶりに希子とカフェで会うことになった。でも開口一番、希子は両手を合わせて頭を下げるからちょっとだけビックリしてしまった。希子は自分が紹介した相手があんな事件を起こしたことを申し訳なく思ったらしい。

「希子のせいじゃないってば。わたしの考えが甘かったんだよ。最後にって拝まれてあっさり騙されたわけだし」
「いやでもさぁ~~~!まさかあの大ちゃんがなあ~…兄貴もマジでビックリしてたし…」
「人は見かけによらないって分かったし、いい勉強になったかなー」
「いや、お人よしすぎん?もう少しで処女喪失するとこだったんだよっ?」
「え…っと…まあ…で、でも大ちゃんそういうことする気じゃなかったみたいだし…」

まあ、ちょっと変なことはされそうだったけど。でも…大ちゃんの身体のことは希子にも言わなかった。きっと大ちゃんなりに凄く悩んでたんだろうし、その過程で心が歪んでしまったような気がする。

「あ、でもさー。が世話になってるとこの…えっと…バチ?」
「バチじゃなくてばーじ!場地圭介」
「ああ、そう、その場地圭介?ってヤツ、チョーいいヤツじゃね?いきなり私のケータイに電話してきた時はビビったけどさー。何か必死って感じで。しかも結局その圭介ってのが助けに来てくれたわけでしょ?マジ、カッコ良くない?」
「あ、え、う…ま、まあ…」

突然圭介の話題を振られて言葉に詰まった。希子の言う通り、あたしも圭介が来てくれた時は死ぬほどビックリしたし死ぬほど嬉しかったから、改めて言われると何となく照れくさい。

「で、でも圭介はほら…っわたしを預かってる責任があると思ってるから…」
「げっ何それ!圭介ってヤツ、不良なんでしょ?のわりに真面目かよ」
「あー…不良は不良なんだけど…割とお母さん思いっていうか…まあ…ちょっと不良っぽくは…ないかも」
「マージで。不良のクセに母親思いとか何そのギャップ!ガチでキュンキュンくるんですけど?!顔は?!イケメンって言ってたよね」
「か、顔はまあ……目つきは悪いけど顔はそんな悪くない…かな…。犬っぽい八重歯も可愛いし…」

なんて言いつつ、だんだん顔が熱くなってくるのは何でなんだろう。でも次の瞬間、希子が身を乗り出してきた。

「え、不良なのに八重歯可愛いとかヤバ!紹介して!」
「…えっ?き、希子は年上好きでしょー?それに不良は嫌いだって言ってたじゃない」
「まあ不良は嫌いだけどさー、そんな話聞いてたらどんな男か気になって…って…あれあれ~?」
「な、何よ…」

希子が頬杖をつきながらニヤニヤした顔で見て来るから、更に頬が熱くなった。こういう時の希子はやたらと食いついてくるから困ってしまう。

「なーんか紹介したくなーいって顔してんじゃん」
「そっそんなこと…は…」
「ほっほー。やっぱそうか~」
「は?何よ、やっぱって…」

希子はタピオカミルクティのストローをグルグル回しながら、未だにニヤニヤしてわたしを見てるから、いい加減変な汗が出てきてしまう。

「いや分かるよ。怖いとこをサクッと助けに来てくれたら、そりゃ絆されるよね~って話~」
「…なっ何よ、それ。それじゃまるでわたしが圭介に絆されてるみたいじゃないっ」
「え、実際そうじゃね?ってさー。私と違って根は真面目だし、必要以上に恩を感じちゃってコロっと落ちそうだもん」
「ひ、人を単純みたいに言って…っ」
「いいじゃん。はさー。同じ歳くらいの男があってるって」
「……バカにしてる」
「してないってー!私のなくしたもん持ってるが羨ましいつってんの。は~私もときめきたいなー」

希子は勝手なことばかり言いながら、今度は大げさに溜息なんて吐いてる。そりゃわたしだって希子みたいな大人じゃないし、歳の離れた男の人はやっぱり怖い。でもだからって何で圭介?と思ったりもするけど、前ほど嫌な気持ちがしないのは、希子が言うみたいに絆されたってことなんだろうか。そりゃ助けに来てくれた時はすんごく嬉しかったし色々気遣ってくれて優しいなあとは思ってるけど。だからってイコール圭介が好きかっていうと、そんなはずはない――と思う。







「――えっ?旅行?」
「そーなのー!」

涼子さんは驚愕するわたしをよそに、嬉々とした笑顔で言った。

夕方、希子と別れて家に帰ると、ちょうど涼子さんが日勤を終えて帰って来た。どこかウキウキした様子に見えた涼子さんは、夕飯の準備を進めながら「あのさー」と振り返った。テーブルの上の邪魔な雑誌とか漫画――殆ど圭介の――を片付けていた手を止めて顔を上げると、満面の笑みを浮かべた涼子さんと目が合う。

「私、もうすぐまとまった夏休みとれるのよ。でねー同僚の子数人と関西方面に旅行に行くことになったんだー」

その言葉を聞いて冒頭のように驚いたというわけだ。

「か、関西方面…」

ということはその間――。

「京都大阪神戸と10日ほど行って来るから、ちゃん圭介と留守番よろしくね!」
「……えっ!10日も?!」

旅行と言っても3日程度の短期間だろうと思ってたわたしはちょっと、いや、かなりビックリしてしまった。

「っていうのがさー。わたしと同僚の子が有給余ってるから早く使ってくれって上司から言われちゃって。だから夏休みと合わせて有給消化旅行なんだよねー」

有給休暇。大人とは何ていいものがあるんだろうと思いつつ、でもそれは涼子さんが普段頑張って仕事をしているからだ。普段から日勤と夜勤を交互で受けながら女手ひとりで働いてるのはママと同じ。たまには長い休みを取って羽を伸ばしたいのかもしれない。

「分かった。留守は守るし楽しんで来て」
「ありがとー!その間、家事はちゃんに任せることになっちゃうけど…」
「そんなのいいってば。いつもお世話になってるんだし、わたしがやるよ。自分の家でもやってたわけだし」
「そう?ほんと助かる!圭介はそーいうの苦手でさー。散らかすのは得意だけど片付けは下手なんだよねー」
「ちゃんとわたしがやるから涼子さんは何も心配しないで旅行、楽しんで来て」
ちゃん、ありがとー!マジでウチの娘にならない?」

なんて涼子さんは笑いながら言ってたけど、わたしは少しだけドキっとして笑って誤魔化してしまった。
その後は帰宅した圭介もその話を聞かされて驚いてはいたけど、やっぱり涼子さんが楽しみにしてる顔を見て「楽しんで来いよ」なんて言葉をかけていた。きっと普段頑張ってる母親を一時解放してあげたいんだろうなと思った。わたしもママに感謝してるし、圭介とはその辺の価値観が同じだから気持ちが凄く分かる。涼子さんは「せっかくの夏休みに家事なんてさせてごめんね」なんて言ってくれたけど、休み中は特に用もないし涼子さんが不在中はわたしも場地家の一員として色々頑張ろうと思った。

「…何してんだよ」

夜、寝る前にテーブルでメモを書いてると、涼子さんと入れ替わりで風呂から上がった圭介がバスタオルで髪を拭きながら向かいに座った。ふと顔を上げれば上半身には何も着ていない。もろに胸板が視界に飛び込んできてカッと頬が赤くなる。初めて見る男の裸に恥ずかしくなって、つい「服着てよっ」と文句を言ってしまった。

「あ?風呂出た直後はあちーんだよっ」

圭介は不貞腐れた顔で言いのけると、サーキュレーター代わりに回してた扇風機を自分の方へ向けて涼んでいる。せっかくエアコンで冷えた空気を循環させてるってのに、独り占めしてる姿に呆れつつ、続きを書こうとメモしていく。少しだけ手が震えるのは気のせいだと思おう。いっそ圭介の存在はいないものと思えば。なんて思ってるのに、圭介は風に当たりながらわたしの手元を覗き込んで来た。

「さっきから何書いてんの、オマエ」
「ん?ああ、これはスケジュール的なもの」
「あ?何の」
「涼子さんいない間の10日間の食事メニュー」
「食事メニュー?何でまた」
「だってその日に何作ろうかなって考えるより効率いいじゃない」

圭介は放っておくとペヤングとかそういうカップ麺しか食べないらしく、涼子さんはそこを心配してた。だからわたしがちゃんと食事を作らないといけない。その為にも自分が今作れるレパートリーを書きだしたのがキッカケだ。そこからその日のメニューを先に決めていく。

「あ?オマエ、餃子とか作れんの」
「こんなの簡単――ってか覗かないでよっ」
「あぁ?いーだろ、別に。オレにも関係あんだしっ」

そうだけどレパートリーはそう多くないから何となく恥ずかしい。ママも忙しくて少しずつ料理を教わってたけど、まだまだ作れるものは少ない。

「圭介は何か苦手なものとかある?」
「苦手なもん~?別にねえけど…って、あーあるわ。煮物系はムリ」

バスタオルを肩に引っ掛けながら圭介が苦笑している。そう言われると場地家に来てから食事で煮物系は出たことがない。というか煮物はわたしも苦手だし作る気ないから良かった。

「わたしもムリだから作らない」
「お、マジ?助かる~」

圭介はニカッと笑って身を乗り出してくる。何気に視線を向けてしまったのが良くない。もろに逞しい胸板が視界に入って慌てて反らした。

「いい加減、服着てってば」
「ハァ?何だよ、これくらい。あーオマエ、男の裸見たことねえとか?派手ななりして純情か」
「ぎゃっ」

いきなり首に腕を回され、羽交い絞めにされた。顔が胸に押し付けられ、頬に圭介の肌が密着する感触にドキっとさせられる。必死でもがいて腕を振り払うと、圭介は楽しげに笑っているんだからムカつく。

「何すんのよっ!」
「うるせえなー。大げさに騒ぐなよ、これくらいで」
「これくらいって…圭介の不良仲間と同じ扱いしないでよねっ」
「あ、おい――」

恥ずかしさで顔が熱い。メニューを書いてたメモをひっつかみ、そのまま脱兎のごとく涼子さんの部屋へ逃げると、その場にへたり込んだ。

(は、裸の男の胸にか、顔を…!)

学校では"誰とでも寝る女"とか噂されてるけど、わたしはまだ男を知らない。いくら恰好がギャルでも、ソフレがいても友達みたいに経験豊富じゃない。キスだって初めてを圭介に奪われるまでしたことがなかった。そんなわたしに上半身とはいえ裸を見せるなと言いたい。デリカシーのない男め。

「あ~メモ、ぐちゃぐちゃ…」

せっかく途中まで書いたメニューの紙が手のひらでシワシワになってるのを見下ろし、溜息をつく。

「コレも全部圭介のせいなんだから…」

ブツブツ文句を言いながらメモを手で伸ばしていく。こうなったら圭介にも家事の半分を手伝わせてやろうか。なんて、いいことを思いつく。でも次の瞬間、大変なことに気づいてしまった。

「え…っちょっと待って…涼子さんが旅行で出かけるってことは……10日間、アイツとふたりきり…ってこと?!」

今さらかよ、と自分で突っ込みたくなるようなことに気づいたわたしは、しばし言葉を失って呆然とシワシワのメモを見つめていた。







「じゃあ後のことは頼むね、圭介」
「おう。お袋はのんびり旅行楽しんで来いよ」

そう声をかけると、お袋は嬉しそうに「お土産期待してろよ~」と笑った。ついでにオレの後ろに立っているにも「じゃあ圭介のこと頼むね」なんて声をかけている。ったくガキじゃねーんだし、コイツに頼まなくていいっつーの。

「は…はい…。行ってらっしゃい、涼子さん」

は何故か笑顔を引きつらせながら応えたものの、「そ、そこまで送ってく」とサンダルを引っかけ、お袋の後からくっついて行く。その後ろ姿を見送りながら、オレは両腕を伸ばしつつ部屋へと戻った。今日から10日間、うるせーのがいなくなるし羽を伸ばせそうだ。

「千冬でも誘ってツーリングでも行っかな~」

なんて言ってる矢先、オレのケータイが鳴った。相手はちょうど電話をしようと思っていた相手からだった。

「お~千冬。ちょうどオマエに電話しようと思ってたとこ。ああ、暇だしどっか行かねえ?」

その誘いに千冬は一発で『いいっスね!』と乗って来た。時刻はちょうど昼時。じゃあ昼飯食ったら下に集合な、ということで電話を切った。

「…って、あーお袋いねえんだよな」

今さっき見送ったばかりなのに一瞬そのことを忘れてた。昼飯どうすっかなーと考えつつ、冷蔵庫を開けてみたものの、今日から家を空けるってんでお袋は買い物をしなかったらしい。中にはコーラ数本と他に調味料系しか入ってなかった。

「…チッ。何もねーじゃん…。卵あったらインスタントラーメンでも良かったけどなーってクソ暑いか…」

さて、どうすっかと考えていると玄関の方からドアの開く音。お袋を見送りに行ったが戻ってきたようだ。

「おー。お袋ちゃんとバス間に合った?」
「うん」

この家から駅まで徒歩6分くらいだっていうのに荷物あるし面倒臭いと文句を垂れ、近くの停留所からバスで行くと言い出したのは夕べのことだ。普段は乗らないことも多く、わざわざ時刻を調べていた。はそのバス停までついて行ったんだろう。

「なあ。冷蔵庫の中、何もねーんだけど」
「え?あー涼子さんが夕べ全部使い切るって言って料理に使ったの。だから今日はスーパーで色々買い出しに行こうと思ってたんだ」
「マジかよ…って言われてみりゃ夕べの飯、何か種類が多かったな…」
「あ、お腹空いたよね。じゃあ今から圭介も買い物いかない?」

が思いついたようにオレを見上げて来て、一瞬だけ言葉に詰まる。つい今しがた千冬と出かける約束したばかりだ。

「あー…悪い、今から千冬と出かける約束しちまって」
「え…」

正直に言えば、は「そっか…」と少し寂しげな顔をする。そういう顔をされると何故か罪悪感みたいなものが芽生えてしまう。と言ってオレから千冬を誘ったのに断るのも何かスッキリしねえ。

「あーじゃあ買い出しは帰ってから付き合うし、それでもいいか?」
「え…でも…圭介、お昼ご飯はどうするの?」
「それはコンビニでテキトーに買うし。あ、つーかオマエも腹減ってんのか…」
「わたしはそんなに。お腹空いたら適当に食べるし平気」
「何ならオレのペヤング食ってもいいぞ」

出血大サービスで言ってやったのに喜ぶどころか、むしろ迷惑そうな顔をされた。

「言ったでしょ?あんなカロリー高いもの、しょっちゅう食べられないって。あ、じゃあ…帰って来たら買い出しね」
「…おう」

そんな痩せてるクセに何がカロリーだと思いながら、部屋に行ってバイクのキーをポケットに突っ込む。茶の間にいくとは忙しそうに洗濯物を洗面所に運んでいた。家事は得意だと言ってたのはあながち嘘でもないらしい。

「あーじゃあ出かけて来るわ」
「うん。あ、あまり遅くならないでよね」
「…ちょっとその辺バイクで流すだけだよ」

お袋みてーなこと言いやがるなと苦笑しつつ。女ってのはどうして口やかましいんだろうなと首を傾げながら外に出ると、途端にむわっとした湿気と暑さに襲われた。

「あっちー…どっか途中で飲みもん買ってかねえと死ぬな、こりゃ」

あまりの暑さに髪をまとめてゴムで一本に縛ると、少しだけ首の辺りが涼しく感じる。まあバイクに乗りゃ風で多少は涼しくなるかと思いながら階段を下りていくと、ちょうど歩いて来た千冬と出くわした。

「あ、場地さん!どこ行きます?」
「あー…わり。あんま遠出は出来ねーんだ。その辺テキトーに流そうぜ」
「了解っす!って、何かこの後、用でもあるんスか?」

一緒に階段を下りていると、千冬が不思議そうに訊いて来る。今夜は特にチームの集まりもねえし、コイツのことだから、またどこぞの奴らとモメてケンカでもしに行くとか思ってそうだ。現に千冬は目をキラキラさせてオレを見ている。おおかたケンカなら付き合いますよアピールだろう。仕方ねえから簡単に事情を説明してやった。

「え、場地さんのお母さん、関西に旅行?」
「おー。有給と夏休み使ってなー。10日は帰らねえ」
「へーいいっスねー!じゃあ、その間、オレ達もちょっと2~3日遠出しましょーよ。東卍の皆も誘って」
「あ~。それもいいけど……でもなあ…」

さすがにを家に一人で置いて行くのも気が引ける。いやアイツなら気にしないか?…と、そこまで考えてハッと我に返った。真っ先にアイツの顔が浮かんだことにちょっと驚く。

「場地さん?どーしたんスか」
「あ?いや…まあ…泊りはちょっとな…。ほら、アイツもいるし…」
「アイツ…?あー…っスか」
「ああ。さすがに家空けて女一人にすんのもな…」

一応、預かってる身だし、まあ危ないバイトはさすがにもうしねえだろうが、家に一人置いて行くと遊んでても変に心配になる気がした。千冬は「まあ、そうっスよね~」と頷いていたものの、突然「あっ」と何かに気づいたように声を上げてオレを見た。

「場地さん…」
「あ?何だよ…」
「ってことは…10日間…とふたりきりってことじゃないっスか…!」
「……まあ…そう、なるな…そう言えば」

千冬に指摘され、ドキっとした。お袋が旅行に行く=と二人きりになるってことを、あまり深くは考えていなかったからだ。でもよく考えれば男と女が10日もの間、二人きりって何かとてつもなく不健全な気がしてくる。しばし考えこんでいると、千冬がジーっとオレを見つめていることに気づいた。

「…何だよ」
「いや…ちょっと心配で」
「…あ?心配って…何が」

まさかコイツ、オレがアイツを襲うとでも疑ってんのか?と思っていると、千冬はこれでもかってくらい眉間を寄せて一言。

のヤツが場地さん誘惑して襲わねえか心配で」
「……そっち?」
「え?」

千冬は相変わらず、千冬だった。
とりあえず――今日から10日間。オレと、二人だけの生活がスタートした。