ふたりだけの夏休み②
初日の夕飯は簡単だからカレーにした。言った通り夕方きちんと帰ってきた圭介にもカレーでいいか確認を取ると「カレー大好き」ということで難なく決定。そして約束通り駅前のスーパーまで買い物に付き合ってくれた。まずは野菜コーナーに行ってジャガイモや玉ねぎを適当に選んでカートに乗せたカゴに入れていく。そして一瞬悩んだものの人参を手に取った。すると圭介が「え、人参入れちゃう人?」と顔をしかめている。
「え、圭介も人参嫌い?」
「いや、食えるけどいらねえ部類の存在だな、それ」
「…嫌いなのね。じゃあ入れない」
手にした人参を元の場所に戻すと、圭介は「いいのかよ」と訊いて来る。いらないって言ったクセに何を気にしてるんだかと思いながら「わたしも嫌いなの」と応えた。
「でも圭介はいるのかなと思ったから手に取っただけ」
「フーン。つかオレは別に嫌いとか言ってねえけどな。食えることは食えるし」
「……何の意地よ、それ」
あくまで嫌いじゃないと言い張る圭介に軽く吹き出した。ヤンキーは人参嫌いだと言うと人参に負けた気分になるのかな?逆に人参をこっそり入れて反応が見てみたい気もする。何ともないって顔をして人参を食べてる圭介の顔を想像して、つい吹き出してしまった。
「…あ?何ひとりで笑ってんだよ。不気味な女だな」
勝手な想像をされてるとも知らず、圭介は怪訝そうにわたしを見下ろしている。でも10日間、ご飯を作る権限はわたしにあるんだから。あまり失礼なことを言うから人参を入れた料理を出してやろうって気持ちになってきた。
とりあえず野菜コーナーを離れて、次は漬物コーナーで立ち止まる。やっぱりカレーにはカレー用の福神漬けだよね。そう思ったのに圭介は別の福神漬けをカゴの中へ放り込んだ。
「…福神漬け入れたよ?」
「オレはコッチが好きなんだよ」
圭介が淹れたのはいかにも福神漬けって感じの真っ赤なやつだった。
「真っ赤じゃん…」
「福神漬けは赤だろうが」
「でもコッチはカレー用って書いてるしっ」
「あ?こんな薄茶色い福神漬けなんてまずそーだろ」
「味は同じだもん」
「同じなら赤くても良くね?」
「…………(確かに)」
言い返せないでいると「じゃあ赤いのなー?」と圭介はわたしが選んだ福神漬けを棚に戻してしまった。むむ…何か負けた気分で悔しい。
「ほら、次はー?」
圭介はわたしが掴んでいたカートを奪うようにして押し出すと「早く来いよ」と手招きしている。ハッと我に返って追いかけて行くと、そこはルーのコーナーだった。お肉コーナーに行こうと思ってたのに、いきなりルーとは圭介らしい。そう言えばカレールーってその家それぞれで違うはずだ。ウチは昔から辛口で、ブイヨンと一緒に2種類のルーを混ぜて作ってたけど、場地家のカレーってどれなんだろう。そう思ってたら圭介が慣れた手つきでルーの箱を取った。
「あ、辛口なんだ」
「あ?」
「甘口だったらどうしようかと思った」
「甘いカレーはカレーじゃねえだろ」
「確かに。でも小学校の給食のカレーは何か食べられたな」
「あーアレはなー美味いな、確かに」
圭介も思い出したように笑った。珍しく意見が一致するとは思わない。
「あ、じゃあルーはコレも買う」
と、わたしは別メーカーのルーを手に取った。
「は?何で」
「2種類入れるのが美味しいのー」
「…へえ。まあ…作るのはなんだし任せるけど」
圭介にしては珍しく殊勝なことを言いだすから、ちょっとびっくりした。やっぱり食を掴むのはデカいかもしれない。そこで最後にお肉コーナーに向かうと、一応好みを聞いてみた。
「あ、じゃあお肉は?牛?豚?鶏?」
「あ~別に全部好きだな。お袋もその日の気分で変えてたし」
「そっか…じゃあ…今日はちょっと贅沢していい牛肉買っちゃう?」
「まあ、いいけど…でも10日分の食費、預かってんだろ?大丈夫かよ」
確かに涼子さんはキッチリと食費を置いてってくれた。でもわたしは自分の手元にあるお金を使ってしまいたかったから、お肉の分はわたしが出そうと思って言ったのだ。そう説明すると圭介は「何でだよ」と不思議そうな顔をした。
「ん-。今ちょっとお金持ちだから?」
「…金持ちって…あ…オマエ、まさか…」
圭介は何かを察したように目を細めた。
「バイトで稼いでた金か」
「うん。お母さんの入院費にって丸々貯金してたやつ。でも必要なくなったし、あまりいい方法で稼いだお金じゃないから、どうせならパっと使っちゃおうかなと」
「…まあ。オマエが稼いだ金を何に使おうといいけど…夕飯の材料なんかに使っていいのかよ。何か自分の好きなもんに使えばいいじゃねえか」
わたしもそれは考えた。服とか靴、ネイルを含めたメイク道具。美容室にも行きたいし、欲しいアクセサリーもある。だけど、何となくこのお金は自分の為じゃなく、他の人に使いたい気分だった。例えば、お世話になった圭介の好きなものとか。
「いいの。このお金は場地家の為に使う」
「…あ?」
「圭介には助けてもらったし…涼子さんが気づいてくれなかったら、わたし、どうなってたか分かんないから」
家で圭介と向かい合ってると恥ずかしくて言えなかった言葉でも、こうして買い物をしながらだと変に構えずに言えた。でもやっぱり多少は恥ずかしいから圭介の顔は見れなかったけど、不意にくしゃりと頭を撫でられた。
「バーカ。急にいい子ぶんなよ」
「い、いい子ぶってはないけどっ」
圭介に笑われて耳まで熱くなった。やっぱムカつく!なんて思ったけど。でもきっと、これ以上わたしが気にしないようにそんなことを言ったのかもしれない。そう思うくらいには、圭介の声が優しかったから。
「他は~何か買うもんあったっけ」
一通り必要な材料をカゴに入れて、後は何かないかと考えていると、圭介が「あ」と思い出したように声を上げた。
「風呂上りのコーラ。あとア――」
「アイスも!」
被り気味に言えば、圭介はニカッと笑って「よく分かってんじゃん」とまた人の頭をぐりぐり回してくる。髪がグシャグシャになるからマジでこれだけはやめて欲しいと思いながらも、前ほど嫌だと思ってないわたしがいた。
*
と買い物を済ませて家に帰れば、夕飯には少し遅いくらいの時間にカレーが出来上がった。一人に作らせるのは何となく気が引けて「手伝おうか」と声はかけたものの。「邪魔だからいい」というムカつく返しが来たから、結局オレは何もせず、ただ出来上がったカレーを食べるだけで終わった。味は普通に美味くて、人は見かけによらないと言う言葉もあながち嘘じゃねえんだなと思う。あの爪で良く料理が出来るもんだと不思議で仕方ねえけど。とりあえず作ってもらった手前、洗いもんはオレがやると言った。けどそれもが半分洗ってくれたから、あんま手伝った感はない。飯の後はしっかり風呂まで沸かしてあって、昼間オレが出かけてた間に掃除までしておいてくれたらしい。意外すぎて少しビビったけど、何か地味に至れり尽くせりな感じがする。あげく風呂から上がったらさり気なくグラスに入ったコーラを出された。しかも氷入り。オマエはオレの奥さんかよと突っ込みたくなったけど、どうにかその言葉は飲み込んだ。
「わたしもお風呂入っちゃお~」
オレにグラスを押し付けた後、は風呂場に入って行った。しばし呆気にとられつつ、コーラを手に自分の部屋へ行くと、ベッドの上にはオレの服が綺麗に畳んで置いてある。オレが風呂に入っている間にがやってくれたんだろう。昼間オレが出かける時、洗濯をしてたようだがオレの服まで洗ってくれたらしい。普段から家事をしてたっつー話をしてたけど、確かに手際がいいと思う。何ならオレのお袋よりも丁寧だ。
(お袋のヤツ、こんな風に畳んでおいてはくれねえしな)
いつもベッドの上に放り投げられてる服を思い出し、苦笑が洩れた。とりあえず髪を乾かして風呂上りに着たTシャツを脱ぐ。裸で出て来たら文句を言われるから一応着たが、やっぱり暑くて仕方ねえ。
「ったく。アイツはよく風呂上りに服着れんな…」
まあ、が上半身裸で出て来たら、それはそれで問題だしな、と思いながら。ついその姿を想像してしまったのがまずかった。コーラをぐいっと煽った瞬間、脳内に裸の胸を腕で隠しているの姿が浮かんで「ぶ…っ」と吹き出しそうになった。
「…ゲホッ…な、何考えてんだ、オレっ!」
軽く咽ながら濡れた口元をティッシュで拭くと、深い溜息を吐きながら熱くなった顔を手で仰ぐ。昼間、千冬に散々「気を付けて下さいね」とアホな忠告をされたせいで、二人きりという状況を意識したくもないのにさせられてしまったせいかもしれない。
「つーか…千冬がに手を出されたくねーんじゃねえのか?」
――意外とって可愛いとこあるっスよね。
なんて千冬が言いだした時はオレもちょっと驚いてしまった。
――はあ?バカじゃねーの。
とは言ったものの、実際オレも同じことを思っていたからドキっとしてしまったのかもしれない。さっきもあんな殊勝なことを言いやがるし、どう返していいのか困って「バーカ」と言っちまったけど。
――って可愛いとこあるっスよね。
また千冬の言葉が脳裏に浮かんで心臓が変な音を立てる。田内なんかといる時は口も態度も最悪なクセに、家にいる時は案外普通の女なんだなと思わせる。いや、家事を頑張ってる姿はそれ以上かもしれない。女手一つで育ててくれた母親の為に、きっと色んなことをフォローしてきたんだなと分かるから。
「圭介~アイス食べよ~!」
その時、風呂から上がったらしいの声が聞こえてきて更に心臓が速くなっていく。お袋が夜勤でいなくて、夜にと二人きりなんて今まで何度もあったっていうのに。どうやって過ごしてたっけ?と思うくらい、オレはこの状況を持て余していた。