ふたりだけの夏休み④



陽気な祭囃子が聞こえる中、多くの人が境内を行きかう。わたしと圭介はその人波に流されるように、ゆっくりと歩いていた。久しぶりに履いた下駄がカランコロンと軽快な音を奏でる。

「…あっち~。何か冷たいもんでも飲む?」
「え…?あ…そうだね」

不意に圭介が立ち止まると、わたしの手を掴んで少し脇へ避ける。後ろからも続々と人が歩いて来るから邪魔にならないように手を引いてくれたんだろう。でもいきなりの接触に思わず手が強張った。

「あ…わりぃ」
「え?ううん…」

圭介も気づいたのか、掴んでいた手をパっと放すと、ずらりと並んだ屋台の中からラムネやコーラなどが並んでいる店の前で立ち止まった。他にもかき氷やキュウリの一本漬け、たこ焼きにイカ焼き、わたあめ、チョコバナナなども置いてるバラエティに富んだ屋台だ。店先にいた金魚の絵が描かれた手ぬぐいを首に巻いたオジサンが、うちわで扇ぎながら「っらしゃい!」と威勢よく声をかけてきた。

は何飲む?」
「あ…わたし、かき氷がいいな。イチゴ味」
「頭キーンってなっても知らねえぞ」

圭介は笑いながら言うと「おっちゃん、かき氷のイチゴ味と、ラムネ一本」と注文してくれた。

「あいよー!」

威勢のいい返事と共に、店のオジサンは慣れた手つきで氷を削り、イチゴシロップをたっぷりとかけて、先がスプーンのようになっているカラフルなストローを挿してくれた。

「はい、彼女」
「あ、ありがとう」
「ほい、彼氏もラムネ一本ね。二つで400円!」
「さんきゅー。じゃあ、これ」
「まいど!」

圭介がお金を払って、おじさんは明るい笑顔でそれを受けとる。なんてことのないやり取りだけど、密かに心臓が音を立てたのは、何気ない会話の中で"彼氏""彼女"なんてワードが出たせいだ。ちらりと隣の圭介を見上げたけど、コイツは何も感じてないのか、美味しそうにラムネを飲んでいる。別に意識して欲しいわけじゃないけど…ムカつく。

「あ、あそこ座ろうぜ」
「え?」

不意に圭介が指をさした方にテーブルがいくつか並べられて椅子が置かれている。飲食するスペースだ。まだ早い時間帯だからなのか、そんなに人は座っていない。

「あそこで待ち合わせてんだよ。それにかき氷、歩きながらじゃ食いにくいだろ」
「あ、うん…そうだね」

さり気なくそういうところを気にしてくれるんだ…意外。なんて失礼なことを思いながら圭介の後に続く。テーブルなどは自治体の会議室で使ってそうな質素なタイプで、椅子もパイプ椅子だけど、座ると少しホっとした。一年ぶりに浴衣を着て下駄を履いたから、ついたばかりなのに少し疲れたのかもしれない。

圭介からお祭りに誘われ、どうせ行くならと一度自宅に戻って浴衣を引っ張り出してきたのは昨日の夕方のことだ。こういう機会がないと着れない物だし、ママから教わって着付けは自分でも出来るから、今日は少し張りきって髪までセットしてしまった。彼氏でもない圭介とお祭りに行くからって気合入れすぎかなと自分で苦笑したものの、やっぱりお祭りに浴衣というワードはテンションも上がる。出かける際、浴衣を着て部屋から出てきたわたしを見て、圭介の想像以上に驚く顔まで見られたから地味に満足だ。浴衣だからいつもより薄目にスッピンメイクをしてギャルっぽさも消した。ただ一つ気に入らないのは、圭介が一言も誉めてくれなかったことだ。「あー」とか「うー」とか言いながら視線を反らすから、ちょっと物足りなかった。別に圭介の為に浴衣を着たわけじゃないからいいけど、少しくらい何か言ってくれてもいいのにな、なんて思ってしまった。

「ん~冷たい…っ」

座ってホっとしたところでかき氷を頬張ると、口内が一気に冷たくなった。

「ほーらみろ。耳の奥とか痛くなんねえ?」
「だ…大丈夫…でも頭の後ろが痛い」
「オレ、それ苦手」

圭介が笑いながらラムネを飲みつつ、ふとわたしの足元を見た。

「足は?痛くねえの、それ」
「え?ああ…下駄?」
「随分と高いし危なくねえのかよ」
「ヒールの高い駒下駄は意外と安定するから大丈夫」
「フーン。女ってすげーよな。ヒール高いのとか平気で履くし」
「だって高い方が綺麗に見えるし」
「誰に見せたいんだよ、オマエは」
「誰って…」

圭介に鼻で笑われ、ムっとはしたものの。別に誰に見せたいわけじゃないとは言い返せなかった。どっちかと言えば周りが履いてるから合わせてると言った方が正しい。わたしはどちらかと言えば楽なスニーカーとかフラットシューズが好きだけど、今の友達は誰もそんなの履かないから、前に履いてた靴は家の下駄箱に眠ったままだ。

「スニーカーとか履いて走り回ってる女子の方が健康そうで好きだけどなーオレは」

何となく好んで履いていた靴のことを思い出していると、圭介が突然そんなことを言いだすからドキっとした。

「……別に圭介の好みなんて聞いてないけど」
「あ?好みとかじゃねえけど。無理して高いヒールなんて履いて姿勢悪く歩く女より、そっちのがいいと思っただけだろ」
「あっそ。でもわたしは真っすぐ歩けるように練習したから膝なんか曲げないもん」
「どうでもいい努力してんなー」
「…む。どうでもいいって何よ――」

と言い返そうとした時、遠くから「場地~!」という声が聞こえてきて、圭介が「おう、こっち!」と誰かに手を振っている。そっちの方へ視線を向けると、数人の男の子たちがこっちへ歩いて来るのが見えた。今日は幼馴染や、同じチームの仲間と約束をしてるとは言ってたけど、こっちへ来る男の子達は見事に金髪、金髪、金髪黒髪…頭と首にタ、タトゥー?!
そのド派手な風貌にギョっとしてゴクリと喉が鳴ってしまう。わたしの人生の中であんな場所にタトゥーを入れてる人間は見たことがない。ほんとに中学生なの?!と唖然としてしまった。

「ちょ…ほんとにあの人たちが幼馴染…?」
「あ?そーだけど」
「………」

あまりに見た目がもろ不良ばかりだから、つい訪ねたら、圭介はあっさりと応えた。そうこうしてる内に金髪集団は圭介の方へ歩いて来ると、一斉に視線をわたしへ向ける。あまりの迫力にドキっとして圭介の後ろに隠れてしまった。

「おせーよ。一虎」
「ごーめん。途中でマイキーがアイス買うって駄々こねるからさー。お祭りで食えって言ってんのに…ってか…この子が同居中の子?」
「おー。家に一人で置いてくのもあれだし連れてきた」
「へえ、かーわいい!え、マジで場地と同中?」
「……っ!」

先ず話しかけて来たのは髪を黒金に染めて首に虎のタトゥーを入れてる男だった。女の子みたいに綺麗な顔立ちのイケメンだけど、想像以上の迫力に顏が引きつってしまう。

「おい。何隠れてんだよ。コイツは一虎つって、オレの小学校からのダチ」
ちゃんって言うの?宜しく~」
「よ…宜しく…」

愛想のいい笑顔を浮かべる一虎くんに引きつった笑顔を返す。完全に声が上ずっているのが自分でも分かる。というか男の子に愛想を振るのは慣れてるはずなのに、いつもの調子が出せないのは、目の前の男達が予想以上に強烈だったからだ。

「おー場地~。マジで女の子と同居してたんだ」
「嘘ついてどーするよ。ああ、コイツはドラケン。コイツとも小学校からのダチでオレの幼馴染のツレ」
「宜しくー。…だっけ?」
「よ…宜しく…(いきなり呼び捨て?!)」

今度は金髪の三つ編みが話しかけてきた。辮髪べんぱつとかいうヘアスタイルの彼は、髪のない側頭部に龍のタトゥーをしてて、見た目的には一番怖い。身長も一番高くて怖い。とにかく怖い。

「ああ、んで、コイツがオレのガキの頃からの幼馴染でマイキー」
「マ、マイキー…?」
「おー。宜しくなー
「……よ…宜しく…(こっちまで呼び捨て…)」

最後に紹介された男は金髪を肩まで伸ばした、これまた綺麗な顔立ちの男だった。でも名前が変!ただ普通にニッコリ笑顔で挨拶されたからドラケンって人よりは怖くはない。

「つーか場地だけ浴衣の女の子連れとかずりーじゃん」
「あぁ?ずりーとか意味分かんねーぞ。だいたいマイキーが一回会わせろっつったんだろーが」
「そーだっけ」
「ったく…その言ったことをすぐ忘れるクセ直せよ」
「だーって腹減ったしさー。頭まわんね。ケンチン何か食いもん買おうぜ」

マイキーとか呼ばれてる男の子はドラケンくんと二人で人混みの中へと戻っていく。それに続いて一虎くんも歩き出すと「オレらも行こう。腹減ったわ」と圭介を促した。

「ああ、じゃー見て回るか…って、、どーしたんだよ、さっきから」
「え?」

歩き出そうとした圭介が、背中に隠れたままのわたしに気づいて不思議そうに首をかしげている。っていうか、どうしたもこうしたもない。完全に圭介のツレを舐めていた。っていうか圭介が普通に見えるくらい、あの3人は派手過ぎるしヤバいし、怖い。

「な…何でもない」
「つって何か顔が引きつってねえ?具合でもわりーんかよ」
「わ…悪くない…呼んでるし早く行こ…」

先に行った一虎くんが「場地、早くしろよ!イチャついてんじゃねえ!」と叫んでいるのを見て、わたしは圭介の背中を両手で押した。イチャついていないと叫びたかったものの、怖いから言えなかった。圭介は聞いてもいなかったのか「今行くよ、うっせーな!」と叫び返している。さすが不良同士。会話するのも怒鳴らないと気が済まないらしい。

「ね、ねえ」
「あ?」

歩き出した時、ちょっと疑問に思って圭介の服を引っ張った。

「男の子ばっかだけど…彼らの彼女はこれから来るの…?」
「ハァ?彼女ぉ?んなもん、アイツらにいねーよ」
「……えっ?そーなの?…じゃ、じゃあ…女ってわたしだけ…とか…?」
「そーだけど。何か困ることあるわけ?」
「……べ、別に」
「変なヤツ。つーかマジで腹減ったし何か食おうぜ」

圭介は笑いながらサッサと歩いて行く。その背中を見ながら地味にわたしは焦っていた。幼馴染やチームの仲間とお祭りに行くとは聞いてたけど、わたしを誘って来た時点で圭介の友達もてっきり彼女連れで来るものだとばかり思っていた。まさか女がわたしだけなんて思わない。

(どうしよ…。男、それも全員がヤバめの不良なんて関わったことないし、どう対応していいのか分からない!)

しょせん男慣れしてると思われてきたわたしのメンズスキルは、希子のパパが紹介してきた10歳以上も年上のオッサンばかりだ。同年代の、それも暴走族をしてる男の扱いは習得していない。圭介でいっぱいいっぱいだったわたしが彼らと少しの時間、お祭りを楽しむなんて高度な真似ができるんだろうか。なんて大げさなことを考えつつ。

(でも…案外、普段通りに接すれば大丈夫だったりして…)

足を止めつつ、さっきの3人の対応を思い出す。一虎くんはチャラそうで、あの中でも一番話しやすそうだった。ドラケンくんはいかつ過ぎて論外だけど、圭介の幼馴染とかいうマイキーくんに至っては、優しい笑顔を見せてくれたしそんなに怖い雰囲気でもない。なら愛想よくしてれば絡まれることはないはずだ。すっかり気分的にカツアゲされそうな気持ちでいたけど(!)ニコニコしておけば男なんて誰でも優しくしてくれる、はず。そう考えると少し気分も落ち着いてきて、圭介たちの後を追おうとした。でも辺りを見渡しても一つ頭が出ていた圭介やドラケンくんの姿が見えない。

「…あれ…どこ行ったんだろ」

さっきよりも混雑した屋台街を見渡しても、それらしき姿が見当たらず、わたしは溜息をついた。どうやらちょっと足を止めてる間に置いて行かれたようだ。

「もー…圭介のヤツ…女の子を置いてくとか、どんだけ…?フェミニストのフェの字もない男だな…」

こんな時、大ちゃんなら必ず手を繋いでくれたり、歩く速度も合わせてくれたっけ、とふと思い出した。酷いことをされたけど、おかしくなる前の大ちゃんは確かに優しくていい人だったかもしれない。
そんなことを思いつつ、仕方ないと持って来た巾着の中からケータイを出そうとした。こんな人混みの中を探し回るのはかなりキツいし、向こうも探してくれてたならすれ違う可能性がある。

「…ん?」

巾着の中を手探りで探したものの、いつもの手触りがこない。え?と思って巾着の紐をめいっぱい広げて中を覗き込む。

「え、うそ」

てっきり入れたと思っていたケータイが入ってなくて普通に焦った。

「あ…そっか…巾着小さくて荷物になるから…」

どうせ二時間程度だろうと思ってケータイを置いて来てしまったことを思い出した。メイク直しの為に口紅とファンデーションのコンパクト。そして財布を入れたら浴衣用の巾着はパンパンになってしまったのだ。

「え、どうしよう…」

普段ケータイにどっぷり頼っているだけに、こういう状況になった時は普通に焦る。もし圭介がケータイを持っていたとして、はぐれたことに気づいてかけてきたとしても、わたしが持っていないのだからどうしようもない。

「…もう…歩いて探すしかないじゃない」

この蒸し暑い中を浴衣で歩き回ることを考えるとウンザリするが、この際仕方ない。もし圭介に会えなければ、この神社から家までの道のりも分からないのだ。

(結構、10分近く歩いたよね…。圭介について歩いただけだから道順なんて覚えてないし…)

溜息交じりで人混みの中を歩きながら、目立つ頭が見えないかキョロキョロと辺りを見渡す。確かお腹が空いたと言っていたから、食べ物の屋台を巡っていけば、そのうち会えるかもしれない。そう思いながら一つ一つ、屋台を見て回った。焼きそば、大阪焼き、フランクフルト、じゃがバターなどなど、彼らが好きそうな屋台を見ていると、わたしまでお腹が鳴ってしまう。お祭りだから当然、お昼以降は何も食べていないのだから当然だ。

「…お腹空いたぁ…」

お祭り用の資金は圭介に預けてあるものの。自分のお金も少しは持ってきたし何か買って食べようかなと色んな屋台を見ながら悩んでいると、不意にガシッと肩を掴まれた。ビックリしたせいで「ひゃっ」と変な声が出て、慌てて振り返る。

「やっと見つけた」
「あ……か、一虎くん…?」

そこには息を切らせた一虎くんが立っていた。






「ったく、アイツどこほっつき歩いてんだ…!」

次から次に歩いて来る人並みの中を見渡しながら、を探す。さっきまですぐ後ろを歩いていたはずが、気づけば姿が見えなくなっていて驚いた。とりあえず買ったばかりの焼きそばをマイキーに押し付け、オレは元来た道を戻って行った。普通の祭りなら屋台通りは一本道になっていて、歩いていればそのうち会えそうな気もするが、この神社は広く、コの字型に屋台が出ている。しかも途中でショートカット出来る中央の小道が何本かあるから、ただ屋台沿いに探せば会えるってわけでもない。

「何でケータイも出ねえんだよ…」

さっきから何度か電話をしてみたが一向に出る気配がない。人のざわめきや祭囃子の太鼓の音で聞こえないのかもしれないが、ドラケンに言われたことが気になっていた。

「こんな場所で女の子一人にしちゃやべえだろ。ナンパされんじゃねーの」

確かには見た目だけで言えば男の目を引くタイプではある。中身は生意気だが(!)しかも今日は普段の濃いメイクと違ってスッピンに近かったし、可愛い浴衣姿で余計に男の目を引いてた気がする。一緒に歩いてると擦れ違う男どもがチラチラとアイツを見てたことは気づいていた。だから余計にドラケンの言葉が信ぴょう性を帯びてくる。

(ってか…何でこんなに焦ってんだ、オレは…。別にナンパされてたとしてもアイツなら軽く交わせるだろ、多分…。オレより倍近い大人の男を相手に飯に行ったりしてたくらいだし)

頭の中ではそう思うのに、足は勝手に前に進み、視線は小柄な浴衣姿の女達へ向けられる。でもどれもじゃない。なら一目で分かる。

――どお?浴衣着てみたんだけど…。

そう言われて言葉を失ったのは、想像以上に浴衣姿のが可愛かったからだ。白地に赤いレトロな模様の入った浴衣――母親のおさがりらしい――に、ふわっとアップにした髪型がやけに大人っぽくて、ガラにもないほどドキっとさせられた。普段のアイツと雰囲気が違うせいで、隣を歩くのも何となく落ち着かなくて。だからアイツが下駄だってことを忘れて、自分のペースでサッサと歩いてしまったことを今更ながらに後悔する。浴衣だと歩幅も狭くなるだろうし、高い下駄だって大丈夫とは言ってたけど、普段よりは歩きにくかったはずだ。少し考えれば分かることなのに。

(…手くらい引いてやるべきだったか…?)

ふとそんなことを考える。だけどマイキー達がいる中で、の手を引いて歩くのはなかなかハードルが高い。

(ってか…オレは一虎みたいに、そういうとこまで気が回らねえんだよな)

さっき一虎に「彼女の手、引いてやれば」と言われたことを思い出しながら苦笑が洩れた。でもはぐれて心配するくらいなら最初からそうしてれば良かったのかもしれない。

「…クソ…いねえな…」

元居た場所まで来たものの、の姿は見当たらない。

「…はあ…マジでどこ行きやがったんだ…あっちの通路か?」

一虎は反対の通路を探しに行ったが、連絡がないってことはまだ見つけられてないのかもしれない。それでもジっとしてられず、オレももう一本の屋台通りへ走り出していた。