ふたりだけの夏休み⑤



お祭りは宴もたけなわらしい。来た頃よりも人出が倍になっている中、賑やかな屋台通りから外れた境内の石段に座って祭囃子と太鼓の音を聞いていた。

「ご、ごめんね。一虎くん…」
「いいって」

彼は笑いながらわたしの下駄を脱がすと、鼻緒で擦れて赤くなっている部分に小さな絆創膏を貼ってくれた。念のため浴衣を着る時は常に数枚は持ち歩いてたから、それが役に立ったようだ。圭介たちとはぐれたことで歩き回ったせいか、指の間は血が滲むくらい皮がめくれていた。

「痛くねえ?」
「うん」

わたしが頷くと一虎くんはホっとしたように笑みを見せて隣に腰を下ろした。見た目はいかついタトゥーを入れてて怖いけど、根は優しい人みたいだ。はぐれたわたしを探しに来てくれたようで、あちこち走り回ってくれてたらしい。彼の額には薄っすらと汗が滲んでいた。それを見てポーチに畳んでしまってある和柄のハンカチを出すと、それを一虎くんの額にあてた。

「え…」
「汗かいてるから。ごめんね。あちこち探してくれたんだよね」
「いや、いいって。汚れるし」

一虎くんはそう言いながらハンカチを持ったわたしの手を押し戻す。

「でも――」
「マジで大丈夫だから。それより場地に電話しねーと――」

そんなやり取りをしていた時だった。下から石段を上がってきた数人の男達が「邪魔なんだよ。どけ!」と文句を言ってきた。見ればパンチパーマのいかにも不良ですといった高校生くらいの男達で、全員派手な柄シャツを羽織り、やたらとチンピラ臭を醸し出している。わたしの頭の中ある不良のイメージそのものといった風貌だったせいか、恐怖で身が竦んでしまった。

「こんなとこでイチャついてんじゃねーぞ、ガキどもが」
「あ?誰がガキだって?」
「ちょ、一虎くん…っ」

一際背の高いパンチの男に一虎くんが立ち上がって睥睨してる。こういうのってガンの飛ばし合いって言うんだっけ?とにかくマズい。相手は五人もいるのだ。一虎くんがどれくらい強いのかは分からないけど、状況的に不利すぎる。なのにパンチ軍団はヤンキー魂に火がついたらしい。

「あ?やんのか?クソガキ――」

と、パンチの男が凄んだ瞬間、一虎くんは振り上げた拳をその男の顔面に思い切り叩きつけた。ガツッと鈍い音が響き、わたしが悲鳴を上げる間もなくパンチの男が脇へ吹っ飛ぶ。階段の段差があったことで、下にいた男は自分の体重を支え切れなかったらしい。階段脇の植え込みに背中から倒れ込んだ。

「こっち来て、ちゃん」
「え?」

一虎くんにグイっと腕を引かれて階段を上り切ると、後ろから男達が「待てコラァ!」と追いかけてくる。わたしはオロオロしながら「に、逃げよう、一虎くん」と声をかけた。でも逃げる間もなく男達に囲まれてしまった。

「オレらのダチに手ぇ出したクセに何逃げてんだよっ」
「あ?逃げたんじゃねーし。あんな足場の悪いとこでやりあって大怪我しちゃ困るだろうと思ったから移動してやったんだよ」
「あぁ?!一人でイキがんのもたいがいにせーよ、コラ!」

飛び交う怒号に周りの客達がざわつき始めて潮が引くように一斉に人がいなくなる。一虎くんはそれを見て「ちゃんは下がってろ」とわたしを後ろへ追いやった。まさかこの人数相手に本気でやりあう気なの?と驚く。だけど一虎くんは笑みさえ浮かべて「大丈夫」とハッキリ言った。

「ここは危ねえからちゃんは場地たち探して来て」
「…え?でも――」
「オイコラ、何ゴチャゴチャ言ってんだ!」

また男の一人が一虎くんに向かって殴りかかっていく。それを交わしながら一虎くんは男の腹に力いっぱい蹴りをさく裂させている。みぞおちを蹴られた男がお腹を押さえて膝をつくのを信じられない思いで見ていた。

(え、一虎くん、つよ…自分より大きな相手にも全然怯んでないし…)

一人と五人なのに、一虎くんは一歩も引かない。ケンカ慣れしてるのか、攻守が完璧に出来ている。ちょっと驚いて唖然としてしまった。でもそれがいけなかったのかもしれない。男の一人がまだ近くにいたわたしに気づいたようだ。突然、後ろから羽交い絞めされて「きゃあ!」と大きな声が出てしまった。

「…ちゃんっ?」
「へへ…っテメェの彼女がどうなってもいいのか?」

しまった――と思った時には遅かった。背後からガッチリ抑え込まれてわたしの力じゃ逃げられない。

(どうしよう…!一虎くんに言われた通り、圭介たちを探しに行けば良かったのに…このままじゃマズい…!)

こんな漫画の悪役キャラみたいな真似を本当にするヤツがいるのかと驚いたけど、彼らは不良だ。卑怯だろうが関係なく、一虎くんをボコるに違いない。これじゃ足手まといになってしまう。だけど暴れても男の力が強すぎてビクともしない。

「テメェ…その子を離せよ。死にてーのか?」
「バッカじゃねーの。死ぬのはテメェだ!」

わたしを人質にとったことで他の男達も笑いながら一虎くんを囲みだした。多少削ったところで、やっぱり人数的に不利であることは間違いない。ワンチャン、一般客が通報してくれてれば――そう思った時だった。それまで自分を囲む男達を睨みつけていた一虎くんが、ふっと笑みを浮かべた。

「おっせーよ、オマエら」
「え…?」

と思った瞬間には体の拘束が解かれて、力強い腕がわたしの体を抱き寄せた。

「おめーが連絡しねーのが悪いんじゃね?」
「……け、圭介?」

驚いて後ろを仰ぎ見れば、そこには圭介、後ろからはマイキーくんとドラケンくんが笑いながら歩いて来た。

「一虎ぁ~!一人で楽しんでんじゃねーよっ」

マイキーくんが楽しそうに叫んで走って来たと思った瞬間、彼は地面を蹴って軽々と宙を飛んだ。

「ぐぁっっ」

自分よりも倍近い身長の男を、マイキーくんが蹴り一発で沈めたのを見て、今度こそ言葉を失う。でもすぐにわたしを拘束していた男が――どうやら横へ放り投げられたらしい――起き上がってくると「この野郎!」と圭介に殴りかかって来た。圭介はわたしを横へ押しやると、その男の攻撃を避けて同時に右拳を男の左頬へ叩きつけた。見事なカウンターパンチだ。

「ぎゃぁぅっ」

威勢よく突っ込んできた男は再び地面に転がると、殴られた頬を押さえながら転げ回っている。それを見下ろしながら「威勢がいいのは口だけかよ」と圭介が鼻で笑った。この男も恐ろしく強い。残りの三人もドラケンくんやマイキーくんが瞬殺してしまった。

「ったく…オマエはいっつも揉め事ばっか起こすなぁ、一虎」

全てが終わった後で、圭介が苦笑交じりに彼の方へ歩いて行く。わたしはただただ呆気にとられてしまって、今じゃうんうんと唸りながら地面に転がるパンチ軍団を見下ろしていた。

「仕方ねーだろ。絡まれたんだから」
「ってか、その時点ですぐケータイ鳴らせよ。見つけてたんだろーが」
「まあ…」
「だったら尚更、アイツが傍にいんのにケンカすんじゃねえ。さっきみたいな事態になったらケガすっかもしんねーだろ」
「それは……悪かったけどさ…」
「オマエもケガ一つしてねーとこ見ると、どうせ一虎が先に手ぇ出したんだろ…ったく…女連れてんのに何やってんだ」
「…悪い」

一虎くんは圭介に怒られて気まずそうに頭を掻いている。でも彼は悪くないと慌てて間に入った。

「け、圭介…そんな怒らないでよ…。一虎くんは助けてくれたのに…」
「あ?オマエもオマエだよ…。勝手に離れてんじゃねえ」
「…う…そ、それは……ごめん…」

圭介にジロリと睨まれ、ビクっとなる。確かに元はと言えばわたしが皆とはぐれたせいだ。

「それに先に手ぇ出してる時点でコイツが悪い。それさえなきゃオマエも怖い思いすることなかったかもしんねーだろが」
「あ……」

言われてみれば、最初の時点で絡んで来た男を殴ったのは一虎くんかもしれない。あのままあの場を離れるという選択肢もあったはずだ。というか…もしかして圭介はわたしの為に怒ってくれてる?そう思ったら胸の奥が小さく音を立てて、じわりと頬が熱くなってきた。

「ごめんな、ちゃん。オレ、短気ですぐ手が出ちまうんだよな…」
「あ、ううん…。こっちこそ…守ってくれてありがとう」

素直に謝る一虎くんは案外、いい人なのかもしれない。不良だけど、見た目は怖いけど、マイキーくんやドラケンくんも仲間の危機を当然のように救った。相手は高校生なのに躊躇もせず。暴走族は仲間想いだと聞いたことはあるけど、実際にその場面を見たら、もう最初に感じた彼らへの怖さは綺麗に消え去っていた。






ちょっとしたいざこざはあったものの、絡んで来た高校生は逃げ帰り、も無事に見つけられたということで、その後は全員で食う飲むという欲求にほぼ時間を費やした。あんなことがあったせいか、もマイキー達と打ち解けて、最初の時よりは普通に接してたように思う。まあオレは皆にからかわれて散々だったけど。

――ちゃん、いい子じゃん。場地、付き合っちゃえばー?

マイキーのそんなアホ発言に端を発し、一虎やドラケンまでがお似合いだ何だとはやし立ててきて、まるで小学生に戻った気分だった。で「け、圭介なんかやだよ」と言いやがるしムカついたが、そこで「オレも嫌だ」とは何となく言えなかった。

「じゃー今度は集会でな!」

祭りも終わる時刻になり、そんな言葉を最後に解散となった。オレ以外のメンバーは当然バイクで来ているから、神社の前で別れた後、オレはと二人で家までの道のりを歩き始めた。来る時は祭りに行く人達で込み合っていた道が、今度は祭りから帰る人達で込み合っている。そんなに大きいとは言えない住宅街の道は、それなりに埋め尽くされ、自然とのんびりした歩調になっていた。

「…足、痛くねえか?」

ふと思い出して尋ねた。一虎にが下駄ズレを起こしてたことを聞いたからだ。は少し驚いたようにオレを見上げると、すぐに目を伏せてしまった。

「うん…絆創膏貼ってもらったから平気…」
「…フーン」

と相槌を打ったものの。ふと貼ってもらった?誰に?という疑問が湧く。いや、そんなもの聞かずとも分かる。一虎だ。はぐれたを最初に見つけた一虎は、オレに連絡しようとしたが、が足を気にしてることに気づいて先にそれを何とかしようと思ったようだ。そこで人の割と少ない石段の方へを誘導し――絆創膏を貼ってやったんだろう。高校生の不良に絡まれたのはきっとその時だと思った。

(アイツ、そーいうとこはやたらと気が利くんだよな…。元々お坊ちゃん育ちだし、母親からは女の子に優しくしなさいと言われて育ったと前に話してたっけ…)

今でこそ口が悪くて粗暴な男だが、確かに一虎は女に優しい。母親の件を聞いた時は妙に納得したもんだった。

(そーいや学校でも女子にモテてるってタケミっちが話してたな…)

一虎と同中の花垣武道の話を思い出し、何となくモヤる。別に女からモテてるという話が羨ましかったわけじゃなく。が一虎をどう思ったのかが気になった。でもすぐに打ち消す。

(何でオレがんなこと気になくちゃいけねーんだ…馬鹿馬鹿しい)

そう思えば思うほど胸の奥から何かがこみ上げてくる感覚がやけにうっとおしい。
その時だった。が何かにつまずき、よろけた。慌てて肩を支えると「あ、ありがとね」とがホッとしたように微笑む。その顏を見ていたら、さっきの後悔が再び蘇ってきた。だからなのかもしれない。自然との手を繋ぐことが出来たのは。

「…え、圭介…?」
「人もまだ多いしはぐれねえようにだよ。それにやっぱ少しは痛いんだろ?足…」
「…う…うん…まあ…」

ドキっとしたように顔を上げるの頬は何気に赤い。そんな顔されるとこっちまで照れ臭くなったが、今更手を離すのもおかしい。

「あ…りがとう…」
「…おう」

少し歩いた頃、が小さな声でお礼を言うから、ますます手を離すタイミングを失った。家路を急ぐ家族連れやカップルたちが徐々にそれぞれの家へ散って、だいぶ人がまばらになったというのに、繋いだ手は家に着くまで離すことはなかった。







「お休み」

家につき、手洗いを済ませから歯を磨くと、どちらからともなくそんな言葉を口にして、互いに部屋へと入った。やけに頬と手が熱い。

「…苦し…」

部屋に入ってすぐに体を締め付けている浴衣を脱ぐ。帯を外した時の解放感と言ったら、まさに天国だ。

「はあ…涼しい…」

たっぷりと汗を吸った浴衣用の長襦袢と浴衣は後日クリーニングに出そうと大き目の紙袋へ再びしまい込んだ。ホっと一息つくと、隣の部屋へ続く壁に視線が向く。お休みと言ったものの、圭介がすぐ寝るとも思えない。ただあれ以上、一緒にいても照れくさくて、そんな言葉を理由に部屋へ入っただけだ。少なくとも、わたしは。

(まさか…手を繋がれるとは思わなかった)

思い出すだけでドキドキしてしまう。別に誰かと手を繋いだのが初めてなわけじゃないのに、そんなことをしなさそうな圭介だからこそ余計に驚いたし、嬉しかった。

(帰りは何気に歩幅も合わせてくれてたよね…)

そういう些細なことが女の子からすると嬉しいものなのだ。特に普段そんな優しさを見せない相手からされると、ギャップでキュンとしてしまうのは、もはや恋愛の王道なのではないかと思うほどに心臓を撃ち抜かれる。

(一虎くんも優しかったけど…元々よく知らないし、彼は女の子の扱い慣れてるって感じだったもんね)

同じように優しくされてもフェミニストだなと思うだけでドキドキしたりはしなかったことを思い出す。

(何だろ…ちょっとわたし、おかしいかも)

繋がれていた手を見つめていると、勝手に顔が熱くなっていく。男という生き物に慣れているはずなのに、ただの同居人にときめいている自分に驚いてしまう。不良は嫌いだと思っていたのに、その気持ちが今日、ちょっと薄らいだからなのかもしれない。
一虎くんが強いのも驚いたけど、圭介も凄かった。マイキーくんもドラケンくんも、全員がケンカ慣れしてるって感じだ。まるでアクション映画を観ているかのような気分で皆の戦いを眺めてしまった。それに、と右腕に触れると、さっきの感触を思い出す。わたしを庇うように体を抱き寄せて来た圭介が、やたらと男らしくて、きっとあの時から少し心臓がおかしいのかもしれない。あんなにも粗暴で乱暴な口調の圭介が苦手だったのに、今はあの時の圭介は頼もしかったな…と変換されているのだから単純だ。

(でも圭介はいつも頼もしいよね…)

監禁事件の時も真っ先に助けに来てくれたし、今日だって。帰りは足を痛めてるわたしを気遣って手も繋いでくれた。よく考えれば漫画で登場するようなヒーローみたいだ。

「場地……圭介か…」

その名前が、今はどこか特別な響きのようにも感じた。