悪女、上等。―17



手を繋いだらドキドキする。他の女の子と一緒にいたのを見て嫌な気分になった。前はそんなことなかったのに、二人きりでいると何を話していいのか分からなくて緊張してしまう。

「――それ、完全に"好き"じゃね?」
「や…やっぱり…?」

希子にあっさり宣言されて、モヤモヤとしていた気持ちがある意味スッキリした。したけど…。

「え、つーか、まだそこ?お子ちゃますぎじゃん?手ぇ繋いだだけとか、小学生か」
「…う」

ケラケラ笑われ、わたしは見事に真っ赤になった。そりゃ希子はあんな年上のパパさんがいて、すでにやること散々やってるみたいだし、わたしの相談ごとも小学生の恋愛相談に聞こえるかもしれないけど、これでも真剣に悩んでるのに。思わず本音をぶつけたら、希子はスマホを弄っていた手を止めると「ごめんごめん」と苦笑しながらわたしの頭を撫でてきた。やっぱりお子ちゃま扱いじゃん。っていうかネイルの装飾が髪に引っかかって痛いしかない。

「まあでも真面目な話。がまさか不良の男を好きになるとは私もマジで思ってなかったわ」
「そ…れは…わたしもだけど…」

自分だって謎だ。まさか圭介にこんな気持ちになるなんて思ってもいなかった。そもそも第一印象悪すぎだし、口も悪くて偉そうだし、すぐ説教してくるし、ちょっとからかったらキスして来るし――。

「あっ」
「え?」

あの時の光景が頭に浮かんで今更ながらに顔から火が出るかと思った。ファーストキスの相手が圭介だなんて、今思えば物凄く恥ずかしい。

「キス…」
「は?」
「キス、はしたかも…」
「ハァ?」

希子がビックリしたように声を上げて「何それ、やることやってんじゃん!」と急に食いついてきた。でも希子が思ってるようなムードのあるものでもなく。簡単に説明すると、希子はやっぱり笑い出した。

「マージで!もやるじゃん。自分から迫るなんて」
「せ、迫ってない!ただ…人のパンツ見ても平気な顔してるからムカついて、ちょっとビビらせてやろうと思っただけだし…」
「で、結果、ソイツも誘惑に乗っかってキスしてきたと」
「そ…そう…いう感じ…」

あの時は心底腹が立って、でも自分も安易なことしちゃって後悔した。ただ、あの後に大ちゃんの事件があってゴタゴタしてたから忘れてたけど、好きになった人がファーストキスの相手で良かったと今なら思える。向こうは何の意識もしてなさそうだけど。

「えーじゃあ、こうなったら押して押しまくるしかなくない?向こうも絶対意識はしてるって。のこと」
「いや、それは…ないと思うけど…」
「いーや!絶対してる。男ってそういう生き物だもん。いくら硬派だなんだと言ったところでオスはオスだし。が迫ればコロっと落ちるって」
「…そんな死にかけの蝉みたいに簡単にいかないよ」
「何それ、ウケんだけど~~!蝉~!」

希子はテーブルをバンバン叩いて笑い出し、周りの客から引かれてる。ちなみに今は駅前のファミレスで一緒にランチをしていた。希子は一頻り笑った後、メイクが落ちないよう目元の涙を指で拭うと、運ばれてきたデザートの黒蜜アイスを美味しそうに食べ始めた。太ると言いながらも食後のデザートはわたしもやめられない。一時アイスの冷たさで涼んでいると、希子が再び圭介の話題を振って来た。

「そもそもキスはしてきたんなら脈あんじゃね?向こうも案外その気になったってことじゃん」
「あれは…きっとわたしの危機感のなさに腹を立てて、こういうことしたら危ないぞって教える為でもあった気もするし…」
「そんなお釈迦様みたいな男いねーって。口ではそう言っても男なんて下半身で物を考える生き物だし」
「か…下半身って…」

希子はこの歳で男を転がしてるから言うことがいつも大胆だ。でもあの圭介が下半身でアレコレ考えるようなタイプにも見えない。ある意味、チャラくない男を好きになると、どう接していいのか分からないものなんだな、と変なとこを悩んでしまう。

は告る気ないわけ?」
「えっ」
「好きな男には好きって伝えないと後悔するって。現に知らない女と歩いてて焦ったんでしょ、も」
「うん、まあ…」

あの時は何か圭介を盗られたような気分になった。でもあの子は幼馴染って話だったし、そこは安心したけど、でも仲良さそうに腕を組む仲ってことには変わりない。それを考えると不安は不安だ。

「…で、でも今更好きって…言いにくい…」
「何でよ。フツーに好きって言えばいいのに。また迫ってみるとかさ。色仕掛けで」
「そんなことしたら怒られるだけだもん…」
「でも今はもソイツのこと好きなんだからいいじゃん」
「まあ…それはそうなんだけど…」

結局、希子に相談はしてみたものの、告白するという決断には至らず、希子は新しく出来た彼氏とデートということで笑顔で帰って行った。

(パパもいて彼氏まで作って、希子はホントにアクティブな女だな…)

帰り道、そんなことを考えながら苦笑したものの、わたしだって同じ歳の青春真っ盛りな年頃なのに、と軽く落ち込んだ。
その時、ケータイにメールが届いて、すぐに開くとさっき別れた希子からだった。

『彼氏とお泊りになったから今日はの家に泊まるってことにしておいてー』

またいつものヤツか、と苦笑しつつ、いいよと返信しておく。前にも何度かお願いされたことがあるからそれはいいとして。

「…いいなぁ。お泊りって…何かエッチだけど」

新しい彼氏は大学生とか言ってたけど、そんなに金を持ってるのかと羨ましくなる。でもわたしは好きな人と一緒にいられるなら、どこに行っても楽しいだろうなと思う。この前のお祭りも、今思えば凄く楽しかった。圭介の幼馴染を紹介してもらえたし、皆といる時の圭介は普段よりもはしゃいでいて、男の子同士のああいう関係もいいなと思った。見事に不良だらけではあったけど、わたしが想像してたのと全然違ったし、不良に対する印象は凄く変わったかもしれない。

(そう言えば圭介、お昼ご飯食べてくれたかな…)

今日は希子からランチに誘われたことで、簡単に圭介のお昼ごはんを用意してから出かけて来た。出かける際「また田内と悪だくみか」なんてからかってきたけど、まだ変なバイトをするとか思われてるのかな。そんなことを考えながら団地のそばまで来た時、近くの公園から猫の鳴き声と「待てってペケJ!」という聞き覚えのある声が聞こえてきた。何となく公園を覗けば、これまた見覚えのある金髪頭が視界に入る。同じクラスの松野千冬だ。

「そう言えばペケJって松野の家の猫なんだっけ」

時々圭介の部屋に黒猫が遊びに来ることは知っていた。その猫は下の階に住む松野の家の猫だということも。結構懐っこい子で、遊びに来るたび買っておいた猫用のオヤツをあげると、ゴロゴロ喉を鳴らしてスリスリしてくるのが可愛い子だった。

「また脱走したんだ」

ペケJはとにかく脱走グセのある猫らしく、松野がそのたび圭介のとこに確認に来るんだから笑ってしまう。今回は公園に逃げたようだ。
その時、足元に黒猫が飛び出して来た。ペケJだ。ペケJはわたしに気づくと足元にスリスリしてきた。ひょいっと抱き上げると、ちょうどそこへ松野が走って来る。

「ペケJ…!って…?」
「どーも。また脱走?」

わたしが苦笑しながら訪ねると、松野は気まずそうに視線を反らしながら頭を掻いている。

「あー…まあ…つか、捕まえてくれてさんきゅ」
「うん。ああ、このまま抱っこしてってあげようか」
「…え?」
「何かゴロゴロいってるし、松野に返したら、また逃げそうだし」
「…チッ。うるせぇ」

ペケJはわたしの腕の中に納まって動く気配がない。だから松野に渡したら、また逃げる気がしたのだ。松野はこれから出かけるらしく、ペケJを家に連れ戻さないと出かけられないと言って、わたしに家まで抱いててくれるように頼んできた。最初は苦手だった松野も、最近は接し方が柔らかくなった気がする。

「お袋もいねーし助かったわ」
「いいよ、これくらい。猫は好きだし」
「ペケJもそういう人、分かるみたいでさ。すぐ懐くんだよな、コイツ」

松野は笑いながら腕の中にいる愛猫の頭を指で撫でている。こういう顔も出来るんだと驚くほど、松野の表情は意外なほど優しい。圭介もそうだけど、松野もかなりの動物好きらしい。

「ああ、オレんちここ」

2階まで上がってある部屋の前まで行くと、松野は鍵を開けて「どーぞ」とわたしを中へ促した。玄関に入ると、間取りは圭介の家と同じだけど、知らない家の匂いがした。

「ほら、お家だよ」

腕の中でウトウトしはじめたペケJを下ろそうとしたら、ミャァと苦情を言われ、わたしの服に爪を立てている。どうやら下りたくないらしい。

「あー、コラ、ペケJ!爪を立てるな、オマエ」
「平気だよ」

わたしの服に爪を引っかけたせいか、それを見ていた松野が慌てたようにペケJを引き剥がそうとする。するとますますペケJが爪を立てるので松野も困った顔をした。

「わりぃな…つか、どうすっか、コイツ…」
「あ、上がっていいならこの子がいつも寝てるベッドまで運ぶけど」
「あー…じゃあ頼むわ。どうぞ」
「お邪魔します」

松野に促され、靴を脱いで室内に入ると、綺麗に片付けられた茶の間へ通された。松野は更に奥の部屋をさすと「ペケJのベッドはこっち」と言って中へ入っていく。わたしもその後に続きながら、ふと茶の間にある仏壇が視界に入った。確か松野の家もわたしや圭介と同じで父親がいないんだっけ、と思いつつ、奥の部屋へ入ると、そこは松野の部屋だった。

「これなんだけど」
「あ、うん」

松野が示した猫用のベッドにペケJを近づけると、慣れた匂いがしたのか、ペケJは今度こそすんなりとベッドに下りて、そこで丸くなった。それを見てホっとすると同時に部屋の窓が開いてるのを見て「そこしめておかないと」と伝える。松野は「やべ」と言って慌てて窓を閉め、しっかり鍵をかけた。

「ハァ…良かった。マジで助かったわ」
「うん。あ、じゃあ…わたしはこれで」

そう言って玄関に歩きかけた時、松野が「悪かったな」ともう一度言って来る。意外と律儀な不良だったんだなと思いながら「いいよ」と返した。でもあることに気づいてふと足を止める。松野は圭介を凄く慕っているのは見てて分かるし、付き合いも長いらしい。もしかして圭介の過去の恋愛事情とか好みの子を知ってるのでは?と思ってしまった。

「あの、さ…」
「あ?」
「ちょっと聞きたいんだけど…」

さり気なく聞き出すことは出来ないかと、わたしはなるべく愛想のいい笑顔を松野に向けた。前は顔を合わせればいがみ合ってたような関係だからか、松野は少しギョっとしたように「な、何だよ」と後ずさっている。あの噂を信じてた松野からすると、わたしに襲われるとでも思ってるのかもしれない。(!)

「圭介のこと…なんだけどね」
「…は?場地さん…?」

急に圭介の名前が出たことで、松野は少しホっとしたような顔をしている。本気でわたしに襲われると思ってたんだろうか…と若干ムっとしつつ。とりあえず過去、圭介に彼女がいたかどうか。もしいたならどんなタイプだったのを少しでも聞き出せたらいいなと思った。

「えっと…その…圭介って前は彼女とか…いたりした?」
「………え?」

わたしの問いにたっぷり数十秒の間を空けて、松野がキョトンとした顔でわたしを見た。そんなに驚くようなことか?と思ってたら、松野は驚愕したような顔で「オレ…」と視線を左右に激しく動かしだした。

「場地さんの女関係…知らねえかも!右腕なのに!」
「は?」

両手で頭を抱えて叫ぶ姿にわたしが絶句した。松野の驚く基準がよく分からない。そして彼は何も知らないんだなということだけは分かった。
そこへピンポーンというチャイムの音がした。

「あ!いけね、場地さんだ!」
「…えっ?」

今度はわたしが驚く番だった。どうやら出かけると言ってたのは圭介とだったらしい。松野は急いで玄関に向かうとすぐにドアを開けた。

「おー千冬。準備出来たかぁ?」
「ウっス!すぐ出られるんで――」

と言いつつ、松野は「あ」という顔で振り返った。すると圭介も自然と視線をこっちへ向ける。そこでわたしがいることに気づいた彼は「は?」と間抜けた声を出した。

…オマエ…千冬んちで何やってんだよ…」
「えっと…ペケJを捕まえて…」
「あ?ペケJ…?」

何か信じられないようなものを見る目で見られ、慌てて事情を説明する。変な誤解をされたくなかったからだ。松野からも説明してもらえたことで圭介は納得したようだった。

「…何だ…ビックリした…つーか…オマエら、いつの間にそんな親しくなってんだよ」
「え…」
「い、いや、なってないっス!マジでペケJがから離れなくて――」

松野が必死で弁解してる姿にも、圭介が少し不機嫌そうにしてる姿にもちょっと呆気にとられてしまう。ただ、圭介が少しくらいヤキモチ妬いてくれたんだとしたら嬉しい、なんてガラにもないことを思ってしまった。

「フーン…ま…とりあえず行くぞ」
「ウっス!」
「あ…じゃあ、わたし先に帰ってるね」

どうやら二人はチームの皆とバイクで出かけるらしい。わたしは松野の家を出ると圭介に声をかけて階段を上がろうとした。その時「あー…そんな遅くならねえうちに帰るから」と圭介がわたしを見上げて来る。それが何となく嬉しくて「うん」と頷いた。会話だけ聞けばカップルみたいで少し照れ臭い。

「じゃあ…行って来るわ」
「行ってらっしゃい。気を付けてね」
「…おう」

そう声をかけて手を振ると、圭介はチラっとわたしを見てから軽く手を上げた。こんな些細なことでも顔がニヤケる自分に自分で驚く。わたしって人を好きになったら顔が作れなくなるタイプだったのか、と苦笑が漏れた。少し浮かれ気分で階段を上がっていると、外から大きなエンジンの吹かす音が聞こえてくる。今までは怖いと思っていたその音ですら、心地良く鼓膜を震わせるんだから不思議だ。

(今度…乗せてってお願いしたら乗せてくれるかな…)

なんて考えながら、軽快な足取りで階段を上がって行った。






昨日、がオレの知らない男と一緒だった。何となくモヤっとして、イラっともして、よく分からない不快なものが腹の底から湧いて来た。後で幼馴染と聞いてホっとしたのもおかしな話だ。
そして今日、千冬の家にいたを見た時、後頭部をガツンと殴られたような感覚が襲って、自分でもちょっと驚いた。

「ぶははっ。それってヤキモチかよ」
「あ?」

千冬と待ち合わせ場所に向かい、マイキーやドラケン、一虎と合流をして横浜の方までバイクで流すと、前にも来たことのある海までやって来た。久しぶりに潮の匂いを嗅ぎながら海を眺めつつ、隣に座った一虎にチラっとその話をした途端、笑われて、あげくヤキモチとか言われたから「何言ってんだ、オマエ」と言い返す。オレがヤキモチ?に?笑えない冗談だ。

「だって嫌な気分になったんだろ?ちゃんが知らない男といるの見て。あげく自分の知らないうちに千冬の家にまでいたのを見てショック受けてんじゃん。それが嫉妬じゃないなら何なんだよ」
「別にオレはショックなんか――」

受けてねえ…と言いかけて言葉が切れた。いや、確かにさっきの激しく揺さぶられた感情はマジで自分でもビックリしたけど、言うならショック、という表現が一番近いような気もする。千冬の家にがいた。あの一瞬で脳内が軽くパニくったのは間違いない。あり得ないと分かっていながら、オレの知らない間にが千冬とそういう関係になったとこまで浮かんで来たんだから、ある意味凄いと思う。

「自覚したかよ」
「…あ?」
「場地はさー。ちゃんのこと好きなんだろーなーとオレは気づいたけどな」
「……ハア?」

それこそ何言ってんだと思ったものの、オレよりも恋愛事情には一虎の方が詳しいし経験値もある。そんな男から言われると、オレはが好きだったのか?くらいは考えてしまう。

「え、場地、どんだけ鈍いんだよ。この前のお祭りの時から、そんな感じだったろ」
「お祭り…?」
「オレに散々説教したろ。がいるのにケンカなんかすんなって。あー大事にしてるんだなーってオレは感じたけど?」
「……それは…アイツのこと預かってる身としては心配すんの当然だろ」

の母親の多香子さんから「宜しくね」と言われたからにはオレにも責任ってもんがある。でも一虎は「真面目か」と言って笑い出した。

「まあ、そういうのも大事だけど…好きだから心配って方が大きいんじゃねーの?放っておけねえとか思うのはさ。ソイツのことが好きだからだよ」
「…好き…オレが?を…?いや、それは――」

ありえねえ、と言おうとしたのに言葉が出てこなかった。昨日、あの幼馴染とかいう男と一緒にいるを見た時、仲良さそうにお茶なんかしてる光景がやけにムカついて。あんなチャラそうな男が好きなのかよ、とは思った。それか一瞬また変なバイトしてるなら、と心配にもなった。これって好きだから嫉妬して心配までしたってことか?

「まあ、学校じゃアレコレ悪い噂があるとか言ってたけど、実際はいい子なんだろ?場地にとったら」
「………」

いい子、と言われて自然とそうだな、と思った。想像以上に家のことをしてくれるわ、お袋に対しても気遣ってくれるし、何より本人も母親思いだ。親の為にあんなことしてまで金を稼ごうなんてオレ達の歳で考える奴はまあ少ないだろう。それくらい愛されて育てられたんだろうし、友達さえ間違えなければは変な噂をされることもなく、普通の女の子だったんじゃないかとすら思う。

「ま、場地が違うって言うならオレがちゃんを口説くけど――」
「やめろっ」

ついそんな言葉が口から零れてハッとした。見れば一虎はニヤニヤしながらオレを見ていて。明らかに今の挑発的な言葉は確信犯だと気づく。

「やーっぱ好きなんじゃん」
「……チッうぜぇ」
「素直になれよ。男の意地っ張りは可愛くねーぞ」
「オマエに可愛いとか思われたくねーってんだよ」

未だニヤついている一虎を睨みつつ、砂を掴んでぶっかけると「げっ服が汚れんだろーが」と慌てて立ち上がった。そこへ千冬の「場地さーん」と呼ぶ声。マイキーやドラケンに交じって浜辺で走り回っていた千冬は、何故かびしょ濡れだ。大方マイキーに海の中へ放り込まれたんだろう。

「場地さんも泳ぎましょーよ」
「…服のままで泳げるかよ」

無邪気に手を振って来る千冬に突っ込みつつ、立ち上がってケツの砂を払うと、一虎が「今日は早く帰ってやれよ」と言いながらニヤリとする。オレをからかうネタが出来て心底楽しそうだ。

「…言われなくてもそーするよ」

頭には来るけど、言い返せないのが困りものだ。手がかかるけど、とことんムカつくこともあったけど、オレの中ではとっくに"女の子"だったんだと気づいた。

「他の男に奪われる前に、サッサと告っちまえよ」

千冬の方へ歩き出した時、一虎の声が追いかけて来て。自然と「そうだな…」と返せたのは、それくらいのことを好きだと自覚できたからだったのかもしれない。

これまで男同士でつるんでばかりで、ぶっちゃければ女と付き合うとかの恋愛系の話は漫画の世界の話だと思っていた。小学校の時はそれなりにモテてた気もするが、中学に上がって東卍を創った辺りから不良という目で見られ、女子からは敬遠されてた気がする。オレも女よりはバイク、ケンカ、仲間と大事なもんが沢山ありすぎて、気づけば恋愛は無縁になっていた。全く興味がないかと言えば嘘になるけど、好きな女も出来なかったし、あまり考える暇もなかったかもしれない。そんな時にが家に来て、最初は戸惑ったものの。意外にも振り回されるハメになって、初めて異性を意識したのはだった。

(つーか…告白ってどうすりゃいいのか分かんねえ…)

一虎にああは言ったものの、これまで普通に同居人として接してきてたのに、いきなり「好きだ」というのも照れ臭い。どうしたもんかと考えているうちにアッという間に日は暮れていく。

「そろそろ帰っか」

マイキーの言葉を合図に皆もそうだな、と言いながらバイクに乗り込む。海水で濡れた服も道中で渇くだろという話になり、帰り道を急ぐ。ただ夏休み中ということもあり、帰りの道は渋滞が続いていた。バイクで車の横を抜けられるものの、それでもスピードは出せないから結果、時間もかかる。高速の方が混んでるかと下の道を走って来たが、高速とさほど変わらずといった感じだった。途中、マイキーがコンビニを見つけて「休憩しようぜ」と言うので、皆でそこへ向かった。

「はぁ~えらい混んでんなァ…こりゃ途中で事故ってるだろ、確実に」
「だなあ…東京まであと一時間はかかりそ~」

一虎もへばったようにコーラをがぶ飲みしている。いくらバイクでも昼間の熱にさらされた空気は夕方になると湿度を増して蒸し暑い。走ってるだけでもやたらと喉が渇く。

(これじゃ帰る頃には暗くなんな…連絡だけでもしておくか)

時計を確認しながら、夕飯を作って待っているであろうのことを思い出す。早く帰ると言った手前、メールで道の状況を送っておいた。するとすぐに返信が届く。

『渋滞じゃしょうがないよ。ほんと気をつけてね』

らしい内容にふと笑みが零れ、"なるべく急ぐからオマエも戸締りしっかりな"と返す。すると再びメールが届いた。

『今、何か新聞の勧誘の人が来てて、結構しつこいんだよね。開けて損しちゃった笑』

「…は?」

その内容を見た瞬間、乾いた声が漏れた。新聞の勧誘?開けて損したということはすでに玄関先へ上げてるということだろう。それを想像した時、一気に指先が冷たくなった気がした。もう薄暗い時間に知らない男を女一人の家に上げてるのかと思うと、胸の奥がざわざわしてくる。確か去年、新聞の勧誘に来た男が何だかんだと理由をつけて部屋に上がり込み、家主の女にエロいことをしようとした事件があったはずだ。それを思い出して血の気が引いた。

「悪い…オレ先に行くわ」

気づけば皆にそう告げてゴキのエンジンをかけていた。

「は?場地、どーしたよっ」
「場地さん、何かあったんスか!」

皆が呆気にとられてる中、一虎と千冬が慌てて走って来る。

「今、家に勧誘のヤツ来てるらしくて、しつこく居座ってるみてーでよ。何か心配だから先に帰るわ」
「マジで?じゃあ急げよ」

オレの気持ちを素早く察した一虎はすぐ納得したようだったが、事情の知らない千冬はキョトンとしている。でもすぐに「オレも一緒に行きます」と言い出した。

「いや、マジで飛ばすし一人の方がいい。千冬は皆と帰って来い」
「え、でも――」

とオレを追いかけようとした千冬を一虎が止めた。

「場地が本気で飛ばしたらついてけねーよ。いいから一人で行かせろ」
「…わりーな。千冬」
「わ、分かったっす。場地さんがそう言うなら」

メットを被るオレを見て千冬も察したのか、渋々ながら頷いてくれた。

「じゃーな」

そう言ってエンジンを吹かすと、すぐに発車して少しずつスピードを上げていった。温く湿った風が体にまとわりついて服がはためくのを感じながら、ノロノロと走る車の脇をすれすれで飛ばしていく。今はただが無事なことを祈りながら、前だけを見つめてバイクを走らせていた。






「遅いなあ…圭介。やっぱり夜になると道も混むんだ」

夕飯を作った後、時計を見ながら溜息を吐く。時刻は午後の7時を過ぎていて、かなりお腹が空いてきた。ぐぅぅという情けない音が鳴り、再び息を吐きながら先に食べてようかなとテーブルに並べた料理を眺める。今日は張り切って餃子を作り、後は焼くだけにしてあった。焼き肉用のプレートの電源を入れて温めながら、スープも温めようとキッチンへ向かう。でもその時、外からブォォンというバイクの排気音が聞こえて来て、思わず笑顔になる。

「この音…圭介だ!」

松野も同じバイクに乗ってるみたいだけど微妙に圭介のバイク音は違いがある。今の音は間違いなく圭介だと分かった。一度プレートの電源を切って部屋に行くと、窓を開けて下を覗く。案の定、近づいて来たバイクは団地の近くで止まり、ヘルメットを外しながら降りて来たのは圭介だった。でも一緒に行ったはずの松野の姿が見当たらない。どうしたんだろうと思ったものの、足早に歩いてくる圭介に声をかけようと思った。でも圭介はわたしに気づかず走って団地の中へと消えた。

「何あれ…何で慌ててるの…?」

不思議に思いつつ、でも無事に帰って来たことが嬉しくて帰って来るのを待つ間、スープを温めちゃおうとキッチンに向かったその時だった。廊下の方からドタドタと賑やかな足音をさせて、ついでにドアが勢いよく開く。

!」

その音と大きな声にビックリして「ひゃ」と変な声が出た。

「け…圭介…?」
「…!大丈夫かっ?」

圭介はさっきと同様、どこか慌てたように家の中へ入って来るなり、室内をキョロキョロと見渡している。そして目の前のわたしを見ると徐に腕を伸ばして――抱きしめてきた。

「ちょ…何…?」

いきなりの行動に驚いて一気に体が固まった。でも圭介はすぐ体を離すと「勧誘の奴は?帰ったのか」と訊いてくる。そこでさっき送ったメールを思い出した。

「う、うん…さっき帰ったよ…」
「何もされなかったかよ?つーか簡単に家の中に入れてんじゃねえっ」
「え、ご、ごめん…っていうか…何でそんなに怒ってるの…?」

確かに新聞の勧誘の人はしつこかった。今契約してくれたらこんな特典がつきますよ、という説明を延々とされ、ウンザリしてしまうほどに。でもいくらこの家の人間じゃないと言っても信じてもらえず、長々と新聞の契約について話を聞かされる羽目になった。

「あ?あたりめーだろ!新聞屋だからって男なんだし油断してんじゃねえよっ。中には危ねーヤツもいるかもしんねーだろが」
「え…」

どうやら圭介はわたしのメールを見て心配してくれたらしい。確かに去年、勧誘の人間が家の中にまで入って来て大学生の女の子に猥褻な行為をしようとした事件も起きてる。でも今日来た勧誘の人はそういう警戒をする必要がなかっただけだ。

「で、でも…今日来たの…オバサン・・・・だったよ…?」
「…………ハァ?」

恐る恐る答えると、圭介は一瞬黙った後、飽きれたように表情を崩した。この顔はやっぱり男の人だと思ってたらしい。事情を理解した瞬間、圭介はわたしを抱きしめていた腕の力を抜き、その場にしゃがみこんでしまった。

「だ…大丈夫…?」
「……大丈夫そうに見えるか…?」

圭介はガックリと項垂れているから、長い髪が邪魔をして表情は見えない。だけど、これってもしかして――。

「…圭介…心配して飛んで帰って来てくれた…り?」
「………」

わたしの問いに、膝に乗せて垂らしていた圭介の腕がピクリと反応する。まさかとは思うけど、でもこの感じはわたしのメールを見て勘違いした圭介が皆を置いて慌てて帰って来たことを示してる気がした。じゃなければ一緒に出掛けて行った松野がいない説明がつかない。それに圭介からはかすかに海の匂いに交じって風の匂いがした。きっとバイクを飛ばして帰って来てくれたに違いない。

「…わりーかよ」

ポツリと圭介が呟く。その一言で胸がいっぱいになった。やっぱり圭介はズルい。わたしが圭介を好きだと自覚した途端、そんなことを言うなんて。

「…っわ…おい…っ」

我慢出来ずに圭介に抱き着くと、彼の体が後ろへ傾いて尻もちをついたらしい。でも構わず圭介の首に腕を回してぎゅっと抱きしめた。

「な、何してんだ、テメェ…っ放せ――」
「やだ…」
「あ?ったく…前に言ったよなァ?男に簡単にこういうことするなって…オマエ、まだ分かってねーのかよっ」
「…いい」
「…は?」
「圭介なら…いいよ」

思わず大胆な言葉を口にしてしまったのは、今のこの瞬間じゃないと、二度と言えない気がしたからだ。本当はわたしだって恥ずかしい。でも圭介の気持ちが嬉しくて、勢いのまま抱き着いたら思った以上に愛しさがこみ上げてきた。わたし、こんなに圭介のこと好きだったの?と自分でも驚くくらい、圭介の体温を感じてドキドキしてしまう。

「…オマエ…何言ってっか…分かってんのかよ」
「うん…」
「サッサと離れなきゃ…マジで…オレ何するか分かんねーぞ…」
「……だからいいよ、何しても」

抱きしめる腕にぎゅっと力を込めながら、恥ずかしさで顔が火照ってくる。だけど、圭介も同じ気持ちだって思えたのは、背中に回った腕があまりに優しかったからだ。

「…チッ。男を煽るとか…マジでオマエ…悪い女だな」
「…悪女上等。もともと学校ではそう思われてるし」

苦笑しながら呟く圭介に、わたしも思わず笑ってしまった。本当のわたしを、圭介だけが知っててくれるなら誰に悪女だとか思われても構わない。

「…わたし…圭介のこと好きになったみたい」
「……っ…」

耳元で呟くように告白すれば、抱きしめてくれる腕に力が込められるのが分かった。

「……オレも。が好きだ」

心地のいい低温が耳を掠めて、思わず鼓動が跳ねる。好きな人に好きだと言われることが、こんなにも心を揺さぶられるものだったなんて知らなかった。少しずつ腕の力が緩んで、圭介がやんわりと体を離す。そうすることで至近距離のまま視線が絡む。圭介の鋭い瞳が見たこともないくらい優しいから、また心臓が音を立てた。圭介の指がわたしの垂れてる髪に触れて、そっと耳にかけてくれる。それだけで頬に熱が走った。

「……真っ赤じゃん」
「う…うるさいな…圭介だって――」

と言いかけた言葉は飲み込まれて、圭介のくちびるがわたしのに重なる。それは最初にキスをした時よりも深く、優しいキスだった。