幸せ色の

Cry baby cry honey

 

――オレにしとけよ。いっぱい可愛がってやっから。

その言葉の通り、彼氏になった半間くん――改め、修二は、あの日からわたしのことを凄く大事にしてくれてる。

「お…お邪魔します…」
「テキトーに座ってて」

緊張気味に玄関に入ると、修二は先に上がってエアコンをつけたようだった。適当と言われても初めて修二の家に来たわけで、やっぱりそこは元カレの家みたいにズカズカ入りにくいものがある。
っていうかお洒落なマンションだから余計に。
修二の住むマンションは、雄馬のボロアパートとは全然違った。
だいたいアイツの家にオートロック機能なんてなかったから、行けば即玄関で、ここみたいに手入れの行き届いたエントランスなんてなかったし、エレベーターだってない。あのアパートは四階建てのクセに階段だったから、ちょっと面倒な時もあったっけ。
っていうか、玄関に入った途端、勝手にライト点いたし、これってセンサーライトってやつ?お、お洒落過ぎる。

「どした?」

いつまでも玄関にいたせいで、修二がリビングからひょいっと顔を出した。部屋着に着かえたのか、上下黒のゆったりしたスェット姿で、それが良く似合ってる。その緩さが何となく寛ぐ気満々に見えて、何かドキドキしてきた。
修二と付き合うことになったあの日から一週間。いつも外で会ってばかりだったけど、今日は遂に修二から「オレんち来る?」と誘われてしまった。それってもしかして…と変な想像をしてしまうわたしがいて。そういうのもひっくるめて今は凄く緊張してるかもしれない。だって修二は絶対、わたしが処女だなんて知らない。あのチャラい雄馬と付き合ってたんだから、とっくにエッチしてると思ってるはずだ。そもそも雄馬だってヤラせてもらえないことを友達に言うのは恥ずかしかったようで、その話は誰にも言うなよなんて言ってきたくらいだし。だから修二も気軽に部屋へ誘ってきたのかもしれない。

(どうしよう…いきなり押し倒されたら…)

部屋に二人きりのこの状況。当然、そんな思いが過ぎった。まだ付き合い始めたばかりだし、修二のことをそれほど知ったわけじゃない。だから、やっぱり少し怖かったりする。

「入らねーの?」
「あ、うん。ちょっと待って」

部屋に来ると決めたのはわたしだし、ここで帰るなんて言えない。それにやっぱりわたしも修二と二人きりの時間を過ごしてみたかった。外で顔を合わせてた時の彼しか知らないから。
身を屈めて、ミュールサンダルのストラップを外そうと手を伸ばす。ここで失敗したなと思った。部屋に来るなら、すぐ脱げるタイプの靴にすれば良かった。そう思ってると僅かに足がよろけて、慌てて壁に手をつこうとした。でもその手が暖かいものに包まれ、ドキっとして顔を上げると、修二がわたしの手を掴んで体を支えてくれていた。

「あ、ありがと…ごめんね」
「いや、全然。それより、その靴かわいーな。に似合ってる」
「…え、あ…ありがとう。一目惚れして買ったやつなんだ」

サラリと褒められ、頬がかすかに熱くなる。前言撤回。やっぱりこれ履いてきて良かったかも。
修二はこうやってさり気なく、わたしの何かをいつも誉めてくれるから心が凄く救われることも多い。わたしに劣等感を抱かせない人だなと思った。
修二の手を借りて靴を脱ぐと、リビングに案内された。玄関もお洒落だけど、リビングもまた驚くくらいに大人っぽい。八畳ほどの1DKで黒と白を基調にしてるから、何か落ち着いてるしカッコいい。ソファは白のレザーで、絨毯やベッドカバーは黒だ。

「凄い片付いてるし、大人っぽい部屋…」
「そーお?オレ、あんま拘りねえから黒と白にしとけば楽かなーと思っただけだけどな」

修二は笑いながら冷蔵庫を開けると、中から缶ビールを出して、一つをわたしへ差し出した。

「今日はのんびり飲もっかー」
「う、うん。ありがとう…」

冷えた缶ビールを受けとってソファに座る。レザーのソファは冷んやりしていて気持ちがいい。わたしの隣に座った修二はリモコンでテレビをつけると、何度かザッピングをして、夕方のニュース番組でそれを止めた。

「やっぱこの時間はろくな番組やってねーな」
「平日ってこんな感じだよ」
「あー…平日か。ってか、オマエ、高校は夏休み?」
「うん、まあ」

そう応えながらも、修二は高校に行ってないと話してたことを思い出す。いわゆる不登校ってやつらしい。前に雄馬に聞いた話では、親から見放されて一人暮らしをしてるとか。雄馬も似たようなものだったから気が合ったんだと思う。でもその関係もわたしのせいで呆気なく壊れたみたいだけど。

「修二は…高校行ってないんだっけ」
「学校?あー…何かつまんねーから行かなくなったな。だって退屈じゃん?型にはまった連中ばっかで、みんな同じ制服着て、ぜーんぶモノクロに見える場所だし」
「あー分かる。それに修二って学校似合わなそうだもん」
「何それ。似合う似合わねえとかある?学校に」

修二は楽しげに笑いながら、ふとわたしを見て「は制服似合いそう」と頭をわしゃわしゃ撫でてきた。彼の大きな手で撫でられるのが、この一週間で凄く好きになってしまった。物騒なタトゥーが彫られてるし、ケンカの時は相手をボコボコにしちゃう手だけど、わたしからすれば優しい手でしかないのも不思議だ。

「今度見せて、制服姿」
「え…何で?」
「見たいから」

優しい眼差しで見つめてくるからドキっとしてしまった。撫でる手の力が少しだけ弱まって、するする下りたと思えば後頭部に手のひらが添えられた。瞬きしている間に影が落ちて、修二のくちびるがわたしのを塞ぐ。あまりに優しく触れてくるから、鼓動が徐々に加速していった。もしこの流れで押し倒されたなら、初めてを修二にあげていたかもしれない。それくらい優しいキスだった。
だけど修二は触れるだけのキスしかしてこなかった。軽くちゅっと音を立ててくちびるが離れていく。それを寂しく思うなんて、自分でも驚いてしまった。雄馬と別れたばかりなのに、もう修二に惹かれてるなんて変だろうか。

「…オマエ、すぐ赤くなんのな」
「え…そ、そう…?」

なんて言ってみたものの、赤くなってる自覚はある。でもあんなキスをされたら当たり前だと思う。それに修二のわたしを見つめる目がどうしようもなく甘いせいだ。

(こ、この空気はやっぱり…)

少しの沈黙の中で見つめ合っていると、脳裏にそんな女の子らしかぬ想像が過ぎっていく。なのに修二はふっと視線を反らすと、缶ビールを手にした。

「あ、そーだ。もう少ししたらピザでもとらねえ?」
「う、うん」

何だ、もう一回キスされるのかと思った。修二に相槌を打ちながら、ちょっとだけ恥ずかしくなる。何を期待してるんだ、わたしは。もっと修二に触れて欲しいと思うなんて。
ただ、あの修二がこんなに優しいなんて思ってなかった分、そのギャップで毎回ドキドキさせられるし、わたしの理想すぎるから戸惑ってしまう。雄馬は中身がクソで顔とスタイルだけの男だったけど、修二は違う。もちろん顔もスタイルも抜群にいいけど、それ以上に中身が良すぎるのだ。危ない男だって分かってるけど、わたしにだけ甘いとことか、そういうのがたまらなかったりする。ヤバいな…ハマりそう。
それから言ってた通り、修二はピザをデリバリーで頼んでくれて、それを夕飯代わりに食べながら、二人で結構飲んでしまった。わたしはそんなに強い方じゃないから、缶ビールでもフワフワしてしまう。修二は強い方だけど、今日はペースが速かったからほろ酔いみたいで、だんだんスキンシップが増えてきた気がする。あげく自分の足の間をポンポンとしながら、わたしの顔を覗き込んできた。

~こっち来て」
「え…?」
「ここ、座って」
「う、うん」

ぐいっと腕を引かれたから素直に修二の足の間に座ると、今度は長い腕が後ろから伸びてぎゅっと抱きしめられた。これは憧れのバックハグでは?と気づいた瞬間、アルコールが更に回ったのかと思うほど顔が熱く火照ってきた。修二はわたしの体を自分の体に寄り掛からせながら「力抜けって」と笑っている。自分ではそこまで力を入れてるつもりはないけど、また緊張してきた分、ガチガチになってるのかもしれない。
その時、修二が苦笑交じりで言った。

が怖がるようなこと何もしねえから」
「え…?」

何に対してそう言われたのかに気づいてドクンと鼓動が跳ねる。思わず振り向くと、いきなり頬にちゅっとキスをされて、修二がわたしの肩へ顎を乗せてきた。おかげでわたしの心臓が馬車馬のように働いてる気がする。

「でもさーキスはしていい?」

その甘えるような言葉と仕草で、また頬が熱くなった。ほんとは修二が思ってるほど怖がってないのに、その気遣いすら嬉しくて、胸の奥があったかくなった。

「…うん」

頷いた瞬間、熱いくちびるが重なった。お互いアルコールを飲んでるからお酒の匂いに包まれて、また酔わされるような感覚になる。それくらい修二のキスは甘ったるい。
長いキスが終わって目を開けると、最後のダメ押しとばかりにちゅっと勢いよくキスをされた。ビックリして何度か瞬きをするわたしを見て、修二は小さく吹き出している。

「ひゃは…♡ 、かわいー」

またぎゅっとハグして両手でわたしの頬を挟むと、修二は角度を変えてもう一度キスを仕掛けてきた。ついでにちゅ、ちゅっとわざと音を立てている。地味に酔っているらしい。何か子供みたいで可愛いかも。

「しゅ、修二…酔ってる?」
「んー?ちょっとだけ~」

へらっと笑った修二は、ふとテレビの画面を見ると「あ」と声を上げた。

「近所のお祭りじゃね、これ」
「あ、ほんとだ」

夕方のニュースで毎年この時期に行われる近所のお祭りの情報が流れていた。新宿のお祭りの中では結構大きいやつで、実は修二と行きたいなあと密かに思ってたやつだったりする。

「これ、一緒に行かねえ?」
「…え?」

どう切り出そうか考えていたら、修二が先に誘ってくれた。一瞬驚いたけど、凄く嬉しくて。すぐに「うん」と言ったら修二も嬉しそうな顔で笑ってくれた。ついでにキスをもう一度。
彼氏とお祭り、なんてベタなデート、修二は「めんどくせー」って言うかと思ってた。だから余計に嬉しいし、幸せな気持ちになる。

「あ~早く行きてーなぁ。来週まで待てねえわ」

子供みたいなことを言ってはしゃぐ修二を見てると、胸が熱くなって、恥ずかしさとはまた別のドキドキに襲われた。修二のことを見てると、ごく自然に好きだなと思う。告白された時、凄く嬉しかったけど、今みたいな嬉しさじゃなかった。わたしとお祭りに行けると喜んでくれる修二に、わたしはきっと初めて恋をしたのかもしれない。我ながら単純だ。
でもまさか、そのお祭りでアイツに再会するなんて、思ってもみなかった。



△▼△


お祭り当日――。

「ど…どう、かな」
「ひゃは♡ すっげー可愛いし、超似合ってるわ!」

浴衣を着て待ち合わせ場所まで行くと、先に来て待っててくれた修二は顔をほころばせて褒めてくれた。今日は新宿諏訪神社で開催される夏祭り。修二の方から「一緒に行かね?」と誘ってくれたのは意外だった。本当はわたしも誘おうかどうしようか迷ったけど、さすがに「人混みなんてダリィ~」って言われるかと思ってたから誘われた時は凄く嬉しかった。
だからというわけじゃないけど張りきって浴衣なんて着てしまった。事前に浴衣を着ることを伝えたら、修二が「オレも着てみようかなー」と言い出したのは驚いたけど。

「修二も浴衣似合う。凄くカッコいい」
「お、マージで?やりぃ、に褒められたー」

黒地に紫の帯をしている姿は普段よりも遥かに大人っぽい。誰に着付けしてもらったの?って聞いたら行きつけの美容室ということだった。

は?自分で着れるんだっけ」
「うん。だいぶ前にお母さんに教えてもらって」
「へえ。上手く着れてるじゃん。襟も抜いて色っぽいし」
「ほんと?修二も色っぽいよ」
「いや、オレ男だから」

笑いながらわたしの手を繋いで歩きだした修二は凄く機嫌がいいみたいだ。いつもの怠そうな姿はなりを潜めて終始ニコニコしている。二人で下駄をカランコロンと鳴らしながら神社の方へ行く時も、修二はわたしのペースに合わせて歩いてくれた。付き合う前は分からなかったけど、見た目に反して凄く優しいところが好きだなと思う。

「すげー人だな、やっぱり」

神社内の一本道。両脇に立ち並ぶ屋台がずっと奥まで続いていて、店の前には大勢の人、人で埋め尽くされてる。軽快に流れる祭囃子を聞きながら、その中をのんびりと歩いて「何食べる?」と一つ一つ屋台を覗いていった。こういう場所に来ると何故かソース系の物に惹かれるのはお約束らしい。修二がたこ焼き屋の前で足を止めた。

「い~匂い。うまそ~」
「たこ焼きにする?」
は?何か食いたいもんねーの」
「わたしは修二と同じでいい」
「じゃあ、たこ焼きでもい?」
「うん、もちろん」

修二相手だとわたしもとびきり素直な女の子になれる気がする。すぐに頷くと修二が嬉しそうに微笑んで「おっちゃん、たこ焼き二つ」」と声をかけた。手際よくたこ焼きをくるくると返してたオジサンが「あいよー」と言いながら焼きたてをパックに詰めてくれた。

「え、おっちゃん、いいの?焼きたて」
「いいよ、ちょうど焼き上がったとこだし。ウチはタコ大きくて美味いよ~」
「おーさんきゅー」

お金を渡して袋に入れられたたこ焼きを受けとった修二は、わたしの手を引いて屋台前通りから反れた裏手へと歩いて行く。そこには大きな木々が立ち並び、人もまばらで何かを食べるにはもってこいの穴場だった。

「お、あそこ空いたっぽいわ」
「ほんとだ。座ろっか」
「おー。何か下駄履きなれねえし足が疲れた。ぺったりしてるせいか?これ」

修二は苦笑気味に言いながら、ちょうど空いたベンチにわたしを座らせてくれた。それほど歩いたわけじゃないけど、人の多い場所を歩くと何となく疲れるものらしい。座った途端ホっとして、隣に座った修二を見上げた。「あっち~」と言いながら襟のとこを軽くつまんでパタパタしている姿は、やっぱり色っぽい。さっき修二がオレは男だって言って笑ってたけど、男でも色気はあるもんなんだなと修二と付き合ってから気づいたのは内緒だ。現に今だって胸元が少しはだけて、筋肉質な胸元がチラチラ見えているせいか、余計に色っぽく見えてしまう。こんなことを考えるわたしはエッチなんだろうか。なんて考えていると、目の前にヌっと丸い物体が現れて「あーん」という修二の声。顔を横に向けると、やけに嬉しそうな修二と目が合った。

「え、い、いいよ」

バカップル定番中の定番をまさか修二がやってくるとは思わなくて、つい首を振ってしまった。さすがに外では照れ臭い。

「何で?いいじゃん。ほら、トロトロで美味いから食えって」
「で、でも…恥ずかしいよ」
「どーせ周りもカップルばっかじゃん。ほら」

どこか楽しそうにたこ焼きをわたしの口元へ運んで来る修二に根負けし、仕方なく出されたたこ焼きをパクリと食べる。言った通り焼きたてで中はトロトロ。というか熱くて口内ではふはふしながら食べた。

「ん~美味しい!」
「だろ?じゃあ次はオレにも食わせて」
「えっ」

今度はわたしにたこ焼きを押し付けてくる修二に「本気で言ってる?」と尋ねれば「ひゃは♡」と軽く吹き出された。

「照れてんのー?かーわい」
「か、からかってる…?」
「いや、マジで言ってる。つーか、彼女とこういうことすんのも、お祭りデートも初めてだし、やたらテンション上がってんだけど。オレ、キモい?」

自分で言ってるからわたしも思わず笑ってしまった。キモいどころか、可愛いなんて思ってしまうわたしは、すっかり修二にハマってるかもしれない。付き合う前はチャラチャラして見えたけど、意外なほどいい彼氏で驚いてるくらいだ。つくづく人は見かけによらないと思う。
修二にたこ焼きを食べさせながら、好きになってもらえて良かったとシミジミしてしまった。

「あっつ…」
「火傷しないでね」

熱々のたこ焼きにはさすがの修二も勝てないらしい。一人で悶えてる姿を見て笑いながら言うと、修二はふとわたしを見てニヤリと笑った。

「火傷したらにちゅーで治してもらうし平気~」
「………」
「ふはっ真っ赤になってんじゃん」

あまりの不意打ちにドキっとしてしまった。修二とは付き合う時にキスをされたけど、でもそれだけだ。わたしと修二は未だにキス止まりで、修二は手が早いと勝手に思っていたけど、意外なほどキス以上のことを求めてこない。

「こんくらいで真っ赤になるとか、かーわい」
「す、すぐそーいうこと言う…修二ってそんなキャラだっけ…」
「キャラァ?つーか好きな女に可愛いつって何か問題あんの」
「な、ないけど…」

好きな女――。その言葉に心臓が素直に反応する。思っていた以上に修二はわたしを甘やかすのがうまいかもしれない。告白は修二の方からだったけど、今はきっとわたしの方が夢中になってしまってる気がする。

「あれーじゃん」

その時、聞き覚えのある声に名前を呼ばれてビクリと肩が跳ねた。見ればそこには元カレの雄馬が知らない男4人とこっちに向かって歩いて来るところだった。修二と付き合うキッカケにもなった浮気男だ。

「雄馬…」
「ハァ?オマエ、何で半間とつるんでんだよ」
「関係ないでしょ、アンタに」
「チッ、生意気になりやがって可愛くねえ。あ~そうか。オレと別れて寂しいから半間に慰めてもらってんのかよ」
「な…アンタと別れて寂しいなんて――」

と怒鳴ろうとした時、修二がわたしと雄馬の間に割って入った。元々修二は雄馬のツレだったけど、わたしが原因でモメてからはつるんでいないと言っていた。

「何だよ、半間ァ。久しぶりじゃねーか。何、二人して浴衣とか。オマエら付き合ってんの」
「だったらわりーの?それこそオマエには関係ねえことだろ」
「はっマジで付き合ってんの?オマエら。ウケるー」
「ちょっと雄馬…!」

元カレの態度にカチンときて文句を言おうとしたけど、修二は笑みを浮かべながら「放っとけ」とわたしの頭にポンと手を乗せる。たったそれだけでホっとするんだからわたしも単純だ。だけど、雄馬の次の言葉でわたしは顔が青ざめた。

「はは、ってか、そういうことなら半間、もうとはヤったんか」
「…あ?」
「コイツ、おっぱいの谷間にエロいホクロあんの、もう見た?」
「ちょっと雄馬――!」

カッとなって頬が熱くなる。そんな恥ずかしいことを人前で言う男は最低だ。一発引っぱたかなきゃ気が済まない。そう思ったのに、動いたのは修二の方が早かった。バキッという鈍い音がしたと思ったら、雄馬が吹っ飛んで地面に転がった。

「いつまで彼氏ヅラしてんだよ…。オレの女のことをテメェが語んじゃねえよ、バーカ」
「修二…」

わたしが言いたかったことを代弁してくれた修二に胸が熱くなる。でもそこから雄馬のツレまで乱入してきて、ちょっとした乱闘になりかけたけど、奴らよりも修二の方が数倍強かったらしい。一分したかしないかくらいで決着がついた。

「うわ…つよ…」

修二がケンカをしてるとこは初めて見たかもしれない。そりゃ"新宿の死神"なんて呼ばれてるのは知ってたし、ケンカも強いとは雄馬から聞いたことがあったけど、でもこれほどまでとは思わない。結局修二は一人で五人をあっさり倒してしまった。

「チッ…だりぃ…弱ぇ~んだからイキがんじゃねえよ、クソが」

修二は呆れたように言うと、不意に「やべ…」と呟き、わたしの手を繋いで突然走りだした。同時に祭り会場の方から警備員らしき制服を着た人が数人こっちへ走って来るのが見えて「こらー!待ちなさーい!」と叫びながら追いかけて来る。どうやら祭り客が連れてきたようだ。
警備員を振り切るように人混みをすり抜け、上手く姿を隠しながら逃げていく。わたしは修二に手を引かれるまま、ただ必死に走りづらい下駄で走った。どれくらい走ったのか、気づけば神社の敷地は抜けていて、大きな通りへ出ていた。

「ここまで来りゃ大丈夫だろ…」
「う、うん……」

胸を抑えつつ、息切れしながら振り返ると、そこには祭りへ向かう人たちでごった返している。それに逆らうように歩いて行くと、あの公園が見えて来た。修二に初めて告白された、あの小さな公園だ。

「はぁ~疲れたぁ…」

もう歩くのも無理だと言わんばかりにわたしはブランコへ座り、隣のブランコには修二が座った。だいぶ無理したせいで下駄ズレを起こしたのか、鼻緒の当たる部分がやたらとヒリヒリする。

「足、大丈夫か?」
「うん。少し擦れてヒリヒリするけど血は出てないよ」
「わりぃ。そんなんで走らせて」

修二はわたしの顔を覗き込むように身を乗り出している。心配そうな顔をしてるから、つい笑顔になった。

「ううん…それより…ありがとね、修二」
「あ?」
「アイツのこと…殴ってくれて」
「あー…」

修二は苦笑しながら夜空を仰ぐと、軽くブランコをこいでいる。その横顔が少しだけ不機嫌そうに見えてドキっとした。さっきまでは機嫌が良かったのに、と悲しくなるのは、あんなバカ男にせっかくのデートを邪魔されたせいだ。
その時――不意に修二が立ち上がったと思ったら、わたしの前にしゃがんだ。

「つーかさー…」
「え…?」
「オレにも今度見せろよ」
「……何を?」
「だーからーさっきアイツが言ってたろ?おっぱいがどーのって」
「……えっ」

まさかのおねだりにドキっとして、ついでに顔が赤くなる。不機嫌そうに見えた修二は怒っているというより、どことなくスネているように見えた。

「すぐ手ぇ出すのはそれ目的とか思われそうで嫌だったんだけどさぁ。さっきの聞いたら何かモヤモヤすんだよなー」
「…修二…」
「あんなバカが見たことあんのに、彼氏のオレが見たことねえの不公平じゃね?」
「ふ…不公平って……」

かぁっと顔が熱くなってだんだん恥ずかしくなって来た。でも修二は至って真面目な顔であたしを見上げている。ケンカをしたせいで、せっかくの浴衣が乱れてるから、細いわりに逞しい胸板がほぼ見えてるのも恥ずかしい。でも一つ、修二は誤解をしている。

「もう…はだけてるよ」

ブランコを下りて、わたしも修二の前にしゃがむと着崩れた浴衣を元通りに直していく。すると不意にその手首を掴まれた。驚いて顔を上げるとすぐにくちびるが重なって、首の後ろに腕が回される。いつもは触れるだけのキスなのに、今夜はちょっとだけ深くて。くちびるが混ざり合うくらいに何度も角度を変えて食べられるみたいなキスをされた。ちゅっというリップ音と共にくちびるが離れた後、わたしと額を合わせて「なあ…ダメ…?」とおねだりをしてくる。それが子供みたいで思わず笑ってしまった。

「何笑ってんだよ…人が真面目にお願いしてんのに」
「だ、だって…修二、勘違いしてるから…」
「……勘違い?」

わたしの言葉を聞いて、修二は怪訝そうに眉間を寄せている。そろそろネタバレしてあげようかなと思いながら、わたしは立ち上がった。

「わたし、おっぱいにエッチなホクロなんてないの」
「…………は?」

たっぷり間を空けてから口をポカンとしたままわたしを見上げる修二に、また吹き出しそうになった。

「付き合ってる時、アイツがね、身体にホクロある女ってエロくていいよなって言いだして、オマエはねえの?って訊いてくるから、つい見栄を張って胸の合間にあるって嘘言ったの」
「……嘘…?」
「わたし、アイツとは何もしてないもん。拒否してたから」
「…は?マジで?」
「だってデートのたびにヤろうとするから何か体目当てみたいで少し様子見てたの。そしたら案の定浮気したし――」

と説明してたら修二が「ぶは…っ」と小さく吹き出した。どうやら脳が理解した途端、おかしくなったらしい。一人でひとしきり笑った後、修二も立ち上がった。

、最高じゃん」
「え?んぐ…っ」

いきなり両腕でぎゅーと抱きしめられて、修二の胸元に顔を押し付けられた。かなりビックリしてジタバタもがいてみても、力では敵わず、最後はされるがまま、またくちびるを奪われた。修二と交わすキスは気持ち良くて時々力が抜けそうになる。

「…じゃあ、オレには見せてくれるわけ」

キスの後でおねだりを再開した修二が、意味深な笑みを浮かべて見下ろしてくる。きっと前のわたしなら恥ずかしくてNOと言ってたかもしれないけど、でも今は違う。わたしの全てを見せていいと思える男がいるとするならば、それはやっぱり修二しかいないと思った。
返事の代わりにもう一度修二の胸に顔を埋めると、優しい手がわたしの髪を撫でていって、じわりと浮かんだ涙はあの夜とは別の、幸せの雫だった。



※後半部分は「SSS」で掲載してる短編と同じですが一部書き直してあります。