六本木心中


※軽めの性的描写あり




その部屋はモデルルームかと思うほどに綺麗で高級感溢れる空間だった。タワーマンション上階の一室。広いリビングには六本木の街並みを一望出来る大きな窓があり、月明かりが照らす様はどこか、現実離れをしていた。

「適当に座ってろ」

蘭さんはネクタイを緩めながらキッチンへ行くと、大きな冷凍庫から氷を出し、ロックグラスに入れてから、もう片方の手にウイスキーを持って戻って来た。

「ほら」
「あ…ありがとう御座います」

グラスにウイスキーを注がれ、わたしは震える手でそれを受けとった。緊張をほぐす為に一気に飲めば、また蘭さんがウイスキーを注いできた。

「そんな緊張すんなって」
「は…はい」

蘭さんが隣に座り、それだけで全身に力が入る。わたしの様子を見ていた蘭さんは軽く吹き出すと、「もっとリラックスしろよ」と顔を覗き込んできた。ウォールライトのみの仄暗い室内で見る彼の瞳は、六本木の夜景とよく似ている。キラキラと輝き、人を惹きつけるのに、その全貌はただ見るだけじゃ分からない。もっと深いところまで入りたいと思わせるような妖しい輝きだ。

「男の家に来るのが初めてってわけじゃねーだろ?」
「…でも蘭さんのような男性は初めてなので」
「オレみたいな男って?」
「…女性に慣れた大人の男の人という意味です」
「何、オレってそんな遊んでるように見える?」
「ま、まあ…」
「なかなか言うな、オマエ」

蘭さんは楽しげに笑うと、ウイスキーを飲み干した。カランと氷の音が響き、つい条件反射で手がウイスキーのボトルへ伸びた。その手を蘭さんに掴まれ、ドキっとする。慌てて彼の方を見れば、その綺麗な顔に苦笑いを浮かべていた。

「仕事じゃねーんだからそんなことしなくていい」
「…す、すみません、ついクセで」
「オマエ、マジで仕事熱心だな。身に沁みついてるって感じじゃん」
「すみません…二十歳から前のお店にいるので」
「別に謝んなくていーけどさ。なら普通のちゃんとした会社に入れたろ。何でお水?金でもいんの?借金はしてないつってたよな」
「借金はしてません。ただ…早くお金を溜めるには夜のお仕事の方が効率いいかなと思って」
「へえ、そりゃまた何で?」

少し迷ったものの、「お店を…出したくて」と正直に答えた。それは嘘じゃない。過去の自分を捨てて、一からやり直す為には、一人で生きていく力がいる。

「ふーん、なるほどね」

蘭さんはそれだけ言うと、自分のグラスにウイスキー注いで、カラカラと氷が回るように揺らしている。それを何となく眺めていると、「それで…」と蘭さんが不意に口を開いた。

「オマエはどんな生き方して来たんだ?」
「え…?」
「唯を刺そうとしたんだよな」
「……ッ」

前触れもなく、その話を出されて肩が僅かに跳ねた。心臓が一気に動き出し、グラスを持つ手がまた震えて来る。それを見ていた蘭さんは「訳アリ?」と苦笑を漏らした。

「普通のヤツはさぁ。どんなに頭に来ても刃物を手にしたり、躊躇もなく、それを人に向けたり出来ねーんだよ」

一言、一言が鼓膜を震わせ、わたしの呼吸を乱していく。額から一筋汗が伝って、喉が小さく鳴った。

「オマエ、こっち側・・・・の人間だったんだな」

楽しげに蘭さんは笑った。反論しようにも、唇が震えて上手く声が出せない。

「…誰かに暴力でも振るわれたことあんのか?」
「……ッ」
「親とか…恋人に?」

どうにか首を振れば、蘭さんは「本当に?」と微笑む。

…オレはオマエを責めてるわけじゃねえ。素直に話せよ。何故オマエは赤い薔薇を怖がる?」
「そ…それは…」
「教えてやろうか」
「……え?」

蘭さんはわたしの方へ顔を近づけ、唇を耳元へ寄せた。

「血の飛び散った痕が……薔薇に見えた」
「―――ッ?」
「だろ?」

蘭さんは確信を持ったように言うと、震えているわたしの手に触れた。愛おしそうに指で手の甲をなぞりながら、妖しく微笑む。

「やっぱいいな、オマエ」
「…ら…蘭さん…?」

触れられていた手を引き寄せられたと思った瞬間、ソファの背もたれに押し付けられた。ウォールライトの仄かな明かりの中に、煌くバイオレットがわたしを射抜く。

「孤独をまとうその目がいい…。人には言えない秘密をひた隠しにしようとする、その表情にそそられる」

蘭さんの言葉にゾクリとしたものが背中に走り、頬がカッと熱くなる。怖い人だと頭では分かっているのに、こうして見つめ合うと不思議と恐怖はなかった。
その時、ふと蘭さんが微笑んだ。

「オマエは度胸がありそうだし…ウチの組織で働けよ」
「……っ?」

蘭さんの言葉に耳を疑った。"組織"とは当然、日本最大の犯罪組織"梵天"のことだろう。そこで働かないかとはどういう意味だろうと思った。わたしに出来ることなんて何もないはずだ。いや、もしかしたら――。

「それは…わたしに風俗で働けという意味ですか……?」

犯罪組織で働くとはそういうことだろうと思った。確か蘭さんはその手の店もいくつか経営してたはずだ。クラブで使いものにならなくなったわたしに、その手の店で働けと言ってるんだ。そう思ってしまうのは当然のことだった。でも蘭さんはキョトンとした顔でわたしを見つめて、その後に「ぷっ」と吹き出した。

「面白いな、は」
「え…?」
「違うよ」
「違う…?」

じゃあ、どういう意味なんだと思っていると、蘭さんはわたしの頬にそっと触れた。綺麗な指先が肌をなぞっていく感触にゾクリと肌が粟立つ。

「まあ…当たらずも遠からずって感じだけど」
「…っ?」

その言葉に驚いて、思わず彼の手を振り払ってしまった。でも蘭さんは怒った様子もなく、ただ微笑むと体を離し、ソファに座り直した。

「オマエに…ウチのボスの世話をして欲しい」
「……な…ボスって…」

蘭さんは応えずに、真剣な顔でわたしを見つめた。

「金は毎月、店で払っていた2倍の金額を払う」
「に…2倍…?」
「オマエに頼みたいのは、ボスのそばに付いてること。ボスの言うことやることには一切、口答えも抵抗もしないこと。この二つだ」
「何ですか、それ…何でわたしが…」

わたしの問いに、蘭さんはかすかに苦笑を零し、ウイスキーをグラスに注ぎながら「オマエも飲む?」と訊いて来た。とてもシラフじゃいられず、「頂きます」とグラスを口へ運ぶ。ウイスキーのロックを一気に飲み干すと、胸の辺りがカッと熱くなって思わず咽そうになった。

「大丈夫か?」
「だ…大丈夫…ゴホッ…です…」

どうにか咳を堪えて、バッグの中から出したハンカチで口元を拭う。蘭さんは笑いをこらえながら自分は美味しそうにウイスキーを飲み干した。

「ウチのボスは…まあ常に不安定なとこがあってさ。あんま目を離せねぇ」
「…不安定?」
「でもオレら幹部も忙しくてね。四六時中、そばについてることも出来ねえから、その間ボスをそばで見ててくれる人間が必要なんだ」
「…そばで…見てるだけ、ですか」
「そう。でもそれは並大抵のことじゃない。男じゃ危険すぎて無理。だから常に女を置くようにしてる。まあ…女でも危ないっちゃ危ないが、男よりはマシ」
「ど…どういう…」
「ぶっちゃければ…命の危険があるって意味」
「……っ」

蘭さんの一言で、わたしは血の気が引いた。そんな危ない人間のそばに付いているのが仕事なんて冗談にもほどがある。

「オレの見た感じ…。オマエなら、そつなくマイキーの相手が出来ると思ったから、ここへ連れて来た。ただ普通の女ってだけじゃダメだったしな」
「マイキー…?」
「ああ、うちのボスな。佐野万次郎。聞いたことあんだろ、その名前くらい」

佐野万次郎――。
確かにその名前は蘭さんと同じくらい、何度も噂話で聞いたことがある。誰も、顔を知らない。警察でさえ手を出せない。梵天の――トップだ。

「な…何でわたしが…?」

気づけば声が震えていた。犯罪組織のトップの相手なんか出来るようなスキルなど持っているはずもない。そう思ったのに――。

「何でって…」

蘭さんがふとわたしを見て笑った。

「オマエ…人を殺したこと、あんだろ?」
「……っ?」
「その顔は図星か。素直なヤツだな」

青ざめたわたしを見て蘭さんは楽しげに笑っている。何も言い返すことが出来ないのは、彼に言われたことが当たっているからだ。
わたしは、15歳の時に人を――殺した。でもそれは自分の身を守る為だ。

「まあ…本気で調べりゃオマエが誰を殺したのかくらい、すぐに分かる。その分じゃオマエ、捕まってねーんだろ」
「……」
「それも図星だな。分かりやすいな、オマエ」

蘭さんに何か言われるたび、手の震えが強くなっていく。もし、彼がわたしの過去を調べれば、すぐにあの"事故"に辿り着くだろう。警察に垂れ込まれたらわたしは…捕まってしまう。

…」

震えている手に、蘭さんの手が重なり、肩がビクリと跳ねた。

「悪いがオマエに選択権はない。オレの言うことは聞いてもらう」
「……蘭さんは…」
「ん?」
「最初からこのつもりで…わたしを…?」

そこが気になった。どこまで知っているのかと怖くなる。でも蘭さんは「まさか」と小さく笑った。

「最初はマジでオレの店に入って欲しいと思ったからスカウトに行っただけ。ただ…」
「…ただ?」
「オマエの話を聞いた時、薔薇が苦手だって聞いて興味が湧いた」
「……っまさか…最初からそれを知っててあの時…」

最初にわたしの店へ来た蘭さんは、いきなり薔薇の花束を差し出した。てっきり挨拶がてらの花束だと思っていたのに。

「ああ、アレね。ま、最初はの反応を見る為にわざと持って行った。苦手なもんをプレゼントされたら、どんな対応してくるのか知りたかったからな。で…オマエの怯えた顔を見て、ただ薔薇が嫌いって風には見えなくて…そこが気になった」
「……やっぱり…怖い人ですね、蘭さんは」

わたしの一言に、蘭さんは意味深な笑みを浮かべると握っていたわたしの手を、強引に引き寄せた。背中に腕が回され、体が密着したことで、彼の香水の香りに包まれる。

「な、何…」
「でもオマエを気に入ったのは本当。言ったろ…?そそられるって」
「は…放して…」

抱きしめられた腕の中で必死にもがく。でも力では敵わない。

「暴れんな。オマエは今日から"梵天"に飼われる女だ」
「……っ」

飼われる――。その言葉に背筋が寒くなった。なのに、蘭さんは腕の力を緩めると、優しい眼差しでわたしを見下ろした。

「その代わり…オマエの夢はオレが叶えてやる」
「…え?」
「自分の店、持ちてーんだろ?オマエが言うことさえ聞いてくれたら、オマエの望むもんは何でもくれてやる。ただし――逆らったり、逃げたりしたら…オマエの命は保証できない」

蘭さんの目は真剣だった。逆らえば、過去のことを警察にばらすでもなく、命を保証できないという。本当に、わたしには選択権がないらしい。

「分かった?」
「……」

梵天に飼われる。ただそれだけでわたしの未来が保証されるらしい。どっちにしろ断れないのだから頷くしかなかった。

「じゃあ決まり、な」
「わ、分かったから放して――」

そう言って腕を振り払おうとした時、顎を持ち上げられ、強引に唇を塞がれた。驚いて押しのけようとした手を掴まれ、体重をかけられれば身動きが取れない。どうにか顔を背けて逃れようとしても、すぐにもう片方の手で顎を掴まれ、戻されてしまう。

「…ゃ…んんっ」

声を上げようと開いた唇の隙間からぬるりとした舌を入れられ、驚いて目を見開いた。

「…ん…っ…ふ」

強引なキスとは裏腹に、優しく舌を絡めとられ、体が震える。

「…ぁ…っ」

背もたれでは支えきれず、滑るようにソファへ押し倒された。

「ら…蘭さん…?」

唇が離れ、視線を上げると、彼はその長い指で緩めたネクタイをしゅるっと引き抜き、わたしを見下ろした。

「…怖い?」
「……な…何を――」
「こうした方が燃えるだろ?」
「…や…っ」

手にしたネクタイでわたしに目隠しをすると、抵抗しようとする両手を捕まえ、手首にも何かを巻き付けた。両手を拘束され、動かすことが出来ない。

「や…やめて…っ」

両手を上げた状態で服を脱がされていく感触に、わたしはそこで初めて恐怖を感じた。

「痛いことはしねえって。確かめるだけだからジっとしてろ」
「…た…確かめる…?…ぁっ」

トップスのジッパーを下ろされ、冷えた空気が肌に触れる。ざわっとした刺激が走り、鳥肌が立つのが分かった。

「や…ぁ」

蘭さんは指で下着を引っかけると、グイっと上へ押し上げる。そうすることで露わになった胸に視線を感じ、羞恥で顔が熱くなった。

「…み、見ないで…っ」
「へえ、思った通り綺麗な体だ」

見えない分、蘭さんの言葉で余計に羞恥心を煽られる。空気に触れたことで乳首が硬くなるが分かり、わたしは意味もなく顔を背けた。

「どこもかしこも美味しそう」
「…やぁ…っ蘭…さ…ん…っ」

硬くなった場所にぬるっとした感触があり、声が跳ねる。舌先で転がされているのが見えなくても感覚として伝わって来ることで、余計に刺激が脳に直接届いた。

「…ぁ…やぁっんっ…」

口に含まれ、柔らかい舌が絡みつく。時々強く吸われると、体が素直に反応した。

「感度いいんだな、は」

蘭さんが艶のある声で囁く。吐息を吐くそのかすかな刺激ですら、彼の興奮した気配が伝わって、わたしを感じさせる刺激へ変わった。蘭さんの手がスカートをたくし上げ、太腿を撫でていた手が下着の中へ滑り込む。

「濡れてきてる…。あれだけで感じた?」
「……ぁあっ」

蘭さんの指が割れ目の中へぬるりと入りこみ、ゆっくりと優しく擦られ羞恥で涙が溢れた。

「泣くなよ…」

不意に優しい響きの言葉が耳のすぐそばで聞こえた。頬へ口付けられる感触に、肩が小さく跳ねる。

「…オマエ、可愛いな」
「ら…ん…んっ」

唇を塞がれ、言葉が途切れる。蘭さんのキスは甘く、わたしの思考を奪っていくには十分なほどに扇情的で。無理やり体を暴かれているのに、一瞬だけ心臓が高鳴った自分に戸惑った。――その時だった。玄関の方でドアの開く音と人の歩く気配を感じて、体が一瞬で強張った。

「あれ?兄貴…何、自分だけで楽しんでんだよ」
「…竜胆?」

もう一人、男の声がしたことで、わたしは慌てて身を起こそうとした。

「あー暴れるなって。大丈夫だから」
「…い、いやっ…誰…?」
「ん?ああ、オレの弟」
「お…おとう…と…」

蘭さんがわたしから離れた気配がした。すぐに体を起こしてはだけた胸元を隠す。ついでに目を覆っていたネクタイを外すと、そこには眼鏡をかけた綺麗な顔の男がスーツ姿で立っていた。少し長めの、蘭さんと同じような髪色のその男は、わたしに不躾な視線を送りながら、蘭さんと話している。

「へえ、今回の子、めっちゃ可愛いじゃん」
「まあ、ウチのクラブのナンバーワンになる予定の子だったからな」
「は?マジで…?珍しいじゃん、兄貴がそこから引っ張って来るなんて。ワケあり?」
「ああ」

二人のその会話に怯えていると、蘭さんがわたしに一瞬だけ視線を向けた。

「彼女は。明日マイキーのところへ連れて行く」
「明日?じゃあ今から味見・・かよ」
「ああ……いや、やっぱ竜胆、今夜はオマエに彼女任せるわ」
「え、いいの?ラッキー」
「な…」

蘭さんの言葉に、体が一気に冷えていくのを感じた。