六本木心中



1.

静かにドアを閉めて廊下に出ると、ちょうど三途が歩いて来た。その顏を見ればオレの部屋に来るところだったらしい。

「新しい女は?連れて来たのかよ」
「ああ…。今、竜胆に任せて来たとこ。明日にはマイキーのところに連れてく」
「フン…珍しいじゃねえか。オマエが味見しねえなんて。今回の女はオマエが選んで連れて来たんだろ。タイプじゃないのかよ」

三途が揶揄するように笑うのを横目に、オレは苦笑しながら「そーかもなァ」と返して廊下を歩いて行く。その後ろで三途が軽く舌打ちするのが聞こえた。

「また速攻でスクラップんなるような女じゃねえだろうな?」

三途がピリピリしてるのは、たった今も"スクラップ処理"をしてきたからだろう。この後、またヤクで飛ぶ光景まで想像できた。

「ま、マイキーのお守りなんて誰がやっても同じだろ。あの"衝動"を止められる人間なんていねーんじゃね?オレらは黙って、ただ一時の人形になる駒を探せばいーんだよ」

三途に軽く手を振りつつエレベーターに乗り込むと、一つ上の最上階のボタンを押して壁に寄り掛かった。

「味見、ね。確かにもったいないことしたかもな…」

いつものようにしたはずなのに、どこかいつもと違う自分がいた。珍しく理性が飛びかけたのを思い出し、溜息が零れる。マイキーのそばに置く女に入れこんだところで空しいだけだ。そもそも一日もつかどうかすら分からない。

「前の女で何人目だったっけ…」

人一倍、孤独を嫌がるマイキーは、そばに誰かがいないと闇落ちの時間が長くなる。そうなると手がつけられない。仲間でも例外はなく、そういう時は近寄らない方が身のためだ。

「誰かマイキーのそばに置ける人間を探してくれ」

三途がそんな話をオレにしてきたのは、ちょうど一年前だった。

「出来れば女の方がいい。冷静な時は女に手を上げるようなことはしねえし、身の回りの世話を任せられるようなシッカリした女がいい」

三途に貸しを作れると思ったオレは、それ以来、仕事の合間にマイキーの世話係が出来るような女を探した。今回みたいに強引な手は使わず、全て相手の承諾を得てのことだ。それも多額の報酬に目がくらんだ女や、梵天に飼われることを自ら望むような女達ばかり。でも皆、マイキーの怒りを買ったり、衝動を抑えきれないマイキーを目の当たりにして恐怖で逃げ出そうとする。今日まで50人以上の女が、三途や望月の手で"死体スクラップ"にされた。自分が手を付けた女だろうと容赦はなく、誰一人として生きて抜け出せる女はいなかった。でも、唯を刺そうとしたというを見た時、この女なら…とふと思った。闇には闇をぶつけるのも悪くはないと。これまで選んで来た女にはなかった、人の闇を知る女なら少しは違うかもしれない。そんな気持ちになった。ただ自ら望んだ女達とは違う。脅して言うことを聞かせたようなもんだ。どことなく後味は悪かった。

「……らしくねえな」







2.

「ごめん…!ほんと悪かったって」

竜胆と名乗った男は、本気で困っているような顔で頭を下げて来た。でも、だからと言って無理やり犯されたことを笑って済ませられるほど、わたしは心が広くない。
蘭さんが出て行った後、いきなり彼に押し倒された。驚いて暴れると、彼は「そういう感じでしたいの?」と訳の分からないことを言い、更に強引になった。元々蘭さんに手首を拘束――ケータイの充電器コードだった――されていたのを見て、大きな勘違いをしたらしい。好き勝手に体を弄られ、無理やり挿入された時は、蘭さんがどういうつもりで弟だという彼にわたしを預けたのか、分かった気がした。梵天に飼われるということは、こういうことなんだと理解させるためだ。
でも不思議なのは、散々わたしの体を蹂躙した彼が、事が終わったあとに怯えているわたしを見て驚いていたことだった。

「え、ちゃんって自分で望んでここに来たんじゃねえの?」

そう言われて何を言ってるんだと思った。だけど、違うと反論して、事の成り行きを説明した時、今度はわたしが驚かされる番だった。

「ごめん!オレ、てっきり同意の上で来てんのかと思って…ってか何で兄貴のヤツ、ちゃんと言わねえんだよ…っ」

そんなことを言いながら少し慌てている彼を見て、本当にわたしが同意の元でここへ来たと思い込んでいたんだということに気づいた。飽きれたけど、目の前で申し訳なさそうにしている彼を見ていたら、もうどうでもいいとさえ思えて来た。結局、この先のわたしの運命はこういうことなんだ。好きでもない男に体を奪われても、抵抗すらさせてもらえない。それが飼われるっていうこと。蘭さんにそう言われている気がした。

「もう…いい」
「え?」
「あなたも…知らなかったんなら…もういい…」

そう言って肩にかけられたスーツのジャケットで体を隠す。本気で抵抗していたんだと気づいた彼が慌ててわたしにかけてくれたものだ。酷いことをされたけど、悪い人じゃない。

「え、許してくれんの…」

彼がパっと顔を上げる。少し目つきの鋭い感じで蘭さんと似てないけど、綺麗な顔立ちは同じだ。どこか冷たい感じがするのに、話してみると意外と気さくな印象を受けた。

「許すも何も…わたし、アナタ達に飼われるんでしょ?蘭さんが言ってたもん」
「あ、いや…でもフツーは同意した子だけのはずなんだけど…」
「…同意?」
「まあ…。でも訳アリつってたし、ちゃん、何かやらかしたのか?兄貴の店で」
「……う、うん、まあ」

それを言われると何も言えない。確かにわたしは傷害事件と呼べることをしてしまった。その後始末を全て片付けてくれたのは蘭さんだ。そして梵天に飼われるということを承諾したのもわたし。だから何をされても仕方のないことなのかもしれない。

「あの…竜胆…さん?」
「え?あー…竜胆でいいよ」
「…りんどう…って変わった名前」
「そう?ああ、花の名前なんだ。知ってる?竜胆って花」
「知らない…」
「マジ?あー…ちょっと待って」

彼――竜胆はそう言いながらスマホで検索して、その花の画像を見せてくれた。

「これ、これが竜胆」
「…綺麗な花」

そっと画面を覗き込むと、可愛い形の青い花が見えた。想像してたのとは違う可愛くて綺麗な花だった。

「だろ?ちゃんは花、好き?」
「…うん。薔薇以外なら」
「薔薇…?薔薇、嫌いなんだ」
「うん…見るのも匂いも嫌」
「へえ、珍しい」

彼の様子を見て、蘭さんからは何も聞かされていないのだと分かった。弟と兄はそこまで詳しい事情を共有していないらしい。でもだから変な誤解も生まれたんだろうけど。

「あ…わりぃ」
「え…?」

画面から隣にいる彼に視線を移すと、竜胆は慌てたようにわたしから距離を取った。知らず知らず、体が密着していたようで気を遣ってくれたらしい。

「えっと…いつまでもその恰好ってわけにはいかねえよな…ちゃんの服は…」

彼はリビングに散らばったわたしの服を拾い始めた。さっき彼に脱がされたものだから少し気まずそうだ。でも彼の手が下着に触れた時は恥ずかしくなった。

「あ、あの!自分で拾うから」
「え、あ、いやでも…」

慌てて彼の手から服や下着を奪うと、竜胆は少し驚いた顔でわたしを見下ろした。

「その恰好で立つとヤバいかと思ったんだけど…」
「え?」

言われて自分の恰好を見る。裸に彼のジャケットを身につけただけの姿は、確かにヤバかった。上は隠せるからいいとしても足が剥き出しだった。

「み、見てねえからっ」

彼がサっと後ろを向く。さっき散々見られてしまったから今更感が凄いけど、その気持ちは素直に嬉しかった。後ろを向いてくれている間に手早く下着と服を身につけると、少し気分も落ちついて来た。

「あの…着ました。これ、ありがとう」
「あ、ああ…うん」

ジャケットを差し出すと、彼はやっぱり気まずそうにそれを受けとって、それからソファに座った。テーブルには蘭さんが飲んでいたウイスキーが残されていて、彼はそれをグラスに注ぐと一気に飲み干している。そして立ったままのわたしに、「ちゃんも飲む?」と訊いて来た。

「じゃあ…頂きます」

彼には聞きたいこともある。わたしは隣に座ると、彼からロックグラスを受けとった。

ちゃんはさ…その…何で兄貴についてきたの」
「え?」
「やっぱ兄貴が好きでついてきたって感じ?」
「…何でそうなるの?」
「いや…あのクラブの女はだいたい兄貴目当てだし」

彼は苦笑気味に言いながら、「ちゃんは違うのかよ」とわたしを見た。

「違うよ。わたしは…いい条件を出されたから移っただけ。でも…蘭さんに凄く迷惑をかけたから…ついて来いって言われても断れなかったの」
「…迷惑って?」
「それは…蘭さんから聞いて」

わたし自身、何故あんなことをしてしまったのか未だに分からない。赤い薔薇を見て動揺してたのもあるけれど、皆の嘲笑う顔を見ていたら、思い出したくもない過去を思い出してしまった。

「あの…わたしからも聞いていい…?」
「ん?何?」
「蘭さんに…梵天のトップのそばにいてくれって言われたんだけど…どういう意味なの?」
「あー…まだ詳しい話、聞いてなかったんか」
「うん…話してたら急に…その…」
「兄貴に襲われた?」
「…う…ま、まあ…」
「マジか…。珍しいな、兄貴のヤツ。普段はそんな強引なことしねえのに…拘束までするとか。だからオレてっきりそーいうプレイが好きな子かと――あ、ごめん」

ジロっと睨めば彼は苦笑しながら頭を掻いた。

「佐野…万次郎って人なんでしょ?」
「うん、そう。マイキーは…まあ…ちょっと病んでるっつーか…ひとりにしておくとヤバいから、世話係みたいな存在が必要なんだよ。ちゃんの仕事はそれ」
「…でも命にかかわるかもって…」
「まあ、逃げたりしたら…そうだな」
「逃げなければ…?」
ちゃんが抵抗したり逃げたりしなきゃ…多分、平気…かな」
「そう…」

具体的に何をしろとは言われなかった。ただ、佐野万次郎のそばで彼の世話をする。怖いけど、今はそうするしかわたしには道がない。

「まあ、そんなかまえんなよ。マイキーも普段は女に手を上げるような男じゃねえし…」
「…分かった」

言うことさえ聞けば、わたしの望むことは叶えてくれると蘭さんは言った。あれは、どういう意味なんだろう。

「わたし…いつか解放される?」
「え?」
「梵天に飼われるって…よく分かんないんだけど、それって永遠にってこと?それとも…いつか自由になれるの?」

一番気になっていたことを尋ねると、竜胆は困ったように視線を反らした。それは自由なんて永遠に来ないと知っているからだろうか。

「わりい。オレにも分かんねーわ」
「そっか…」

言いにくいのか、それとも本当に分からないのか。どっちにしろ、わたしの未来は他人の手で決まるらしい。人を殺した女には、お似合いの地獄だ。

「泣くなよ…」

竜胆はどこか心配そうな顔でわたしの頬へ触れた。

「…泣かないよ」

軽く深呼吸をして顔を上げると、自然といつもの笑顔を作ることが出来た。

「わたしは泣かない」

これは、わたしの犯した罪の、罰だ。