六本木心中



「腹減ったって言ったら適当に何か作ってやって。あとマイキーはたい焼きやどら焼き好きだから絶対切らさないこと。ああ、買い物に行く時は外に立ってる奴、誰でもいいから連れてくこと。あとはー何かある?」

目つきの悪いシルバーカラーの長髪の男が尋ねると、わたしの隣でスマホをいじってた蘭さんがふと顔を上げた。

「あとは…昨日も言ったけどマイキーには絶対に逆らわないこと、かな。口ごたえはなしな。言われたことは何でもやって」
「…はい」
「ああ、それと…はこの部屋使って。これ、鍵な?」
「え…この部屋…?」

ここは最上階の部屋だ。昨日連れて行かれた蘭さんの部屋と似たような間取りだった。今まで住んだこともないような豪華な家具やインテリアなどが飾られている。てっきり目つきの悪い男の部屋かと思ってた。

「マイキーの隣の部屋だから呼ばれたらすぐ行けんだろ。まあ、ここもあんま使わないかもしれねえけど。そこのクローゼットには新しい服とか入ってっから適当に着ろよ」
「え…あの…わたし、自分のマンションに帰れないんですか…?」

少し驚いて尋ねると、蘭さんが苦笑交じりでわたしへ視線を向けた。

「オマエが住んでたとこは引き払ってもらう。マイキーに顔合わせしたら一度オマエを自宅に送ってやるから必要なもんだけ持ってこい。手続きなんかはこっちでやっとくから」

有無も言わせぬ蘭さんの言葉に、わたしは頷くことしか出来ない。これもきっと"逆らうな"という契約のうちに入るんだろう。

「まあ、そんな構えんなよ。やることやってくれたら、ちゃん…だっけ?君は贅沢に遊んで暮らせるってことだからさ」

ああ、オレは九井一。宜しくな、と男が言った。目つきの悪い彼は意外と気さくな人で、蘭さんと同じ梵天の幹部らしい。

です。宜しくお願いします」
「へえ、今までの子達より、しっかりしてる感じ。25だっけ?」
「はい」
は"Jewelry"でナンバーワン張ってた子だからなー。男の転がし方は心得てるよな?」
「え、マジ?ちゃん、"Jewelry"にいたんだ。蘭さんの店のライバル店じゃん。しかもナンバーワンとかすげーな」
「い、いえ…っていうか転がしてませんけど」

思わず蘭さんを睨むと、彼は「いやいやいや」と言いながら楽しげに笑っている。その笑顔は見たことがないくらい自然で、少しドキっとさせられた。仲間の人といる時の蘭さんはこんな感じなんだ。

「オレ、転がされかけたけどー?」
「…な…」
「へー蘭さんを転がせるなら大したもんだわ。じゃあオレなんて瞬殺?」
「い、いえ、あの…全部、蘭さんの嘘ですから…」
「ココはちょろいだろうなー。の手にかかれば」
「いや、蘭さん…ちょろいって、酷くないっスか」
「だってオマエ、オレの店の梨乃に営業かけられて同伴しそうんなってたろ。バカだねー」
「それ去年の話じゃないっスか!いい加減忘れて下さいよ…」

二人のやり取りを見ていて驚いた。日本最大の犯罪組織の幹部というから凄く構えてたのに、こんなに気さくな人だなんて思いもしなかった。こうして蘭さんと雑談してる姿は普通の男の人に見える。外見は派手だけど。

「んじゃーまずはマイキーに挨拶に行くか」
「は、はい」

急に立ち上がった蘭さんを見て、わたしもすぐに立ち上がる。九井さんはわたしをマジマジと見ながら「いや、マジ、スタイルいいね」と褒めてくれた。

「あ…ありがとう御座います…」
「その服も似合ってる」
「あ、これは蘭さんが…」

今朝、蘭さんが部屋に戻って来た時、手には洋服の入ったブランド物の紙袋を持っていた。その中から佐野万次郎の好きそうな服を選んで、「これ着て」と言われたのだ。それはごくシンプルな、袖と裾だけシースルーになっている白のシフォンワンピースだった。胸元はピタリとしていて襟元が大胆に開いてる。なのに上品なデザインで、何となく蘭さんらしいチョイスだと思った。

「いいだろ?に似合うと思って。色白だし白い服が似合って良かったわ」
「…あの…そう言えば白い服ばかりだったけど…どうして?」
「ああ、マイキーがそういう女の子らしい服装が好きみたいだし。あんまケバい女はダメなんだ」
「だからメイクも薄目…?」
「そーいうこと。んじゃ―行くか」

蘭さんが笑顔でわたしの手を取る。そんな仕草一つですら絵になる人だと苦笑が零れた。弟にわたしを抱かせるような怖い人なのに、こんな風に優しくされると、つい忘れてしまいそうになる。

「じゃあ、うちのボスのこと、頼むね。オレはこの階の8号室にだいたい居るから分からないことがあればおいで」

九井さんはそう言って先に部屋を出て行った。一瞬、室内で蘭さんとふたりきりになり、少し緊張してくる。夕べの今日では何となく気まずい。

「あ、あの――」
「昨日は…」
「え?」
「悪かったな」

何か話さなきゃと思って口を開いた時、それをさえぎるように蘭さんが呟いた。思わず顔を上げると、あの優しい眼差しと目が合う。

「強引なことして…悪かったと思ってる。まあ…今更だけど」
「……意外」
「あ?」
「蘭さんがそんなこと言うなんて」
「…まあ…いちおう元上司だからな。そもそも自分の店の女をマイキーの世話係にしたことねえし…」

蘭さんは複雑そうな表情でわたしを見下ろした。でも確かに蘭さんは店の女の子達を大事にしているようだった。自分の店を潤わせてくれる商品として、きちんと線引きしてたようにも思う。わたしがこんなことになったのは結局、わたしがこっち側・・・・の人間だったからに過ぎない。

「そう言えば…竜胆さんに今度お詫びに食事をご馳走するって言われたんですけど…そういうのって行ってもいいんですか?」
「は?マジで…?ってか…アイツ、何か無理やりだったんだって…?悪かったよ…マジでオレの説明不足だったわ…」

蘭さんは溜息交じりで項垂れながら頭を掻いている。でもわたしはいきなり答えにくいことを聞かれて、ドキっとした。てっきり蘭さんが仕向けたのかと思っていたけど、それも違ったみたいだ。

「…でも彼は何かとてつもなく誤解をしてたようなので…いちおう和解は…しました」
「いや、和解って…つーか…もしかしてオマエ…竜胆のこと気に入った…とか?」

少し驚いたように蘭さんはわたしの顔を覗き込んで来た。

「どうしてそうなるんですか?わたし、彼に襲われたんですけど」
「いや、だって食事に誘われて行ってもいいかって聞いたろ」
「それは…こういうのって言われたことに逆らうなっていう中に含まれてるのかなと思って…」

佐野万次郎はもちろん、梵天の幹部の言うことに逆らってはならない。昨日、竜胆が教えてくれたことだ。

「あー…そーいうことか…。まあ…そりゃ…そうなるだろうな。ってかアイツ、何ちゃっかり食事に誘ってんだよ…」
「だからお詫びにって…」
「へえ……んじゃー何かクソ高いもんでも買ってもらえよ。服でもバッグでも宝石類でもいーから、アイツを客だと思って貢がせてもいーし」
「え…」

まさかの答えが返って来て、呆気に取られてしまった。なのに蘭さんは楽しげに笑っている。自分の弟なのに貢がせろだなんて面白いことを言う人だ。

「飼われてる女が幹部の方に貢いでもらっていいんですか」
「いーんじゃねーの?アイツがそうしたいってんなら」
「…何でそんなに楽しそうなんですか?」

肩を揺らして笑っている蘭さんを見上げると、意外にも無邪気な笑顔で可愛いなんて思ってしまった。お店の女の子達はみんな蘭さんに夢中で、今頃になってその気持ちが何となく分かったような気がする。大人の顔や、怖い一面を見せるかと思えば、こうして無防備な笑顔を向けて来る。飴と鞭の使い分けが上手い人だと思う。

「いや、だって…竜胆がに気を遣いながら高いもん貢がされてる姿を想像するとジワるんだよ」
「……変な人ですね、蘭さんって」
「そーか?オマエも相当、変だけどなーオレから言わせると」
「…わたし?」
「無理やり組織に入れられて、強引なことされても、あんまビビってねーし」
「…ビビってます、これでも」

ただ起きてしまったことを嘆いても何も変わらない。それは過去に学んだ。だったら今の自分に出来ることをする。それしか生きていく方法がないと知っているだけだ。

「強いな、は」
「…強くないと女ひとりで生きてこれなかっただけ」

蘭さんは何も言わず、わたしの頭をくしゃりと撫でて、ただ微笑んだ。たったそれだけのことだけど、何故か泣きそうになった。これまでの自分を、少しは認めてくれたような気がして。

「梵天へようこそ」

蘭さんはいつもの皮肉めいた笑みを浮かべて、わたしの方へ手を差し伸べた。