六本木心中



ふと目を開けたら、目の前で万次郎が微笑んでいた。途中から記憶がないけれど、夕べ二人で話をしたまま眠ってしまったらしい。起きたら朝になっていた。

「…おはよう、
「お…おはよう…」

夕べ、万次郎はわたしを抱きしめるようにして寝ていたけど、今も同じ状態だった。

「いてくれたんだ…」
「…え?」

彼がポツリと呟いた。でもその意味が分からず聞き返したけど、万次郎はただ嬉しそうに微笑むだけだった。こんな風に男の人と同じベッドで一夜を明かしても何もなかったのは初めてだから、何となく変な気分だ。恋人としか関係を持ったことはないけど、梵天のボスの世話をしろと言われた時、てっきり体のことも含まれるのかと思っていた。一応覚悟はしてたものの、万次郎はわたしに何もしてこなかった。一緒に寝ると言っても本当に、その言葉通り、ただ一緒に寝ただけで終わった。

(そう言えば…わたし、何か忘れてるような…)

"――マイキーが寝たら電話して"
ふと、その言葉が頭を過ぎった。

「あ…っ」
「…え?」

竜胆に言われたことを思い出してつい声を上げてしまった。万次郎がギョっとしたように目を丸くしている。

「い、今、何時…?」
「…んー…今は朝の…6時…かな」
「…まずい…」
「何がだよ」

万次郎が怪訝そうに眉根を寄せる。でも彼に竜胆との約束を話していいものかも分からず、何でもないと首を振った。竜胆には後で電話をかけて謝っておこう。万次郎と話し込んでるうちに寝てしまったと言えば分かってくれるはず。頭の中であれこれ考えていると、不意に鼻をむぎゅっと摘まれた。びっくりして視線を万次郎に戻すと、彼の目は不機嫌そうに細められている。

「何考えてんだよ」
「な…なひも…」
「…ぶははっ」

鼻をつままれてるから変な言葉になった。それが面白かったのか、万次郎が突然吹き出して笑っている。梵天のボスがこんなに緩くていいのかなって変なところで心配になる。

「あー…ウケる。って考えごとしてると、こーんな顔になんのな」

万次郎はそう言って思い切り眉間を寄せた。

「わたし…そんな変な顔してた?」
「してたしてた。せっかく可愛い顔してんだから、もっと気楽にしてろよ」
「………」

不意打ちのごとく可愛いなんて言われて、ガラにもなく顔が赤くなった。店の客に褒められたりするのとは全然違う。万次郎には変な下心がない分、素直な言葉をくれるからだ。

「あれ、赤くなってるし照れてんの?かーわいい」
「…か、からかってる…?」
「いや、マジで可愛いと思ったけど」
「………」

蘭さんと違って、万次郎は天然の女たらしかもしれない、とこの時ふと思った。無邪気な笑顔でさらりと女を誉められるんだから、ある意味蘭さんよりタチが悪い。

「あ―…もしかして夕べ、誰かと約束してた?」
「…え?」
「いや…さっきマズいって言ってたし」
「あ…うん…」
「どーせ灰谷兄弟のうち、どっちかだろ。もしかして兄貴の方に誘われてた?」

万次郎が見透かすように、ニヤリと笑う。彼がそこに気づくということは、以前にも同じようなことがあったんだろうなと思った。

「蘭さんはわたしのこと口説いたりしないよ」
「え、なんでだよ」
「好みじゃないって言ってたみたいだし」
「……誰に?」
「春千夜さん」
「三途に?なら灰谷のヤツが本心言うとは思えねえけど」
「え、どうして?」
「…あの二人、だいたい牽制しあってっからお互い本音なんて言わねえよ」

万次郎は苦笑しながら天井を見上げた。意外に、彼は周りを、というより、自分の仲間をよく見ているみたいだ。

「ホっとした?」
「…え?」
「灰谷の言ったことが本音じゃないって分かって」
「…べ、別に。わたしは気にしてなかったし――」
「ふーん」
「な…何…?」

もう一度、わたしの方へ体を向けた万次郎は目を細めながら意味ありげな視線を向けて来る。そんなに蘭さんのことを気にしてるように見えたんだろうか。そりゃ確かに夕べ春千夜さんにそう言われた時はちょっと嫌だったけど、でもそれは知らないところで勝手に好みじゃないと言われてたことに腹が立っただけで――。

(って、何でいちいちそんなこと気にしなくちゃいけないの…?蘭さんにはお世話になって迷惑もかけたから、そういう意味では気にしてるけど…)

なんて考えてたら、万次郎にオデコをつつかれた。

「いたっっ」
「まーたここが寄ってる」
「え?あ…」

眉間を指でぐりぐりされて慌てて元に戻す。万次郎の言う通り、無意識にそんな顔をしてるらしい。

「き、気をつけます…」

そう言ったら、また笑われたけど、寝起きなのに機嫌が良さそうで少しホっとした。本当に彼は蘭さん達が心配するほど不安定になる時があるんだろうかと疑問に思うくらい、今のところは体調も良さそうだ。
その時、万次郎の腕が伸びて、また抱き寄せられた。

「な、なに?」
「んー?まだ眠いからもう少し一緒に寝よ…」

そう言いながらオデコをコツンとあててくる。至近距離で目が合って、気づいた時にはくちびるが重なっていた。でもそれはすぐに離れていく。あまりに突然キスをされたから、呆気に取られてしまった。同時に、じわじわと顔が火照っていくのが分かる。

「…あ、あの…」
「なに?オレが何もしないとでも思ってた?」

わたしが酷く驚いていたからか、万次郎は「オレも一応、男だけど?」と意地悪そうな笑みを浮かべて言った。その返事をする前に、頭を抱き寄せられてまたくちびるを塞がれる。今度は触れるだけじゃなく、啄むようなキスへ次第に変っていく。

「…ん…ちょ…」

突然、男に豹変した万次郎に、そういった警戒を解いてたわたしは驚いた。仮にも梵天のトップを相手に、少し暢気すぎたのかもしれない。角度を変えながら、食むようなキスを仕掛けてくる万次郎に、わたしは成す術もなく、されるがままだった。

「……」

ちゅっと音を立てて不意に離れたくちびるが、わたしの名前を呼んだ。

「朝まで一緒にいてくれたの…が初めてだった」
「…え…?」

あんなキスを仕掛けて来たあとで、何の話だろうと思った。恐る恐る視線を上げると、万次郎の優しい眼差しと視線がぶつかる。

「…嬉しかった」

そう呟いた万次郎はもう一度、くちびるを寄せて、さっきよりも優しい触れるだけのキスをした。そんな風に触れられるのは初めてで、何故かファーストキスをした時のような恥ずかしさがこみ上げる。あまりに優しく触れて来るから、自然と瞼が重くなって心地のいい微睡みに襲われた。今ならぐっすりと眠れそうな気がした。