六本木心中





「珍しいじゃん。マイキーから世話係にあんなことすんの」

渋谷に向かう車内。窓の外を眺めているマイキーにそう声をかけると、それまで聞こえてた鼻歌がピタリと止んだ。

「面白いだろ。の反応って」
「…面白い?」

窓の外を向いたまま、マイキーは笑った。

「夜の仕事してたわりにすれてないっつーか。男慣れしてんのかと思えば全然だし」
「ああ…そう言われると確かに。店で働いてる時はそんな風に見えなかったけど、あれは仕事と割り切った演技みたいなもんだったのかもなー」
「…演技?」
「よく言うだろ。"ホステスは女優"って。客の前じゃみーんな演じてんだよ」
「ふーん…でも女は誰でもそーなんじゃねえの。みんな、好きだ愛してるって口で言っても、そんなのは嘘ばっかだったしな」

マイキーは淡々とした声で呟いた。これまでマイキーに特定の恋人がいたことはない。東卍時代からケンカやバイクに明け暮れてたことを差し引いても、女と恋愛する時間くらいはあったはずなのに、マイキーは誰にも本気になれなかったと前に話してた。それは自分の中にある衝動に気づいていたからなのかもしれないと思ったこともある。でも梵天を立ち上げた頃、更に不安定になったマイキーを見ていて思った。白い自分も黒い自分も丸ごと受け入れてくれる存在が欲しかっただけなんだと。
でもそんな女がいるはずもない。ひとたび黒い衝動が現れれば、マイキー自身も止めることは不可能。そんな男のそばにビビらずいれる女なんて、いなかったんだろう。

「まあ…最近連れて来た女達はだいたい金や梵天の名前でなびいただけの女だったしな」
「でも…は違った」
「…違った?」
「これまでのヤツと」

マイキーはそれだけ言うと、オレの方へ振り返った。先ほどに見せていた笑みは消え、表情のないいつもの無機質な目を向けて来る。こういう時のマイキーはオレでも機嫌がいいのか悪いのか、よく分からない。

「お気に入りだったのか?」
「何の話?」
「とぼけんな。だよ。アンタが連れて来たんだろ?オレの首輪用に」
「…首輪って…言い方」

思わず苦笑すると、珍しくマイキーの口元も軽く緩んだように見えた。どうやら機嫌は悪くないようだ。そのままマイキーは寝転んでオレの膝の上に頭を置いた。男の膝枕で寝れるマイキーがすげえ。オレは絶対無理。
マイキーはこういうところがある。男女問わず、甘えて来るのは昔からだ。

「お気に入りっていうか…は夜の商売してたわりに今までの女のようなチャラチャラしたとこがなかった。あとはまあ…オレの店に置いておけなくなったから――」
「…それは過去の話と何か関係あんの」

ふとマイキーが目を開けて訊いて来た。

から…何か聞いたのかよ?」
「うん。全部。自分から話してくれた」
「全部…?」

オレでもが過去にどんな罪を犯したのか詳しい内容はまだ聞いていない。でもマイキーに自ら全てを話したのかと思うと少しだけ驚いた。どんな話だったのか聞こうかと思ったが、その前にマイキーの方から質問された。

「っていうかさ。忘れてたけど前のヤツはどーした?また逃げ出したのか」
「前のって…どの子?」
「…ゆーかだか、まりな…?だったか…」
「そりゃ半年前の女だろ。ここ最近の子は3人とも持って1日~3日だったな。オレも名前なんて忘れたわ」
「へえ…みんな、逃げて死体スクラップ?」

目を瞑ったまま訊いて来るマイキーにどう言おうか迷った。の前の世話係だった女達は歴代の中でも質が悪くて早々に離脱した。一週間の間に三人の女が死体スクラップにされたのは初めてだ。彼女達はのような夜の女じゃない。普通のOLだった。ただ梵天系列の金融会社に多額の借金をしていたせいで九井に目をつけられ、世話係として連れて来られた。三人とも最初はかなりビビってた様子で、それだとまともな仕事も頼めない。だから九井とオレや竜胆で出来るだけ優しく接してやったら大きな勘違いをしやがった。

初日からマイキーに色仕掛けで取り入ろうとした女、生意気な口をきいた女、簡単な決め事も守れなかった女…どれもマイキーの気に障ったのか、次の日の朝、三途が部屋へ行った時はどの女も部屋の隅で転がってたらしい。マイキーはひとりベッドで熟睡していたが、起きた時は寝る前の記憶がなかった。女達に殴られた後はなかったが、首に絞められたような跡があったところを見ると、マイキーが殺ったんだろう。あの衝動が出た時、マイキーはマイキーじゃなくなる。自分でも制御できないようだ。だから女が消されるたび、マイキーには「逃げたから殺した」ということにしてある。本人も薄々気づいてることもあるだろうが、特に何も聞いては来ない。
そんなことが続いたからこそ今朝、竜胆にから連絡がなかったと聞かされた時、まさか彼女も…と思ったのは仕方のないことだった。竜胆も待っている間に寝落ちをしたようで気づけば朝だったらしいが、ケータイにからの着信がなかったせいで、てっきり前の女達と同じ運命を辿ったんじゃないかと誤解をしていた。

「マイキー…?」

ふと見ればマイキーは寝息を立てて眠っていた。夕べも寝たのにこうして再び寝るのは珍しい。普段食べない朝食なんか食べたからかもしれないと思うと苦笑が洩れた。

「これまでのヤツと違う…か」

期待した通り、やっぱり彼女にはそんな風に思わせる何かがあったようだ。痛みを知っている人間は、受けた痛みの分だけ傷を持っている人間を理解しようとする。地獄を知っているからこそ、他人の痛みが分かってしまう。マイキーのそばにはそういう人間が必要だったのかもしれないと今更ながらに気づかされた。
は夜の世界を生き抜いて来たわりに、オレの理不尽な頼み事を受けるくらい真面目なところがある。過去の罪を知られたってことも大きいだろうが、アイツ自身、秘密を共有できる人間が出来て気が楽になったのかもしれない。だからこそ、会って早々マイキーに秘密の暴露をした。

「…覚悟が…決まったようだな」

確かめる必要もなかったのかもしれない。ふと、を連れて来た夜のことを思い出した。いつも選んで来た女達と彼女は違う。個人的に知り合いだからこそ、いつも通りには出来ず竜胆に任せてしまったことを、少しだけ後悔した。

(ま…今更か)

マイキーの寝顔を見下ろしながら、ふと苦笑が洩れる。とりあえずしばらくは世話係を探さなくても良さそうだと思いながら、オレもゆっくり目を瞑った。




万次郎と蘭さんが出かけて行った後、自分の部屋に戻ってから30分後に竜胆が迎えに来た。彼はまるで自分の家のように入って来ると、ホっとした顔で「良かった」と言いながらソファに座った。

「今、兄貴から電話来て聞いたけど、マジで無事だったんだ」
「……それ蘭さんにも言われた」

言いながら向かい側のソファに座ろうとするわたしを見て、竜胆は「こっち」と自分の隣をぽんっと叩く。彼には初対面で襲われたこともあり、少しだけ緊張しながら隣へと座る。二人きりの密室。竜胆がその気になればわたしに抵抗する術はない。幹部には絶対逆らうなと言われている。こういう時、女は無力だと改めて実感した。

「そんな警戒しなくても何もしないって」
「べ…別に警戒なんか…」
「今はね」
「…今…は?」

ニヤリと笑う竜胆を見上げると、彼は私の手を掴んで「こっち来て」と歩いて行く。そして寝室の中へ入るとクローゼットを開けて、中からやたらと体のラインを強調するような黒いミニドレスを出した。

、これ着てみて」
「…え?」

洋服を着替えさせてする・・気だろうか、なんて一瞬だけ頭を過ぎった。そんなわたしの心を見透かすように笑うと、竜胆は「言ったろ。デートしようって」と手にしたドレスをわたしの体にあててきた。

「うん、これ、似合いそう」
「あの…」
「そういう白いのも似合うけど、はこういう大人っぽいのも似合うと思うんだよなー」

竜胆はドレスをわたしの手に押し付けると「着てみて」ともう一度言ってきた。でも手の中にあるドレスを広げてみてギョっとした。ホルターネックのそのドレスはアンダーバストの辺りが大胆にカットされていて、位置的に胸下の膨らみがバッチリ見えてしまうデザインだった。

「き…着れない、こんなの…」

言ってからハッとした。幹部の言うことには逆らうな。その言葉が呪縛のように頭に浮かぶ。でも竜胆は怒った様子もなく、「え、ダメ?」と言いながら、そのドレスを再び手にした。

「あー…なるほど。広げるとこんなデザインか…」
「…え?」
「あ、ごめん。黒のドレスがいいって思っただけで、別にこういう露出は望んでねーよ。誰の趣味だ、これ…ってかぜってー兄貴だろ」

竜胆は笑いながらそのドレスを元に戻すと、隣にあった同じく黒いドレスを手にしてデザインを確認している。

「こっちは?」

竜胆が見せて来たのは、チャイナ風の襟元が可愛らしいミニドレスだった。ふんわりとした袖がシースルーになっていて、これくらいならとそれを受けとる。

「じゃあ着替えたら一階のエントランスに来て」
「分かった。でも…どこ行くの?」
「ん?ランチ」
「…ラ、ランチ…?」

ランチに行くだけで着替えさせるのかと驚いている間に竜胆はサッサと出て行ってしまった。仕方なく、今着ている服を脱ぎ、ドレスに似合うよう下着も全て替えてから着替えた。たださっきのドレスとは違い、胸元は隠れてるからいいものの、膝上のミニドレスなだけに脚の露出が多い。働いてた店で着ていたドレスは殆どロングだったからやけに落ち着かない。

「これだとヒールは高い方がいいか…」

ウォークインクローゼットになっているここには服の他にも高級バッグや靴などがズラリと並んでいる。ただの世話係用にしては贅沢な空間だと思った。

「これって…幹部の相手をするのも世話する中に入ってるのかな…」

とは言え、幹部の人にはだいたい会っているけど、全員、女に困ってるようには見えない人ばかりだ。裏社会の人間というのを差し引いても、皆がそれぞれ女性にモテそうな容姿と空気を持っている。当然お金だって相当稼いでいるんだろう。渋谷に本部があると蘭さんは言っていたし、六本木のこのマンションは支部といったところかもしれない。支部といえど、この港区で一番高いタワマンを所有出来るだけの財力があるということだ。

「…噂以上なんだ、梵天って」

少しの恐ろしさを感じながらも、わたしは言われたことをやるだけだと、気持ちを引き締めた。ドレスに合うよう軽くメイクをして髪を軽めにアップにしてから部屋を出る。高いヒールは慣れているけど、やっぱり足元がスース―して落ち着かないので秋物のコートを羽織ってきた。

長い廊下を歩いてエレベーターホールへ行くと、そこには黒いスーツを着た人相の悪い男ふたりが立っている。前にマンションへ荷物を取りに戻った時に蘭さんが教えてくれた。彼らは侵入者に備えて配置されているらしい。あとはわたしのような内部を見てしまった世話係が抜け出さないよう見張りも兼ねているんだろう。わたしに気づくと、男ふたりは静かに脇へ避けてボタンを押した。エレベーターはすでに呼んであったようで、ドアが開く。軽く会釈をしてから乗り込むと、わたしがボタンを押す前にドアは静かに閉まった。

、こっち」

エントランスに降りると、そこには上の倍以上の黒スーツ達がウロついていてギョっとした。でもロビーのソファから竜胆が立ち上がるのを見て少しだけホっとする。この前は地下駐車場から車に乗ったけど、今はエントランス前に黒塗りのベンツが横付けされていた。

「おー!想像以上に似合ってる!」

竜胆はわたしのドレス姿を見て、嬉しそうに言った。

「短いから落ち着かない…」
「え、でもは脚が綺麗だから出した方が絶対いいって」

竜胆は笑顔で言いながら、わたしの手を取った。

「デートだし手を繋ぐくらいはいいよな」
「…デート?」
「そ。ランチデート。健全だろ?」

車までエスコートをしてくれた竜胆は、運転手に近くのホテルの名前を告げた。そこはこの一帯でかなり高級とされてるホテルだ。そこでランチなんてどこのセレブだと思いながら、初めての外出に少しだけドキドキした。

は何が好き?」
「…え?」
「食べ物。好き嫌いとかある?」
「ううん、特には。ただナッツアレルギーで食べられないくらい」
「…ナッツ?へえ…食べたらどーなんの?」
「多分、アナフィラキシー症状が出て倒れちゃう。前に一度、お店でお客さんが頼んだナッツを口にして病院に運ばれたことがあるの」
「げ…それマジなやつじゃん」

竜胆が口元を引きつらせながらわたしを見た。

「うん、ちょっと驚いた。自分が何かのアレルギーなんて思いもしてなかったし」

苦笑しながらあの時のことを思い出す。一週間は入院を余儀なくされて、結構きつかった。

「じゃあにナッツは厳禁な」

竜胆はそう言いながら繋いでる手を軽く引き寄せ、わたしの指先に口付けた。ドキっとして手に力が入ってしまう。

「あの…」
「ん?」
「お詫びって…言ってたけど…別にいいのに」
「え、何で?」
「何でって…誤解してたのはもう分かったし…試すために蘭さんが仕掛けたんだろうけど、わたしはもう覚悟も出来てるから今更逃げようとも思ってない。そんな女にお詫びなんていらないでしょ」

そう言って竜胆を見ると、彼はキョトンとした顔でわたしを見ている。何か変なことでも言ったかなと心配になったけど、不意に竜胆が吹き出した。

「いや…今までのと違うと思ってたけど…、変わってんなー」
「……変わってる?」
「そー。今までのヤツはこうしてデートに誘ったら大喜びで着いて来たし、何なら自ら誘ってきた上に、関係持った瞬間、ブランド物まで強請ってきたわ」
「……そ…そう、なんだ…」

やっぱり世話係って一口に言っても、万次郎だけのことじゃないのか、と口元が引きつってしまった。きっと幹部の人達の欲求のはけ口にされることも含まれてる気がする。

「わたしは…そういう物は必要ないから。仕事上、持ってたけど、この前、荷物を取りに行った時に処分しちゃったくらい」
「へえ。じゃあ…は何が欲しいんだよ。金?」

竜胆は楽しげな様子で訊いて来た。お金、と言われて少し考える。確かに前は小さくてもいいから自分の店を出したかった。その為にお金がいる。だから夜の世界で働こうと決めた。でも今はその必要がない。

「…前はそうだった。でも今はないよ、何も」
「何も?」
「前はね、生きる為にお金が必要だった。でも今は…必要ないでしょ?何の保証もないけど、生かされてるうちは生活に困らないし、もう梵天に必要なくなったら…わたしは殺されるんだからお金なんていらないじゃない」

そう思ったら意外と気持ちが楽になった。本当にツラいのは、女ひとりでこの世界を生きていくことだから。行く末が見えてるなら、不思議と安堵感に満ちて、生きることが怖くなくなった。
もしかしたらわたしは――この世界から早く消えたかったのかもしれない。

「……変な女」

竜胆が呆気に取られたような顔で呟いた。

「でも…久しぶりに楽しくなってきたわ」
「…え?」
が何かを欲しがる姿が見たい」
「な…何それ…」

意味の分からないことを言いだした竜胆に驚いて、思わず身を引く。でも彼の顔は意外にも真剣だった。

「例えば――オレとか」

その言葉に、心臓が音を立てた。