六本木心中


※軽めの性的描写あり



「…んっ…痛…っ」
「オマエ……体かてーなァ」

ぐいぐいっとわたしの背中を押しながら蘭さんが笑った。ここはマンション内にあるスポーツジム。深夜近く、誰もいないその場所へいきなり連れて来られた。蘭さんに言われるがまま、用意されていた水着―しかも可愛らしいビキニ――に着替えて、今は泳ぐ前の準備運動を蘭さんに手伝ってもらっている。

"オレの相手する元気、まだある?"

あの言葉はこういう意味だったのかと理解した時、勘違いした自分が恥ずかしくなった。
プール内は一般のジムの内装とは違い、照明がどこかのクラブのようにお洒落だった。全体的に仄暗く、青っぽいウォールライトが無数に設置されている。海外ドラマで見るようなバーカウンターまであるのだから驚きだ。

「これくらいでいーだろ」

蘭さんはそう言って立ち上がると、手にしていたビールを端へ置いて、ひとり先にプールの中へと飛び込んだ。疲れた時は時々ここへ来て、ひとりで泳ぐそうだ。バーカウンターにある冷蔵庫からビールを出して飲んでいた蘭さんは、「酔い冷ましに来たけどビール飲んでちゃ同じだな」と笑いながら、気持ち良さそうに顔にかかった水を払っている。

「何してんだよ。も来いって」
「は、はい…」

落ち着かない気持ちながら、肩にかけていたバスタオルをベンチに置くと、プールの端に腰をかけて水に足を入れる。温水プールのようで水は温かった。
水着なんて着るのは小学校低学年以来かもしれない。中学校の授業では養父に殴られた体の痣を見られたくなくて毎回サボっていたし、大人になって水商売を初めてからは美肌を保つために日焼けしないよう海にも行かなかった。わざわざ知らない人も泳いでるジムのプールに入ろうとも思わなかった。そもそもわたしは泳げたんだっけ?

「どーした?プール初めてじゃねえよな」
「え、えっと…初めてのようなものかも…前に入ったのなんてもう思い出せないくらいだし」
「…マジで?じゃあ…泳げねえってこと?」
「さあ…?」

自分のことなのにその辺がよく分からない。つい首を傾げると、蘭さんが呆気に取られたような顔でわたしを見た。蘭さんはボクサータイプのお洒落なデザインの水着を履いていて、体には竜胆と同じような派手なタトゥーが彫られてる。竜胆から少し聞いていたけど、本当に兄弟して左右対称で入れてるみたいだ。竜胆のタトゥーを見た時も思ったけど、普通なら怖いと思う変わった模様のそれは蘭さんにもよく似合っていて色気すら感じる。

「さあって…自分で分かんねーのかよ」
「泳いだ記憶があるのって小学校低学年くらいだし…」
「は?マジで言ってる?」

あの蘭さんがかなり驚いている。その素の驚き方に少しだけおかしくなった。

「なに笑ってんだよ。つーか、手かして」
「え?」

水をかき分け、わたしの方に歩いて来た蘭さんが手を差し出してくる。その手をそっと掴むと、「手、掴んでてやるから水に潜ってみ」と言った。

「え…潜る…」
「水中で力抜いて浮くかどーかで泳げるか分かんじゃね」

そう言われると少し不安になって来る。水に潜るなんてどうやるんだっけ。
このプールは場所によって深さが変わるようで、蘭さんは浅いところまでわたしを誘導した。そこは足もつくし、水も胸の下辺りまでしかない。

「この浅さなら怖くねーだろ。ああ、ちゃんと水中では目ぇ開けろよ」
「…わ…分かりました」

仕方なく息を軽く吸い込み、わたしは水の中へしゃがむように潜った。久しぶりに感じる水圧とごぼごぼという音。プール独特の塩素の匂いがかすかに鼻につく。気を抜くと水を吸い込んでしまいそうだ。

(目を…開ける…)

少し怖かったけど蘭さんが掴んでいる手をぎゅっと握ってくれたのを感じて、思いきって目をひらいた。水中で目を開けるなんて、それこそ子供の頃以来で懐かしい感覚が襲って来た。ただ蘭さんの逞しい腹筋や、男の人にしては細く綺麗なラインの腰が目の前にあってドキっとしてしまった。無意識に体全体の力が入り慌てて水から顔を出すと、蘭さんが笑いながら「何、怖くなった?」と訊いて来る。

「い、いえ…ゴホッ」

慌てた際、少しだけ水を飲み込んでしまったらしく、喉がかすかにヒリついた。

「あー髪、縛れば良かったのに」

蘭さんの指がわたしの顔に張り付いた髪を避けていく。ドキっとして顔を上げると、青白い薄明かりの中に光るバイオレットの優しい眼差しと目が合った。水に濡れたせいで、いつもは上げている髪が顔にかかり、小さな水滴を彼の顔に落としている。それさえも綺麗で少しだけ見惚れてしまった。

「そんな顔すんなよ」
「…え?」
「ってか…煩悩払いに来たのに、そんな恰好させちゃ意味なかったか」

苦笑気味に言った蘭さんは、不意にわたしの腰を抱き寄せてきた。素肌同士が触れる感触に頬が一瞬で熱くなる。ほろ酔いの中で僅かに揺れる水に浸かっているとふわふわした気分になってしまう。妖しく揺れる蘭さんの瞳に見つめられると尚更に。
ゆっくりと身を屈めた蘭さんのくちびるが、自然にわたしのくちびるに重なった。それだけで体が震えたのが分かる。ちゅ…っという小さな音が、やけに大きく脳内に響いて、蘭さんの手のひらが背中を撫でる感触に首元がぞくりとした。一度離れたくちびるが、今度は角度を変えて触れてくる。濡れた髪の合間に見える目を伏せながら、くちびるを寄せてくる蘭さんは美しい獣みたいに見えた。ただ触れるだけのキスなのに、心まで濡らされていくような甘美を含んでいて、一度は静まった心臓が、再び早鐘を打ち出す。

「…ん」

腰に置かれていた片方の手が、脇を撫で上げ、胸元へ辿り着く。その手が、水着の前で交差したリボンを器用に解いていくのを感じた。

「あ、あの…んっ」

キスの合間、言葉を発しようと開いたくちびるを、今度は少し強引に塞がれた。その間も指がリボンを解いて、胸元が緩くなっていく。でも全部を解いても外れるデザインではなかったようだ。中途半端に乱された水着がやけに厭らしく見える。合わさったくちびるの隙間から舌が滑り込み、わたしのを絡めとっていく。優しい動きで口内を愛撫されると、強張っていた身体の力が抜けそうになった。蘭さんにキスをされたのは初めてここへ来て以来だ。でもあの時のキスと今のキスは少し違う。まるで恋人にするように、女を酔わせる優しさを感じた。

「…んっ」

離れたくちびるが首筋から鎖骨をなぞり、乱された胸元まで下がっていく。谷間の辺りに口付けられ、先ほど気づかれた赤い痣のところへ蘭さんも吸い付いた。チクリとした痛みが走り、その後にじわじわとそこから熱が生まれていく。水に揺られながら、必死に蘭さんの肩につかまっていることしか出来ない。

「…んぁ…っ」

蘭さんは緩くなった水着を指でズラすと、すでに主張している部分をぬるりと舐めた。想像以上の強い刺激を感じて、背中が自然とのけ反ってしまう。蘭さんに胸を押し付ける形になり、慌てて肩から手を放そうとした。

「逃げんな…」

ひとこと呟くと、蘭さんはわたしの腰を抱き寄せ、更に硬くなった先端をぱくりとくちびるで咥えた。その瞬間、ちゅうっと吸われ、ゾクゾクとした快感が背中を走り抜ける。

「…ぁ…ん、んっ」

その後も優しく吸われたり、舌で転がされると、全身に甘い疼きが広がり何度も肩が跳ねる。最初は戸惑っていたはずなのに、蘭さんから施される愛撫は抗えないほどに甘ったるい。

「…ら…蘭さ…あ…っ」

背中から腰を撫でていた手が、お尻の丸みを撫で、更に下がっていく。水中で布越しに割れ目を撫でられただけなのに、肌が粟立った。その時、するりと水着の中へ指が入って来た。ビクリと腰が跳ねて、水が更に波打つ。

「あ…ら…蘭…さん…」
「水ん中でも濡れてんの分かる…」
「…ゃ…ぁあ…っ」

直接蘭さんの指が触れた場所はすでにジクジクと疼いていて、自分でもどうしようもないほど感じているのが分かった。そんなに激しく何かをされたわけじゃないのに、蘭さんに触れられるだけで、その場所から熱が生まれて疼いて仕方がない。

「…んんっ」

ぬるぬると何度も指が往復していく。恥ずかしいくらいに濡れた場所を撫でられるだけで達してしまいそうになった。

「…すげー感じてくれてる…?可愛いな、オマエ」
「…や…ら、蘭さん…ダ…メ。それ以上したら…」
「…イキそう?」

そう呟いた蘭さんにくちびるを塞がれ、くぐもった声が口内で洩れる。その瞬間、割れ目を撫でていた指が中へゆっくりと挿入された。それだけで電流が全身を駆け抜け、背中が反り返った。

「…んんぁ…あっ」

ビクンと跳ねた体で蘭さんの肩にしがみつく。そうしないと立っていられないほど足に力が入らない。

「…や…んんっ」
「すげー締め付けすぎ…」

耳元で蘭さんが苦笑交じりに呟く。なのに達したばかりの中を指で何度も擦られ、敏感になっているところを刺激されてまたイキそうになった。

「はあ…オレも限界…このまま挿れてい?」

甘えるように囁きながら、わたしのこめかみにちゅっとキスを落とす蘭さんは、普段の大人の彼とは少し違って見える。胸がなるほど可愛いと思った。蘭さんが何故急にその気になったのか分からない。でもこの時のわたしは、蘭さんに抱かれたいと自然に思ってしまった。さっきから腹部に硬いものが当たっていて、限界というのは本当だと分かっている。わたしは無言のまま、小さく頷いた。その時――静寂を破るようなケータイの着信音が響いて、蘭さんの動きがピタリと止まる。

「……はあ…マジか」

仕事の電話なのか、蘭さんは何かを悟ったように項垂れ、わたしの肩越しへ顔を埋めた。ふわりと香水の匂いが鼻腔を刺激して、そこでわたしも冷静になった。

「あ…で、電話…です」

ぐいっと蘭さんを押すようにして体を離せば、不機嫌そうなバイオレットがわたしを射抜いた。

「んなサッサと離れなくても…」
「だ、だって…お仕事の電話じゃ…」
「まあ……そう、なんだけど…いいとこ邪魔されてヘコんでんのオレだけかよ」
「……な…」

何言ってるんですか、と言えなかったのは、きっとわたしも、蘭さんと同じだったからかもしれない。それ以前に、蘭さんがそう感じてくれたことが嬉しい、なんて思うわたしはどうかしてる。彼にしたら遊びでしかないのに。竜胆がわたしを抱いたのと同じ。そう分かっているはずなのに、蘭さんを見るだけで心臓が音を立てて、全身が熱くなるのは何でなんだろう。

「はあ…めっちゃ久しぶりにその気になったのに…」
「…え…っ?」
「あ?何だよ…」

蘭さんがボヤいた言葉に驚いて顔を上げると、更に不機嫌そうな顔をされた。久しぶり、なんて嘘としか思えない。

「オレがあちこちで盛ってるとか思ってンの」
「い、いえ…そういうわけじゃ…」

そういうわけじゃないけど彼の言葉を100%信じちゃいけない気がした。女を喜ばせる言葉なんて、いくらでも言える人だ。

「あ、あの…電話…早く出た方が…」
「あーうん…何つーか…わりいな」
「い、いえ…」

そんな風に謝られると急に恥ずかしくなって来た。はだけた胸元を隠して水から上がろうと歩き出す。でも急に後ろからぎゅっと抱きしめられて心臓が大きく跳ねた。

「ら…蘭さん…?」
「…続きはまた今度な」
「え…んっ」

振り向いた瞬間、くちびるを塞がれた。でもそれはすぐに離れ、頬にも軽くキスを落とすと、蘭さんはプールから上がってケータイの置いてあるカウンターに歩いて行く。その背中を見ながら、そっと火照った頬に触れた。さっきまでもっと恥ずかしい行為をしていたというのに、何故か今の頬へのキスだけでドキドキしている。

(やだ…わたし、ちょっとおかしい)

万次郎や竜胆にキスをされた時とはまた少し違う熱が、胸の奥に広がっていく。その熱の意味を知るのが、少しだけ怖く感じた。