六本木心中



1.

プールを出てから一度自室に戻って着替えていると、再びケータイが鳴り出した。見れば予想通りの人物の名前。軽く溜息を吐きながら、画面をスライドさせた。

「もしもーし。椿姫つばきさん?」
『蘭?何やってたのよ。私の電話にはちゃんと3コール以内で出て』

少しイラついた声に苦笑が洩れた。相変わらず女王様はせっかちのようだ。

「プールで泳いでたんで手元にケータイなかったんですよ」
『プール?ってことは六本木の事務所なの?』
「そうですけど」
『そう…なら早く来てちょうだい。仕事・・を頼みたいの。竜胆も呼んであるから』

そこで電話が切れた。こっちの都合もお構いなしなのはいつものことだ。濡れた髪をバスタオルで拭きながら、スマホをソファに放り投げた。

東宮椿姫とうぐうつばきは梵天の大スポンサー様だ。九井が見つけた資産家の女で、都内にいくつも土地を持ち、そこに自社系列のホテルやデパートを所有してる。他にも手広く事業を展開してて政財界にも顔が利く、表の顏は成功者の象徴みたいな女だ。その一方、裏では自分の事業に不都合な人物をオレ達に消させている、いわば闇そのもの。どうせ今夜も誰かを消せっていう依頼だろう。

「だりぃ…」

クローゼットを閉めて扉の鏡に映る自分の顔を見れば、言葉通り心底だりいって顔をしてた。

――お仕事、頑張って下さい。

別れ際、に言われたことを思い出し、思わず苦笑が洩れる。梵天の仕事なんて後ろ暗いものでしかないのは分かっているだろうが、の性格上、つい口から出た言葉って感じだった。女に改めてその言葉を言われたのは初めてかもしれない。真っ当な仕事でもないのに、意外と悪くない言葉だと思った。それより――。

「はあ…何やってんだ、オレ…」

竜胆に抱かれたと分かった瞬間、モヤモヤした気持ちのまま思わずに手を出しかけた自分に呆れてしまう。自分で引き込んだくせにイラつくなんて随分と勝手な話だ。そもそも今までの女達だって、幹部の奴らの気分次第で全員が適当に自分の相手をさせていたのに。竜胆はそれと同じことをしただけだ。

(やっぱ自分の知り合いを世話係に選んだのは失敗だったかもな…)

自分で引き抜き、店に呼んだ女だ。どうしたって感情が入ってしまう。もうオーナーと従業員と言う関係じゃないのに、気にかけてしまうのも、このモヤモヤの理由も、きっとそのせいだ。

「行くか…」

あまり椿姫を待たせるとロクなことにならない。髪を整え、上着を羽織ると、オレは部屋を後にした。






2.

プールから部屋に戻って再びシャワーを浴びた。プールの匂いがしたから、また髪を洗う。今日だけで何回シャワーを浴びたことやら、と苦笑が洩れた。

(でもまさか…蘭さんがあんな風に触れて来るなんて思わなかった…)

ふとさっきのことを思い出し、顏が熱くなる。胸元についた赤い痕を指でなぞれば、蘭さんのくちびるが触れた感触まで思い出して恥ずかしくなった。蘭さんは竜胆がつけた痕の上から自分の痕を残したようで、今はもうどっちがどっちの印なのか分からない。

――オレ、恋人いないように見える?

あの言葉を聞いた時、蘭さんにはきっと素敵な恋人がいるんだろうと思った。なのに、蘭さんはわたしを抱こうとした。だから少し驚いたけど、恋人がいるならわたしなんかに手を出す必要あるのかな。それとも男の人特有の単なるつまみ食い的なものだったり?

「はあ…分かんない…」

溜息交じりでバスルームを出ると、キッチンにあるウォーターサーバーで水を注いで一気に飲んだ。そこでふとソファの方へ振り向く。でも今度こそ、そこには誰もいなくてホっと息をついた。もう一杯グラスに水を注いでそれも飲み干してから、ソファの方へ歩いて行くとそのまま倒れ込んだ。テーブルにはさっきまで蘭さんとふたりで飲んでいたお酒のグラスがそのまま残されている。

――と…久しぶりにこうして飲みたくなったのかも。

蘭さんはそう言ってたけど、それもよく分からない。お店に来るお客さん相手だと、何となく考えてることだったり、望んでいるものが分かったのに、蘭さんの考えてることはサッパリ分からない。いや、蘭さんだけじゃなく、ここの幹部の人全員に言えることかもしれないけど――。
その時、わたしのケータイが震動していることに気づいた。どこに置いたっけ?と辺りを探せば、さっき帰って来た時にカウンターのスツールに引っ掛けたままのバッグから音が聞こえる。このケータイに連絡して来る人は梵天の人しかいない。一瞬、蘭さん?と思って、すぐにバッグのところへ走っていく。

「あ、メッセージ…?」

電話ではなく、画面にはメッセージのマークが出ている。すぐにアプリを開くと、それは万次郎からのメッセージだった。

"…消灯時間はやくてひまー"
"太陽みたいな月"

そんなメッセージの後に、病室の窓から写したと思われる満月の写真が添付されていた。ふと窓に視線を向けて見てみると、六本木の夜景を上から煌々と照らすような丸い月が浮かんでいる。

「そっか…何となく明るいのは満月だから…」

窓の方に歩いて行くと、思ったよりもずっと近い場所に月が見える。思わずケータイで写して、それを万次郎へ送った。

"わたしの部屋からも見える。今夜は明るいね"

そんなメッセージを送ると、またすぐにケータイが震動した。

"部屋にひとりでいんの?"

"ひとりだよ。万次郎は?"

"三途がベッタリでウザい"

そのメッセージと共に送られて来た写真には、豪華な病室のソファに座り、ケータイで誰かと電話をしているピンク色の髪をした人物が映っている。万次郎がベッドからこっそり撮ったものだろう。映っているのは後頭部だけで顔は見えないけど、髪色でそれが春千夜さんだというのはすぐに分かった。返信をしようとした時、またすぐに振動してメッセージが届く。

"薬効いて来たから眠れそう"

眠れそうなら良かったとホッとして、わたしも"ゆっくり寝て。お休み"と送った。その後にすぐ可愛いお休みスタンプが送られてきて、思わず笑みが零れる。こういうところはやっぱり犯罪組織のボスとは思えない。

「お休み、か…。わたしも寝ようかな」

今日一日、色んなことがあって少し疲れたようだ。急に睡魔が襲ってきた。ふとテーブルの上のグラスを見て、蘭さんの飲んでいたブランデーを一口飲む。

「蘭さんは今頃仕事してるのかな…」

丸い満月を見上げて、この明るい夜の下を歩く蘭さんを想像しながら、ゆっくりと目を瞑った。





3.

『――で?椿姫のは殺ったのかよ』

三途はウザそうに溜息交じりで訊いて来た。この時ばかりはオレも三途と意見が合いそうだと笑ってしまいそうになる。

「まだー。今からモッチーが海に捨てるとこ」

そう言いながら、後ろで「助けて…」と震えている男達を見る。今じゃロープでぐるぐる巻きにされて身動きの取れないミノムシみたいになっていた。ここは東京湾の沖合で、今は椿姫所有のクルーザーの上だ。さすがに海風が冷たくて、かなり冷える。冬の海は荒れるから波も半端なく、竜胆はすでに船酔いでグッタリしていた。

『んじゃあ、とっとと片付けちまえ』
「言われなくても。ああ、マイキーは?」
『さっきまで暇だっつってスマホでゲームしてたけど……ああ、もう寝たっぽい。薬が効いたんだろ』
「そっか。まあ、じゃあ報告は明日にでもしといて。じゃーな」

そこで三途との電話を終わらせ、縛られている男三人の方へ歩いて行く。油断すると船から放り出されそうなほどの強風。これなら死体を細切れにしなくても勝手に沖へ流されて行くだろう。

「出来たー?モッチー」
「おう。暴れるから手間取ったわ、このクソどもが」
「武臣さんは?」
「あ?どーせ中で酒でも飲んでんだろ。ついて来るなら手伝えってのに」
「あの人、ただクルージングしたかっただけだろ。人殺しはついでだよ」

笑いながら言えば、ちょうど本人が船の中から出て来た。その手には案の定、バーボンのボトルを持っている。

「終わったかぁ?」
「終わったよ!サッサと捨ててサッサと帰ろうぜ。さみーったらねえ」
「んじゃーほら」

武臣さんはコートのポケットから拳銃を取り出し、オレに放り投げて来た。それをキャッチして今夜の獲物に向けると、再び悲鳴が上がる。そんなに叫んだところで海の上じゃ誰も助けになんか来ないってのに。

「うるせえ!ギャーギャーわめくなって!――つーか、灰谷。コイツら何やらかしたんだ?」

武臣さんはすでに興味がないのか、バーボンをボトルのまま煽りながら目の前で騒いでる男のひとりを蹴り飛ばした。

「知らね。椿姫さんの邪魔でもしたんじゃねーの」

男達は一見、IT会社の社長でもやってそうな風貌だった。20代後半でオレとさほど歳も変わらないように見える。こういう鼻っ柱の強そうな若い連中は、時としてケンカを売る相手を激しく間違えることがある。その結果、最悪の結末を迎えるとも知らないで。

「んじゃーそろそろお別れだなー?」
「ひぃぃ…!た、助けて下さい…!」
「せっかく縛ったのに助けるわきゃねーだろっ」

望月がイラついたように男達を殴っている。オレはその中のひとりの横に立ち、こめかみに銃を押し付けた。

「や…やめて…」
「うーん…無理」

言った瞬間、引き金を引けば、体が反動で甲板に吹っ飛ぶ。仲間の一人を目の前で殺され、残る二人はますます泣き叫び始めた。その声よりも、銃の反動で手にビリビリと変な痺れが残るからイラっとする。

「いってえ…手袋してても寒いから余計に手が痺れるわ…モッチー交代」
「あ?竜胆にやらせろよ」
「いや、船酔いで死んでるから無理だろ」

チラっと見れば、竜胆は海に向かって「おえ…」っと言いながらグッタリしている。アイツ、三半規管よえーんだよな、昔から。

「チッ。だらしねえ…貸せ!」

望月はオレの手から銃を奪うと、ためらうことなく残るふたりの頭をたて続けに撃ちぬいた。パン!パン!という銃声は波や風の音にかき消され、ついでに男達の悲鳴も消えた。

「ったく…これ落とすのもオレかよ…」
「オレも半分持つから。ってか重りついてっからめちゃくちゃ重てーんだけど」

仕方なく死体になった男の足を持ち、望月は唯一ロープから出てる首や肩を抱えるように持った。それをふたりで揺らし、反動をつけて海へと放り投げる。

「せーのお!」

望月の掛け声と共に手を放せば、男の体は暗い海へと沈んで行った。この辺に捨てればしばらくは浮かんで来ないだろう。運がよければ魚の餌になるはずだ。同じ要領で残りのふたりも投げ捨てると、オレ達の仕事は終了した。

「これであの女、いくら出すって?」

武臣がオレと望月に缶ビールを投げてよこす。それをキャッチしてすぐに開けるとそれを一気に飲み干した。乾いた喉に染み入る美味さだ。

「ひとり、1億」
「は?マジかよ」
「どんだけアイツら椿姫のシマ荒らしたんだろうなー」
「九井がまーた喜ぶんじゃね」

そんな会話をしながら、操縦してる部下に「陸に戻ってー」と声をかける。すでに船の上では祝杯ムードだった。
これがオレ達、梵天の日常だ。当たり前のように人の死に触れ、何事もなく元の世界へと戻る。
それはさながら"葬儀屋"のようだった。