六本木心中



1.

「うわー凄い!他のスーパーじゃ見たことない、ドリアンなんて」

ははしゃいだように言いながら、スーパーの中を見て回っている。
突然、と買い物に出ることになり近所のヒルズまでやって来た。移動中の車内から三途に連絡を取り、にオレの仕事を手伝わせる旨を伝えると、マイキーの世話が必要ない時なら好きにしろとのことだった。まあオレも最初からそのつもりだったし、とりあえずお許しが出てホっとした。

「うーん…九井さんってオクラとか好きですか?」

不意に話しかけられて立ち止まる。隣を見れば今までいたがいない。少し後ろを振り向くと、彼女は野菜コーナーの前にいた。

「あーまあ、ネバネバ系は好きかも」
「あ、じゃあ買っておこう。好き嫌いってあります?」
「いや…特に。ってか、そんな本格的なもん作らなくても…」
「いえ、やるならキッチリしたい方なので」

は真剣な顔で野菜を選んでいる。眉間にしわなんて寄せてる顔を見ていると、本気で体調面のことを考えてくれてるんだなと感じた。

「んー鶏肉は胸肉よりササミの方がヘルシーかなぁ。あ、卵も買わなくちゃ」
「何か楽しそうだな」
「え?あ…すみません。久しぶりにスーパー来たので」

苦笑交じりに言えば、は恥ずかしそうに笑った。でも突然「あ!」と声を上げるからドキっとした。

「な、何、どした?」
「…財布」
「え?」
「お財布忘れちゃった…」

泣きそうな顔でオレを見上げてくる彼女は、普段よりもずっと幼く、可愛らしく見える。そもそもオレが一緒なのにそこまで落ち込まなくても。それに財布を忘れたなんて、国民的アニメのヒロインかよ、とつい笑ってしまった。

「な、何で笑うんですか…」
「いや…何つーか…サザエさんかよって頭に浮かんだからジワっちゃって…」
「……サザエさんって。でも…確かに」

オレが笑っていると、も釣られたように笑う。こんな風に女の子と笑いあうのは随分と久しぶりだった。

「つーかオレが払うんだし財布はいらねーよ」
「え?!でも…」
「あと…敬語もいらねえし、九井さんじゃなくてココでいい」

そう言って彼女を見下ろすと、はジっとオレの顔を見つめて来た。その真っすぐな視線にドキっとする。

「な、なんだよ」
「それって…命令、ですか?」
「え?あ…いや別に…ただオレがそうして欲しいと思っただけ。ダメ?」
「いえ…」
「ああ、あと、そんな構えんなよ」
「え?」
「今までの子達はもっとフランクだったし、は真面目すぎじゃね?」

もう少し気楽に接してよ、と付け足せば、は少し考えながらも「分かりました」と言ってくれた。

「はい、敬語。そこは"うん、分かった"でいいとこね」
「あ、そ、そっか…じゃあ…分かった」
「いい子」

言い直す彼女が可愛くて軽く頭を撫でると、は恥ずかしそうに俯いた。その表情がやけに胸の奥をくすぐってくる。これってナンバーワンホステスの男を騙す手口だったりするんだろうか?とバカなことを考えるほど、自分でも驚いた。

(まあ…蘭さんにオレはちょろいって言われたしな…やっぱオレってちょろいのか?)

表情一つで胸がざわつくなんて、久しくなかったせいかもしれない。

「えっと…あとは何が必要?」

気を取り直して尋ねると、彼女は食材を書いたメモを開いた。

「あとは…万次郎のどら焼きと…パンプディング作る約束したから、パンも買わないと」

言いながらパンコーナーに歩いて行く。マイキーのことを"万次郎"と呼んでいるということは、相当気に入られたんだなと思った。でも、こうしてと時間を共有してみて何となく分かる気がした。彼女はどこか今までの子達とは違う。それが蘭さんから少しだけ聞いた彼女の過去に関係しているのかは分からない。でも苦労しながら一人で生きて来たんだということは分かる。そういう人間は浮ついていない分、一緒にいて妙な安心感があった。
その時――ふと視線を感じ、振り向いた。スーパーの混雑した店内。その中に異質な存在がひとりだけ、いた。

(誰だ…?)

その男は一人で歩いていた。明らかにこっちを見ていた気がするが、今は商品を手に取って見ている。どこかの組織の奴かと、少し離れた場所にいた部下数人を自分のところへ呼んだ。こんなところで襲撃されたら最悪だ。

「あの男、気を付けて見ておけ」
「はい――って、どの男ですか?」

そう言われて再び視線を戻した時、男はそこにいなかった。

(…いない?どこに…行った?)

さっきまでそこにいたはずの男が消えていたことで、オレは店内を見渡した。だがどこにも男の姿はない。ただの客だったのかと思ったが、そこで思いだした。

(アイツ…カゴすら持ってなかった…この辺は入口から随分と奥まった場所なのに、ここまで来るのに何も商品を選んでなかったってことになる)

目当ての物だけを買いに来たなら、そういう奴もいることにはいるだろう。でもオレの勘のようなものがそうじゃないと囁く。

(やっぱりオレをつけてた…?)

やはり敵対してる組織の奴かと思ったが、そんな風にも見えなかった。

「とりあえず周りを気をつけて見ておけ。スーツにトレンチコートの40代くらいの男だ」
「分かりました」

部下が二人ほどすぐに動く。それを見送っていた時、ふと我に返った。

「…はどこに行った?」
「え?あ、あれ?」

さっきまでそばにいた彼女の姿が見えず、部下もキョロキョロしている。一瞬、逃げられたのかと心臓が嫌な音を立てた。でもその時、オレの背後から「どうしたの?」という声が聞こえて慌てて振り返ると、が不思議そうな顔で立っていた。

…どこ行ってた?」
「え?あ、これ探してて、やっと見つけたの」

そう言ってがカゴの中からどら焼きを手にしたのを見て、ホっと息をついた。

「何か…あった?顔色悪いけど…」
「いや、別に何でもない。それより…他に買う物ないなら、もう戻ろう」
「う、うん分かった」

彼女は怪訝そうな顔をしていたが、すぐに頷いてレジの方へ歩いて行く。その後を歩きながら、とりあえず後で怪しい男のことは蘭さんに報告しておこうと考えていた。




2.

野菜と鶏肉の酒蒸しと、炊き立てのご飯、オクラと豆腐の味噌汁にサラダ。それらが並んだテーブルを見て、ココはポカンとした顔をしていた。

「えっと…嫌いなものあった?」

栄養バランスを考えて作ったものの、好き嫌いはないと言うから何も聞かずに作ってしまった。恐る恐る尋ねると、ココはハッとしたようにわたしを見て慌てたように首を振った。

「いや、ただ驚いただけ。こんなちゃんとした食事が出て来ると思わなかったし」
「なら良かった…。この部屋にも立派な家電があるのに、ジャーなんか新品だったからわたしも驚いたけど」
「あ、ああ…生活必需品みたいなもんは一応、揃えたけど、使ったことねーな、確かに」

彼は苦笑しながらも、目の前に置かれた箸を持った。

「食っていい?」
「う、うん。もちろん。あ、じゃあわたしはさっきの仕事始めるね」
「ん、悪いな」

言ってる傍から食べだしたココを見て、ホっとしつつパソコンに向かう。ちょうどお昼を回ったところで、今からやれば夕方までには出来そうだと思った。そう言えば万次郎は検査を終えて何時頃に戻って来るんだろう。ココに訊いてみようか。

「あの――」
「うんま!」

その声にふと見れば、ココが「マジで美味いわ。、天才じゃね」と言いながら食べていた。そこまで喜んでくれるとは思わなかったし、少し照れ臭い。

「大げさ…」
「いや、マジでマジで。空腹に優しい味だし」
「あ、うん。少し薄味にしたの。え、って言うかもう食べたの」

ココがご飯をよそっておかわりしているのを見て少し驚いた。あんなに細いのに意外と食べるんだと思っていると、「オレ、こう見えて大食い」とココが笑った。

「ほんと意外…」
「痩せの大食いって言うだろ。それだよ」

そう言ってココはあっという間に完食してしまった。わたしの方は作業の半分も終わっていないのに、と思わず笑ってしまう。

「美味かったー!ご馳走様」
「お粗末様でした」

そう返しながら手を動かしていると、ココがわたしの方へ歩いて来た。

「おーすげえ見やすい。しかも早くね?」
「あ、でもまだ残り半分以上あるの」
「でもこのペースだと間に合うだろ」
「そう?あ、万次郎は何時頃に帰って来るの?」

ふとさっき聞き忘れたことを尋ねると、ココは時計を見ながら「多分、午後6時過ぎじゃねえかな」と教えてくれた。

「いつも病院帰りはどっかしら寄り道してくっから、もっと遅いかもだけど」
「そっか…じゃあ6時目安にしておく」
「悪いな。すげー助かるわ」

ココは言いながら「シャワー入って来る」と言ってバスルームに向かった。その間に洗い物をしておこうと、一度作業を中断してキッチンに行くと、そこには洗ったお皿がきちんと水切りカゴに置かれていて驚いた。

「え…洗ってくれたんだ…」

ああ見えて結構マメな性格なのかもしれない。だから仕事もひとりで抱えて寝不足になっちゃうのかも。仕事をわたしに頼むくらいだから、本当に疲れてたんだろうなと思った。

「幹部以外には見せられないって言ってたもんね…わたしにはよく分からないけど」

パソコンの前に戻って画面の中の英数字を眺めながら独り言ちる。メモされた通りに打ち込んでいくだけの作業を、あの蘭さんや竜胆が好んでやるとも思えず、苦笑が洩れた。

「とりあえずキリのいいところまでやっちゃお」

お昼代わりに、さっき購入してきたサンドイッチを食べながら、再び単調な作業を開始した。





3.

「――はい。一応その後も探させたけど見つけられなかったようで…」

シャワーを浴びた後、オレはさっき見かけた男のことで、蘭さんに報告の電話をしていた。

『…そっか。でも…敵対してる奴らがわざわざオマエを尾行してくるか?そんな回りくどいことしなくても、一発弾けば済む話じゃん』
「そうですよね…っつーか怖いこと言わないで下さいよ…」

蘭さんは呑気に笑っているが、確かにその可能性もあったことを考えると、少しゾっとした。

『つーかオレはオマエがと仲良くスーパー行ったことにビビってる』
「…いや、気晴らしにと思っただけですって」
『で、気晴らしにスーパー行って、に飯まで作ってもらったと』
「まあ……ってか、蘭さん、何か怒ってます?」
『は?怒ってねーし。つーか、コッチは酔っ払いモッチーの相手してて疲れてんのに、オマエはとイチャイチャしてたんだなーとは思ってる』
「やっぱ怒ってんじゃないっすか」

オレが苦笑交じりで突っ込むと、蘭さんは楽しげに笑った。でもすぐに欠伸をしてるとこを見ると、そろそろ宴会も切り上げて寝るかもしれない。

「あ、じゃあまあ一応報告ってことで」
『おー…まあ、外に出る時は気をつけとけ。その話は明日にでも他のヤツに話しておくし。今は泥酔してっから言っても忘れるだろ。モッチーバカだし』

蘭さんはそう言って笑いながらもう一度欠伸をしつつ、じゃーなと言って電話を切った。

「はあ…オレも眠くなって来たわ…」

腹も満たされ、汗も流してスッキリすれば、あとはベッドが恋しくなる。の言葉に甘えて、少し仮眠でもとらせてもらうかと、バスローブを羽織ったままリビングに戻った。

「どう?順調?」
「あ、うん。あと3ページくらい」
「へえ、仕事はや!」

このペースなら夕方までには余裕で終わる。蘭さんの言ってた通り、優秀だなと感心した。

「大丈夫?あまり根詰めなくても休憩しながらでいーからな」
「大丈夫。時々休んでるから。それより早く寝て」
「あーうん…さすがに限界だしそうさせてもらうわ」

と言いつつ、パソコン画面を覗く。そこにはきちんと日付分けされた数字の情報がきっちりと並んでいた。オレだけが分かる金の流れだ。

「うん、いい感じ。日付分けの仕方がオレが作るより見やすい」
「ほんと?良かった」

が嬉しそうに振り向く。その時、身を屈めていたオレの顔との顏がもろに見合った。至近距離で目が合い、どくんと鼓動が跳ねたのはキスをするのにちょうどいい角度だったからだ。一瞬、身を引こうとした。でもが恥ずかしそうに俯いたのを見た時、勝手に体が動いてしまった。目の前にあるの額に軽く口付けると、彼女の肩が僅かに跳ねた。

「…お休み」
「お…お休み…なさい」

何故そんなことをしたかは自分でもよく分からない。でも、彼女の額に触れた時、確かに何かがオレの中に刺さった気がした。