六本木心中



1.

「…出来たあー」

パソコン画面と睨み合うこと数時間。休み休み作業をしたので予想よりも少し時間がかかってしまったものの、どうにかココに言われた仕事を終わらせることが出来てホっと息を吐いた。久しぶりにパソコンをいじったからか首回りが痛い。軽く首をコキコキさせながら、肩を回して解しておく。ふと時計を見れば午後の5時半を過ぎたとこだった。

「いけない…夕飯の準備しなくちゃだ」

帰ったらまたアレ作って、と万次郎に言われている。さっきは春千夜さんからもメッセージが来て、お風呂を沸かしておけってことだった。病院から戻ったら万次郎はまずお風呂に入りたがるらしい。そうなると、あまり悠長にはしてられない。最後のチェックを済ませてミスがないのを確認するとパソコンを閉じて、コーヒーを飲んだカップを手早く洗っておく。

「どうしよう…勝手に部屋に戻っていいのかな」

ココは寝室に行ったきり出てこない。きっと疲れて眠ってるはずだ。ただ戻るのを伝える為だけに起こすのも気が引ける。それに――。

「…何だったんだろ。さっきの…」

そっと額に触れながら口付けられた時のことを思い出す。一瞬ドキっとしたけど、ココは「お休み」と言った通り、そのまま寝室に行ってしまったし単なる気まぐれだったのかもしれない。

「あ、そうだ。メモ残しておこう」

起こすよりはいいかと思ってメモ帳がないかと室内を見渡す。でもお洒落な棚には、これまたお洒落なオブジェのようなものしか置いてない。

「あ、メッセージ送ればいいんだ」

蘭さんに渡されたケータイには蘭さんや竜胆、万次郎の他に春千夜さんとココの連絡先も登録されている。

「でも…鳴る設定だったら起こしちゃうかな…」

と、そこで指が止まる。幹部にもなると、いつ大事な連絡が入るか分からないからケータイは肌身離さず持ってるって竜胆が話してたのを思い出した。

(もし聞かれたら時間だから戻ったって言えばいいよね。廊下には部下の人がいて部屋までくっついてくるんだし…)

そうと決まればすぐに部屋へ戻ってお風呂の準備を――と玄関まで出た時だった。この部屋のインターフォンが鳴り響き、ドキっとして足を止めた。

(え…誰?この部屋に来るってことは…幹部の人かな。蘭さんとか…)

他の幹部の人が尋ねて来たのかと思って、ドアの方まで歩いて行く。でもわたしが勝手に出るのもおかしな話だ。ただインターフォンが鳴ってるのに寝室のドアは全く開く気配がない。丸一日寝てないと話してたし熟睡してるのかも、と困っていると、またインターフォンが鳴り、今度はドアを叩く音。そして――。

「ちょっとココ!いないの?」

(女の、人――?!)

その高い声を聞いて今度こそ心臓が跳ねた。もし恋人だったりしたらマズい。

「ココー!まさか女なんか連れ込んでんじゃないでしょーね!」
「……っ?!」

これは緊急事態だと思った。さっきは起こすのを躊躇ったけど、今はそんなことを言っている場合じゃない。わたしはすぐに寝室のドアを開けると、ベッドで寝ているココのところへ走って行った。

「あ、あの…!ココ。恋人が来てるんだけど…っ」
「…ん-…」

声をかけながら体を揺さぶると、ココは煩わしげに布団をはいで横を向いてしまった。っていうか何で裸なの?!とギョっとしたついでに、さっきシャワーを浴びたその足で寝室に向かったのを思いだす。きっとあのまま寝てしまったに違いない。よく見ればバスローブが腰の辺りでかろうじて止まっている。

「マズい…こんなとこ見られたら彼女に誤解されちゃうかも…」

ひとり慌てながらココの体を揺さぶる。なのに目を覚ます気配はない。ドアの前ではまだ女の人が「ココ―?いるの分かってんのよっ」と叫んでいた。

「もー分かった。合鍵で開けるから!どうせ寝室に女でも連れ込んでんでしょっ」
「…っ(合鍵はマズい!)」

次にカチャっという鍵の開いた音がして、わたしはいよいよ焦ってしまった。

「コ、ココ!彼女が来たってばっ」
「…んあ…?」

会ってまだ二度目の相手。でもそんなことを言ってもいられず、彼の腕をバシバシ叩いてしまったおかげか、ココの目が薄っすらと開いた。

「ん…ぃてぇ……なに…?」
「あ、あの…そこにココの彼女が…っ」

目をこすりながら上半身を起こしたココに言えば「彼女ォ…?」と怪訝そうな顔をされた。その瞬間、寝室のドアがバンっと勢いよく開かれ、肩がビクリと跳ねる。終わった、と思った時、

「あれーマジで寝室に連れ込んでじゃん」

と聞き覚えのある声が背後から聞こえた。

「……え…」

驚いて振り向くと、そこにはニヤニヤした万次郎と、呆れ顔の春千夜さんが立っていた。




2.

「…まーじウケる!、こーんな目まん丸くしてんだもん」
「………」
「あれ…怒った?」

ココの部屋のリビング。ソファの上に寝転んで笑い転げていたマイキーは、隣でそっぽを向いているに気づいて体を起こした。九井は叩き起こされたせいでソファに凭れながら「何やってんすか、マイキーくんは…」とグッタリしている。まあオレは敢えて止めなかった。まさかあんな裏声であっさり騙されるとは思ってもいなかったし。なんて単純な女なんだ。

、ココの部屋で仕事手伝ってるらしい」

帰りの車の中、そう伝えると珍しく寄り道しないで戻ると言いだしたマイキーは、悪戯を思いついたと昔のような無邪気な顔で笑った。

「ココは引っかからないだろーけど、は一瞬、焦るんじゃね?」

そう言いながら女みたいな声で叫んでたのはマイキーだ。ただ九井がマジで爆睡してるとは思わない。確認のしようがなかったが本気で九井の彼女が怒鳴りこんで来たと信じ込んでしまったようだ。そのせいで焦ったは相当強く叩いたのか、九井の腕に真っ赤な手形までついてるんだから笑ってしまう。騙された本人はかなりスネているようだ。

「もう…信じられない。そんな悪戯しなくたって…」
「ごめんって。ちょっとからかっただけじゃん」

の顔を覗き込み、マイキーは苦笑した。でもなかなか機嫌が直らないのを見て、少しだけ焦っているようにも見える。

「あ、にお土産あるんだ」

そう言いながらマイキーが紙袋の中からさっき買った土産を出してに手渡した。は驚いたようにその箱を見ている。

「京都で人気の飴らしいんだけど見た目が綺麗だったから」
「…飴?」
「うん、開けてみて」

マイキーが促すと、は怪訝そうに包装紙を丁寧に外し、箱を開けた。

「わ…綺麗…」
「だろ?宝石みたいだけど飴なんだって」

アメジストを思わせる濃い紫や淡い紫色をした飴は確かに綺麗だった。病院の近くにある和菓子店でマイキーが見つけたものだ。最初それを見た時、「女が喜びそうな飴」とオレが笑ったら、マイキーがに買ってこうと言い出した。これまで世話係に何かを買ったこともなかったのに。でも不安定だったマイキーの体調が落ち着いてる原因がなんだとしたら喜ばしいことだ。闇に染まるマイキーに心酔してるとはいえ、体調を崩して欲しいわけじゃない。機嫌の戻ったと話してるマイキーは、どことなく楽しげだ。

「じゃあ、そろそろ戻ろう。ココも眠そうだし」
「うん…って、あ、まだお風呂とか夕飯の準備してない」

が慌てたように立ち上がった。まあ予定よりも随分と早い帰宅になったんだから当然かもしれない。

「いいよ。今からで」
「そう?ごめんね。あ、ココも…叩いちゃってごめんなさい」

戻りかけたは、再び寝室に入ろうとする九井にも謝っている。でも原因はマイキーのせいだから九井も苦笑するしかない。

「いや、それよりファイル完璧だったしサンキューな。また時間ある時に頼むわ」
「はい」
「じゃーオレは寝るんで。もう起こさないで下さいね、マイキーくん」

ジトっとした目で言いながら、九井はドアを閉めた。マイキーは軽く吹き出しながら「そんな怒らなくてもいーのに。なあ?三途」とオレの方に笑いかけた。そんな笑顔を見せるのはかなり久しぶりで、オレもつい笑みが漏れる。昔はマイキーが笑ってるだけで、仲間は全員安心して戦うことが出来てた気がする。ふとそんな懐かしいことを思い出す。

「夕飯食べたら映画観るか。面白そうなの何枚か買って来たし」
「いいけど、疲れてないの?万次郎」
「ぜーんぜん。病院じゃ寝てばっかだったし」

そんな会話をしながら部屋に戻るまでの間、マイキーはずっとの手を繋いでいた。随分と気に入ったもんだと内心驚きつつ、これまでの女とはタイプの違うを見た。今までの女のように、自分から望んでここへ来たんじゃないというのは話に聞いたが、なかなかどうして。度胸が据わってると思った。マイキーやオレに対しても物怖じしないし、ある種の覚悟は感じる。こういう女ならおかしなことにはならないかもしれない。
前を歩くふたりを見ながら、そんなことを考えてると、マイキーの部屋に到着した。

「じゃあオレはこれで」

そう言って立ち去ろうとした時、後ろからコートを引っ張られて驚いた。振り向くとマイキーがオレのコートのベルトを掴んでいる。何事かと思った。

「…マイキー?」
「三途も来いよ」
「……っ?」
の作る飯、美味いんだ。オマエも食ってけば」
「あ、春千夜さんも夕飯まだですよね。すぐ作ります」

そう言っては先に部屋の中へと入っていく。オレが呆気に取られていると、マイキーが「ほら早く来いよ」と言いながら、今度はオレの腕を引っ張ってくる。こんなマイキーは久しく見ていない。それは黒い衝動すら消してしまうような、明るく無邪気な笑顔だった。