六本木心中




春千夜さんは目の前に並んだ料理を見て、しばし固まっていた。万次郎に無理やり連れて来られてテーブルにつかされた時も複雑そうな顔をしてたけど。

「…この塊は…何だ」
「あ…これはパンプディングっていって本来はオヤツみたいなものなんだけど…万次郎が食べたいって言うから。あ、でも食べられなさそうなら他のもの作ります」
「……」

眉間に皺を寄せてガン見してる春千夜さんはこういうのが苦手かもしれないと思ってそう言ってみた。ふにゃふにゃになるから卵液にパンをひたすのが嫌な人もいるし。
万次郎は満足そうにパンを食べている。でも隣で固まってる春千夜さんに「食わねーのかよ」と言いながら目を細めた。

がせっかく作ってくれたのにオマエは――」
「い、いや、食べます」

万次郎の圧に負けたのか、春千夜さんがフォークを持って恐る恐るとろけるチーズの乗ったパンへ手を伸ばす。こうなってくると反応が見たくなるから不思議だ。他の料理を用意しながら春千夜さんの様子を伺っていると、彼は一口サイズのパンをパクリと食べて……固まった。やっぱりダメだったか…と思いながら、春千夜さんは何が好きかを尋ねようとしたその時、「んまい…」と言う声がきこえた。

「ふわふわ…」
「だろ?」

驚いたように皿の中のパンプディングをジっと見ている春千夜さんに、万次郎が得意げな顔で笑う。春千夜さんが二口めも食べてくれたのを見て、とりあえずホっとしながら野菜とひき肉のオムレツもテーブルへ置いた。あれだけじゃ足りないと思って他にも何品か用意したのだ。病院の食事が嫌だったようで、万次郎は意外にもペロリとそれらを食べてしまった。

「ごちそーさま!めっちゃ美味かった」
「あ、お風呂湧いたから入る?」
「うん。先に入っちゃうわ。三途もちゃんと食えよ」
「う、うっす」

そう言い残し、万次郎はひとりバスルームへ行ってしまった。バスタオルや着替えも用意したし、後は洗い物をして――って何か飼われてるというより家政婦をしてる気分になってきた。わたしは"家政婦は見た"の石崎秋子か。もし生きてここを出られたら次の仕事は家政婦って手もあるかもしれない。なんてバカなことを考えた。でも彼女じゃないけど、ここにいれば見たくないものすら沢山見てしまいそうな気がする。ただ名シリーズと違うのは、ここは家政婦以上の贅沢な空間だということだ。

綺麗に着飾って万次郎の身の回りの世話をする。たまに竜胆が誘って来たように、セックスの相手をさせられることはあるんだろうけど、そればかりでもなく。最初はもっと酷い扱いをされるんだと思ってたのに、意外にも梵天の人はそれほど怖くはなくて、結構気さくな人が多いんだなと思った。なのに彼らは世間からすれば恐怖の対象でしかない。やってることも当然ながら、違法行為ばかりだろう。そんな組織の人達にも人間らしい一面があるんだと知った。

梵天の頂点にいながら、寂しがり屋でひとりじゃ眠れない万次郎は、わたしの作った些細な食事を喜んで食べてくれるし、幹部の蘭さんは色々と気遣って心配してくれる。最初は乱暴だと思った竜胆も本当は優しい一面があったし、ココも簡単な仕事を手伝っただけなのに助かったなんてお礼を言ってくれるような人だった。春千夜さんだって違法ドラッグに手を出すような人なのに、今はわたしの作った食事を綺麗に食べてくれてる。

わたしだって世間から見ればただの人殺しだ。でも、そんなわたしにも他の人と同じように心はある。例え不本意なスタートだったとしても、生きていく為の生活を与えられた。だからここにいる以上は彼らの役に立とうと思い始めている。
人間って不思議な生き物だと思った。目に映るものだけが全てじゃなく、見えない部分にこそ、人の本質は隠れている。彼らは誰かにとっては悪人。でもまた別の誰かにとっては善人にもなりえる。
どんな生き方をすれば正しいかなんて何歳になっても分からないし、誰かの正論はわたしみたいな人間にとって救いにすらならなかった。
正しく生きても、悪に堕ちても、結局――行きつく先は同じだと思うから、わたしはここでやれるだけのことをやろうと思った。




「おい」

キッチンで洗い物をしていたら、突然背後から声をかけられた。振り向くとそこには春千夜さんがそっぽを向いて立っている。手元が不自然にわたしの方へ差し出されていて何だろうと思ったら、彼がラッピングされた手のひらサイズの箱を持っていることに気づいた。

「ん」
「…え?」

春千夜さんは持っている箱をわたしのお腹に押し付けてくる。驚いて見上げると春千夜さんは煩わしげにわたしを見下ろした。

「やるつってんだからサッサと受け取れ」
「…あの……ん、しか言われてないです」
「…っいいから受け取れって言ってんだよ!」

ムっとしたように目を吊り上げた春千夜さんがわたしの手にその箱を押し付けてくる。仕方なく濡れた手を拭いてから受け取ったものの、手の中の物はどう見てもプレゼント風にラッピングされている。春千夜さんにこんな物をもらう理由がない。そもそも今日で顔を合わせるのは二回目だ。

「何ですか…?」
「…この前汚したハンカチの代わりだよ。新しいの返すつったろーが」
「…あっ」

そう言えばそんなことを言われた気がする。まさか本当に買って来てくれるとは思わない。改めて箱を見るとシャネルのロゴがあって少し驚いた。

「開けても…いいですか?」
「…オマエにやったんだから好きにしろよ」

春千夜さんはぷいっと顔を反らして冷蔵庫の中からビールを取り出し飲んでいる。優しいのか素っ気ないのかどっちなんだと思いながら、綺麗なリボンを外して箱を開けた。

「わ…可愛い」

レトロ風な白の花がモチーフのハンカチが二枚、色違いで入っている。これを春千夜さんが?と驚いて再び顔を上げると、不機嫌そうな顔でビールを飲んでいる春千夜さんと目が合った。

「何だよ…」
「い、いえ…これ…わざわざ買って来てくれたんですか?」

そう尋ねた瞬間、春千夜さんの頬がかすかに赤くなった。

「わ、わざわざ行くわきゃねーだろっ?他の女に買うついでに買っただけだよ!…自惚れんなっ」
「…そ…ぅですよね。でも…ありがとう御座います」

急に怒り出すからビックリしたけど、何となく本気で怒ってる感じもしない。お礼を言うとまたそっぽ向かれたけど、最初の印象通りシャイなのかなと思った。

「あ…何かおつまみになるような物、作りますか?」

二本目のビールを開けているのを見て、ここは家政婦に徹しようと思いながら聞いてみる。でも春千夜さんは何故かギョっとしたような顔でわたしを見た。

「は?」
「今日、色々食材を買って来たんで大抵の物なら作れますけど――」
「…別にいらねえよ」
「あ、そっか…食べたばかりでお腹いっぱいですよね」

開けかけた冷蔵庫を閉めて振り返ると、目の前にビール缶がぬっと出された。

「…え?」
「オレは部屋に戻る。オマエ、飲んどけ」
「あ…はい…」

春千夜さんは缶ビールをわたしの手に押し付けてキッチンを出て行く。ふと見ればビールは開けただけで一口も飲んでない。

「え…これ…」

もしかして最初からわたしにくれるつもりで開けたとか?何となくそんな気がして春千夜さんを追いかけようとした時、不意に彼が戻って来て驚いた。

「おい」
「わ…っ」
「…卵焼き」
「…え?」
「作れるか?」

再びキッチンに顔を見せた春千夜さんにそんな質問をされギョっとする。さっきオムレツ食べてたのに、と思いながらも頷いた。

「…はい、えっと…甘いのとしょっぱいの――」
「甘いの」
「作れますけど…あ、今――」
「今度でいい。あとマイキーもそれ好きだから時々作ってやれ」
「…分かり…ました」

わたしが素直に頷けば、春千代さんは再び玄関の方へと歩いていく。その後を追いかけて「あの」と声をかける。

「あ?」
「ビール、ありがとう御座います」
「……おう」

今度こそまともに返事をしてくれた春千代さんは、やっぱりこっちを見ようとしない。でも背中からは拒絶の気配がしなかった。

「…マイキーを頼む」

春千夜さんはひとこと言い残して部屋を出て行った。この前もそう言われたけど、何となく梵天幹部の中でも春千夜さんが一番万次郎に対して忠誠心が強いように思う。わたしの勝手な憶測だけど…

「――?」
「ひゃっ」

いきなり背後から声がして飛び上がりそうになった。振り返るとお風呂から出た万次郎が立っている。

「なに驚いてんだよ。ってかひとりでビール飲んでんの」
「え?あ、こ、これは…」
「喉乾いたから、それちょーだい」
「あ…」

万次郎がわたしの手から缶ビールを奪って一気に飲みだした。でもすぐに「…にがっ!」と顔をしかめている。じゃあ何で一気に飲んだのと思ったけど、その顏が子供みたいで笑ってしまった。

「何だよ…」
「万次郎、ビール苦手なんじゃない」
「…風呂上りのビールは美味いって皆が言うから飲んでみたくなったんだよ…。つーか風呂上りでもにげーじゃん」

万次郎はブツブツ言いながらリビングに歩いて行くと「髪かわかしてー」と叫んでいる。年上なのにやっぱりどこか子供みたいでふと笑みが零れた。
だけど、この時のわたしは万次郎の奥に潜む闇に気づいてさえいなかった。
この日の夜――万次郎が豹変した。